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天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

「改める」ためのポイント

2013年02月01日 | 橋下徹
 橋下氏が「改める」ためのポイントをつぶやいてくれています。そして何と言っても橋下氏の決断、実行のスピードは、サプライズを呼び、他の事件にも良い波及効果を与えているものと思われます。それまでの殻を打ち破り、成長させる愛のムチとは、こういうことだとも示してくれているように思います。
 教育委員会、JOCなどの遅く、間違った対応との違いも際立ち、やみくもな橋下批判も減ってきたように思われます。空気が変わるかも。以下、橋下氏のツイッターより抜粋。

2013年01月30日(水)
オリンピック女子代表チームにも暴力指導。桜宮高校の問題は、もう日本のスポーツ指導の在り方全体まで遡って考えなければならない問題となった。すなわち体育系の大学や、教育大学の授業、クラブの在り方まで遡って考えなければならない。暴力指導は連鎖する。
posted at 09:53:18
スポーツ指導において暴力指導を受けた者で、それを指導の一環と受け取ったり、愛情だと感じた生徒は、自分が指導者になった場合に同じ指導をする。自分が受けた指導を正しい、その指導のおかげで自分は成長した、ありがたいと思っているのだから当然だ。
posted at 10:01:20
日本のスポーツは、学校のクラブ活動と一体となっている。クラブ活動の指導者は、最終的に体育大学か教育大学で養成されるはずだ。日本の体育大学や教育大学はどのような指導方法を教えているのか。ここが問題の根源になるだろう。暴力指導は連鎖する。教員も生徒も保護者もそれを良いものと思っている
posted at 11:49:44
桜宮の体育科は、体育大学、教育大学の一歩前の体育の専門家を養成する場所。ここでの指導方法は重要だ。ここで間違った指導方法を教えると、間違った指導方法が連鎖する。体育科所属の教員の多くが間違った指導方法をやっていた以上、体育科をいったん閉めるのは当たり前。
posted at 11:51:47
そう感じていたけど、それが間違い。ラグビー部の体験が今の僕を作っているが、暴力指導方法がなくても今がある。催眠から覚めました RT @narupy0117: あなたはどうだった?あなたが今あるのは、あの時の指導があったからと思ってませんか?
posted at 11:53:50
結局日本のスポーツ指導論は進化していなかったのですね。旧態依然とした指導方法を継続していたのが桜宮高校体育科であり、日本の体育大学や教育大学なのでしょう。 RT @yukunpapa: 日本のスポーツ指導現場は、スポーツマネジメントという視点で進化すべき時に来たのでは。
posted at 13:30:52
それでも僕は生活指導の現場においてはどうなのか?まだ疑問があります。文科省や教育委員会の建前論と現場での声がかい離しているのではないか?ここは全市調査をします。
posted at 13:33:48
スポーツ指導の現場でそのような指導方法は不要です 。生活指導の現場と混乱しないようにRT @sphorse: そうは言っても言葉で理論的な説明をして判る生徒には良い事でしょうが、愛のムチで体でないと覚えられないような生徒は結局見捨てられて行く事になる。一律でルールを決める事は両刃
posted at 15:32:50
教育委員会が、桜宮高校の新しいカリキュラムを決定した。暴力指導が横行していた桜宮のスポーツ指導方法は一から見直さなければならないので実技科目は一端休止。まずは座学中心で生徒に考えてもらう。これはもはや体育科ではない。入試方法は受験生に配慮して体育科と同じ方法。
posted at 15:36:09
体育科と同じ入試方法を採用することを捉えて、体育科の入試中止は玉虫色だとか、看板の掛け替えだとか批判されたが、カリキュラム内容を見れば分かる。これは体育科ではない。ゆえに、受験生に誤解を与えないためにも、体育科の入試は中止すべき。
posted at 15:37:46
改革は最初の方向性を確定させることが重要。方向性が決まれば専門家が中身を詰めることができる。方向性を決めるのは最後は政治家しかいない。体育科の入試を継続していたら、ここまでのカリキュラムの変更はできないだろう。体育科として入学してきたのに、実技科目をなくすなんてことはできない。
posted at 15:39:29
そうなると結局これまでの継続性を維持。お茶を濁した改革しかできない。桜宮のスポーツ指導を立て直すには、これまでのやり方を一から見直さなければならない。まずは新入生を普通科でお迎えする。座学中心で、最新のスポーツ指導理論等を勉強してもらう。
posted at 15:41:36
クラブ活動の強豪高校では暴力指導を容認する風潮がある。これは小学校、中学校を通じて、そのような指導が行われ、全国大会を目指す生徒も保護者もそれを正しいと思っているからだ。暴力指導を正しいと思っているスポーツ指導者が日本には数え切れないくらいいるだろう。
posted at 15:44:26
桜宮高校での在校生や保護者、そして受験生にも多くいるだろう。ここをまず変えなければならない。在校生やその保護者からクラブ活動の再開を求める声が起き始めている。順番が違う。まずは学校で起きた自殺事件を考えること。そして学校の過ちに気付くこと。そこからスタートだ。
posted at 15:46:17

