~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

外見の人から真の人へ

2016-06-29 22:16:20 | Saranyaのひとり言

私たちは「喜怒哀楽」に一喜一憂します。感情的な喜びが幸せだと勘違いします。

感動がなければ、感情が豊かではないと思い込んでいませんか。

真の人と外見の人のことをどのように思いますか?

外見の人が多いように感じています。それは、自分を良く見られたい、良い評価が欲しい、駄目だと言われたくないと外にばからり心が向かっているから生じます。故に、子育ては肯定感だけでは上手くいきません。真の人になることが大事なのです。

日々の実践、実践できるようにサポートできるスタッフが必要です。スタッフ自身が実践法を訓練し自らを高めていることです。何故なら、子育てについて、どれだけの知識や方法を知っていたとしても、行動に移せて実践できなければ、何の意味もありません。習慣で身についた癖を改善するには、身体を使い行動していく。その繰り返しが心の方向性を変えます。その時、心は変容していきます。思いが変わるだけでも行為や言葉遣いは変わります。ひとりの思いが変わればその周囲も確実に変わります。それが家族であったり、サークルであったりします。

子育て支援活動はサポーターが実践できているかが大事なのです。サポーター自らも下記三つの日々の訓練を行ない体得します。

① 心身を常に快適に調えること。

日々の食事を丁寧に作り楽しく食べる。アーサナや瞑想を習慣にする。何より大事なのは良い思いで心を満たすこと。良い思いを学び合わなければなりません。普遍的な教え真理を指します。時折、心が方向性を間違えかけると深呼吸をするようにします。悪しき習慣から脱出するのです。

② 目の前のことに集中すること。

 

心に不平不満を持たない、家事、子育ては義務と思い愚痴を言わず行為する。結果に執着しない。淡々と黙々と働きます。

③ 他者との調和を大切にすること。

 

調和を乱す自己主張をしない。他者からの言動を受け取らないように心がけると心は乱れない。人と比べない。評価しない。口は災いのもと、愚痴不平不満を言わない、聞かない。

以上に気をつけて実践しますと、どのような状態でも「強さ」が身につきます。優しさも愛の深さも強さが伴わないものは崩れやすいものです。それが外見の人です。

 

 

 

 

 


群れて育ち合う子育て広場 Ⅱ

2016-06-25 08:30:01 | Saranyaのひとり言

群れるためには調和が大事になります。自己主張が過ぎると友と上手くいきません。

そしてえこひいきをしてしまう結果になります。確かに馬の合う人と合わない人がいます。それも、実はあたなの経験から作り上げた結果であり、観念です。俗に言う「性格」です。皆と調和していくには、その観念、性格を消去することです。

人は自分が正しいと勘違いをして過ごしています。

心のことを理解していくことがなにより大事なのです。

ブロック遊びを見守る大人の心が平等感がないと「好き、嫌い」で無意識に判断してしまいます。それでは純粋で感受性豊かな子どもたちは大人たちの些細な仕草に傷つき、内面に闇を落とします。

心の貧しいことも幸いなのです。心は本当の愛を知っているからです。

気をつけなければいけないのは大人たちです。

群れて育ち合う居場所は純粋で清らかな場所でありたいと心がけています。

子どもたちもママたちも自然にそのプラーナにとけ込むことでしょう 。そして安心を自らが感じます。(すでに内側に存在するから)


群れて育ち合う子育て広場

2016-06-24 00:16:25 | Saranyaのひとり言

群れて育ち合う広場はとても大切な居場所になることでしょう。

(この写真の子は中学三年生受験…頑張っている。この頃は小学三年生、赤ちゃんを抱くのが上手でした。この子は「いるかくらぶ」で群れて育ちました。群れて育ち合うといい子になります。私が幼い頃、里芋を竹ざるに入れ小川で揺すりながら洗いました。そこに小さめの石を入れると皮が剝けやすくなりました。人も同じです。多くの人と切磋琢磨していくと角が取れ我がままが無くなり善い人になるのです)

しかし、ただ遊ばせるだけではあまり意味がないように感じます。特にイベントは意味がないと思えます。確かに、気分転換にはなるでしょう。母も高揚し一瞬ですが楽しくなります。子育てというより、母の思い、考え方に原因があると感じています。母の心が変わることが大事です。

私たちはヨーガを学びます。

まずは体を動かし(アーサナ)体のだるさを取り除きます。スッキリしていきます。そして呼吸が整えば、自然に心も静まります。悩みの原因を自らが感じ、その原因を生活の中で正していく。この作業がない限り母子が健やかに過ごすことはできないのです。

