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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

道路の整備で限界状況を迎えた山村 ④

2009-06-29 20:32:38 | クルマ社会の問題
 村びとの話が続く
 道路切っだがら、うんといい。ほれがら、電気がきた。テレビ、映るイから、いい、あっちゅうこどは、いがねなあ! 反対だず!・・・(中略)・・・便利の悪えどごに働いて、金に成るごどもあるんだもの、ほれ、うん。交通の便が悪えどごろに、かえって・・・うん、良いどごもあるんだもなあ!
 訳文
 道路が切れたからとても良くなった。それから、電気が通るようになった。テレビが映って観られるようになったから良くなった、そういうことには必ずしもならないなあ!むしろ反対になっているんですよ!・・・(中略)・・・便利の悪い所で働いて金になることもあるんですよ。それ、そうですよ。交通の便が悪い所に却って・・・そうだ、良いところもあるんだものなあ(山仕事や炭焼きでかなりの暮しができた時代を懐かしんで)!

※ 以上、27年前の長編ドキュメンタリー映画『ニッポン国古屋敷村』(ベルリン映画祭で受賞)の同名のシナリオ読本より (さらに少し強い訛りの表記にした。)

※ 写真でわかるように、既に4年前には土蔵の背後の民家は消え失せている。手前の土蔵はしばらく郷土ゆかりの文人の資料展示館になっていたが、やはり4年前には閉館。それだけ山村は厳しくなっている。

道路の整備で限界状況を迎えた山村 ③

2009-06-26 22:37:23 | クルマ社会の問題
 前回に続く(村びとの話)
 んだがら、おらだあ、34~5年前から、考えでいだようなもんでは、ねえんだなあ! こうなってみっどなあ! ながなが外から見れば、道路も切っだす、ほりあ、素晴すぐなったす。林道は切っだす。幸せに暮らせんべなあなて<外の人たちは>言うげなんとも、ほれどは正反対だもなあ!
 訳文
 だから俺たちが34~5年前から考えていたようなものではないんだよ! こうなってみるとなあ! なかなか外から見ると、道路も切れたし、それは素晴しくなったし。林道は切れたし。幸せに暮らせるだろうなんて<外の人たちは>言うけれども、それとは正反対だものなあ!

 ※ 以上、27年前の長編ドキュメンタリー映画『ニッポン国古屋敷村』(ベルリン映画祭で受賞)の同名のシナリオ読本より
       次回に続く

道路の整備で限界状況を迎えた山村 ②

2009-06-22 20:17:08 | クルマ社会の問題
前回に続く村びとの話
 ところが実際、こんだあ、道路、切っだあ。こんな小っぽけな県道なんて、なんだ、あの簡易舗装道路あんてできたべえ? 大変、こんどは裕福に暮らせると思ったら、まる反対なんだもねえ! はいつぁ、こんどは仕事がかえってなくなったちゅうもんだ。こんどあ! ある、一定な人に、特殊な人にばかり、金、取らって。こういうバカでも、なんにも技術も、なんにも知らねえ、炭焼き技術とか、知らねえ者ばり、残ったもんだから。《仕事》なに、きたたっても、機械の操作もできねえべし。まず、金は取れなぐなったんだもなあ! かえってなあ! こうなったらば・・・。
[訳]ところが実際は今度道路が切れたものの、このような小さなものでも県道なんて呼ばれ、何だ、あの簡易舗装道路なんていうものができたわけだろうが、今度こそ裕福に暮らせるかと思っていたら、まるで反対なんですよ。それは、今度は仕事がかえって失われたというものなのだ。今度は特定の人にばかりに金がさらわれてしまっている。私のようなバカや、炭焼き技術ぐらいだけで、なんの技術もなく新しい知識も知らない者ばかりが村に残ったものだから。なに、仕事がやって来ても、機械の操作もできないし。まず、金を得られなくなったんだものなあ! かえって貧乏になったんだものなあ! こうなってしまったのなら・・・。
 村びとの話は次回に続く
写真は養蚕のために明治28年に建てられ、10年ほど前まで数年間民俗資料館となっていたが、閉館後は荒廃の極み。左は4年前で、右が今年の5月。向きはと左が西側、右が東側。

道路の整備で限界状況を迎えた山村 ①

2009-06-17 22:46:39 | クルマ社会の問題
 これは山形市の南方の奥羽山脈の山懐の山村集落での話である。
 まあ、昭和50年代のこの村びとの話を聴いでみでけらっしゃいっス。(話をお聴きになってみてください)
 