2013年01月31日(木)
オリンピック女子柔道代表チームにおける暴力指導の問題につて関係団体の対応が全て後手後手に回っている。団体の対応もグダグダだ。これは問題が生じ、対応しなければならなかった一番初めの段階で、安易に継続に走ったからだ。混乱が生じないことを一番重視し、本気で変える意思が弱かった。
posted at 09:11:52
変えるのは大変なエネルギーが必要。混乱があっても最初に道筋をきっちりと示すことが最重要であり、これがトップ・責任者の役割。女子柔道の関係団体はここを誤った。だから監督もそのまま継続。会見も後手後手。初動が重要。悪いことは悪いと確定的に評価。問題の本質を絶つ。安易な継続は厳禁。
posted at 09:17:06
桜宮高校の一件も、メディア、在校生、受験生、その保護者の意見の通り、体育科入試を継続していたらどうなっていたか。当該顧問だけの交替で、他のクラブは普通に活動を続ける流れになっていただろう。在校生や保護者も、クラブ活動や試合にこれまでと同じように全力を注ぐようになっていただろう。
posted at 09:22:12
教育委員会も自らの問題点を徹底的に深堀りする動きにはならなかったであろう。とにかく最初が重要だ。悪いことは悪いと確定的に示す。そして本質的な負の連鎖を断つ。ここから方針は定まる。学校を変えるのは、教員だけでなく在校生や保護者。桜宮はあまりにもクラブ活動に偏り過ぎている。
posted at 09:24:48
公立であるにもかかわらず、あれだけの施設。クラブが全てとなっても仕方がない。そしてそのような意識の生徒・保護者が集まる。しかし、間違ってはいけない。高校はクラブで勝つことだけが目的の場ではない。長い人生、クラブで勝つことも重要だが、それ以外に学ぶべきこともある。
posted at 09:30:00
特に体育科は新しいスポーツ指導も学ぶ場だ。桜宮においてはクラブでの勝利に偏り過ぎていたと言うのが教育委員会の判断。在校生や、特に保護者にはその意識はないだろう。これは仕方がない。クラブ目的で入学したのだから。しかし第三者的に教育的視点で見るとやはり偏り過ぎていたと言う評価。
posted at 09:32:22
ゆえに桜宮では新しく、ヒューマンマインド、スポーツマインド、コーチングマインド(仮称)などの科目を設置すると教育委員会は決定した。これまでの桜宮の教育には欠けていたものがあったのだ。これを在校生や保護者に認識してもらうのは大変な労力が必要。皆問題ないと思っているから。ここが勝負だ
posted at 09:35:16

