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大空を見上げて

日頃感じていること

懐かしき青春の絆

2025-05-24 | Weblog

 
令和7年4月5日、千葉のホテルにて(後期高齢者)
    
   想い出の大空の仲間
元気に会えた数少ない同期の仲間達と楽しい時を越えて!
私は今現在生かされてる事を大事にして、残り少ない人生を悔いのないよう決められた日々を頑張って生きていきたいと思う。     
  「死とは、人生という地平線の上でヨットが徐々に小さくなり、最終的に見えなくなる事です。
しかし反対側ではヨットが少しずつ大きく見え出し、新しい港に着きます。
その岸壁には神様が立っていて、心から喜び、新しい家を準備して迎え入れようと待っています。
先に旅立った会いたい人達に又会えるか楽しみです。
ほほえみがほころびでることでしょう。」
高齢者となり今迄歩んだ我が人生を振り返ると、幼い時、学生、青春、公務員時代、会社員での人との出会い、別れも想い出としていろいろ経験しました。   


箱根湯本より
 


自分自身の人生を振り返りながら少年時代は瀬戸の海に憧れ、青春時代紺碧の大空の花、としてその後仕事も定年迄勤め趣味のスポーツ等続けられ、個人的には山あり谷ありの人生で、辛い試練もありましたが、おもしろく生きて来たように思います。
  旅に出かけ雄大な美しい自然を楽しむ時、夜空に輝く月や星を見たり、山や野に咲く愛らしい草花を見るとき、旅先でいつも感動で神の恵みと思っています。
惜別の歌 小林旭


  





コメント (5)
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 「美しき自然 静かに人生 かえりみる 」

2025-05-03 | Weblog

  
アラスカの旅(昨年5月)長期渡米
    
 アラスカ鉄道14時間
 

雄大で素晴らしい景色に圧倒!

 

JET STREAM ! あなたのジェットストリーム/城達也  
帰国アラスカのフエアバンクス~シアトル(乗り継ぎ五時間待ち合わせ)~羽田へ、22時間空の旅疲れました。

今年のゴールデンウイークは我家でのんびり!
  ~~~~~~~~~~~~~~
 素晴らしき再会(再掲載)  

大雪の影響で新潟県の関越自動車道で車およそ2400台の立ち往生が続いていたが、新潟県知事より自衛隊災害派遣徐々に解決に向かっている
〈関越道〉車中に40時間 物資届かず「雪をとかして飲んだ」 ドライバーの支え合い援助を待っていたとの事。
のニュース聞きながら私は遠い昔の猛、豪雪災害派遣を思い出していました。 
「若き日の懐かしい青春でした。 私は空挺隊員となって2年、大空の花として夢誇らしく胸に抱いて頑張っていました。
昭和38年2月、前年12月より降り続いた雪が過去の記録にないほどの大雪となり、北陸地方は交通がすべてマヒし非常事態になった。総理大臣より要請、防衛庁より千葉の第一空挺団に豪雪災害派遣の派遣命令が下りました。、空挺団総力上げて準備、私達は新潟の栃尾市に向かった。

 先遣隊30名の私達は新潟県栃尾市のスキー場にへりコプターで落下傘降下し、物資も投下本隊600名は
輸送機で栃尾のスキー場では狭い為、長岡の大きいスキー場に降下したように記憶しています。
又長岡の見附より40㎏の荷物を背負って20kmの道のりを雪を掻き分け目的地に着いた。日頃鍛えている約5oo名空挺隊員(他地区も分散)にとってもかなり厳しく辛かったように聞き記憶している。
約1ヶ月半、空挺隊員総勢1500名は道路や電車通す為猛烈に作業に従事した。10日後には昨年より途絶えていたすべての交通が可能になり食料、物資が栃尾市にドンドン送りこまれた。
私達は市をあげて喜ばれ涙を流しながら握手された。
私は滞在中栃尾小学校を宿舎として使わせていただき、夜子供達が自衛隊のお兄さんと言って遊びに来た。
私は昼間の重労働でかなり疲れていたが、子供達小学1,2年達の無邪気な人懐っこい顔を見ると癒され毎日抱っこしたり、おぶったり又ゲームをして遊んであげた。 その後、市内の道路、民家の屋根、公共の施設等雪排除作業に従事した。
全ての任務が約二ヶ月間初春の候、終わり撤収の時期がきて帰る時、栃尾市の住民が何百名も栃尾駅に見送りにきた。
駅前で栃尾高校の吹奏楽部と関東から駆け付けた自衛隊中央音楽隊の演奏で別れの式典が盛大に行われた。
「ほたるの光り♪」の演奏いよいよ別れの時、大勢の中から一人の女の子が目に涙して私の側に駆け寄って来た。
私が毎晩のように小学校の体育館で鬼ごっこや抱っこしたりおんぶしたK子ちゃんだった。
私は涙を拭いてあげながら親に挨拶して栃尾市を去った。
3月下旬桜咲く習志野にやりとげた清々しい気持ちで、全隊員無事帰隊した。」

奇跡的「再会」
それから20年後(28歳で第一空挺団を退官)東京の自動車学校の教官をしていた時の事。
28歳位の女性を指導中原簿を見たら、本籍が栃尾になっていた二時間連続の教習担当だったので、休憩時間に昔私は栃尾に豪雪災害派遣に行った事や、いろいろな出来事など思い出を話しているとその女性は目に涙をためて、「その女の子は私です」と言われて私は本当にビックリしました。
改めて原簿を確認すると。 間違いなくK子ちゃんです。
彼女も私も懐かしさでしばらく涙が止まりませんでした。なんとも言えない再会に感動し、涙をながしながら指導したように覚えています。                      
「その時の自衛隊のお兄ちゃんの事は今でもしっかり覚えています!忘れていません」と言ってました。
彼女は結婚してお子さんが二人いて当校の託児所にあずけての練習でした。
その後、私が担当し免許取得までお世話しました。
後日ご主人共々ご挨拶に来られました。
ご主人も栃尾の方で、何度もお礼を言われて、私との事は家族皆の思い出として一生大事にしますと言っていました。
人の世の常なりと言えど出会い、嬉しい再会、別れ等心温まるの人との想い出に感謝。

本当に不思議な再会で私も懐かしい想い出として大事に記憶しています。 
 (当時の写真を見つけました。K子ちゃんを教習中)
  





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