 俺の考えではなれ。まあ、ほだなあ! 終戦後あだりまで、まあ、んだなあ! 三四、五年ぐらい前までは、道路でも良いナ切っで、ほうして、どんどん、どんどん、この、自動車でもへっで(入れて)・・・便利良ぐなればいいと、思っていだったなねえ。はいづばり、はいづは、しとづの楽しみだったんだ。
 [訳]私の考えではねえ。まあ、そうですね! 終戦後くらいまでは、まあ、そうですね! 昭和34~5年ほどの以前までは、道路でも良いのを開削して、そうして、どしどし沢山の自動車なんかを村に入れて・・・便利良くなれば良いと思っていたんですよね! そうなることだけが、それが一つの楽しみでした。

 実はこの山村集落は昭和50年代のベルリン映画祭で受賞した長編ドキュメンタリー映画『ニツポン国古屋敷村』に登場して一躍全国的に有名になり、またその後も劇映画やテレビドラマのロケ地にまでなっているのであるが、今や典型的な“限界集落”と化しており、かつて戦前には18軒があったのに、現在は通年居住者はわずかに数軒以内、痛みのひどい空き家や更地が目立つようになっている。(写真 青いビニールシートは保存会による)

 村びとの話(この映画の台詞より)の続きは次回・・・・

モナリザに携帯電話

2009-06-10 22:45:40 | クルマ社会の問題
 写真の合成技術に疎いので、たいへん下手な合成写真となったが、それにしても全人類(とはいえ男性だけ)共通の永遠のマドンナと携帯電話との奇妙奇天烈な組合せとは一体何を意味しているのか。
 ある歴史的建造物の修築と外構整備に関する協議があったが、行政当局は建物本体の修築と耐震補強等の工事は進捗中との説明のあと、外構整備の話の中でその歴史的建造物のすぐ脇に駐車スペースを設けていることに関して議論が交わされた。
 むろん、その建造物の所有者である行政側はその駐車スペースは不可欠と主張したし、賛同者も多かった。
 だが、歴史的建造物のすぐそばに多数のクルマが駐車していると景観上きわめて見苦しくなるものである。
 もし、旧県庁舎たる文翔館前の広場や旧師範学校の前庭、更に旧済生館本館(いずれも重要文化財)の前庭が来館者用の駐車場となっていたら、やはりいずれも観る者はすこぶる幻滅するであろうし、山形の品格が疑われる。
 ともかく歴史的建造物とクルマの景観上の組合せは、まさにモナリザやヴィーナスが携帯電話を手にしている姿と同じようなものであり、歴史的建造物をも美術品とすれば、美術品としての価値が恐ろしく低下することは言うまでもない。

運転免許の有無で窓口差別

2009-05-28 21:03:58 | クルマ社会の問題
 運転免許不所持者を差別する行政の窓口
 近い親戚で一人暮らしの80歳超の高齢婦人が印鑑登録が必要になり(古い登録手帳の紛失により再交付)市の窓口を案内した。
 ところが本人確認のためには運転免許証やパスポートなど顔写真付きの証明書類が必要だと聞かされた。確か以前はそれらは不必要であったはずである。
 もし、それらが提示できなければ、後日本人確認紹介の文書が郵送されるのだが、ともかく高齢者本人または代理人は後日再度窓口に足を運ばねばならない。
 最近は役所に限らず銀行等でもそれらの提示が求められる場合が増えている。
 高齢者でなくとも私のように運転免許を所持していない(というよりは所持しようとしない)者も存在するのだから、ましてや高齢者の場合は運転免許証やパスポートを所持しない割合が格段に高くなる。それなのに、それらを所持していないというだけで手続きが困難にさせられるとすれば、まさに窓口差別ということになりはしないか。
 もし、どうしても顔写真つきの公的身分証が必要ならば、顔写真付きの「市民証」のようなものを交付すべきではないだろうか。
 あるいは「エコ市民証」を兼ねた「運転免許不所持者証」を提示すれば商品購入の際も値引きしてもらえるような制度の導入も望まれる。

