山形中心街の自転車レーン「廃止」運動を始めたNPOはもともと中心市街の「賑わい回復」を目指す事業を行うために近年設立されているが、レーン廃止を主張する理由は自転車レーンは中心市街を衰微させるだけのものだからだという。
そして現実に「客入り」がかなり減少した店舗も多いのだという。
その直接的要因は何と言っても自転車レーンのためにクルマの渋滞が激しくなり、そのためにクルマでの来街が億劫になり、中心街よりは郊外の新興商業ゾーンを選ぶ市民が増えたためではないかというのである。
だが、同じ沿道でも客入りと売り上げがかなり増えて店主と店員の顔が恵比須顔になっている店舗もあるという情報もある。
しかもその客入りが増えた店舗には瞬時の駐停車も困難な自転車レーンと隣接している東側の歩道沿いの店舗もあるのだから、必ずしも東側の店舗が自転車レーンのために商業的に不利ではないどころか、レーン設置により多少なりとも増えた自転車での来街者が訪れる店舗も少なくないはずである。
つまり、自転車レーンとの関連の有無はわからないが、とにかく客足が増加した店舗もあれば、客足が減少した店舗の双方があることは確かであろう。
そこで、このNPOが言う「客足の減少」のデータ的裏づけと、その「客足の減少」と自転車レーン出現との因果関係の有無を把握できるものなのか知りたいところである。
しかし、たとえ自転車レーンとの関係でクルマの渋滞が酷くなり客足が減少したことが確かだとしても、そのまま自転車レーンだけを「悪役」にすべきではない。
現在の形の自転車レーンができる以前からこの通りでの渋滞は日常茶飯事であった。
つまり、クルマの渋滞の主要因はクルマが多過ぎることであり、多過ぎることであった。
自転車レーンのためにクルマが渋滞するのではなく、沿道の店舗等に無用の「通り抜け」だけのクルマが多過ぎるからいつも渋滞が発生するのではなかったか。
自転車レーンが無く歩道と直接隣接する車道の西側部分にバスやタクシー、荷捌きの貨物車などが停車すると、車道の残りの東側部分の1車線だけの車線となるから渋滞が激しくなるのだと当NPOは言う。
だが、事情は以前と現在とは基本的には変わりがないのだ。
以前から車道部分の左右の路肩面が自転車の通行帯となっており、その左右それぞれの幅の合計は現在の双方向自転車レーンの幅員とほとんど変わりがない。
異なるのは車道と自転車通行帯とを立体的にの区画するボラード(棒杭)の有無であり、以前はボラードがなかったために、左右の自転車通行帯に駐停車のためのクルマが侵入しやすかったのである。そのために以前の自転車通行帯は自転車にとって危険が大きく、自転車レーンとしては事実上「半死状態」であった。だからほとんどの自転車は歩道を走行していたのである。
◆写真は東欧チェコの首都プラハでの自転車交通推進運動の模様。市民の自転車熱の高まりにより自転車専用道路の整備が進められ、カーフリーデー(ノーカーデー)まで実現された。鉄のカーテンの内側であったために民主主義の発達が遅れたチェコでも市民による「脱クルマ」の動きが加速している。
そして現実に「客入り」がかなり減少した店舗も多いのだという。
その直接的要因は何と言っても自転車レーンのためにクルマの渋滞が激しくなり、そのためにクルマでの来街が億劫になり、中心街よりは郊外の新興商業ゾーンを選ぶ市民が増えたためではないかというのである。
だが、同じ沿道でも客入りと売り上げがかなり増えて店主と店員の顔が恵比須顔になっている店舗もあるという情報もある。
しかもその客入りが増えた店舗には瞬時の駐停車も困難な自転車レーンと隣接している東側の歩道沿いの店舗もあるのだから、必ずしも東側の店舗が自転車レーンのために商業的に不利ではないどころか、レーン設置により多少なりとも増えた自転車での来街者が訪れる店舗も少なくないはずである。
つまり、自転車レーンとの関連の有無はわからないが、とにかく客足が増加した店舗もあれば、客足が減少した店舗の双方があることは確かであろう。
そこで、このNPOが言う「客足の減少」のデータ的裏づけと、その「客足の減少」と自転車レーン出現との因果関係の有無を把握できるものなのか知りたいところである。
しかし、たとえ自転車レーンとの関係でクルマの渋滞が酷くなり客足が減少したことが確かだとしても、そのまま自転車レーンだけを「悪役」にすべきではない。
現在の形の自転車レーンができる以前からこの通りでの渋滞は日常茶飯事であった。
つまり、クルマの渋滞の主要因はクルマが多過ぎることであり、多過ぎることであった。
自転車レーンのためにクルマが渋滞するのではなく、沿道の店舗等に無用の「通り抜け」だけのクルマが多過ぎるからいつも渋滞が発生するのではなかったか。
自転車レーンが無く歩道と直接隣接する車道の西側部分にバスやタクシー、荷捌きの貨物車などが停車すると、車道の残りの東側部分の1車線だけの車線となるから渋滞が激しくなるのだと当NPOは言う。
だが、事情は以前と現在とは基本的には変わりがないのだ。
以前から車道部分の左右の路肩面が自転車の通行帯となっており、その左右それぞれの幅の合計は現在の双方向自転車レーンの幅員とほとんど変わりがない。
異なるのは車道と自転車通行帯とを立体的にの区画するボラード(棒杭)の有無であり、以前はボラードがなかったために、左右の自転車通行帯に駐停車のためのクルマが侵入しやすかったのである。そのために以前の自転車通行帯は自転車にとって危険が大きく、自転車レーンとしては事実上「半死状態」であった。だからほとんどの自転車は歩道を走行していたのである。
◆写真は東欧チェコの首都プラハでの自転車交通推進運動の模様。市民の自転車熱の高まりにより自転車専用道路の整備が進められ、カーフリーデー(ノーカーデー)まで実現された。鉄のカーテンの内側であったために民主主義の発達が遅れたチェコでも市民による「脱クルマ」の動きが加速している。
論理的な説明を求めても無意味でしょう。
まだ何年もかかりそうですね。山形は。。
そもそも自転車レーンなんてやらなきゃよかったのに。
新しい「交通道徳」としては「できるだけマイカーには乗らないこと」が不可欠にならなければなりません。その意味でも山形人の意識はあまりにも遅れていることは確かで、確かに「論理的説明は無理」の傾向は強烈で、まさに地球温暖化などどこ吹く風とばかり目先の利便だけでクルマを乗り回す人が多過ぎます。
このようなクルマ依存症の人たちにとっては確かに自転車は厄介ものでしょう。
参考までに、山形市では、七日町の五十嵐太右衛門(明治5年生れ、八文字屋当主)が大正初年に初めて自動車を購入した。自転車、電話もイの一番に購入した初物好きだったと言う。前二者は良いけど、そもそも自動車は贅沢品であるものと言える。