大河ドラマ「風林火山」、おもしろい!!
キャスティングがフレッシュ。諏訪の姫君・由布を演じている柴本幸チャンが、すばらしいです!
感動のあまり関係のない書き出し。大河ドラマの話じゃありませんのよオホホ。
冠番組。
この業界用語が、いつごろから一般に流布しはじめたのかはわかりませんが、最近ではごく普通に使われています。
冠番組(かんむりばんぐみ)とは、司会者や出演者の名前、提供スポンサー、提供スポンサーの商品やサービスなどを番組名の一部にしたテレビ番組・ラジオ番組のこと。
一般的には「○○○(人物名)の×××(番組名)」とされる。お笑いタレントなどの芸能人は、冠番組を持つと一人前と言われる。また、大物芸能人の場合は、自身の冠番組の企画などに携わる事もある。(Wikipedeiaより)
推測するに、ここ数年の一大お笑いブームのなかで、誰が頭ひとつぬけだすかが世間の関心をあつめるようになってきて、そのひとつの目安として「冠番組を持つ」ことがこれまで以上にクローズアップされてきた、ということなのかもしれない。
そういえばとんねるずは、冠番組を持つのが早かったよなあ・・・(テレビに限る)。
とんねるずの最初の冠番組は、1985年7月から日本テレビ系で放送された「コラ~ッ!とんねるず」および「とんねるずの子供は寝なさい!?」です。
当時、なんと、タカさん23才、ノリさん22才!
初のゴールデンタイムの冠番組は、1988年10月から始まった「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ)。タカさん27才、ノリさん26才でした。
ちなみに、オリエンタルラジオの初冠番組は2006年10月スタートの「オビラジR」(TBS)。ゴールデンタイムの冠番組は2007年1月ゴールデン昇格スタートの「オリキュン」(フジテレビ 深夜枠では06年10月放送開始)で、あっちゃん24才、慎吾くん23才での冠獲得。
ゴールデン進出最速記録は残念ながらオリラジに抜かれてしまいましたが、最初の冠番組はとんねるずの方が早かったのです。
「冠番組」が芸人さんにとって大きな価値を持っていることをあらためて知るにつれ、若き日のとんねるずがおかれていた状況についても、あらためて考えるようになりました。
なぜとんねるずは「孤高」だったのか。
「コラとん」でも、「おかげです」でも、他の芸人さんと共演することがほとんどなかったのは、なぜなのか。
ひょっとしたら、「共演しなかった」だけでなく、「共演できなかった」のかも!?
なぜなら、後輩の冠番組に先輩芸人が出演するということは、どうやら業界ではありうべからざることらしいから。
最近でこそ、それほどこだわりがなくなっているようですが(というか、こだわってたら仕事ができないくらいお笑い界は群雄割拠状態)、それでも、先輩芸人が出演するとき、主演の後輩芸人が恐縮しまくっている様子を時々目にします。いわんや、20年前をや。
お笑いが好き。バラエティが好き。演芸人が好き。それがとんねるずです。
でも、彼らはみずからの冠番組では「孤高」でいることを選んだ。そして、芸人以外の歌手、アイドル、俳優、スポーツ選手たちを共演させる道を選んだ。
あるいは、選ばざるをえなかったのではなかろうか?あまりにも、あまりにも若くして栄光をつかんだ代償として・・・。
結果的には、それが笑いの新境地を開いたし、アイドルや俳優といった畑違いのタレントのみなさんにも、新しい道を開いたと言えるでしょう。おそらくとんねるずにとっても、結果的にはその方がやりやすかったんじゃないかと思う。
たとえば、あこがれの伊東四朗さんがコントにゲスト出演した時、とんねるずは尊敬と緊張のあまりほとんど後ろにひっこんで、伊東さんを立てることに懸命になっていました。
