「若い広場 オフコースの世界」をとりあげた流れで、とんねるずとオフコースの意外な(でもないのかな、ワンフーにとっては?)つながりをご紹介。
1984年に小田和正、清水仁(ベース)、松尾一彦(ギター)、大間ジロー(仁世)(ドラム)の4人で活動を再開したオフコース。
そのファンクラブブック「OFF COURSE BOOK」1985年夏号に、とんねるずのインタビューが掲載されています。(ちなみにわたしはファンクラブには入っておらず、この会報誌は知人からゆずってもらったものです。)
オフコースの"若手"松尾一彦・大間ジロー両氏と、とんねるずはお友達だったそうで!
なかなかおもしろい内容なので、引用してみます。
* * * * * * * * * * * * *
---とんねるずと松尾さん、ジローさんとの関係といいますか、まあ、知り合ったきっかけというのは、なんだったのですか?
タカ:松尾さんがね、ファンだったの。
---えっ、松尾さんのファンだった?
タカ:いえ、松尾さんの方がボクらとんねるずのファンだったの。それで、ボクらの「一気!」を書いてくれた作詞家の秋元さんが、オフコースのB面にも詞を書いてる(*)んだけどね、その秋元さんに松尾さんが、"とんねるずのファンなんだ"っていったら、"とんねるずなら会えますよ"ってなわけで、秋元さんが仲介役になって会ったわけだ。
---秋元さんって、小泉今日子のアルバムや、菊池桃子などに詞を書いている、作詞家の秋元康さんですか。
タカ:そう。それで、西麻布にあるレストランで夜中の1時頃に初めて会いましてねえ。松尾さん、ジローさん、秋元さん、ボクの4人で、明け方の4時ぐらいまで、ミルクティ-を飲みながら、バカッ騒ぎしまして、それからのつき合いですよ。
---それはいつ頃のことでした?
タカ:えーと、去年の12月頃だったかな。松尾さんと、秋元さんがマイケル・ジャクソンを観にアメリカへ行ってきた後で、ちょうど僕たちがオールナイト・フジで「こんな小っちぇやつ・シリーズ」つうのをやってるころ。で、ドジャース・スタジアムで観たマイケル・ジャクソンが、こんな小っちゃかったっていう話で大笑いしてた。
---そのとき、憲武さんはいっしょではなかったのですか。
ノリ:僕はいなかった。
---そういったきっかけで出会って、その後はどんな感じで友だち関係が深まっていったのですか?
タカ:僕たちのコントライブを松尾さんやジローさんが観に来てくれてね。それで、ちょうどオフコースが「call」のレコ-ディングのころ、僕がスタジオへ遊びに行きまして、そこで、小田さんや清水さんと初めて会ったんですよ。
---どうでしたか、2人の印象は?
タカ:仁さんは、なんとも、大阪人ぽいね。"なにゆうてんねん"て感じでねえ、ほのぼのとしたノリがよかったですよ。小田さんは、静かな、もの静かな人だなあという印象でしたね。それで、僕は「call」の石橋貴明バージョンっていうのを持ってましてねえ。これは世界にひとつしかないという、あっ、あたりまえか…
---えっ「call」の石橋さんバージョンですか。
タカ:そうなんですよ。スタジオに遊びに行ってね、入れさせてもらったの歌を…。オフコースの演奏したオケに、僕だけが歌ってるんですねえ。これはすごいですよ。
---一度聴いてみたいですね。
タカ:ハハハ・・・(と、胸をはる)
---ところで、とんねるずも同級生。松尾さんとジローさんも同級生なんですよねっ。
タカ:そうそう。だけど、そういう話は会ってもあんまりしないですね。10回会って1回ぐらいはシンミリした話をすることもあるけど、なんかいつもバカッ話ばかりしてまして、ジローさんなんて、いつもくだらないダジャレで、僕たちを疲れさせるんですよ。
---どんなダジャレで?
タカ:ジローさんのギャグは、たとえば、砂糖があって、その中にあるスプーンをパッと飛ばして、"サジを投げた"とかね、そういうしょうもないギャグをやったりするんですねえ。仮にも僕たちプロですよ、プロを前にして、ダジャレが多いんだ。
---松尾さんは、そういうときどうしてますか?
