素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

人種とは・日本人の昔を探る(18):中本博皓

2020年08月12日 10時12分34秒 | 人種とは・日本人の昔を探る

    

    人種とは・日本人の昔を探る(18)

 

 

 日本人の昔を探る(その2)

 (3)  では、縄文人の暮らしと「住」について-その1-

 そんなわけですから、いろいろな見方やまた異論があるのも理解できなくはないように思います。その思いが強いと、現在の沖縄の人に酷似する結果になったりもするのではないか、そんなことを考えたりもするのです。

 しかし、沖縄で発見された港川人の場合、顔の彫が深く、手足が長いところなどが沖縄人によく似ているため、沖縄人の祖先は南方から列島に渡って来たと考えられるようになった理由でもあるようです。

 ところで、縄文人と言いましても縄文草創期の人と縄文末期の人とでは1万年以上も時が経っているわけですから、ひとまとめで縄文人と呼んでいいのかよく分かりません。その暮らしにしても、随分違いがあると思うのです。

 たとえば、江戸時代の人の姿かたちと今を生きるわれわれとではやはり大きな違いがあると思います。映画の時代劇などで映し出される人々の姿かたちは、いまを生きている人々が演じているドラマですから、顔や体型など違和感はありませんが、実際にはずいぶんと違いがあると思うのです。

 その暮らしぶりにしましても、戦後75年の間だけをとって見ましても、大きく変化しています。それは衣食住を考えても大変な違いが分かります。

 ましては、1万2,3千年前と後とではとても想像できないと思います。遺跡から出土したもの、人骨化石などをその筋の専門家の先生方が科学的手法をこらして、姿かたちや暮らしぶりが描かれるのだとおもいますが、それは推測の世界ということになります。

 しかし、昨今は分子人類学でDNAを分析して人そのものについては、わたしどもが考えている以上に正確な「時代人」を突き止めることが出来るようになっていると思います。

 例えば、国立科学博物館の海部陽介教授は、沖縄で発見された港川人は、本土の縄文人とは異なる人類集団なのではないか、とも言及されています。

 先の港川人にしましても、5万年前から1万年前に東南アジアやオーストラリア大陸に広く分布していた集団ではないのか、という見方もされているのです。

 国立科学博物館で人類学の研究を続けている神澤英明研究員は、齋藤教授がこれまでに500人以上の日本人のDNA,そして数千人に上るアジアの人のDNAを解析した結果から、ある仮説を立てて研究していることに言及されています。