社会形成

2013年01月24日 | 橋下徹
橋下徹@t_ishin2013年01月23日(水) より抜粋

僕が一番重視したのは、今の桜宮高校体育科が新入生を迎え入れる状況かどうか、その一点です。在校生や受験生、そしてその保護者の声は重要です。しかし、在校生や受験生、その保護者は、今の桜宮高校体育科の状況を客観的に分析できないでしょう。特に受験生は、桜宮体育科を志望しているのですから。
posted at 08:40:25
受験生の進路は重要です。しかし、新入生を迎え入れる状況になければ、ストップをかけなければなりません。在校生も受験生も保護者も、そしてあろうことか、中学校の進路指導の現場も、桜宮高校の問題点を十分に認識していません。それを今からしっかり考えていくことがまずやるべきことです。
posted at 08:45:40
桜宮高校で起きた事案は、世間で言われる体罰事案ではありません。暴力事案です。そしてそれが常態化していました。一つのクラブだけではありません。教育委員会が禁止だ禁止だと言い続けても現場は全く無視。そしてこのような指導方法は、周囲の教員はもちろん、生徒も保護者も是認していました。
posted at 08:48:29
スポーツ指導の現場において、指導者と生徒・保護者はこれほどまでの関係にあるのかと驚きました。これはある意味良いことです。物凄い信頼関係です。しかし信頼関係が強いからこそ、指導者は細心の注意を払わなければなりません。生徒・保護者は指導者の指導をすべて受け入れてしまうのですから。
posted at 08:50:35
桜宮高校のクラブ活動の指導方法は一線を越えていました。また体罰も常態化しています。しかし在校生の多くは問題だと感じていないでしょう。桜宮高校の先生は非常に熱心です。子どもたちへ愛情として伝わっているのでしょう。子どもたちの多くも愛情だと感じているようです。
posted at 08:53:24
だからこそ危険なのです。今、上がってきている事実だけでも、第三者的に冷静に分析すれば、桜宮高校のクラブ活動での指導方法は完全に間違っている。しかし多くの生徒や保護者は愛情だと感じている。そうすると、この学校で学んだ卒業生は、桜宮高校での先生の指導法の間違いに気づかない。
posted at 08:56:19
受験生も同じです。スポーツ指導の現場で、指導者が手を挙げることは多くの学校であるのかもしれない。しかし今回の桜宮高校においては一線を明らかに超えていた。そしてそれを誰も止めることができないまま、生徒が自殺をした。これは通常の対応では不可です。
posted at 08:57:56~中断

どこにでもあるような悪習を越えたどちらかと言えばカルト集団に近い別世界が醸成されていたように感じます。教育の問題というより、社会形成の問題ではないでしょうか。「正しい」感覚が麻痺、喪失されるともう正せない社会が形成される。日本全体もそういう危機に直面しているように思います。

橋下徹@t_ishin2013年01月23日(水) より続き

入試を止めたことが横暴なのか、それとも対策等が何も決まっていない中でそのまま入試を継続することが横暴なのか、ここは論が分かれるところ。そうであればこそ、最後は有権者が判定を下すことができるようにしておくべき。それは教育委員会の決定ではなく、選挙で選ばれる者の決定に委ねるべき。
posted at 16:18:58
教育委員会の決定が横暴だった場合、今の制度では、それを有権者が正すことはできない。僕の決定だと、有権者は選挙で正すことができる。ギリギリの判断、正解が分からない判断は、政治家が決定すべきである。
posted at 16:30:51
これから徐々に桜宮高校の実態や問題点が出てくる。在校生や保護者はそれを問題だと気付かず、受験生もそれを十分に知らないであろう。桜宮高校が今やらなければならないのは、在校生や保護者、そして普通科として入ってきた新入生と外部の人を交えて徹底的に話し合うこと。
posted at 17:26:12
何が問題で、何が間違っていたのか、これからどうするのか、徹底的に話し合うことだ。これまでやってきた延長ではなく、間違いをまず認めること。そして新しい方向性を見つけること。再生はこれしかない。継続性の中での議論ではなく、いったん一呼吸を置いての議論。桜宮高校の再生に期待する。
posted at 17:27:54
今回は桜宮高校が治外法権状態になっていたことが事件の原因。独立運営が全て良いわけじゃない。ルールを守る独立運営でなければならない。その視点で新しい教育行政の枠組みを目指したのが、大阪の教育基本条例、学校活性化条例。一定のルールはきちんと守ってもらう代わりに学校の独立運営を目指す。
posted at 17:35:09
桜宮高校の実態を踏まえれば、まずは受験生を守るためにストップをかけるべき。体育科の継続性の中で迎えるのではなく、いったん普通科で迎え入れ、そして新しい学校を作ってもらう。これまでの体育科やクラブ活動を前提として受験されては困るのだ。
posted at 17:38:43