タカ:ただ、クスクス笑っているだけ。とはいうものの、いつも、僕たちの方がお世話になってるんですけどね。アルバム『成増』にも1曲、松尾さんに曲を書いてもらってるし、お酒なんかも御馳走してもらったりしてるんだ、これが…(笑)
---(笑)。
タカ:で、松尾さんちにも遊びに行きましたし…。また、松尾さんちっていうのがキレイなマンションで、あれが飾ってあるんだ。
---あれって?
タカ:あれっ!アンディ・ウオーホルが描いたミック・ジャガーの絵が3枚。それで、ちょうどそのころウオーホルがテレビのCMで"アカ、アオ、ミ・ドーリー"ってやってたときで、僕たちだって、ウオーホルぐらい知ってるっていうのに、テレビ見てて突然"ほらほら、貴明、貴明、これがミック・ジャガーを描いた人、ウオーホル"。知ってるっつうの。だから、そんとき思ったね。いいマンションを買うことができたら、アンディ・ウオーホルのミック・ジャガーの絵をかけてやるからなあ…。
---と、思った(笑)。
タカ:で、ジローさんなんて、こないだ夜中に広島から電話をかけてきましてねえ。"今、広島で盛り上がってるんだ、遊びに来いよ"だからねえ(笑)。こっちは次の日、朝から仕事だっていうのに困ったもんですよ。
---でも、ツア-中のメンバーって、コンサートが終わると、おとなしく部屋に引っ込んじゃうんですけどね?
タカ:でも、その日は違うの。仁さんや松尾さんも、いっしょにいたんですよ。それで、仁さんも電話に出てね。"ジローだけ盛り上がってるんだよ"っていってましたよ。
---お話をうかがってると、ものすごく仲がいいって感じしますね。
タカ:世代も違うんですけど(ファイアー註・この時松尾・ジローさんは30才くらい)、妙に合うんですよ。別におにいちゃんと弟って感覚でもなくて、かといって、音楽的な話をするわけでもなく、バカ話しかしていないのに…なんなんでしょうね。
ノリ:「セブンティ-ン」っていう雑誌の取材のとき、なんてことのないワンカットの写真なんだけど、ドタドタドターッて、コンサートの練習をしていたスタジオに"写真撮らしてくださ~い"って押し入ったこともあったし…。あの節は失礼しちゃっただわ(←ファイア-註・ここちょっと脚色っぽい(笑))
タカ:あっ、松尾さんにひとこと言いたいことがあるんです。早く僕のビデオテープ返してくださいよ。僕らがお笑いスター誕生に出演したときの記念すべきビデオ。10何本も持ってったきり、まだ返してくれないんだ。
---だんだん誌面が私的伝言板になりつつありますが、ここで音楽的な話などを少し。
ノリ:最高ですね。こんなにいいサウンドを聞かせてくれる人たちはいないと思います。
タカ:はっきりいって、僕たちも日本武道館10日間というオフコースの記録を破るために一所懸命がんばっています。
---ミュージシャンとしての、すさまじいライバル意識ですね。
タカ:そうです。僕たちはオフコースもライバルのひとりだと思っておりますが、"WHAM!"もライバルと対抗意識を燃やしております。しかしながら、オフコースの10日間という記録をとりあえず…。
ノリ:だから、同じミュージシャンとして、一所懸命やってゆけたらいいなあと思っています。
タカ:オレたち、楽器できないしね(笑)。
ノリ:うん。楽器はなんにもできない!
---フフフ、人数でも負けてますよねっ。
タカ:白髪もないですしねえ、ハハハ・・・・・
ノリ:読み書きできないぶん、ガンバル(笑)
タカ:本当、武道館、是非拝見したいと、楽しみにしておりますねん。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
オフコースファンには結構笑える内容なんですが・・・(笑)。
オフコースに興味ないみなさまには申し訳ない!
