『頭文字D』
(Initial D the Movie アンドリュー・ラウ&アラン・マック監督 2005 香港)
昨年『NANA』が公開された時、原作コミック大ファンの東京に住む従妹(20代前半)が「原作の核心を理解してないね」とクールに分析していて、「ほお~そんなもんかね」と感心したことがあります。彼女は中島美嘉さんもけっこうファンのはずなんだけど、「中島美嘉の演技がどうもね…」とばっさりぶったぎってました。
いやはや、原作とその映画化には、なかなかむずかしい相関関係がありますよね。
わたし自身は、思い入れのある原作が映画化されたことがあんまりなくて、それにめんどくさがりなので、映画の原作を読もうと思わないから、イメージのギャップに悩んだことって、ないんです。
昨年公開された『頭文字D』も、一般には「原作とイメージが違うから星ひとつ減らした」的な感想がものすごく多い映画でした。その点、原作コミックの表紙しか見たことがないわたしは、余計な先入観なく映画を楽しめたので、ラッキーだったのかも。
しかしおもしろいことに、原作との違いに怒ってる人たちも、カーレースのシーンにはかなりの高評価。クルマについちゃあ一家言をおもちのみなさんが、かなり興奮した口調(文調?)で、劇中に出て来る車種や走法の解説をしているんですよね。
と、いうことはですよ。その時点で、この映画は成功しちゃってるんじゃないでしょうか。
そもそも、長い長い連載の漫画を、わずか2時間の映画におさめるなんて土台無理なわけですから、「じゃあどこに力点をおくか」が次に問われるわけで、『頭文字D』の場合、もちろんそれは「峠のレースをどれだけリアルかつかっこよく実写にするか」ということ以外何もない。
というか、それを実写で描くために映画化するようなものであって、人間ドラマは、まあ付け足しみたいなもんです。そんなもなあ、『頭文字D』以外の映画でいくらでもやれるわけで。
実際、群馬の榛名山を舞台にしたレースシーン、すごかった!!レーサー同士のかけひきや、車の調子(って車検じゃないんだから。車のこと全然わからないのわたくし)をまるでF1のように刻々とデータ分析しながら走ったり、ヘアピンカーブでの迫力あるドリフト(音がまたいいのよ)など、まさに公道上の格闘といえるシーンが満載。こりゃあ大画面で観て良かったわい、と大興奮。
さらにそれをとらえるカメラワークの流麗さ!時に画面分割したり、高速撮影したり、ありとあらゆる撮影テクニックを駆使しつつも、それらをいやみなくまとめあげる手腕、さすがはカメラマン出身のアンドリュー・ラウ(劉偉強)監督です。
青々とした水田が広がる風景の中を、すーっと気持ち良く走っていく車…夕暮れの空がサーモンピンクに染まって…といったショットは、身近にありすぎてわれわれが気づかない風景の美しさを、外国人監督が敏感にとらえたすてきなショットだったりします。
あえて「人間ドラマ」について言うと、まあ原作を知らないわたしが言うのもナンなんですが、制作者は親父と息子の関係に力点をおいたと思われます。
藤原拓海(ジェイ・チョウ 周杰倫)とその親父(アンソニー・ウォン 黄秋生)。
拓海の親友(チャップマン・トー 杜[シ文]澤)とその親父(ケニーB)。
で、思うんですよね。これこそ「天才」が生まれるための条件なんだと。拓海にどんなに才能があっても、お父ちゃんが長年せっせと車を整備してなければ、その才能が開花することはなかったのですからね。長い人間の営為があってはじめて、そこに「ヒーロー」が生まれるのです。
アンソニー・ウォンは、日本人役にしては濃い顔ではありますが、とても良かった。香港金像奨でも助演男優賞にノミネートされてます。
ウチの近所の山でも、週末になると走り屋のみなさんが集まります。以前はちょっとこわいな、なんて思ってましたが、『頭文字D』を観てから、ドリフト音を遠くに聞く度「うむ、未来のレーサーががんばっとるわい」とほほえましく思えるようになりました(ケガには気をつけてね)。それだけでも、やっぱりこの映画、成功と言えるんじゃないですか!?
