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ばあちゃんのひとりごと

Mの質問

2018-12-11 06:26:42 | Saranyaのひとり言

Mは誰???インド人です。シュリー・ラーマクリシュナの福音「ラーマクリシュナの福音」の中で登場するMです。

マヘンドラ・ナート・グプタ氏、この人にこの頃、とても興味があります。

1882年に彼が初めてラーマクリシュナに会ったとき、彼はイーシュワラ・チャンドラ・ヴィディヤサーガル高等学校の校長であった。彼はラーマクリシュナが死去する1886年まで、ダクシネーシュワル・カーリー寺院に住む師を訪れ続け、2、3日宿泊することもあった。そして訪問後家に戻るたびに、自己の日記帳に師の教えと会話を書き留めた。 "Sri Ramakrishna Kathamrita" は、この日記帳を元に執筆されたものである。

パラマハンサ・ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』の "The Blissful Devotee and his Cosmic Romance" という章は、マヘーンドラナート・グプターに捧げられたものである。(HP引用)

彼は在家の人は放棄は難しいと言われていたことを思い出します。その思いがきっとクリシュナに下記の質問をされたのだと思われます。

彼がクリシュナに四つの質問をしました。

1)どのようにしたら心を神に集中できるか?

2)いかにして世間に暮らすべきか?

3)神を見ることができるか?

4)どのような状態に心の状態になると神を見ることができるか?

この答はその都度お知らせしますね。

彼は校長という重要なポジションに身を置きながら、信仰を深めていかれたことに感銘を受けました。皆さんは色々な職業に携わりながら、信仰を深めようと努力されていると思います。私もそのひとりです。いつも悩み、無理とがっかりしたり、諦めの境地に陥ることが多いです。その度に聖者の言葉をいただき頑張ろうと思うのです。揺るぎない信仰心を常に心に留めておくにはどうすればいいかを思います。皆さんには実践あるのみと伝えている私が悩み、苦しみ水の中に落ちてアップアップ助けを求めている状態です・・・。熱心さを取り戻しましょう(私も含めて)


実践は困難です!

2018-12-08 12:47:25 | Saranyaのひとり言

百も承知の助なんて声が聞こえてくるようです。しかし困難ですよね。

カルマという言葉を耳にすることがあります。カルマという言葉はマイナスイメージが強くあまりいい印象はありません。因縁とか言われたりしますものね。

ヨーガでは原因と結果、あるいは作用と反作用の理のことです。悪いことをすれば苦しむことになるし、善いことをすれば楽しく幸せな結果がやってきます。その果実を自らが受け取らなければならないという約束事のことです。これは宇宙的な約束事でもあるわけです。人間だけではなく、あらゆるものがこの原理に従っています。
種を蒔けばそこに実がなるように、良い環境で育てば良い実がなり、そうでなければ良くない実がなるように、そのカルマの法則というものを理解するならば、一口で言うと自業自得ということになります。良いことも悪いことも、すべてその原因は自分の中にある。また未来はその結果です。自分が蒔いた種に違いない。何事も他人のせいにしない、責任転嫁をしないことですね。誰もが楽しく幸せになりたいと生まれてきました。故に、良くありたい、幸せでありたい、自由でありたいと願っているはずです、ならば自らの行為をより良くしていくしかありません。理にかなった話です。何もしないでいても誰かが幸せにしてくれるわけではありません。やはり自分が努力をしていくことで、それに見合う結果がやって来るということになります。

子育ても今悩んでいることを分析してみましょう。何に困っているか?その困っていることはどうにかなることか?  例えば:二・三ヶ月ごろまでは寝不足になります。寝たい、では、寝ればいいのでは?子どもが寝てくれない。どうして???。そこで何故寝ないのか?原因を考える。そして解決していく。しかし、月齢(成長と発達)や子どもの持って生まれてきた性質により解決できない時があります。そんな時は時期を待ち諦めるしかありません。時期を待つためには忍耐が必要になります。

*諦めるとは:明らかにして時を待ち諦めるという意味です。


日常生活に注意!