松尾さんが提供した曲というのは、「銀河の交番」ですね。なぜいきなり松尾さんが?と、ずっとナゾだったんだけど、これで納得。
インタビュアーが秋元さんの氏素性を確認してるあたり、85年という時代を感じさせますなあ。かくいうわたしも、秋元さんがオフコースに詞を提供していたことを初めて知りました・・・当時は「秋元ぉ?誰?」って感じだった、たしかに(笑)。
(* 1985年のオフコースのシングル「call」のB面「2度目の夏」と、「たそがれ」のB面「LAST NIGHT」の作詞を、秋元氏が手がけた。)
1984年に小田和正、清水仁(ベース)、松尾一彦(ギター)、大間ジロー(仁世)(ドラム)の4人で活動を再開したオフコース。
そのファンクラブブック「OFF COURSE BOOK」1985年夏号に、とんねるずのインタビューが掲載されています。(ちなみにわたしはファンクラブには入っておらず、この会報誌は知人からゆずってもらったものです。)
オフコースの"若手"松尾一彦・大間ジロー両氏と、とんねるずはお友達だったそうで!
なかなかおもしろい内容なので、引用してみます。
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---とんねるずと松尾さん、ジローさんとの関係といいますか、まあ、知り合ったきっかけというのは、なんだったのですか?
タカ:松尾さんがね、ファンだったの。
---えっ、松尾さんのファンだった?
タカ:いえ、松尾さんの方がボクらとんねるずのファンだったの。それで、ボクらの「一気!」を書いてくれた作詞家の秋元さんが、オフコースのB面にも詞を書いてる(*)んだけどね、その秋元さんに松尾さんが、"とんねるずのファンなんだ"っていったら、"とんねるずなら会えますよ"ってなわけで、秋元さんが仲介役になって会ったわけだ。
---秋元さんって、小泉今日子のアルバムや、菊池桃子などに詞を書いている、作詞家の秋元康さんですか。
タカ:そう。それで、西麻布にあるレストランで夜中の1時頃に初めて会いましてねえ。松尾さん、ジローさん、秋元さん、ボクの4人で、明け方の4時ぐらいまで、ミルクティ-を飲みながら、バカッ騒ぎしまして、それからのつき合いですよ。
---それはいつ頃のことでした?
タカ:えーと、去年の12月頃だったかな。松尾さんと、秋元さんがマイケル・ジャクソンを観にアメリカへ行ってきた後で、ちょうど僕たちがオールナイト・フジで「こんな小っちぇやつ・シリーズ」つうのをやってるころ。で、ドジャース・スタジアムで観たマイケル・ジャクソンが、こんな小っちゃかったっていう話で大笑いしてた。
---そのとき、憲武さんはいっしょではなかったのですか。
ノリ:僕はいなかった。
---そういったきっかけで出会って、その後はどんな感じで友だち関係が深まっていったのですか?
タカ:僕たちのコントライブを松尾さんやジローさんが観に来てくれてね。それで、ちょうどオフコースが「call」のレコ-ディングのころ、僕がスタジオへ遊びに行きまして、そこで、小田さんや清水さんと初めて会ったんですよ。
---どうでしたか、2人の印象は?
タカ:仁さんは、なんとも、大阪人ぽいね。"なにゆうてんねん"て感じでねえ、ほのぼのとしたノリがよかったですよ。小田さんは、静かな、もの静かな人だなあという印象でしたね。それで、僕は「call」の石橋貴明バージョンっていうのを持ってましてねえ。これは世界にひとつしかないという、あっ、あたりまえか…
---えっ「call」の石橋さんバージョンですか。
タカ:そうなんですよ。スタジオに遊びに行ってね、入れさせてもらったの歌を…。オフコースの演奏したオケに、僕だけが歌ってるんですねえ。これはすごいですよ。
---一度聴いてみたいですね。
タカ:ハハハ・・・(と、胸をはる)
---ところで、とんねるずも同級生。松尾さんとジローさんも同級生なんですよねっ。
タカ:そうそう。だけど、そういう話は会ってもあんまりしないですね。10回会って1回ぐらいはシンミリした話をすることもあるけど、なんかいつもバカッ話ばかりしてまして、ジローさんなんて、いつもくだらないダジャレで、僕たちを疲れさせるんですよ。
---どんなダジャレで?
タカ:ジローさんのギャグは、たとえば、砂糖があって、その中にあるスプーンをパッと飛ばして、"サジを投げた"とかね、そういうしょうもないギャグをやったりするんですねえ。仮にも僕たちプロですよ、プロを前にして、ダジャレが多いんだ。
---松尾さんは、そういうときどうしてますか?
