赤ちゃんはお母さんが育ててね!!!
私は22歳で結婚しました。そして、翌年の10月に長女が誕生しました。
長男の家に嫁ぎ、出産後は実家に帰らず、母(姑)に2週間ほど世話をしてもらう予定でした。
しかし、実際は母が娘の面倒見ることが多くて、ご飯の用意は私も手伝うことが多い日々でした。
こんなはずじゃないという思いから悲しさや悔しさでいっぱいになる日が多くなり、
おっぱいも足りないように思いました。
しかし、おっぱいだけが私が抱ける時間だったので、おっぱいを出すことに必死でした。
そんな状態で、娘との関わりは上手くいくはずはありません。
お風呂も母が、孫たち全員を沐浴したという自信から、
沐浴は母が何よりも優先して行い、
私がお風呂へ入れることは、3歳くらいまでありませんでした。
きっと、楽でいいやンねと言われるかも分かりませんね。
私の「お風呂へ入れたい」という思いは無い物ねだりかも分かりません!
しかし、当時は「私の子なのに、何故思うようにできないの???」と、
気が狂いそうなほど辛かったように思います。
母は間違ったことをしたわけでもないので、怒るわけにもいかず、
何も聞き入れてくれない夫もいましたし、耐えるしかない時期でした。
そのことが娘に大きな影響を与えていたことは後に知ることになりました。
母として、強くなるべきでした。
優柔不断な母でしたね。抱きたければ抱っこすればよかったのです。
しかし、ある側面から見れば、確かに子育ては手伝っていただけて、助かったことは確かです。
私も以前に、産婦人科に勤めていた経験から
赤ちゃんの沐浴に関しては自信があったにもかかわらず、させてもらえないもどかしさがつのったのでしょうね。
素直に、私も沐浴したと言えばいいことですね。
きっと、母は快くさせてくれたことでしょう。
結局は、大人達の心の狭間で、しんどい思いをしているのは、子どもだったということです。
夫婦の、ちょっとした口げんかも同じです。
素直になってください。そして、何故、今、この思いから行為したいのか考えてください。
子の目を見て考えてください・・・・・。
素直は、正直にもつながります。
しかし、わがままではありませんので、自分の心を観ながら行為してください。
私の様な悲しい思いにならないために!!!
心は自分自身で変えることができます。
私は22歳で結婚しました。そして、翌年の10月に長女が誕生しました。
長男の家に嫁ぎ、出産後は実家に帰らず、母(姑)に2週間ほど世話をしてもらう予定でした。
しかし、実際は母が娘の面倒見ることが多くて、ご飯の用意は私も手伝うことが多い日々でした。
こんなはずじゃないという思いから悲しさや悔しさでいっぱいになる日が多くなり、
おっぱいも足りないように思いました。
しかし、おっぱいだけが私が抱ける時間だったので、おっぱいを出すことに必死でした。
そんな状態で、娘との関わりは上手くいくはずはありません。
お風呂も母が、孫たち全員を沐浴したという自信から、
沐浴は母が何よりも優先して行い、
私がお風呂へ入れることは、3歳くらいまでありませんでした。
きっと、楽でいいやンねと言われるかも分かりませんね。
私の「お風呂へ入れたい」という思いは無い物ねだりかも分かりません!
しかし、当時は「私の子なのに、何故思うようにできないの???」と、
気が狂いそうなほど辛かったように思います。
母は間違ったことをしたわけでもないので、怒るわけにもいかず、
何も聞き入れてくれない夫もいましたし、耐えるしかない時期でした。
そのことが娘に大きな影響を与えていたことは後に知ることになりました。
母として、強くなるべきでした。
優柔不断な母でしたね。抱きたければ抱っこすればよかったのです。
しかし、ある側面から見れば、確かに子育ては手伝っていただけて、助かったことは確かです。
私も以前に、産婦人科に勤めていた経験から
赤ちゃんの沐浴に関しては自信があったにもかかわらず、させてもらえないもどかしさがつのったのでしょうね。
素直に、私も沐浴したと言えばいいことですね。
きっと、母は快くさせてくれたことでしょう。
結局は、大人達の心の狭間で、しんどい思いをしているのは、子どもだったということです。
夫婦の、ちょっとした口げんかも同じです。
素直になってください。そして、何故、今、この思いから行為したいのか考えてください。
子の目を見て考えてください・・・・・。
素直は、正直にもつながります。
しかし、わがままではありませんので、自分の心を観ながら行為してください。
私の様な悲しい思いにならないために!!!
心は自分自身で変えることができます。