電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

思い出ぽろぽろ

2008-09-08 21:27:44 | Weblog
このブログもなんだかんだいって回を重ねていっておりますが、始めたきっかけは過去の出来事をどこかに書きためておかなければ、どんどん忘れていってしまう怖さがあったので、のんびりやっていこうと書き始めたのでした。でも、不思議なもので、最初は1時間ぐらいかかっていたのが、今では10分ぐらいで書き終えてしまいます。
これまでも雑誌などに原稿も書いたりしていたのですが、このブログの影響か、勢いであっという間に書くことができるようになってきました。(時々文面がおかしい時もありますが)
これまでも、自分が携わった宣伝のことを書いていますが、書きながら、当時はあんなこともあったなあと、思い出すこともあります。また、ちょっと感違いしていたところもあって、それが書いたあとに思い出したりもします。
私にとって、この映画の宣伝の仕事において大きな影響を与えたのが『ファースト・ミッション』だったわけですが、この作品で初めて香港に行き、その香港のパワーに生で当てられて、興味を強く持ったのもまた運命だと思っておりますが、そのころから考えると、本当に時が経つのが早いのと、変化していくことの早さに驚いています。
先日、ディファ有明で1日だけのベルファーレが作られ、バブルのころのディスコの狂乱が再現されていましたが、あの踊り狂う女性たちを当時、生でみていた世代の私にとって、あの時代って本当にノー天気だったと思うのでした。
実際、自分が社会人になったころは、あんな状態になるもう少し前のディスコで、どちらかというとジョン・トラボルタの『サタデー・ナイト・フィーバー』のような、同じダンスを皆で踊っているといった時代でした。六本木だと、現在、シネマート六本木のすぐそばにあったスクエアビルがディスコビルと言われ、そこに外タレを連れていったりもしていました。
話はだいぶそれましたが、『ファースト・ミッション』のキャンペーンのことを再度思い出していたのですが、今日、その時の写真を見ていて、ガスホールで行われた「ジャッキー・チェンとファンの集い」のことを思い出しました。これは新宿松竹と渋谷松竹で日曜の早朝イベントを行い、そこで前売り券を購入した人の中からイベント招待というもので、私も朝の7時から劇場に行って司会を行ったのですが、最初の第一弾イベントは7月14日(日)で、前日まで香港にマスコミを連れた取材に行っており、たしか夜11時ぐらいに家について、そして次の日の朝6時には起床して会場に行ったのでした。この時点ではまだ映画の中身ってわからなかったので、ジャッキーがファンの皆さんに挨拶、という映像を流し、また私が司会だったので、昨日まで見た現場の話をそこでした記憶があります。実はこの翌日、すごい下痢と吐き気でダウンして1週間寝込んだのでしたが、これは香港に初めて行って、みちゃくちゃ湿気と暑さにあたり、なおかつホテルの部屋はめちゃくちゃ冷房がかかっていて寒く、そして初めて行った海外だったために、はしゃぎすぎて目の前に出たご飯をばんばん食べ、だされるお茶をがんがん飲んだ結果、そうゆう最悪な体調になったのですが、この一件があったので、その後、香港に行く時はいろいろ考えるようになったのでした。
イベントも盛り上がり、2回目のイベントでも司会をやって、ガスホールのイベント券はすべてなくなりました。そのくらい、当時のイベントの熱気はすごかったわけですが、来日してからのガスホールのイベントも、スタッフにとってはすごくピリピリした中で行われたのでした。(続く)