タカ:ただ、クスクス笑っているだけ。とはいうものの、いつも、僕たちの方がお世話になってるんですけどね。アルバム『成増』にも1曲、松尾さんに曲を書いてもらってるし、お酒なんかも御馳走してもらったりしてるんだ、これが…(笑)
---(笑)。
タカ:で、松尾さんちにも遊びに行きましたし…。また、松尾さんちっていうのがキレイなマンションで、あれが飾ってあるんだ。
---あれって?
タカ:あれっ!アンディ・ウオーホルが描いたミック・ジャガーの絵が3枚。それで、ちょうどそのころウオーホルがテレビのCMで"アカ、アオ、ミ・ドーリー"ってやってたときで、僕たちだって、ウオーホルぐらい知ってるっていうのに、テレビ見てて突然"ほらほら、貴明、貴明、これがミック・ジャガーを描いた人、ウオーホル"。知ってるっつうの。だから、そんとき思ったね。いいマンションを買うことができたら、アンディ・ウオーホルのミック・ジャガーの絵をかけてやるからなあ…。
---と、思った(笑)。
タカ:で、ジローさんなんて、こないだ夜中に広島から電話をかけてきましてねえ。"今、広島で盛り上がってるんだ、遊びに来いよ"だからねえ(笑)。こっちは次の日、朝から仕事だっていうのに困ったもんですよ。
---でも、ツア-中のメンバーって、コンサートが終わると、おとなしく部屋に引っ込んじゃうんですけどね?
タカ:でも、その日は違うの。仁さんや松尾さんも、いっしょにいたんですよ。それで、仁さんも電話に出てね。"ジローだけ盛り上がってるんだよ"っていってましたよ。
---お話をうかがってると、ものすごく仲がいいって感じしますね。
タカ:世代も違うんですけど(ファイアー註・この時松尾・ジローさんは30才くらい)、妙に合うんですよ。別におにいちゃんと弟って感覚でもなくて、かといって、音楽的な話をするわけでもなく、バカ話しかしていないのに…なんなんでしょうね。
ノリ:「セブンティ-ン」っていう雑誌の取材のとき、なんてことのないワンカットの写真なんだけど、ドタドタドターッて、コンサートの練習をしていたスタジオに"写真撮らしてくださ~い"って押し入ったこともあったし…。あの節は失礼しちゃっただわ(←ファイア-註・ここちょっと脚色っぽい(笑))
タカ:あっ、松尾さんにひとこと言いたいことがあるんです。早く僕のビデオテープ返してくださいよ。僕らがお笑いスター誕生に出演したときの記念すべきビデオ。10何本も持ってったきり、まだ返してくれないんだ。
---だんだん誌面が私的伝言板になりつつありますが、ここで音楽的な話などを少し。
ノリ:最高ですね。こんなにいいサウンドを聞かせてくれる人たちはいないと思います。
タカ:はっきりいって、僕たちも日本武道館10日間というオフコースの記録を破るために一所懸命がんばっています。
---ミュージシャンとしての、すさまじいライバル意識ですね。
タカ:そうです。僕たちはオフコースもライバルのひとりだと思っておりますが、"WHAM!"もライバルと対抗意識を燃やしております。しかしながら、オフコースの10日間という記録をとりあえず…。
ノリ:だから、同じミュージシャンとして、一所懸命やってゆけたらいいなあと思っています。
タカ:オレたち、楽器できないしね(笑)。
ノリ:うん。楽器はなんにもできない!
---フフフ、人数でも負けてますよねっ。
タカ:白髪もないですしねえ、ハハハ・・・・・
ノリ:読み書きできないぶん、ガンバル(笑)
タカ:本当、武道館、是非拝見したいと、楽しみにしておりますねん。
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オフコースファンには結構笑える内容なんですが・・・(笑)。
オフコースに興味ないみなさまには申し訳ない!
松尾さんが提供した曲というのは、「銀河の交番」ですね。なぜいきなり松尾さんが?と、ずっとナゾだったんだけど、これで納得。
インタビュアーが秋元さんの氏素性を確認してるあたり、85年という時代を感じさせますなあ。かくいうわたしも、秋元さんがオフコースに詞を提供していたことを初めて知りました・・・当時は「秋元ぉ?誰?」って感じだった、たしかに(笑)。
(* 1985年のオフコースのシングル「call」のB面「2度目の夏」と、「たそがれ」のB面「LAST NIGHT」の作詞を、秋元氏が手がけた。)
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