誤魔化してはいけない。諦めてもいけない。徐々にですが必ず変われることを信じることです。

学びを深めていただければ実感します。

アーサナに集中できるようになり、呼吸が整えば、次は瞑想を日々行なうことです。

「ネーティ、ネーティ」「これではない、これではない」と。識別します。

本当の私は、肉体でもない、感覚器官でもない、知性でもなければエゴでもない、まして時折現れる苦しみや悩みは私ではない。それらを超越している存在であることを知ることになる。些細なことに気に留めず、本当の私について、深く考えなければならない。

この段階がかなり長くかかります。これまで経験した事柄は善きことにしろ、悪しきことにしろ記憶として深層に蓄積されています。それらは習慣となり、性格、観念、ものさし、色眼鏡といった諸々の心が、私だと勘違いをしているからです。その心に常に言い聞かせていく作業、スイッチが入らないように戒めていく作業が「識別瞑想」です。

大変そうですが、日々行なえば心は変容していき、軽やかで明るくなります。まずは実践してみましょう!!


心にしたがうとどうなる?

2016-06-22 06:42:00 | Saranyaのひとり言

皆様  おはようございます。

前回の「子を思う心は…本当に子のためか。」もお読みください。

そして下記を味わい日々、心に言い聞かせてみませんか。

以前、先輩グルバイ(ヨーガの友)からいただいた文章です。


祈りを習慣とする者は

容易にあらゆる困難に打ち勝つことができるでしょう。

そして また 人生の試練のただ中にあっても冷静沈着でいられるでしょう。

心に従うと混乱を招く

私たちがすべきことは、どんな時も ひたすら 真理に従うだけ。


子を思う心は…本当に子のためか。

2016-06-22 06:25:50 | Saranyaのひとり言

今晩は、強い雨、三年前の豪雨を思い出します。お変わりありませんでしょうか。

子が眠くて泣きじゃくっているのにおっぱいをあげようとしない。どうしたのと聞くと?一歳の子におっぱいは栄養がないので、おっぱいを辞めた方が良いと保健センターで言われたと、頑張るお母さん。お母さんも子をあやしながら、その言葉が気になり、おっぱいをあげられなかったという。母子にとって不幸なことだと思わずにはいられなかった。そんなこと思わず今はあげればいいよ。子は直ぐに安心をして眠りについた。

確かに、おっぱいをあげておけば、おとなしくなるので、直ぐにあげている光景を目にすることは、今、おっぱい?遊んで欲しいと言っているのに口を塞ぎ母の都合を子に強いている。母はママ友とおしゃべり。ああ、と感じる。

これらは、確かに正しく指導して欲しい気がするが保健センターの問題だけではない、母自身が子育てに対して自信が持てていないのだ。

何故?

産めば母親になれる訳ではない。三人の子持ちであろうが同じである。初めての子は母も子と向き合い方が分からず、右往左往しているが三人目ともなると慣れてくるので余裕がある。しかし、その子に正しく寄り添えているかということだ。慣れは分かったことではない、母の心の方向性が変わらない限り、子と正しく向き合うことはできない。

小さなことに母心は右往左往している時、子が欲しがる事柄を感じることはできない。三歳までは子が欲しがる事柄を与えれば良いのだ。与える側(母)の姿勢(心の状態)が大事なだけである。

では、どうすればいいのですか?と尋ねられるでしょう。

お釈迦様は正しく見よ、と言われた。正しく見る(正見)とはどういうことなのか。正しく真実を見ることだ。この世はすべて苦しみ(一切皆苦)と言われた。苦しみには必ず原因が存在する。原因は自らが作っていることを知る。(すべては自業自得である)その原因を理解し消滅させない限り、繰り返し苦しみは現れることになる。真実を理解し、心に言い聞かせ日々精進することである。これは子育てが特別ではない。すべての人にいえることである。

その事柄をどのように思い、語り、行為するかということに関して子育ては特別ではない。子育ては確かに不自由な状況が多い、故に心は乱れやすくなる、それが現実である。子育ては思いようにならないことを知ることである。

我が子は子自身の命を生きるために、目的を達成するために母を選び生まれたことを知ることである。

母の思いの押し売りは必要ない。子にとって迷惑なのである。

母は、我が子を大切に育てることにより、子を愛おしいと思えるようになる。その思いが深く子を思うことで真実の愛を知ることになる。そのことは母自らの命を感じることにつながるのである。子育ては母の生まれた目的を知ることにつながるのである。故に真剣に子と向き合うことが大事。三歳までは特に子自らが感情コントロールができない時期、その時こそ母の深い愛が必要なのだ。

世の中の仕事よりも大切が仕事(役割)なのだ。

お金のため、母自らの名誉のために働くことは大事ですか?

活動を通して、母子の幸せを願わずにはいられない。