とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

テレビの画

2011年12月27日 03時01分06秒 | ワンフー日記

昨日26日、NHK総合で「たけしアート☆ビート」を見ました。BSで放送中の番組です。
今年4月放送分の再放送でした。現代タップ・ダンス界のトップに立つというダンサー、セビアン・グローバーを訪ねる回。

えっと、ちょっと話ずれるけど、この番組を見るたび、ちょびっとだけうらやましくなっちゃうんだよね。
「ノリさんも、けっこう評価の高いアーティストなんだけどなあ・・・こういう番組やってほしいよなあ・・・」とかね。以前BS朝日ではアート関係の特番をやりましたけどね。レギュラー化してやるのは、ノリさんのスタイルじゃないのかな?

ま、それはおいといて、タップやダンスには多少興味もあるので、番組を見ていました。
北野武監督作『座頭市』にはラストに大タップダンスシーンがありますよね。
「セビアンならそのシーンでどんなタップをふむのか興味がある」
とのたけしさんの要望にこたえて、映像を見ながらセビアンが即興で踊るシーンがあったんですが、これが圧巻でした。「音楽がエネルギッシュで後押しされたよ」と後でセビアンは話していましたが、このタップは本当にものすごい迫力だった。たけしさんも「ワンステージ分お金払わなきゃいけないな」と言ってしまうほどでした。

ただ、なんとも残念だったのは、カメラワークがそのすごさを十分にとらえきれていなかったことです。カメラさんも、セビアンの迫力につられ、“生き生き”した画を撮ろうといきごんだのでしょうか。カメラはまず激しくタップを踏むセビアンの足元にクローズアップ。それをかなり長く撮ったあと、上半身にパン。そしてまた足元、と、上下へのパンを何度かくりかえす。たまにちょっと引いて全身を撮るけど、すぐまたアップに戻る。

そしてその合間合間に、セビアンを見て喜ぶたけしさんの顔のアップが数度挿入される。しかもそれがけっこう長い(5、6秒はあったかな)。

この場面の映像を見るかぎり、カメラマンさんは古いミュージカル映画を観たことがないのかもしれない、と思った。古いミュージカル映画を見慣れていたり、そのカメラワークをよく研究していれば、こんな撮り方はしないはずだからです。

問題点はいくつかあります。まず、なぜ足元をアップで撮るのか。確かに、タップ、とりわけセビアンさんがやるようなリズム・タップは、細かくリズムを刻む足元の動きが大きな魅力ではあるのでしょうが、しかし、足の中途半端なアップだけ見せられても、正直たいして迫力がない。

さらに理解できないのは、なぜ上半身だけ撮るのか。上半身も激しく動いてはいるけど、それだけではダンスの体をなしてなく、タップの音がなければ、わけもなく腕をぶらんぶらんさせてる人にしか見えない。

要するに、体の上と下を分けて撮るべきではないのです。ダンスは全身運動であり、上半身と下半身の動きが複雑に関連しあってはじめて総体として美しい動きになる。だから、もっとカメラを引いて、全身を映してほしかった。そして、やたらカット割りして細かく編集したりせずに、長回しで見せてほしかった。はっきりいえば、カメラは動く必要すらなかった。被写体が「動ける」人なのだから、カメラは固定で撮ってかまわないのです。

それと、なぜこのものすごいタップを編集で途中で何度もぶったぎる必要があるんでしょうか。たけしさんのリアクションの画はいらんでしょう、この場合?これは、この番組に限らず、あらゆるバラエティで感じることだけど、演者を周りで見ている人たちのリアクション・ショットが、最近あまりにも多過ぎる気がする。そんなもん、いるんですかね?視聴者はそんな画を見たがるんでしょうか?

「たけしアート☆ビート」の場合で言うと、たけしさんの顔が映っている5、6秒のあいだは、せっかくのセビアンのすごいタップを視聴者は見られないわけです。オフショットでタップの音が激しく鳴っているのを、イライラしながら聞かねばならない。

と、エラソーに講釈垂れてしまいましたが、なにもプロのカメラマンさんにケチをつけるなんてだいそれたマネをしたいんじゃないんです。カメラマンさん個人の問題なのではなくて、いまの日本のテレビバラエティ界全体における撮影のありかたの問題だと思うんですね。

