私がわがままだった頃って…いつかな?と思い起こします。
「親の心子知らず」と申しますが
親は児のいく末を案じて「あれや、これや」と意見をします。
しかし、子どもは自分のことはよく理解しているものです。
というより、純粋に世の中を見ているところがあり、
正義感や優しさ、駆け引きしない無思慮な傾向があります。
大人になると、護らなければならない家族や社会的地位など、意と反した思いと裏腹な言動や行為をします。
児はそれを見て強い嫌悪感を抱くのはあたりまえのことでしょう。
私もかって、父の言動に腹が立ち「父の考え方は間違いだ」と大声で父を諫めたことがありました。
父は物を投げつけ、私に対してあらわに
「子どもにくせに、世の中のことをなにも知らないのに生意気を言うな」と説教されたことが度々でした。
小学三年生から中高生にかけでした。
実は、大人になり、親になった今でも納得いきませんが。
政治だから親だから…仕方がない なんて。
先人として生きる人たちは「正直で、真心を込めるべきなのです」
なんて、私は父にとっては難しい娘であったようです。
私が高校生まで過ごした家、そして離れです。
懐かしくこの間写真を撮りました。


一人寝起きしたお部屋です。懐かしいな。

親も児もこのようにして、今まで培った観念という「魔物」を退治していきます。
子育てはそのようなことの繰り返しなのです。
そして互いが純粋な円満な意識に気がついていくのです。
児を叱る前に、私たちは正さなければいけないことがあるのでは…。
児は「わがまま」でいいのです。
その行為を親や大人達がどのように受け止め、
児に対して、諭し自らもより良く生きる糧とするかではないでしょうか。
あなたは、今、どう生きていますか。
「親の心子知らず」と申しますが
親は児のいく末を案じて「あれや、これや」と意見をします。
しかし、子どもは自分のことはよく理解しているものです。
というより、純粋に世の中を見ているところがあり、
正義感や優しさ、駆け引きしない無思慮な傾向があります。
大人になると、護らなければならない家族や社会的地位など、意と反した思いと裏腹な言動や行為をします。
児はそれを見て強い嫌悪感を抱くのはあたりまえのことでしょう。
私もかって、父の言動に腹が立ち「父の考え方は間違いだ」と大声で父を諫めたことがありました。
父は物を投げつけ、私に対してあらわに
「子どもにくせに、世の中のことをなにも知らないのに生意気を言うな」と説教されたことが度々でした。
小学三年生から中高生にかけでした。
実は、大人になり、親になった今でも納得いきませんが。
政治だから親だから…仕方がない なんて。
先人として生きる人たちは「正直で、真心を込めるべきなのです」
なんて、私は父にとっては難しい娘であったようです。
私が高校生まで過ごした家、そして離れです。
懐かしくこの間写真を撮りました。


一人寝起きしたお部屋です。懐かしいな。

親も児もこのようにして、今まで培った観念という「魔物」を退治していきます。
子育てはそのようなことの繰り返しなのです。
そして互いが純粋な円満な意識に気がついていくのです。
児を叱る前に、私たちは正さなければいけないことがあるのでは…。
児は「わがまま」でいいのです。
その行為を親や大人達がどのように受け止め、
児に対して、諭し自らもより良く生きる糧とするかではないでしょうか。
あなたは、今、どう生きていますか。