2018-12-08 08:43:40 | Saranyaのひとり言

ヨーガという言葉は周知の事実ですが、本当のヨーガの意味は知られていません。

スポーツクラブで体操的に行われている健康ヨーガ、ダイエットヨーガなどがあります。それらにも効果がないわけでありません。肉体の循環を良好にし活性化されることで効果はありますが根本的な原因除去にはなりませんね。心身の不調和を生みだす原因は何かということに着目することにいたしましょう。

「あ〜あ、気持ちが良かった。ヨーガをするとリフレッシュになる。気持ちいいわ」と終了後は皆さん感じることですね。しかし、その気持ち良さが何日継続しますか???三日もすれば、体は重く、めんどくさい症候群が現れませんか。何故でしょうか?本当のヨーガはその疑問を解決してくれます。

心身の乱れは何故起こるか:不安や怒り・過労・睡眠不足・過食など生活習慣→神経系のバランスが乱れる・内分泌系の不調・免疫系の低下→各組織に影響を与える→遺伝的要素なども関係し消化器系・循環器系・泌尿器系・生殖器系など筋肉も含め個人的な病が現れます

これが肉体的に不調和の現れ方です。また精神的も同じです。

このことから心の動きの乱れる原因である「不安や怒り・過労・睡眠不足・過食など生活習慣」根本原因な訳です。

 私たちが実践しているヨーガは古典ヨーガの「ラージャ・ヨーガ」です。八つの支分で示されています。

ヤマとニヤマ(禁戒・勧戒)の十の項目は日々の生活にとても大事なものです。人が一日一日生活をしていくという行為そのものの中に間違いがないようにするための注意事項です。それがあってアーサナや瞑想というものが積み重ねられていくわけです。アーサナや瞑想は一日のうちに一時間ないし二時間ぐらいかもしれないけれど、ヤマ・ニヤマというのは起きている時間の中で実践されるべきものですから、時間的にも非常に大きな部分になります。そしてヤマ・ニヤマというのは、ねばならない、すべき事ではないということも学ばなければなりません。ですからヨーガの教えの「真理というもの」を学ぶことも日々の中で実践していきます。

最初に気付かされることは、「すべてのものが平等であり、尊いということです。」この世に存在する万物、すべてにおいて差別観をもってはいけない、すべての中に同じ尊い存在が在るということです。

○故に、暴力を与えてはいけないことになります。それは平等でなくなるからです。これは真理に反することです。

○盗まない、嘘をつかない、正直、素直である、貪らないなども真理というところから見ると、当然の行為のあり方です。

まず真理をもって理解をすることそして実践することは自らの心の制御がなされますし、また行為が正されていくと思います。(これが昨日の正命に当てはまります)実践を通して確実なものを獲得することになり、これこそが本当の修行というものになっていくと思います。単に頭の知的理解だけでなく、体を通して体得していくことが求められます。

そう聞いた・そのようなことが書いてありました・エライ先生から教えてもらった・・・と勘違いしないようにお願いします。自らが真理を学び・実践し・体得することです。自然に心は制御され本当の自分は現れます。

日々をお健やかにお過ごしくださいね。


なぜ悩むのか

2018-12-07 07:51:46 | Saranyaのひとり言

誰もの内側に本当の自分があるにもかかわらず、そのことに気付いていないのが私たちなのです。人生という経験の中でさまざまな苦労を背負い込んでいます。妊娠を喜び、子の誕生を待ち望んだ、しかし、育児は簡単ではなく、悩み、苦しみの原因となってしまいます。結局は自分が自分を分からないのかという大きな問題にぶち当たります。心が私という第一人称を名乗っているばっかりに、本当の自分を見えなくして邪魔をしているのは心なのです。手っ取り早く言えば、心を透明のようにすることができれば、その奥に在る本当の自分は自ら顕れてくると師は話されます。その邪魔をしている心の内容というのはさまざまな煩悩といわれるものであり、欲望であったり執着であったりする。そういった心の思い計らいをなくすこと大事です。つまり子に対して色々な母の心(思い)が子の心を無視して子の有り様を描きます。子は母の思いとは違うわけですから反応は皆さんが日頃感じておられるように泣きじゃくり、抱っこ抱っことせがみます。赤ちゃんはそのようなものと母の心は勘違いをします。そして育児は大変で私の自由は奪われると嘆くのです。根本的な原因は勘違いをしている心の内容というのは、さまざまな煩悩といわれるものであり、欲望であったり執着であったりします。育児を論じるよりも母のさまざまな心の思い計らいをなくすことが求められます。

