電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

バック・トゥ・1974その2

2008-06-18 23:34:49 | Weblog
田舎の中学生って、当時はおこずかいから映画代出すのって月に1本(田舎は2本立て)しかみれないので、新聞配達をやっていました。朝6時に起きて、1時間で120軒ぐらい配っていたかなあ。親からも毎月おこずかいが700円ぐらいで、新聞配達のもらえるお金の中の1000円が自由になるお金で、あとは自転車買うための資金として親に管理されていました。
そのお金の使い方ですが、映画雑誌を1誌、私は「ロードショー」を買っていましたが、それがたしか360円ぐらいだったか。それと映画が2本立てで中学生って400円ぐらいだったような記憶があります。
そんなやりくりをしながら、日曜になるとこそこそと親に嘘ついて映画を観に行っていました。もともとうちの家は映画をよく観に行っていましたので、小学4年生の時に『ベンハー』とか観てました。
1974年に入って最初に観たのが、2度目の『燃えよドラゴン』。そして2月に公開された『片腕ドラゴン』と『ダーティハリー2』という、地方の劇場ならではの封切り2本だてを観に行きました。『片腕ドラゴン』を観に行った時は、日曜の昼間でしたが、場内すごく混んでいました。とにかく田舎の中学生は、『片腕ドラゴン』でもすごく盛り上がっていました。あの時のこの映画の印象といえば、ジミーさんが腕をぶったぎられるところ、手を火に入れて神経を焼くシーン、起き上がりこぼしのようになるジミーさん、キックボクサー、インド人との逆立ち対決、そしてラマ僧の対決が強く印象に残ったことで、翌日、学校に行っての休み時間が『片腕ドラゴン』ごっこでした。そして、極真の通信教育に入った奴が、『嵐を呼ぶドラゴン』の虎拳、鶴拳のまねをして、休み時間、掃除の時間、部活の時間と、ドラゴンごっこばかりしていたのでした。それくらいの影響があったカラテ映画ブームだったのでした。