天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

若宮八幡神社〜日出総鎮守

2020年03月14日 | 豊の国


右手に境外社、金毘羅社



楼門、鳥居から別府湾





海側から正面





拝殿



本殿



右手に境外社、愛宕社



木下延俊は北政所(高台院)から最も寵愛を受けて育ったともされ、正室には細川藤孝(細川幽斎)の娘・加賀を迎えるなど豊臣恩顧。
しかし、秀吉亡き後は終始徳川勢に味方。1601年豊後・速見郡3万石に加増移封となり、1602年に日出城を築城。

延俊が奉納した鳥居には「木下右衛門太夫豊冨朝臣延俊」とあり、「豊臣」ではなく「豊冨」の文字。豊臣家を滅ぼしてまだ日の浅い徳川幕府に憚った?

1632年、肥後・熊本城主の加藤忠広が改易された際には、臼杵藩主稲葉一通と共に八代城に…