同じことをダラダラ続けていては、脳は働きません。一旦他のことをして整理する時間を与えないと。

橋下徹@t_ishin2013年01月23日(水) より続き
皆考え始めています。 RT @getattheheart: @t_ishin 入試を中止したことは関係者の憤りのきっかけにさえなれど、考えるきっかけにはなっていない。
posted at 17:56:19
在校生も保護者もこれまではある程度認めてきたが、今回は一線を越えた暴力事案。先生にもその意識が乏しい。学校現場で暴力事案が常態化し、それが原因で生徒が自殺した。どうして、そのまま受験生を迎え入れることができるのか。まずは教員、生徒、保護者がその認識を持つことからスタート。
posted at 17:59:11
これまでの継続性を絶ち、生徒、保護者、外部識者が交じり、徹底的に話し合って欲しい。桜宮高校は絶対に再生する。絶対に再生させる。
posted at 18:00:12
在学生を外に出すわけにはいかない。だから一呼吸おいて、徹底的に議論してもらう。学校再生のために RT @2nd_ma: 在学生なら守れるが、新入生は守れない方法などないからだ。受け入れる体制になっていないと公言することは、在学生はしっかりした教育を受けられないと公言することである
posted at 23:09:00
それは影響が大きすぎる。まずは普通科で受験生を迎え入れて、そこから徹底再生。政治はギリギリの現実的バランスRT @gureito_t: 桜ノ宮高校の問題を体育科だけに責任取らせた感強い 学校全体で責任取らせるなら今季入試中止にすべきでは? 責任の所在も曖昧な今は何言っても
posted at 23:11:11
2013年01月24日(木)より抜粋
桜宮高校においても、あの現場で一人の生徒が死を選んだ。あの現場にいなければ死を選ばなかった。人が変わってしまったのだ。今回の事件におけるこの厳然たる根本事実さえも、曽野氏のひねくれ性格によると消失してしまう。曽野綾子氏よ、人を変えられると言う思い込みがない者は教育から去れ。
posted at 08:12:18
24日朝日新聞社説。「入試の折衷案が分かりにくい」結局この批判か。朝日は他社のようなバカな意見を出さなかったからどんな意見が出るか期待していたが、結局これ。批判をする原則は従前との相対比較。今回の案が完璧な案だとは思わない。しかし、入試中止をやらなかったらどうなるのかと比較すべき
posted at 08:15:21
今、朝日、毎日がやっと事件の経緯、学校の実態を報じ始めた。在校生や保護者は、自分たちの学校の問題点をまだ認識していない。受験生も。これから朝日社説のように議論してもらう。こんな状況で、体育科の入試を継続したら、それこそ何が何だかさっぱり分からない。
posted at 08:17:35
これまでの体育科と同じなのか、クラブ活動も同じなのか、改革はどうするのか、何も分からないまま入試が行われることになる。それよりも、今回の折衷案の方がまだましだ。クラブ顧問の総入れ替えのメッセージを早急に出すことも重要だ。受験生は桜宮のクラブ活動に憧れている者が多い。
posted at 08:19:45
これまでの桜宮高校から変わりますよ、あなたが変えてもらわないといけないのですよ、と受験生やその保護者に伝えないと、これまでと同じ意識で入学してしまったらそれこそ受験生の不幸だ。そしてその作業をやるのに1週間しか時間がない。
posted at 08:21:26
新聞社は批判だけするが、じゃあどうすべきと言う代替案を一切出さない。残り1週間しかない状況で、そして朝日や毎日が今報道している事実を把握していたとして、どのような判断・行動をすべきなのか。完璧な案はないだろうが、現実の政治行政では判断しなければならない。
posted at 08:24:15
最悪なのは、何も考えずに、混乱回避のためだけにとりあえず入試をやっておきましょうという判断・態度。入試中止をするだけで解決しないのは分かっている。しかし入試を継続すればもっと解決しない。解決策は、教員、外部識者、生徒、保護者による学校の見つめ直ししかない。その環境を作る。
posted at 08:27:50~抜粋ここまで

人は環境が作ります。社会環境は大人が作ります。自殺者が出た環境をそのままにする選択肢はありません。変える意欲のない人もまた社会環境を作っています。みんなでなら、変えることができます。

正しいことは変わりません。間違ったことも常識となりまだ続いているものがあります。世間の風に流されず、「正しさ」とは何かを自分で掴み、正すことのできる大人に育てなければ。命あっての物種です。

橋下氏の人権

2012年10月20日 | 橋下徹
 橋下氏がまた正してくれました。朝日新聞社の謝罪早かったですね。まだ良識は僅かに残っているようです。何故、朝日新聞社グループを相手にするのか、「きちんと指摘できた人は皆無だった」そうですが、課題解決の方策を実行できる人も橋下氏を支持する7割のサイレント・マジョリティーの中にいるものと信じています。
 DNAではなく、こうした環境が人格をつくります。一刻も早く今の大きな声の人たちがつくる環境が改善されることを願っています。以下、橋下氏Twitterより抜粋

