素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

素人の考古学:抄録・人の移動、その先史を考える(その2)

2015年04月19日 19時09分33秒 | 人類の移動と移住

         
                 抄録・人の移動、その先史を考える(2)


  〔以下の記事は、小生がこれまで扱ってきた「人の移動史」(日本人の出移民小史)から、ふとしたことで、人の移動、その先史を専門家の孫引き・後追いで考えるようになり、ノートを作成する気になったもので、老化予防のために「80過ぎての手習い」といったものです。〕


 
 (1)人は移動する生き物

 1)人の移動の始まり-アフリカを出た現生人の祖先(新人)たち-② 


  ここに言う大地溝帯とは、東アフリカ南部のモザンビーク(Monzambique)のザンベジ川(Zambezi River)から、紅海、死海を経てシリア(Syrian)のヨルダン(Jordan)川に至る総延長約7000㎞、幅50㎞から60㎞もある巨大な谷のことだ。

  そこで誕生した人類の祖先は、猿人から原人へと進化し、数百万年をかけて大地溝帯の東側に生じた草原での狩猟採集生活を体験した。そこで二足歩行の効率的な行動をマスターした人類の祖先の時代から考えると、現生人類「新人」へ至る道のりは長い長い進化の旅であった。そしてまた、われわれ世界中の現代人は、ホモ・サピエンス・サピエンス(新人)という一つの種に分類される。

  新人は、10万年前ごろにアフリカで誕生し、6万年ほど前からユーラシア大陸に広がり始めたと考えられているのである。新人は、旧人に比べるとはるかに進歩した技術を持ち、急速に分布範囲を広げ、世界中へ拡散して各地の現代人の祖先となった。つまり、世界中のどの現代人集団も、ほんの数万年前までは同じ集団の仲間だったことが分っている。

  アフリカはまさに現生人類の祖先にとって揺籃の地であったことは今では疑う余地はないようだ。その揺籃の地、東アフリカの東地溝帯(東リフト・ヴァレー)を抜け出した現生人類の祖先たちには、一説によると、アフリカからの拡散にあたってのルートとして二つのルートがあったと考えられている。その一つ目のルートは、「北アフリカから紅海の北端へ、そしてシナイ半島を経て中東に出た集団」があったのではないのかというものだ。その根拠として、イスラエルで10万年ほど昔の遺跡から新人の人骨が発掘されたことに依拠している。

 (つづく)