~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

篠山のヨーガ始まる

2016-02-26 11:49:12 | Saranyaのひとり言

ささゆりの花は篠山の市花{花言葉:清浄、上品}

 

篠山市で本日から「ヨーガクラス」「ささゆりの集い」と名付けました。

私は百合の花が大好きです。可憐です。特にてっぽう百合が好きですね。

花言葉:純潔、威厳

この頃はゴージャスなカサブランカも結構好きです。一本で存在感が在りお部屋を華やかにしてくれます。

花言葉:永遠の絆  結合  祝福 壮大な美しさ

 

クラスは午前と午後に分けることにしました。

午前は子連れのママが対象。インフルエンザの流行でキャンセルいっぱい…でも小数もいいですね。

じっくり、ゆっくりご一緒できるからね。

午後は子連れはお断りです。熟女の皆さんが六名集まってくださいました。

熟女の皆さんには、子育ても一段落してご自分の理想を見つけて欲しいと願っています。

我が友、「真実を求めて」より体と呼吸と心P162~165をお話ししました。

京都のマハーヨーギー・ヨーガ・ミッション 

ヨーガの効果です。

心と体はとても密接な関係にあります。

心が乱れれば、必ず無意識に脳の神経系に影響が伝わり、自律神経系や内分泌系に支障が現れます。

そして免疫力も低下させます。情報でもお聞きのことと思います。

しかし、自分の体で感じ取ることが大事なのです。微細な私にしていきましょうと呼びかけました。

微細だけれど神経質とは全く違うことも話しました。

心にスイッチが入ると自然に脳内神経系に伝わり、個々の習慣性で培われた価値観、観念により

神経系は作動するかしないかは個々により、「感じ方が違うのです」だからストレスと感じる人も入れば、感じない人もいるのです。

体に現れる症状も違ってきます。

それが病の始まりです。

P164の図を見てもらいながら、アーサナ(体位法)このチャクラを刺激します。

※チャクラ:プラーナのセンターであり七つあります。体の中にあるツボのようなものです。呼吸機能、消化機能、排泄機能など命の守り維持している生理的な働きのセンターです。

アーサナのポーズはすべてのチャクラに自動的に集中され、この部位の神経作用が活性化されます。

そのことは本来持っている自然治癒力が高まり健康になるのです。

ですから、柔軟でなければヨーガはできない考え方はなりたちません。

そして継続する中で、呼吸は長く穏やかに吐けるようになります。すると心は静まり本当に在ると言われる「真の自己」を感じるようになります。長い時がかかりますが一番安心を獲得する方法としては確かで近道だと確信しています。

ただ、皆さんに重荷を下ろし、心を軽やかにして楽しく健やかに暮らして欲しいと願うのです。

そんな思いで篠山のヨーガクラスを始めました。

「この指とまれ~幸せになりませんか」

 ヨーガに興味がある方々へ、何処へでも、いつでもご希望が在ればご訪問しますよ。

 


私のものは何もない。それも幸せ。

2016-02-25 08:11:12 | Saranyaのひとり言

我が家、啓翁桜が咲き始めました。皆さんお元気でいらっしゃいますか。

もう二月も終わりですね。

三月は「いるかくらぶ」そして「いるかこもれび助産院」と皆様とご一緒させていただいた幸せな空間がなくなります。

長かったような、あっという間のようにも感じています。

この活動があったから、乳癌も何気なく過ごして来られたのでしょうね。

今を感じることができるこの余裕も、過去の皆さんからいただいたお心を深層に温かく溜めてこれらた結果でしょう。

幸せとは、日々の積み重ね、そして何一つ自分自身が作り上げたものではないこと。

皆さんのお心と無限の力(神)を感じるのです。

何一つ、私のものは存在しません。

在るというなら、それは「愛」という皆さんからいただいたプラーナ(波動)です。

皆様とともに過ごせたこの刹那、空間は神が与えてくれたものだと感じています。

残りの命は神とともにいられますようにと祈りながら過ごしています。

このソファーに座り、外を眺めながら本を読む生活も有り難い。

 そとは春の支度が始まっています。

シャクヤクの花

らっぱ水仙

紅梅

丹波より皆様へ朝のご挨拶でした。 

 


懐かしいことがありました

2016-02-24 21:25:26 | Saranyaのひとり言

ここ最近は、月10日間は実家におります。

私は母とたわいもない話をしながら過ごす時間は私を育てくれたように母とともに過ごしているやなと感じるこの頃です。

離れのリホームを考えていますので、片付けを毎日行ない。新たな発見をしています。

昔の物が出てくるのが楽しみになりました。

今日は、母から聞いたお祝いの習慣について書いてみました。

お祝い事には必ず「のしと真綿」を持参したそうです。このような物がお掃除していて出てきました。

 