2012年10月19日(金)
週刊朝日が謝罪を出した。僕は謝罪されればそれでノーサイドだけど、ただこの週刊朝日、わずか数時間前まで、「2回目もご期待ください。1回目、まだ読んでない方は是非!」ってツイッターしていた。この謝罪は信じても良いのかな。週刊朝日の集団は、今回の件は全く問題なしと言う認識だったはず。
posted at 00:11:51
ありがとうございます。様子を見ます RT @hotturedure: 地区の特定に関する事についての謝罪であって本質部分の謝罪では無いようなので、血脈攻撃の連載は続くのでは?、本当の謝罪とは思えません
posted at 00:46:51

今回の週刊朝日の記事に対しては、「この表現は絶対に許されない」という見解と、「もっと議論をしろ」「批判表現として認めろ」「朝日新聞にまで取材拒否と言うのはおかしい」など何かと僕に文句を付ける見解に分かれた。
posted at 09:05:56
そして後者の、「表現の自由の一線を超え絶対に許されない」と言い切らず、もごもごとなんやかんやといちゃもんを付ける発言者の多くは、君が代起立斉唱条例や、僕の職員組合に対する対応を「人権批判だ!!」と批判していた人たち。
posted at 09:07:51
君が代起立斉唱条例や組合に対する対応については、色々な見解があると思う。だから最後は司法決着しかないと思っている。君が代起立斉唱条例を成立させたこと、組合対応には、大阪市独自の事情があった上で実行したものだ。
posted at 09:10:02
ところが条例や組合対応について「人権違反!」と叫ぶ人たちは、なぜそういうことが必要なのかを全く調べもせずに、憲法違反!思想良心の自由違反!人権批判!を繰り返すばかり。
posted at 09:12:44
そしてこういう人たちは、今回の週刊朝日の記事に関して、これは人権違反だと言い切らなかった。弁護士会も、光市母子殺害事件の弁護団を僕が批判したテレビでの発言については、弁護士の品位を損なうとして僕を懲戒処分にした。
posted at 09:16:15
この件は、1審・2審では僕の発言に違法性を認めたが、最高裁では表現の自由の範囲内として違法性が否定された。弁護士会は、それでも僕を業務停止にした。朝日新聞も最高裁で僕の違法性が否定されたにもかかわらず、僕に弁護士資格返上を言い放った見解を修正しなかった。
posted at 09:18:29
朝日新聞はご存知の通り、君が代起立斉唱条例には反対、僕の組合に対する対応も問題視。まあこれは朝日新聞だけではないけど。僕を批判するのは権力チェックとして当然だけど、要するに普段、人権、人権と言っている人たちは、今回の記事が重大な人権違反だと言い切らなかった。
posted at 09:20:41
結局、こういう人たちは、単に権力が嫌いなだけ、権力は絶対に否定、権力にいちゃもんを付けることが自分の存在意義という認識が、意識、無意識にあるのだろう。そこには真の人権感覚はない。
posted at 09:24:09

