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クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

新・座頭市 破れ!唐人剣

2009年10月14日 22時13分36秒 | 香港的電影
『新・座頭市 破れ!唐人剣』(Zatoichi Meets the One Armed Swordsman 安田公義監督 1971 日本)


時代劇であれ、カンフー映画であれ、スーパーヒーロー物、SFアクション、刑事物、スポ根物、ともかく娯楽活劇のジャンルに属する映画について、それがおもしろくなるかどうかの決め手は、結局のところ"ラスボス"とのラストバトルではないかと思う。

何がラストバトルのクオリティを決めるのか。アクション設計、殺陣の質の高さ、舞台、撮影、ストーリー。と同時に、ラスボスを演じる役者に魅力がなければならない。

凶悪で、腹がたつほど強く、憎たらしいほどチャーミングであること。ラスボスにはこれは不可欠です。いや、ただ魅力的なだけじゃだめ、色気があって、怖さがあって、無垢でもあり、清濁あわせのむ度量と繊細さもかねそなえていなければ!

「座頭市」シリーズは、テレビドラマ版を多少観ていたくらいで、映画のほうはほとんど観ていません。だから、座頭市そのものについて語れることは何もありませんが、おそらくこの座頭市というキャラクター、そして勝新太郎という俳優は、ヒーローでありながらラスボスのクオリティをも持ち合わせた存在だったと言えるんではないでしょうか。だからこそ座頭市は、ハリウッドの映画人からカストロ前議長まで、幅広いファンに支持されつづけているのだと思います。

1971年に制作された『新・座頭市 破れ!唐人剣』で、ダークヒーロー座頭市と闘うラスボスは、当時香港映画界で人気絶頂だった王羽、またの名をジミー・ウォングです。

この映画は、かなり以前テレビで観ました。そのころは、まだカンフー映画に興味はなく、もちろんジミー・ウォングの「ジ」の字も知りませんでした。座頭市に関心があったわけでもないのになぜ最後まで観たかというと、てんぷくトリオ(三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫)が出ていたからなんです。

見始めると、あまりにおもしろくて目が離せなくなってしまった。勝新の情味あふれる演技と殺陣のすばらしさにしびれ、そして謎の中国人俳優が放つ清冽なオーラが心に焼きついたのです。

ジミーさんが演じるのは、片腕の中国人剣士。そう、香港で当たり役となった『獨臂刀』(邦題『片腕必殺剣』)の片腕剣士のキャラそのままで出ています。あたかも日本でのキャラそのままに『メジャーリーグ2』に出た石橋貴明のように!(ちがうか?)

物語は、片腕剣士が旧友をたずねて日本にやってくるところから始まります。剣士は旅芸人の中国人の家族と知り合う。が、通りかかった南部藩の行列の前に子供が飛び出し、助けようとした両親が藩士に斬殺されてしまう。怒ったジミーは侍たちを斬って逃走。追われる身となる。

近くを旅していた座頭市が偶然子供を助け、ジミーとも道連れになる。ジミーがおたずね者だと知った上で市は水やおにぎりを分けてやる。言葉が通じず、警戒するジミー。だが心根が素直な彼は、徐々に市に心を開く。一方、町の元締め・藤兵衛と癒着している南部藩は、やくざを使ってジミーたちを追いつめる。

市が町へ偵察に行っている間に、かくまってくれた農民一家が惨殺されてしまう。あやうく難を逃れたジミーは、賞金めあてに市が密告したものと思いこみ、復讐の炎を燃やす。ジミーが福龍寺へ無事逃れたことを確かめた市は身を隠すが、藤兵衛一家の手は市にまでおよび、とうとう市と一家は対決する。

同じころ、旧友の日本人僧侶に裏切られたジミーも、南部藩の追っ手と死闘をくりひろげていた。敵をすべて斬った果てに、市とジミーは再会する。だが言葉が通じないため、市は自分に対する誤解をとくことができない。そして、闘う理由などなにもないふたりの決闘がはじまってしまう。


片腕の剣士と盲目の座頭市。香港の風雲児と日本の問題児。
彼らの哀しい死闘、これぞラストバトルの真髄といわずしてなんとしよう。
ふたりの英雄がはなつ輝きと色気。息をつめて見守るしかない理由なき闘い。

「斬るには惜しい男だった。言葉さえ通じていれば、闘わずにすんだものを・・・」

ひとりは中国語で、ひとりは日本語で、最後の最後にふたりは同じ思いを共有する。
剣をまじえることによってのみ、英雄は英雄を知る。闘いに言葉はいらない、でもそのためにはどちらかの命を犠牲に供すほかはない。

「闘い」とはなんなのか? 深く問いかけるすばらしいラストバトルです。

片腕剣士は座頭市にとって敵でも悪でもないけれど、ラスボスとして君臨するにはふさわしい人物でした。いや、悪ではないからこそ、闘う意味がないからこそ、この闘いは深く心をゆさぶるのです。

日本映画らしい繊細で緻密な映像に映ったジミーさんは、香港映画で見るのとはまたちがうダークな美しさに輝いていました。


2003年のインタビューで、60歳を目前にしたジミーさんはこう語っています。

「李小龍(ブルース・リー)はなあ、あいつは32歳の若さで死んでしまったけど、もしかしたら、まあ結果的にはだけど、それで良かったのかもしれないな。なぜってあいつはもう決して歳をとらない。永遠に32歳のままだろう?でも俺はどうだ。・・・俺の顔を見てみろ。人が歳をとるっていうのはこういうことなんだ。だけど李小龍はこれからもずーっとあの32歳の若さのままなんだぞ」(『龍熱大全』知野二郎著)

ジミーさん、あなたの言葉は正しい。あなたは映画というものを、骨の髄まで知り抜いている。

だけど、1971年のジミー・ウォングは、まぎれもなく天皇巨星でした。巨星だけが、ヒーローでありラスボスであることができる。その姿は、フィルムに永久に刻みつけられています。








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