最近のテレビは、カメラと被写体の距離が近過ぎる傾向にあるんじゃないか。スタジオも狭いし、セットも多いし、その中にたくさんのタレントがぎゅうぎゅうつめこまれているから、カメラは近寄らざるをえない。近寄ったら、クローズアップににならざるをえず、全身のショットは少なくなる。全身を撮るときは、いわゆる「なめる」撮り方しかしない。だから、必然的にカメラマンは、全身のショットを撮るときのノウハウを学べない。

タレントの方も、全身を長時間撮られることがないとなると、立ち姿を美しくしようとか、動きを優雅にしようという努力もしなくなってしまう。結果、テレビの画は美しくなくなり、視聴者も見たがらなくなる。悪循環なんです。

セビアンのダンスの撮り方は、ハリウッド映画のアクションの撮り方に非常に似ているなと思いました。とりわけ、ハリウッドがカンフー(的)映画を撮る時におかす最大の間違いを、日本のテレビがくりかえしてしまっている。

カンフーアクションもやはり全身運動なので、それを最大限かっこよく見せるための撮り方がある。香港映画にはその方法論がちゃんとあるんだけど、ハリウッドはそれがないから、ハリウッドの定石通りに撮ってしまう。欧米のアクションは基本的にボクシングベースですから、上半身中心に撮ろうとしてしまい、結果、すばやい全身運動であるカンフーの迫力をとらえきれなくなる。いまの日本のテレビ界は、このハリウッドの定石のほうを踏襲しているんじゃないかな?

ジャッキー・チェンの映画では、バトルシーンのカメラは位置がとても低く、引きの画で対決する2人の全身をとらえてますよね。70年代の香港カンフー映画と比べてもジャッキーのカメラ位置はかなり低い。ジャッキーはフレッド・アステアやジーン・ケリーのミュージカル映画を深く研究したんじゃないか。両者の撮り方には非常に近いものがあります(このあたりをよく理解して作られているのが少女時代のPVだと思う)。

こういう事を、ついしつっこく考えてしまうのは、最近こういう衝撃映像を見ちゃったためなんです。


Sitting dance




これは1960年にアメリカで放送された「ジーン・ケリーTVスペシャル」からの映像です。『雨に唄えば』で共演したドナルド・オコナーと2人で、おもしろいダンス・ルーティーンを披露しています。

ダンスそのものももちろん最高なんだけど、もっとすごいのは、このスタジオ。なーんにもない!セットを一切建てていないんです。だだっぴろいスタジオに、すばらしいダンサーが2人いるだけ。ホリゾントが遠いので、画面に奥行きがある。カメラはほぼフィックスの引きの画で2人をとらえている。途中わずかにカットが切り替わるほかは、画の構図をけっして変えず、カメラは回しっぱなし。すごい!

どうやらこのダンスは有名だったらしく、フォルクスワーゲンのコマーシャルでも使われました。


Volkswagen Commercial Feat. Pigeon John's "The Bomb"




映画のような豪華な映像でなくても、テレビならではのこんな潔い、美しい映像が、かつては可能だったのです。こういう映像を、日本のテレビでも見てみたいと思う。

考えてみれば、「8時だヨ!全員集合」くらいまでは、ステージのコントや漫才を撮影して放送する番組が多かったから、被写体とカメラの距離が遠い引きの画に、視聴者も慣れてたんじゃないだろうか。スタジオコント中心の時代になってから、すこしずつ変わってきたのかもしれない。

それでもやっぱり「みなさんのおかげです」の画は美しかった。ノリダーのバトルシーンは、ノリダーと怪人の全身を映さねばならなかったですしね。あと、とんねるずの歌のシーンもそうです。

言ってみれば、ジーン・ケリー&ドナルド・オコナーの場合と同じなんです。背が高くてハンサムなとんねるずが、全身を映すに値する被写体であることは、みなおかのカメラワークのすばらしさと大いに関係していると思う(そういえば昔ニューテレスの藤江ちゃんが「タカちゃんとノリちゃんの画だけおさえときゃいーんだよ!」と若手を叱ると、よくタカさんに暴露されてました。藤江ちゃんは正しかったのだ)。

被写体に画力があって、カメラがきちんと距離をとり、奇をてらったことをしなければ、テレビの映像はそれだけで美しくなるはず。そうすれば視聴者も自然に「もっと見たい」と思うんじゃないでしょうか?



若きセビアン・グローバーとグレゴリー・ハインズ











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