何故、朝日新聞の取材拒否をしたのか。週刊朝日が一定の見解を出したので、僕も真意を説明します。多くのメディア、コメンテーターは、朝日新聞は関係ないだろうとのコメント。これは交渉の鉄則。解決能力のある者を相手にしなければならない。
posted at 16:40:30
週刊朝日そしてその会社の朝日出版社は、今回の記事を悪いなんて全く思っていなかった。謝罪コメントを出す直前まで、自社のツイッターで2回目も期待して下さいね!なんてやっていたんだから。こういう者を相手に話しても何も解決しない。こうなれば朝日新聞社の良識に委ねるしかない。
posted at 16:42:18
朝日新聞は建前は週刊朝日とは無関係だと言うだろう。しかし朝日新聞グループとして影響力があるのは間違いない。朝日出版社や週刊朝日は、今回の記事の問題性など全く認識していないどうしようもない集団だが、朝日新聞社には、やっぱり違うと考える人もいるだろう。だから交渉相手は朝日新聞社だ。
posted at 16:44:30
週刊朝日を相手にしろとか、佐野氏を相手にしろとか、会見では正論を吐く、記者ばっかり。厳しい交渉などこれまでやったことがないんだろうね。交渉の鉄則は、解決能力のある相手を選ぶこと。これを誤れば、交渉は何も進まない。しかし最初にこれを言ったら進まなくなる。こういうことでした。
posted at 16:46:08
週刊朝日や朝日出版社を相手にして話など進むわけがない。今回の記事に何の問題意識も持っていないんだから。しかし、朝日の記者もたくさん行ってるのに、今回の記事に待ったをかけることはできなかったのかね。これは重症だ。解決能力は、朝日新聞社グループにしかない。だからそこを相手にした。
posted at 18:41:52
多くの意見は、記事は問題だが、朝日新聞社の取材拒否はおかしいというもの。ほとんどこれだった。これらの意見は、最終解決を全く念頭に置いていない机上の論。じゃあ、こういう記事を出されて者はどうやって、事を解決するのか?司法手続きもあるが、それでは時間的に連載はそのまま進む。
posted at 18:44:02
司法手続きによらずにどうやって事を解決するか。解決から遡って手法を考える。これが実務家。解決を考えずに正論っぽいことを言う。これがいわゆる有識者。なぜ朝日新聞社の取材拒否をしたのか、朝日新聞社グループを相手にするのか、実務家ならすぐに分かる。今回、きちんと指摘できた人は皆無だった
posted at 18:47:37
朝日新聞社グループが方針を出した。謝罪と週刊朝日での連載打ち切り。これでノーサイドだが、その前に一言、言わせてもらう。今回の件で僕の子どもにどれだけの影響があるか、じっくり想像しろ。
posted at 23:35:06
よくもこんなことを公にできたものだ。朝日新聞社グループよ、過ちには二つある。謝って何とか済む話と、謝っても済まない話だ。
posted at 23:45:29
今回の件は、謝って済む話ではないことは分かるだろ。それでも最後のところで謝罪と連載打ち切りにした。これでノーサイドにしてやる。
posted at 23:47:23

2012年10月20日(土)
政治家や役所、それに普通の民間企業がこれくらいの大失態をやったら、そりゃメディアはとことん追及してきますよ。ところがメディアの失態については、メディアは追及しない。朝日新聞始め多くのメディアが原子力村だと批判していたことがシラけますね。まさにメディア村。メディアも身内に甘い。
posted at 00:07:47
これまでどんなに些細なことでも記者から質問を受けたら真面目に答えていたけど、なんかあほらしくなってきたな。そんなこと言うなら、週刊朝日と朝日新聞社グループの今回の件を取り上げろと言いたくなるよ。メディアに自浄作用があるのかきっちりと見なければならない。
posted at 00:11:24
メディアは人権擁護法案にとことん批判してきた。言論の自由の抑制に繋がると。しかしメディアの中できちんと自浄作用が働かなければ、メディアの抑制も必要になる。確かに僕は公人だから、個人がメディアに攻撃を受けるのと少し文脈が違うが、それでもメディアがどこまで今回の件を自己検証できるのか
posted at 00:13:28
メディアが民主国家を支える重要な役割を果たすことには間違いはない。権力チェックの要であることも間違いない。ゆえにその責務の重要性に鑑み、メディアの失態についてもしっかりとメディア同士でチェックしあうべきだ。原子力村にならぬ、メディア村にならないように。
posted at 00:16:52
大手メディアの表現が人を殺すに匹敵する場合があるとの自覚がない。殺した後に責任をとるとはどういう責任か?批判覚悟で人を殺すとの論は成立しない
posted at 06:49:10
政治家の失敗はもちろん本人が、そして役所の失態の場合でもトップの首長が責任追及を受けるのは当然。民間企業でも同じ。トップの説明なく、広報からの紙切れ一枚で説明終了となれば、メディアは怒り狂ったように、トップを出せ!説明責任を果たせ!と叫ぶ。
posted at 06:52:19
ところがメディアの失態について、他社メディアは当該失態したメディアのトップからの説明責任を求めない。ペンや表現での失態は大したことがないという認識なのか。しかし民間企業の大したことのない事件でも、メディアはとにかくトップに説明責任を求める。まあこれがメディア村だろう。
posted at 06:54:57
メディア同士が厳しく批判チェックすることがない日本のメディア村。メディアは原子力村にはあれだけ厳しい批判をしても、自分たちのメディア村には厳しい目は向けない。これでは日本の民主主義も成熟せず、これが日本の政治のだらしなさにも繋がっているね。
posted at 06:56:39
週刊朝日が今回の記事の企画を立てるときに、どのような協議がなされ、どのような議論がなされたのか。朝日新聞社本社から出向で来ているインテリと言われる者はどれくらいの人数がかかわり、どのような認識で発言をしたのか。役所であれ、民間企業であれ、同じような失態をしたら徹底的に追及を受ける
posted at 06:59:03
週刊朝日は再発防止に努めると発表した。そうであればどのようなプロセスで今回の企画が成立したのか、国民にしっかり示すべきだ。東京電力についてはとことん説明責任を求めたはずだ。あの調子で週刊朝日に説明を求めるべきだ。
posted at 07:00:58
高学歴で育ちも良い朝日新聞社からの出向者や朝日新聞社出版の社員が、どのような協議でこの企画を立てたのか。異論は出なかったのか。なぜ止まらなかったのか。同じようなことをメディア以外の企業がやれば、徹底して説明責任を求められる。
posted at 07:04:47