対照的に、井上陽水氏が出演したコントでは、大御所を大御所とも思わない傍若無人ぶりで、あの陽水の頭をスリッパでパシパシ殴っていた(もちろんリスペクトはしながら)。
つまり、先輩芸人への敬意が強すぎて、とんねるずらしさを発揮できないという弊害もあったわけです。
しかし、それでも、やっぱりとんねるずは、いろんな先輩芸人に仲良くしてもらいたかったんじゃないかしら。いっしょに笑いを作りたかったんじゃないかしら。
そう感じるのは、「おかげでした」での若手芸人たちとの絡みを見るからです。
緊張感は多少あるけれども、「おかげでした」に出る若手のみなさん、実に生き生きとリラックスしています。
また、とんねるずも、若手と遊んで、時には若手を立て、時には若手のギャグをパクって(笑)いかにも楽しそう。
「うたばん」でも同じです。時々、有象無象としか言いようのない超若手芸人たちが大挙して出演しています。彼らにとって、とんねるず石橋貴明はまさに雲の上の人でしょう。でも、彼らにそそがれるタカさんの視線はあたたかい。おもしろい芸には素直に笑い、すぐマネしたりもする。
とんねるずは、みずから若い時代にあじわった苦い経験を、若手にくりかえさせたくないと思っているのかもしれません。もちろん、若手のフレッシュな感覚を盗んでいるのかもしれないしね(笑)。
若く、あまりにも若く「冠」を戴いたとんねるずだからこその、厳しさとやさしさ・・・なんでしょうね。
キャスティングがフレッシュ。諏訪の姫君・由布を演じている柴本幸チャンが、すばらしいです!
感動のあまり関係のない書き出し。大河ドラマの話じゃありませんのよオホホ。
冠番組。
この業界用語が、いつごろから一般に流布しはじめたのかはわかりませんが、最近ではごく普通に使われています。
冠番組(かんむりばんぐみ)とは、司会者や出演者の名前、提供スポンサー、提供スポンサーの商品やサービスなどを番組名の一部にしたテレビ番組・ラジオ番組のこと。
一般的には「○○○(人物名)の×××(番組名)」とされる。お笑いタレントなどの芸能人は、冠番組を持つと一人前と言われる。また、大物芸能人の場合は、自身の冠番組の企画などに携わる事もある。(Wikipedeiaより)
推測するに、ここ数年の一大お笑いブームのなかで、誰が頭ひとつぬけだすかが世間の関心をあつめるようになってきて、そのひとつの目安として「冠番組を持つ」ことがこれまで以上にクローズアップされてきた、ということなのかもしれない。
そういえばとんねるずは、冠番組を持つのが早かったよなあ・・・(テレビに限る)。
とんねるずの最初の冠番組は、1985年7月から日本テレビ系で放送された「コラ~ッ!とんねるず」および「とんねるずの子供は寝なさい!?」です。
当時、なんと、タカさん23才、ノリさん22才!
初のゴールデンタイムの冠番組は、1988年10月から始まった「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ)。タカさん27才、ノリさん26才でした。
ちなみに、オリエンタルラジオの初冠番組は2006年10月スタートの「オビラジR」(TBS)。ゴールデンタイムの冠番組は2007年1月ゴールデン昇格スタートの「オリキュン」(フジテレビ 深夜枠では06年10月放送開始)で、あっちゃん24才、慎吾くん23才での冠獲得。
ゴールデン進出最速記録は残念ながらオリラジに抜かれてしまいましたが、最初の冠番組はとんねるずの方が早かったのです。
「冠番組」が芸人さんにとって大きな価値を持っていることをあらためて知るにつれ、若き日のとんねるずがおかれていた状況についても、あらためて考えるようになりました。
なぜとんねるずは「孤高」だったのか。
「コラとん」でも、「おかげです」でも、他の芸人さんと共演することがほとんどなかったのは、なぜなのか。
ひょっとしたら、「共演しなかった」だけでなく、「共演できなかった」のかも!?
