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クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

アダプテーション

2006年05月02日 12時43分38秒 | 世界的笑世界
『アダプテーション』
(Adaptation. チャーリー・カウフマン脚本 スパイク・ジョーンズ監督 2002)


<あらすじ>
脚本家のチャーリー・カウフマン(ニコラス・ケイジ)は、『マルコヴィッチの穴』の脚本を書き終えた後、新しい作品に取りかかっている。女性ライター・スーザン(メリル・ストリープ)が書いた『蘭に魅せられた男』というノンフィクションの脚色(アダプテーション)だ。しかし、書けない。彼にはドナルド(ニコラス・ケイジ)という正反対の性格の双子の弟がいる。チャーリーは、自分の脚本がスーザンの美しい本を汚すのではないかと恐れ、次第にスーザンを理想化していく・・・


・・・と、一応あらすじらしきものを書きましたが、実際「ストーリー」なんてありません。
これは、「アダプテーション(脚色)」そのもののやり方についての映画、『アダプテーション』という映画の脚本を書くことについての映画です。

とにかく、見ると脳がふるえます(笑)。ついさっき観終わって、まだ混乱しています。

一応調べてみると、映画の中でアダプテーションされている本『Orchid Thief(蘭盗人)』は、実際にアメリカで出版されている。その作者のスーザンも、本に出て来るジョン・ラロシュという園芸家の名前も、そのまんま映画の中で使われています。

そこでまず思ったのは・・・「彼らがよくこの脚本をオッケーしたものだ」。
なぜなら、映画のアダプテーションは半端じゃない。最後には、大変なことになってしまいます。かなりひどい扱いです。

でも、そういうやり方こそが、従来のアダプテーションのやり方を完全に破壊する、唯一の方法だったのかもしれない。なんにせよ、形骸化しパターン化したやり方を破壊するのは、実に気持ちのいいものです。

たとえば、ちょっと前に、ある航空会社のCMでこんなのがありました。
海岸で、美女と俳優(西岡徳馬)が航空会社のCM撮影のための演技をしている。と、急にそのCMの演出家や撮影スタッフが映りこんできて、「サンタモニカにいるような感じで!」と指示を出す。「でも、ここサンタモニカじゃないもん」と俳優。そこらへんにいた地元の漁師のおっちゃんが「行った方が安いよ」と声をかける---
おもしろいCMでした。

こういうやり方は、映画作品でも、それっ"ぽい"ものは今まであったとしても、まさしく「それ」な作品は、ほとんどなかったように思います。

『アダプテーション』は、たとえば、筒井康隆の『朝のガスパール』を映画化したら、こんな感じでやれるかもしれない、というような、すごく新しい映画作りの方法を、実際にやって見せてくれたのかもしれません。

さらに「アダプテーション」という言葉は、進化論でいう「(植物の)適応」の意味も担っています。人間に自由意志はない、とダーウィンは言った。すべては淘汰と偶然の変化によって決まる、と。ダーウィンへのカウフマンからの答えは、結局なんだったんだろう・・・わたしには、正直まだわかりません。


ジョン・ラロシュを演じたクリス・クーパーが、本作でアカデミー助演男優賞を受賞。彼とメリル・ストリープが、言葉につくせぬすばらしさです。

チャーリー/ドナルド・カウフマンを演じるのは、ニコラス・ケイジ。
冒頭のナレーションで「俺は太ってるしハゲだ」とニコラス・ケイジが、他ならぬ若ハゲ代表選手の彼が言うところからして、すでに現実と虚構の微妙な混じりあいが始まっている・・・もちろん、わたしはニコラス・ケイジが大好きです。

ちなみに、現実のチャーリー・カウフマンは、痩せていて髪もふさふさらしい。

・・・なんか、全然レビューとしてまとまらないなあ・・・
と、いままで書いて来たことを振り返っている自分自身をこのレビューの中に登場させれば、わたしは自分自身を虚構化していることになる・・・
と書いている自分をこのレビューに登場させれば、わたしは自分を虚構化している自分自身を虚構化していることになる・・・
と書いている自分を・・・・・・・・・



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