それには本当の自分と心の関係を正しく学ぶこと、さらに具体的に、実際的に心の邪魔物をなくしていくための日常生活の中での手立てを行なわなければなりません。それが「道」といわれるものです。しかし「道」も言うほど簡単ではない。長年にわたって経験した記憶は深層心理の中に潜在印象として存在し、それらは執着として心に記憶として、その根の部分、種の部分までそっくりなくさなければいけないわけです。並大抵の努力では根こそぎなくすことはできません。その為に日々の生活、習慣を見直す余裕が必要になります。

求められるのは日々の真剣さと情熱。それによって学びと、それから、ヨーガにおいてはまず体を鍛え、呼吸を調え、そして心を静める――その中で間違った煩悩をなくしていくということになります。怒りっぽい性格であったり、何かに執着していたり、さまざまなものは日常の中で現れてきますから、そういう時こそがチャンスです。それはまた一日の間の一時間、二時間という時間内で行なえるものではなくて、二十四時間、全時間の体制を整えておくことです。どういう状況がやってこようとも、それに反応するのは心でしょう。だから心の様子を見るには日頃の、日常の出来事の中でその結果が見られるわけです。故に日々の生活習慣こそを見直し正しく観る心を調教することが求められます。

ヨーガというのはまさしく自らの本当の自分を復活させるための一大事業でもあるわけです。その一コマが子育て育児にすぎません。しかし、思うようにならない状況こそがチャンスなのです。真剣に心と戦ってみてください。

正しく観る(正見)(正思)(正語)(正命)をお話ししてみました。


病院にて

2018-12-06 07:56:13 | Saranyaのひとり言

3日から白内障と緑内障硝子体の手術ために市内の病院に入院中です。

そこで、夫の手術終了待ちで病室待機中のことです。

ここは外科病棟癌の患者さんが多いように感じる。向かいの患者さんは癌のようだ、先月が一回目、そして今日の入院で二回目の抗がん剤を点滴二時間、ナースとの会話より、この点滴は皮膚につくと赤く腫れる、爛れると伝えていた。血管が痛くなったりする薬だと言う。癌細胞は死ぬのでしょうか。何か違う感じを受ける。私も以前2000年に乳癌になり左乳房全摘手術を受けた経験があります。しかし、幸いに抗がん剤はしなくて済んだ(拒否をした)結果今に至っている。

その人はとても軽やかにナースに返答している、素敵だなと感じた。辛さを通り越したのだろうか。仕方がないと諦められたのだろうか。私は察することは出来ないがどうか命を生きてくださいと想わずにいられなかった。

人は何故?病気になるのか?そして苦しまなければならないのか?

師は「苦集滅道」を話して下さいました。

この世の中というのはすべてが苦しみに終わる。その苦しみの中身は何かというと、誰もが経験するかもしれない年老いること、あるいは病気、そして死ぬという事実がやがてやってくる。それはやはり生まれたから死ぬということであって。つまり生・老・病・死という、これはほとんどの人にとって逃れることができない苦しみになるだろうと、実際そのように誰もが感じてしまう。と話されました。さらに四つの苦しみの原因となるものがある。

①愛する人と別れる、離れる苦しみ。

②嫌いな人と憎しみを持ちながら一緒にいなければならない苦しみ。

③日常茶飯事、求めるものがすべて得られないでしょう。そうです思うようにならない、得るものを得られない苦しみ。

④もう一つは、この心や体を構成している、記憶も観念も含んだすべてのものが、いわば不浄に満ちている、完全なものはない。常に変化し、良い時もあるが往々にして苦しみの原因となり悩みを引き起こしたりする。この心と体が不浄である苦しみ。

昔は四苦八苦という言葉で苦しさを表したのです。私たちが生きていく上で知っておかなければいけないこの世の真の姿なのです。どんな悩みであれ苦しみさえもこの四苦八苦のいずれかに当てはまります。では、この苦しみの原因から逃れる術はないのでしょうか。その答えは「苦集滅道」の最後の言葉「道」を理解し実践することで逃れることができるのです。

明日はそのことについて書いてみましょう。

今日も佳い1日でありますように。

清々しい月をごらんください。