あ、最初は吹替えで観る方が、違和感なくていいと思います。
(Initial D the Movie アンドリュー・ラウ&アラン・マック監督 2005 香港)
昨年『NANA』が公開された時、原作コミック大ファンの東京に住む従妹(20代前半)が「原作の核心を理解してないね」とクールに分析していて、「ほお~そんなもんかね」と感心したことがあります。彼女は中島美嘉さんもけっこうファンのはずなんだけど、「中島美嘉の演技がどうもね…」とばっさりぶったぎってました。
いやはや、原作とその映画化には、なかなかむずかしい相関関係がありますよね。
わたし自身は、思い入れのある原作が映画化されたことがあんまりなくて、それにめんどくさがりなので、映画の原作を読もうと思わないから、イメージのギャップに悩んだことって、ないんです。
昨年公開された『頭文字D』も、一般には「原作とイメージが違うから星ひとつ減らした」的な感想がものすごく多い映画でした。その点、原作コミックの表紙しか見たことがないわたしは、余計な先入観なく映画を楽しめたので、ラッキーだったのかも。
しかしおもしろいことに、原作との違いに怒ってる人たちも、カーレースのシーンにはかなりの高評価。クルマについちゃあ一家言をおもちのみなさんが、かなり興奮した口調(文調?)で、劇中に出て来る車種や走法の解説をしているんですよね。
と、いうことはですよ。その時点で、この映画は成功しちゃってるんじゃないでしょうか。
そもそも、長い長い連載の漫画を、わずか2時間の映画におさめるなんて土台無理なわけですから、「じゃあどこに力点をおくか」が次に問われるわけで、『頭文字D』の場合、もちろんそれは「峠のレースをどれだけリアルかつかっこよく実写にするか」ということ以外何もない。
というか、それを実写で描くために映画化するようなものであって、人間ドラマは、まあ付け足しみたいなもんです。そんなもなあ、『頭文字D』以外の映画でいくらでもやれるわけで。
実際、群馬の榛名山を舞台にしたレースシーン、すごかった!!レーサー同士のかけひきや、車の調子(って車検じゃないんだから。車のこと全然わからないのわたくし)をまるでF1のように刻々とデータ分析しながら走ったり、ヘアピンカーブでの迫力あるドリフト(音がまたいいのよ)など、まさに公道上の格闘といえるシーンが満載。こりゃあ大画面で観て良かったわい、と大興奮。
さらにそれをとらえるカメラワークの流麗さ!時に画面分割したり、高速撮影したり、ありとあらゆる撮影テクニックを駆使しつつも、それらをいやみなくまとめあげる手腕、さすがはカメラマン出身のアンドリュー・ラウ(劉偉強)監督です。
青々とした水田が広がる風景の中を、すーっと気持ち良く走っていく車…夕暮れの空がサーモンピンクに染まって…といったショットは、身近にありすぎてわれわれが気づかない風景の美しさを、外国人監督が敏感にとらえたすてきなショットだったりします。
あえて「人間ドラマ」について言うと、まあ原作を知らないわたしが言うのもナンなんですが、制作者は親父と息子の関係に力点をおいたと思われます。
藤原拓海(ジェイ・チョウ 周杰倫)とその親父(アンソニー・ウォン 黄秋生)。
拓海の親友(チャップマン・トー 杜[シ文]澤)とその親父(ケニーB)。
で、思うんですよね。これこそ「天才」が生まれるための条件なんだと。拓海にどんなに才能があっても、お父ちゃんが長年せっせと車を整備してなければ、その才能が開花することはなかったのですからね。長い人間の営為があってはじめて、そこに「ヒーロー」が生まれるのです。
アンソニー・ウォンは、日本人役にしては濃い顔ではありますが、とても良かった。香港金像奨でも助演男優賞にノミネートされてます。
ウチの近所の山でも、週末になると走り屋のみなさんが集まります。以前はちょっとこわいな、なんて思ってましたが、『頭文字D』を観てから、ドリフト音を遠くに聞く度「うむ、未来のレーサーががんばっとるわい」とほほえましく思えるようになりました(ケガには気をつけてね)。それだけでも、やっぱりこの映画、成功と言えるんじゃないですか!?
あ、最初は吹替えで観る方が、違和感なくていいと思います。
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