素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

アケボノゾウをさぐる(9)

2022年06月15日 09時28分36秒 | 絶滅した日本列島のゾウたち
          アケボノゾウをさぐる(9)


  (1)国の天然記念物となったアケボノゾウ多賀標本

  最近では、滋賀県多賀町は「ゾウの里」というキャッチフレーズでも知られていますが、アケボノゾウやナウマンゾウの化石が多数発掘されています。その多賀町立博物館の糸本夏実学芸員さんは、『新撰淡海木間攫』(其の七十六)に「アケボノゾウ化石」を執筆していますが、なかなか興味深い内容です。

 ところで、『新撰淡海木間攫』ですが、本元は寛政4年(1792)の『淡海木間攫(おうみこまざらえ)』だと考えられます。それが、近年(1984~1990年)なって、滋賀県立図書館から塩野義陳編・田中信精 校訂、近代史料シリーズ〔5〕~〔7〕として3分冊が刊行されました。

 また、糸本学芸員さんは、最近、大変珍しい「腕足動物の化石」の企画展を同博物館で開くなど活躍されています。腕足動物の化石は、顕生代のどの時代の地層にも見られるそうです。「古生代カンブリア紀初期の地層からも発見されている」そうです。その「腕足動物」は、古生代から中生代に生息していたと言われています。

 それは、二枚の殻を持った生き物だったそうですが、いまではほとんどの種が絶滅していますが、現生種が、有明海などに生息しているという説があります。2枚の殻を有する海産の底生無脊椎動物です。「シャミセンガイ」や「チョウチンガイ」という名は聞くことがあります。そんな貴重な化石の企画展が2021年「ゾウの里」滋賀県多賀町立博物館で開かれたのを報道で知りました。

 大分横道に逸れてしまいましたが本題のゾウの話に戻しましよう。アケボノゾウの化石について、多賀町立博物館の糸本夏実学芸員さんは、「アケボノゾウはゾウの進化の歴史の中で古い種類だと考えられていたことに由来して、夜明けを意味する名前がつけられたのでしょう。その後、各地で発掘された近縁種の化石と比較した研究から、アケボノゾウは大陸から渡ってきたゾウが日本で進化した種だということがわかりました」、と『新撰淡海木間攫』(其の七十六)において記述されています。

 糸本学芸員さんの説くところによりますと、「全国各地で見つかっているアケボノゾウ化石と比べて、多賀町のものは全身の骨がよくそろっている貴重な標本です。工事中に見つかり、大急ぎで発掘したため、その時には詳しい調査ができませんでした。詳細に調査をするべく、アケボノゾウ化石の発掘から20周年を契機に多賀町古代ゾウ発掘プロジェクトが発足しました。その発掘調査では、アケボノゾウと同じ時代を生きた生物たちの化石が多数見つかり、当時の沼や周辺の森の様子が明らかに」になった、のだそうです。前述した多賀町の{腕足動物の化石}も、このプロジェクトの副産物なのかも知れません。

 糸本学芸員さんが言われるように、多賀町で発掘されたアケボノゾウの化石標本は、「全身の骨の保存状態が良いことから、国の天然記念物に指定されることになり、多賀町上げて喜ばれています。それだけでなく、アケボノゾウとはどんなゾウだったのか、全国の化石ファンにとり大きな関心を呼んでいるのです。

 アケボノゾウの化石は全国およそ50か所もの地層から発掘されたこが確認されていますが、亀井節夫(1925-2014)によりますと、瀬戸内海明石海峡からはこれまでにも、体骨、臼歯化石の多くが漁網にかかり引き上げられていたことが古くから知られています。それらの多くが、アカシ象とも呼ばれて来ましたが、それも1918年松本彦七郎(1887-1975)によって命名された石川県産の暁ゾウないしアケボノゾウと同種であることが明らかになりました。

 爾来、アケボノゾウの呼び名が一般的となったと言えます。ところで、天然記念物に指定された滋賀県多賀町のアケボノゾウの化石は1993年に発掘されたもので、天然記念物に指定されたのは、陸上の大型哺乳類化石としては多賀町産のアケボノゾウの化石が陸上の大型哺乳類の化石としては、このアケボノゾウが初めてと言われています。

 日本列島に生息していたゾウではナウマンゾウがよく知られていますが、その生息していたのは40万年前ないし30万年前、さらに古くは80万年前と言う説もありますが、アケボノゾウの場合は250万年前~100万年前と言われています。確かにこの生息年代はハチオウジゾウと一部で重なることがありますが、古生物学の世界ではよくあることのようです。

 アケボノゾウの大きさですが、ゾウとしては日本列島の環境に適合してか、230万年も時をかけて、狭い土地、餌に乏しいこと、子孫を残しやすいよういに進化し、ゾウとしてはアジアゾウと比較しても、化石から推定して、背丈(足元から肩までの高さ)が1.5メートルから1,8メートルと小型であったと考えられています。

 参考となる書物として、『亀井節夫著『日本の長鼻類化石』(1991・築地書館)』▽『亀井節夫著『日本に象がいたころ』(岩波新書)』▽『小西省吾「アケボノゾウの骨格復元とその特徴――多賀標本を例として」(『地球科学』第54巻第4号所収・2000・地学団体研究会)』、樽創「日本固有のゾウ〔アケボノゾウ〕(『化石』73、2003)、多賀町立博物館編『多賀はゾウの里だぞう』(多賀町立文化センター・2020)などを挙げることが出来ます。

 なお、同博物館によりますと、多賀標本が天然記念物として保存されることの意義として、 ①国内のゾウ類化石では最も多くの部位の骨が揃った保存状態が良好な標本であり、特に右手部位の完全な産出例は世界的にみても稀である。 

 ②保存状態の良い部位が揃っていることは、進化の過程での形態的変化を研究したり、DNA分析技術が向上した将来、古生物研究の分析資料として重要な標本である。

 ③「多賀町古代ゾウ発掘プロジェクト」によって当時の自然環境が詳細に解明され、日本
の地質学の分野において重要なバックデータを持つ標本である、と以上の諸点を指摘しています。


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