正論ぶったことを言いたい連中は、まだ表現の自由だとかなんとか言う。今回は表現でもなんでもない。完全な暴力だ。有形力の行使ではない、まさに表現による暴力だ。朝日新聞社グループの週刊朝日は、あの週刊誌を発売後ただちに僕の実母に話が聞きたいと。
posted at 07:14:27
この週刊朝日連中は、どんな心境で、どんな表情でこういう行動をとったのか、僕は知りたい。これは表現というものではなく、暴力そのものだ。
posted at 07:18:48
記事の表現のみならず、今回はこのような週刊朝日の行動も問題だ。週刊朝日の連中の想像力はどういうものだったのか。
posted at 07:20:52
再発防止と言うなら、企画の過程、佐野との協議内容、担当者の認識、僕の実母へ話を聞こうとしたそのときの認識などなど、それを明らかにしないと、どのような再発防止策をとったのか分からないだろ。
posted at 07:22:44
大きな事故が起きて、情報開示が不徹底なら、朝日新聞は徹底追及するではないか。その姿勢で、週刊朝日に臨むべきだ。記事内容の責任問題ではない。再発防止に向けて、とことん国民に情報を提供する。ここが明らかにならないとどんな再発防止策をとったのかさっぱり分からない。
posted at 07:24:28
役所や民間企業が、実態を明らかにせずに再発防止策に努めます、再発防止策を講じましたと言っても朝日新聞は許さないだろう。その姿勢で週刊朝日へ望むべきだ。今回の週刊朝日の記事は、表現を超えた暴力である。そして実母に話を聞かせてくれと書面で依頼する行動は常軌を逸している
posted at 07:27:05
取材拒否問題はノーサイドだが、週刊朝日と佐野の企画経過やその時にどんな協議がなされ、どんな認識だったのか。誰かが異論を挟んだ形跡はないのか。そして今の認識はどうで当初の認識から何がどのように変わったのか。どこに問題があったのか。再発防止に努めるなら次号で明らかにすることを期待する
posted at 07:33:50

橋下市長のツイッターより

2012年03月23日 | 橋下徹
   橋下市長は2012年3月22日のツイッターで、週刊現代(3月31日号)の飯島氏の記事「橋下徹ははたして小泉純一郎になれるのか」について触れた。
   「週刊現代で飯島さんからご意見頂きました。考える点がたくさんありました。ただ僕が小泉元首相に並べられるのは恥ずかしい限りです。こちらは一ローカルでやっているだけですから。飯島さんへの反論は、地方交付税廃止の主張と府知事時代に臨財債を発行したことを言行不一致と指摘された点です」
   飯島氏は週刊現代の記事で、橋下市長を「支持する人間の一人」として「希代の政治家」「発信力も非常に高い」とほめている。その上で、橋下市長が「次の小泉元総理」となるのかとよく質問を受けるとして「橋下市長と小泉元総理は似て非なるもの、まったく異質の存在です」と断言した。橋下市長が「主張していることと実際の行動が一致していない点」が、小泉元首相との大きな違いだと指摘している。その例として、橋下市長が府知事時代、地方交付税の不要論を言いながら「臨時財政対策債」(臨財債)を「大量発行」したことを挙げている。
   橋下市長は3月22日のツイッターでは、飯島氏に対し「知事は現実の行政を預かる立場で行政のトップです。自治体は国の制度を前提として運営せざるを得ません。日本の統治機構では、地方の税源が不十分な分、地方交付税として国からカネを受け取ります。そして国にお金がない分、臨財債というまやかしの借金で財政運営をしております。」などと反論している。

