とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

フェリーニの道化師

2012年08月04日 19時35分22秒 | 世界的笑世界



ある方の紹介で何度かメールのやりとりをさせていただいた、翻訳家/編集者の遠山純生さんに、僭越ながら「コメ旬 Vol.4」を送らせていただいたところ、遠山さんが解説を書かれた『フェリーニの道化師』のDVDをいただきました。遠山さん、いつもお気遣いありがとうございます。

この作品は日本ではながらくソフト化されておらず、今回紀伊国屋書店から初のDVD発売です。


昨年、「映画の國名作選 イタリア編」と銘打って、ベルトルッチの『運命の森』、ロッセリーニの『ロベレ将軍』と、この『フェリーニの道化師』(1970)の3本が劇場公開されました。作品はその時観ていて、ふかく感じるものがあり、ひとつ記事を書いてみようかなと思いながら機会を逸してしまっていたので、今回DVDであらためて見直せたのはとてもありがたいことでした。


フェリーニ自身の子ども時代の記憶から映画ははじまります。田舎町によくいる「道化者」の描写から、場面はフェリーニ自身のオフィスへ。「道化師」についての映画を撮る準備をしているスタッフたちが紹介されます。そこから、伝説的な道化師たちを訪ねるフェリーニの旅が始まる。道化師を訪問するたびにスクリプトガールがカメラ目線で紹介文を読みあげるのがおもしろい。


ところで、いちおうコメディ愛好者のはしくれとして、「道化師」はわたしにとってもずっと気にかかる存在でした。正直に言えば、あまり良い印象は持っていなかった。「哀しきピエロ」といった常套句があるように、どこかお涙頂戴的センチメンタリズムにむすびついているイメージが(勝手に)あって、積極的に観ようとか勉強しようという気が起こらなかった。

実際に道化師を見た記憶というと、幼い頃、おそらく映画の冒頭に出てくるフェリーニくらいの年頃に、サーカスを観に行ったときが最初・・・だと思うけど、実は道化師のことはまったくおぼえていない。それよりも、巨大な鉄網のドームの内側をバイク2台が大音響でぐるぐる走る芸に肝をつぶしたことのほうを、はっきりおぼえています。

次の、もっとはっきりした記憶は、高校時代。アメリカのテキサス州にホームステイしていたときに、見物に行ったロデオで見た道化師です。カウボーイたちの真剣なロデオの合間に、ピエロの扮装をした男たちがちょっとしたパロディ的ネタをやる。彼らはそのまま残って、牛から落ちたカウボーイを避難させたり、牛をなだめたりするアフターケアも担当していました。おそらく彼らは、本職の道化師ではなかったはずです。


『フェリーニの道化師』に登場するのは、全員がプロの道化師です。フェリーニはインタビューで、こう話している:


コメディアンはさまざまなジェスチュアを冷静に演じますが、そうしたジェスチュアは本能的なものであり、培われたものであるに違いありません。道化師たちは大声で叫び、身振り手振りをしなくてはなりませんでした。こういうことは、俳優に教え込むことができません。道化師役を演じる人間は、実際に道化師その人である必要があるのです。


コメディアン=道化師が専門的職業であることを、フェリーニはよくわかっている。

フェリーニにはあきらかに道化師たちへの尊敬の念があるけれども、映画ではそれをあからさまにせず淡々とつづってゆく。それは、真にコメディ(笑い)を理解する「良いお客さん」独特の態度です。


添付のリーフレットにフェリーニのくわしいプロフィールが書かれていて、初めて知ったのですが、彼はもともと漫画家・ギャグマン出身だったらしい。漫画が彼の原点だとかんがえると、『81/2』や『サテリコン』の夢幻的な雰囲気も、もっとよく理解できそうです(フェリーニの作品自体ほとんど観てない自分には、フェリーニ自身を語る資格はまったくないのでやめますが)。


「淡々」に話をもどすと、たとえばスペイン出身のシャルリ・リヴェルを訪ねるシーンでは、彼のながったらしいうんちくにスタッフたちが退屈する、という場面があります。ところが、いったん「芸」をはじめるやいなや、リヴェルはたちまち全員を魅了してしまう。

本人がどんなイヤな奴であろうと、「芸」を始めた瞬間、リヴェルはその場を完全な異次元、非日常の世界に一瞬で変えてしまえる---わたしが「芸人」と呼ばれるひとびとに強く惹かれるのも、このためなんです。


この映画は、道化師の基礎知識もさりげなく教えてくれます。道化師には、白い道化師オーギュストとよばれる者がいる。ものすごく単純化すると、白い道化師=ツッコミ、オーギュスト=ボケ、ということになるらしい。日本の伝統芸能「万歳」でいえば、白い道化師=太夫、オーギュスト=才蔵、というわけでしょう。

鶴見俊輔の『太夫才蔵伝-漫才をつらぬくもの-』(当ブログのレビューはこちら)によると、太夫才蔵のコンビ芸には呪術的な意味合いもあったといいます。それは、ヨーロッパの道化師コンビのグロテスクさとか無秩序(カオス)に、通じるものがあるのかもしれない。


「道化師恐怖症」という病気(?)があるそうですが、実際この映画に登場する道化師たちは、おもしろいというより、かなりコワいんですよね。でも、コワさというのは、実は「笑い」には必要なもので、現代の「お笑い」が失ってしまったものも、この「コワい」という要素なのではないかな、とわたしは思う。


参照記事:怒りと笑い


道化師は孤独な存在だというイメージをもっていたので、彼らがしばしばコンビやトリオのユニットで活動すると知ったのもおもしろかった。いやむしろ、コンビであることこそ、道化師の存在意義だと言えるのかもしれない---と感じたのは、『フェリーニの道化師』のすばらしいエンディングを見たためです。

現実と夢幻の境目など、彼らにとっては無意味---哀しいのか、幸福なのか、さだめがたいラストを、ぜひDVDで観てください。


添付のリーフレットが、とにかくすばらしいです。こんなに充実したリーフレットははじめて見ました。道化師ひとりひとりのくわしい解説、フェリーニのインタビュー、フェリーニのテレビ観(この作品はテレビ局の制作で撮られた)の翻訳、などなどとても詳しく、鑑賞の大きな助けになります。映画とあわせてかならず読んでください。


インタビューの中でフェリーニはこうも語っています:

ダイアローグは、私にとって重要なものではありません。

そして「結局のところ、自分にとって映画とは無声映画なのだ」という彼の言葉も引用されています。

道化師たちの部屋には、さまざまなプロの道化師にまじって、チャップリンや、ローレル&ハーディ、そしてバスター・キートンの写真も飾られていました。






フェリーニの道化師 [DVD]
紀伊國屋書店








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