なぜなら、後輩の冠番組に先輩芸人が出演するということは、どうやら業界ではありうべからざることらしいから。
最近でこそ、それほどこだわりがなくなっているようですが(というか、こだわってたら仕事ができないくらいお笑い界は群雄割拠状態)、それでも、先輩芸人が出演するとき、主演の後輩芸人が恐縮しまくっている様子を時々目にします。いわんや、20年前をや。
お笑いが好き。バラエティが好き。演芸人が好き。それがとんねるずです。
でも、彼らはみずからの冠番組では「孤高」でいることを選んだ。そして、芸人以外の歌手、アイドル、俳優、スポーツ選手たちを共演させる道を選んだ。
あるいは、選ばざるをえなかったのではなかろうか?あまりにも、あまりにも若くして栄光をつかんだ代償として・・・。
結果的には、それが笑いの新境地を開いたし、アイドルや俳優といった畑違いのタレントのみなさんにも、新しい道を開いたと言えるでしょう。おそらくとんねるずにとっても、結果的にはその方がやりやすかったんじゃないかと思う。
たとえば、あこがれの伊東四朗さんがコントにゲスト出演した時、とんねるずは尊敬と緊張のあまりほとんど後ろにひっこんで、伊東さんを立てることに懸命になっていました。
対照的に、井上陽水氏が出演したコントでは、大御所を大御所とも思わない傍若無人ぶりで、あの陽水の頭をスリッパでパシパシ殴っていた(もちろんリスペクトはしながら)。
つまり、先輩芸人への敬意が強すぎて、とんねるずらしさを発揮できないという弊害もあったわけです。
しかし、それでも、やっぱりとんねるずは、いろんな先輩芸人に仲良くしてもらいたかったんじゃないかしら。いっしょに笑いを作りたかったんじゃないかしら。
そう感じるのは、「おかげでした」での若手芸人たちとの絡みを見るからです。
緊張感は多少あるけれども、「おかげでした」に出る若手のみなさん、実に生き生きとリラックスしています。
また、とんねるずも、若手と遊んで、時には若手を立て、時には若手のギャグをパクって(笑)いかにも楽しそう。
「うたばん」でも同じです。時々、有象無象としか言いようのない超若手芸人たちが大挙して出演しています。彼らにとって、とんねるず石橋貴明はまさに雲の上の人でしょう。でも、彼らにそそがれるタカさんの視線はあたたかい。おもしろい芸には素直に笑い、すぐマネしたりもする。
とんねるずは、みずから若い時代にあじわった苦い経験を、若手にくりかえさせたくないと思っているのかもしれません。もちろん、若手のフレッシュな感覚を盗んでいるのかもしれないしね(笑)。
若く、あまりにも若く「冠」を戴いたとんねるずだからこその、厳しさとやさしさ・・・なんでしょうね。
いやね、ナイナイがよく言ってます。
「さんまさん、死んでもらえませんか」って。
だって、ナイナイを若手と言ってますが30代後半。
今、横綱クラスはタモリ62歳を筆頭に50代が中心。
とんねるずってそのスキマ産業で
意外に同世代っていなくて。
欽ちゃんでもなく、大阪でもない笑い。
一番近い世代の横綱ってダウンタウンですものね。
けっこう前後が空白地帯。
で、ぐぐっと世代をおろして
気の毒なことに30過ぎて冠番組もなく
若手と呼ばれる今の人たち。
笑いの過密世代と私は名づけます(笑)
でも、やはり「オリジナル性」の高い人だけが
残っているのでしょうね。
とんねるずを真似た若手もいっぱい出ましたが
誰一人残っていない。
やはり生き残れるのは技術力なんですかね。
(スレ違った?)