真綿を知らない人が多いと思いますが、嫁いだ頃、姑に教えられてお布団を自宅でつくっていました。

その時、確かに最後に綿を真綿でくるむように包み込みます。

昔はお布団も古くなると綿を打ち直し自宅でお布団を作ったものでした。

懐かしい思い出です。近代的なものや便利なものがすべてではないなと感じる一日でした。

使い捨ての時代はそろそろ見直した方がいいのではないでしょうか。

母(93歳)も懐かしそうに語り始め、顔色まで良くなりウキウキして楽しそうでした。

生きるって、難しいことじゃないよね。

些細なことに喜び、物を大切にし、シンプルな中に豊かさを見いだし生きることが大事だなって感じています。

有り難い一日でした。

もう一つ、嬉しい出来事。

農業体験を行なう農家さんから、パッチワークでパソコン入れを作っていただきました。

可愛いのでとてもお気に入りです。

 

 


純粋な心

2016-02-22 00:10:19 | Saranyaのひとり言

なかむら産家医院にて、助産師さんや保育士さんたちと、心や命について、そして愛と慈悲について話し合いました。

私が今回感じたこと。

どのような職業でも、その職業を全うする働き手である私やあなた、そう…その人の心根が真実に向かっていることが大事。そして純粋であること。それをサットヴァと言います。私たちは、サットヴァな状態で各々の職業を全うすることが大事なのです。

愛着行為が子どもたちの心を護り、子どもたちは自らを律し立つのです。愛着行為が大切なのだと学ばれるでしょう。では、愛着行為をどのようにママたちが育めばいいのか。仕事としてママたちと共にいるのか?それとも。ママが子育てを安心として実践できるように寄り添うには支援者自身が安心していないと寄り添うことはできないのでは。

支援者は、まず、慈悲深いことが大事です。そしてサットヴァに向かう日々の努力が必要です。自ずとママたちは安心という雰囲気の中から、理屈だけではなく、魂で安心を感じられるでしょう。

 

師のつく職業の皆さんへ                                                 

自らをサットヴァな状態にしていきませんか。今回の訪問で、さらに努力をしょうと再認識しました。

ある助産師さんは、お産の際に命と向き合い、その瞬間に赤ちゃんは誰がつくるのか?精密なこの身体は何処から来たのかと、神さまの存在を感じたことがあると答えられました。

ヨーガ体操がヨーガのすべてではなく、このように生活の中にこそヨーガの智慧が大事だと話しあえた今日の会は少し延長しましたが無事終了しました。

その後、助産師さんたちと京都のマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションから、北九州で月一回生涯学習センターで行なわれている「ヨーガクラス」に18時30分~21時30分までご一緒しました。集中した静寂な空間は8人の参加者の心を清らかにしました。

今日は「なかむら産家医院」の皆さんとヨーガ三昧の一日でした。

なかむら産家医院の皆さんありがとうございました。

(下記はなかむらの皆様と講座を楽しんだお部屋です)

 

そして受付、多目的ホールへ(診療が始まる前のなかむらです)

 


無一物は心に何もないこと。

2016-02-18 08:23:08 | Saranyaのひとり言

本来無一物とは読んで字のごとく、本来深く心に一物も無い、空っぽ、何ものにもとらわれない。

本来の心、仏陀はもとより塵や埃はないではないか。

仏陀のお話に

ラージャガハの町に兄のマハー・パンタカと弟のチュッラ・パンタカ兄弟が住んでいました。

兄はたいそう賢く、仏陀の弟子になりましたが弟はとても苦手なことがありました。

暗記することが大の苦手でした。誰もが知っている短い教えの詩を覚えたいと思っていましたが

一行を覚え二行目にかかると前の行を思い出すことが出来ませんでした。

兄は弟に弟子は諦め家に帰るように伝えますが弟は仏陀を敬う気持ちは強く、帰ることは辛かったのです。

泣きながら歩いていると仏陀が訳を尋ねられました。事情を話しました。

「パンタカよ、泣くことはない。誰にも苦手なことはあるのだよ。反対に誰にでも得意なことがあるもんだ。パンタカは何が得意かね」

「はい、わたしは掃除が好きです」

仏陀から渡された白い布で壁を磨き始めました。

「ちりをはらい。ちりをはらい…」わきめもふらず磨きました。

以前は自信のない声で教えを暗記していましたが、今は「ちりをはらい。ちりをはらい…」の声はろうろうと流れていました。

兄は思わず、弟の行為と声に合掌をしました。そしてちりは煩悩と悟りましたとさ…。


何事にもとらわれない心がなにより大切です

そして難しい知識を得とくすることも大事ですが、

もっと大事なことは日常生活で丁寧にお掃除をして家族が気持ちよく過ごせるように努めることこそが仏の心境ではないでしょうか。

ですから無一物の境地は、無限に広がる世界であり、限りないものがあり、心は純粋で透明で快活なものです。

そのままが「無一物中、無尽蔵」の世界なのだそうです。

 

私たちは日々の暮らしの中で不安になったり、その不安が怒りに変化したり、

心はいつも何かを掴み右往左往しています。そんな心の状態を知らないで心に振り回されています。

静かになると気がつきかけるのですが、かえって静かな状態を心は嫌がります。

だから、動くことで安心が得られると錯覚します。そんな覚えが在りませんか?

気がつけば、身体はだるく胃腸障害や風邪を引きやすい体になっています。

その根本原因は心です。

育児に忙しい皆さんへ…深呼吸をしてひと息ついて、ことを始めましょう。

きっと、軽やかな境地を味あうことができます。