   橋下市長は謙虚ですね。制度、法律、その根底にある理念をよく理解しています。常に帰るところをもっています。それを決して変えようとはしません。これぞ「保守」です。その上で「臨機応変」今に活かしています。これぞ「正義」です。
   人は「正義」に導かれます。小泉氏の時もそうでした。

   22日のツイッターでは、こうも呟いています。「民間事故調や国会事故調の報告書が徐々に公開されてきていますが、今の政府に原発事故に耐えられる体制があると言えるでしょうか?もちろん、橋下は完璧にできるのかと言われるとそれはできないでしょう。しかし、日本政府のパニック状態は厳然たる事実です。」
   事実認識ができ、課題が明確です。言葉遣いが批判を浴びがちですが、それも魅力のうち。完璧な人間はおらず、小泉氏のワンフレーズなど、何か惹きつける個性がないとリーダーにはなれません。
   原発事故、日の丸君が代、光市母子殺害事件のこともとことん考えています。

社会的な約束事

2012年02月16日 | 橋下徹
 橋下大阪市長が2月9日の定例記者会見で、瓦礫処理の基準を0.01ミリシーベルトとしていることがわかります。0.01ミリシーベルトは、原子炉等規制法のクリアランスレベルです。大阪府は100ベクレル以下の岩手県のがれきを受け入れる方針を発表していますが、この数値も原子炉等規制法のクリアランスレベルです。法がしっかり頭にあり、ほっとさせられます。
 その上で、最先端ゲノム科学も認識。できるだけ0に近い方がいいことと社会がどう合意を形成するか。最近聞かれなかったまともなやりとりです。

 以下、会見より抜粋。その他の部分でもすでに国政と連携して動いていることがわかり、あとは次期総選挙を待つばかりです。

 何事についても100%安全だとか、害がまったくありません、危険性は0%です、なんていうのはこの世の中にないはずです。一番重要な考え方としては、日本人の平均で1.4ミリシーベルト、自然に放射線を浴びている、世界の平均では2.4ミリシーベルト浴びている、この前提で瓦礫処理の基準0.01ミリシーベルトってのをどう捉えるか、そういう思考をしなければいけないですね。0.01がどこまで身体に影響があるのか、0.01って数字がどこまで危険なのか、リスクはまったく0なのか、今そういう議論ばっかりになってます。
 0.01ミリシーベルトってことも現在は1.4ミリシーベルトは自然に浴びている、世界では2.4ミリシーベルト浴びている、これとの比較をしないといけないですね。だから、安全性や危険性が0かって言ったら、安全性や危険性が0ですよ、と言ってるんじゃなくて、世の中で生活してる分、今の僕らが普通に生活している分は、まあこれは安全という前提で成り立っているんで、だからそういう意味で安全ですよ、ってことなんですけどね。現在1.4浴びている、2.4世界で浴びているということを前提に、0.01ミリシーベルトはどうですかってもう考えざるを得ないですね。
 それが科学的な知見としてもう絶対それがもうその考え方しかないんだっていうことであればまた別ですけれども、環境省も、行政サイドのほうもそこは意見を聞きながら、それはもう科学の問題ってものも、それこそ多様性のある、日本国ですからいろんな学者さん、いろんなこと言いますんでね、その中でもある一定の範囲で物事を決めて進めなければいけないんじゃないでしょうかね。

 0.01とか1.4とか2.4、これは社会的な約束事なんですね。科学的にそれがリスクがあるのかどうなのかというところを議論する話ではなくて、社会的な約束事として、ここまでは安全と認めるかどうかってのがそういうラインであって、食べ物の安全基準から何から全部同じ考え方です。だからそれはもう学者さんに聞けばいろいろな考え方があるので、それも一方的なひとつの考え方だけに依拠するってわけにはいかないんじゃないでしょうかね。

 付近の住民の皆さんが生活しているところの線量を計らないと駄目ですね。それが年間0.01になれば、それはひとつの安全性の基準ということになると思うんですけれども。