クルマ横断のために造られる広い歩道

2009-05-25 22:02:10 | クルマ社会の問題
 前回の記事に続く
 前回の記事にあるように、市街地での道路拡幅事業に伴い、ゆったりとした広い歩道も整備されるのだが、これにより行政は「歩行者に優しい道路環境」の実現を喧伝することになろうし、そのように思う市民も少なくなかろう。
 しかし、広い歩道の整備は色んな側面で歩行環境を一層悪化させる可能性が高い。
 まず、車道を走行するクルマの数も多くなるし、スピードも上昇するから、騒音も排気ガスによる空気汚染もひどくなる。
 また、道路拡幅に伴い、以前沿道に建ち並んでいた商店や住宅などが解体されるのを機会に、その跡地が一部は拡幅歩道と新たな駐車スペースとなる例がすこぶる多く、街路景観が殺風景というよりは劣悪になるだけでなく、新しい歩道の内側に造成された駐車スペースに出入りするクルマがその歩道を横断することが多くなり、歩行者にとっては決して安全な歩道ではなくなる。
 クルマが横断できる歩道上の箇所は仮に平均十数mおきであっても、歩行者が横断できる箇所(横断歩道)は普通200m~500mおきにしか設置されない。
 その他歩行者にとって不都合な点については4月13日の記事で述べたので、ぜひ読んでいただきたいが、ともかくこのままではいくら広い道路が造られても、クルマ優遇、歩行者冷遇の環境はむしろ増加しかねない。
 つまりは街路景観の劣悪化(昨年の9月25日と12月29日の記事参照)とともに、道路拡幅に伴う「街づくり」は「街壊し」に至るのではないかと不安になる。

 ※写真「上」は山形市街北部の拡幅道路と歩道内側の駐車場 
    「下」はJR北山形駅前大通の歩道を横断するクルマ 

まだ続く沿道住民の「蛇の生殺し」状態

2009-05-19 22:01:14 | クルマ社会の問題
 この二車線の一方通行の道路についてかなり以前から拡幅が計画されている。
 両側にゆったりした幅の歩道がついた片側二車線双方通行の道路になり、これが開通すれば中心市街地では駅前大通りと並び最も広い幅員の道路となる。つまり新しい道路は現在の約3倍の幅員になるとのことである。
 だが、地元の行政は郊外の道路新設と拡幅に力を入れ過ぎてきたきらいがあり、用地買収だけで巨額の公費が費やされ、しかも地権者の権利が複雑に入り組みがちな中心市街地の道路建設は後回しにされてきたと言える。
 この道路の拡幅計画は当然かなり以前から沿道住民の知るところであったが、拡幅計画の実現化は遅々として進まず、老朽化した家屋や店舗等の所有者は改築や移転もやるにやれないでいた。もし、改築したばかりで拡幅計画が急遽実施されると再び移転による家屋や店舗の移転新築が余儀なくされる。
 しかし、実施計画はなかなか具体化せず、沿道住民にとっては長い年月動くに動けない状態が続いた。しかも近年の行政の財政難と過度の道路建設優先施策に対する世論の批判により、ますます実施の具体化が遅れがちになっている。
 それでも行政はこの計画を「中止」するとは一言も言わない。
 だから、沿道住民にとってはまさしく「蛇の生殺し」状態である。
 それでしびれを切らした住民は拡幅後の沿道の「街づくりプラン」を練り上げて行政に対し早期の拡幅計画の実施と具体的予算化を要望した。
 住民自らが動かなければ縮小気味の公共事業の予算化は困難であることを住民も分かるようになったからである。
 先日、住民のその「街づりプラン」の報告会が公民館で開催されたので、近隣住民の一人として参加して報告を拝聴した。
 でも、その報告を聞いて、「クルマ社会」という現実が新しい街をもいかに無機的で殺伐としたものに変貌させていくかについての見通しがこの「街づくりプラン」ではまったく欠如していることに気付き、私は暗澹たる思いをせざるをえなかった。   ⇒ 次回に続く
 

またもや緑地がクルマに喰われる

2009-04-24 17:46:02 | クルマ社会の問題
 ここは住宅と複数の公共施設が周囲を取り囲んでいる緑地公園である。
 でも、この緑地がだいぶ削がれようとしている。
 というのは、これらの公共施設には数多い市民の出入りがあるために、この緑地公園の周囲は違反駐車のクルマで溢れるのが日常であり、それですら駐車スペースが足りなすぎるというマイカー族の度重なる“苦情”を受けて、ついに市当局では園内に駐車スペースを造成する運びとなったのである。
 むろん周辺住民の多くは緑地の維持を訴え続けているし、これらの公共施設にはそれぞれの駐車場は設けられている。しかも巨額な予算が投じられた地下駐車場も備えられているが、これらの公共施設群が建造されたのは約三十年も昔のことであり、自家用車の数はだいぶ少なかった。だからそれ相応の駐車場しか設営しなかったのだが、市はその後も駐車場の“新規開拓”に努めている。
 それでもクルマ利用者は増え続け、とうとう“禁断”の緑地公園へのクルマ進駐を認める方向を打ち出したわけである。
 クルマ離れが進んでいるとは言われているが、それでも市街地内の駐車場の数は加速度的に増え続けている。
 この“禁断の森”の開削によってもわずか十数台のスペースにしかならないようである。環境先進都市を標榜する市なのだが、エコバッグの推進などは呼びかけても「クルマをお控えください」とは言えないまことに“心やさしき”行政である。