>現代社会の縮図がお笑い界と。
たしかに、大御所と呼ばれる人達がバリバリ現役ですからね~
それが原因なのか他にも理由があるのか、いまの若手には「トップとったる!」という野心に燃える人があまりいない気がしますね。
おぎやはぎなんて「NO.2でいたい」を公言してますしね。
サクセスとか売れることだけがいいことじゃない、っていう考え方が観る側にもあるんじゃないかなーと思ったり。
たけしの特番をやっててビートきよしも登場し、
これまでの功績、軌跡をたどってましたが、
「だって視聴率下がらないんだもん」なんて
ひな壇芸人が聞いたらぶっ倒れるようなお答え(^_^;)
所さんも「引退してとか言う前にお前らが抜けよ!」
(さんまさん「そういうあなたも結構抜かれてるで?」)ってな会話があったりして。
とんねるずは確かに孤高の芸人って気がしますよ。
周りがそういう空気にしちゃったんでしょうけど、それが当時は当たり前で、爆笑はその両方(今の芸人はやたら仲がいいらしい)を経験して「驚いた!」と言ってましたもん。
昔は共演しても絶対口きいたりしなかったらしいです。
…ってまた何言ってるんだかわかんなくなってきました。お邪魔しました~
うっわ~これ言われちゃったら、もう何も言い返せませんね^^;
とんねるずの時代も上には大物芸人たちがひしめいていたわけだし、そんな中でもとんねるずが独自の地位を築いたのは、彼らの「トップになったる」という気持ちが強かったからだと思うんですよね。
爆笑問題の感想、興味深いですね~生き馬の目をぬく・・みたいな雰囲気は、もう古いのでしょうね、たぶん。
個人的には、それでいいような気もするんですよね。何も普段から敵同士になることないじゃん、って思う。
見ていて「ダメかいいかわかるから、まだ俺は大丈夫ってわかるんだよね。結構ベタなの、好きだよ」
なんつって…。
若手の笑いに何も感じなくなったら×って自己基準があるらしいです。
とんねるず(タカさん)は真正面から視聴率にこだわってましたよね。
まさか今のオリラジが自分の番組の視聴率を自ら言ってどうこうって…それはしないでしょ?きっと。
そういう潔さもとんねるず的だな~と思います。
(野猿のときもオリコン順位にすっごいこだわってた)
そうですね。そうすることで、自分にプレッシャーかけたり、自分達がやってることに責任感を感じたり、レベルを高めようと努力したりしてたんじゃないかなあ。
数字にこだわる割には、稼ぐぜ的ないやしさを感じないのが、とんねるずでしたね。
とんねるずの子供は寝なさい!?
はゴールデンでしたよ。
だからオリラジには抜かれてません。
ロンブーも冠持つの早かった記憶がありましたが、22、23才ってのは驚異的な早さですね。
過去記事にコメントありがとうございます。
>とんねるずの子供は寝なさい!?
はゴールデンでしたよ。
あっそうだったんですね。
この番組はなぜか見てないので・・・情報をありがとうございます。
あれよあれよと言う間に売れた、って感じでしたよね・・・すごかったです。
なんかすいません。子供は寝なさいについて調べてたらたどり着きました。
中1か、小6くらいで確か七時から30分番組だったと記憶してました。とんねるずの冠ではないですが、爆笑ドットスタジオが初のゴールデンレギュラーだったような・・・テレビ朝日ですね。
僕はどちらちかと言うとダウンタウン信者なんですが、お笑いファンとして世代的にとんねるずは避けて通れない道でした。
おかげです以前のとんねるずが好きでしたね(^-^;
ブログはどうしても古い記事がうもれてしまうので、こうして発掘していただけるのはありがたいです。
仰る通り、とんねるずの初レギュラーは「爆笑ドットスタジオ」ですね。
Hさん、すばらしい記憶力ですね!
このことはタカさん自身も番組で話してたことがあります。
当ブログの09年の記事です。ご参考までに。
http://blog.goo.ne.jp/eyan_fire/e/fa5e7312c7a27df555d7893b1f3b09d8
ダウンタウンはわたしも普通に見てましたよ。
というか、ダウンタウンvsとんねるずっていう対決図式があることすら長い間知らなくて。
DTは、関西ローカルの「4時ですよーだ」や「ダウンタウンの素」とか好きでした。
いちばん好きだったのは「夢であえたら」かな~
この番組のおもしろさは、いま見てもまったく色褪せないですね。