~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

子育て支援はいらないよ‼

2016-05-31 19:09:56 | Saranyaのひとり言

双子ちゃんを健やかに育てているママにお会いしました。

子育てが上手くいかないママたちが多いこの世の中ですが、捨てたものじゃない。

しかも、母乳で育てているのです。タンデム授乳法ってあるけれど、ママははっきりと言われました。ふたり一緒だとひとりに気を取られるともうひとりが機嫌が悪くなるので一人ずつ授乳するといわれました。

いかにも、実践の中で掴まれた真実、タンデム授乳法はふたり一緒に授乳する方法ですがママが言われることはもったもだなと納得しました。実践している人の声は素晴らしいです。

今日の支援はこちらが参考にさせていただく結果となりました。

一人でも、中々子育てに集中できないママたちにこの笑顔の親子さんを感じてください。

 同じ病院で出産されたママ友です。健やかで気持ちいいです。理屈じゃない実践の成果です。

子育て支援も円満に終了しました。

 


瞑想について

2016-05-30 23:09:15 | Saranyaのひとり言

瞑想って、皆がしたがっている、だけどどうしたらいいか分からない。私もそうだった。でも、毎日毎日我が心に向かうのです。

心を何とかしたい、性格を変えたい、自由になりたい、不安をなくしたい、この寂しさを解消したい等々、日々感じながら諦めていませんか。諦めなくても大丈夫、すでにあなたの心の奥に真実は在るのです。だから大丈夫です。しかし、少し心と対話して訓練していきます。一瞬に反応する心に気がつくのです。我が心が何故そのように思うのか、また、いつも反応して受け取っているのか。これが癖、傾向。そして誰もが性格と思い込んでいる。

これらを見極めて、真理をあてがえていきます。また、寝る前に瞑想の中で、迷いをよく観察をし、自分自身はそれで良いのか、理想と違わないか、次の日は瞑想中に感じた理想を行為していきます。そして実践したことを寝る前に瞑想して見極めます。この様に繰り返していきます。次第に何がそうさせているか分かってきます。その時、そうさせている心の動きを捨てていきます。そして理想に向かっていきます。これが「識別瞑想」と言います。心の中に在るいろいろな余分な想いをお掃除していきます。すると、だんだん日常茶飯事の出来事を掴み受け取らなくなります。心は純粋に変化していきます。その変化は他の方々は気がついていきますが自らは気づきません。しかし、何となく生きやすくなっている自分に気づきます。これだけでも、とても幸せになれるのんです。どんな環境になろうと常に変わらないんです。以前の状況と何も変わらない、けれど、私の心がピア(純粋)になっているだけなんです。

心が純粋になっていきます。次は瞑想していく対象について考えていきます。

 

 

対象に向かう。真理、真我の探究、そして神への信愛が不可欠です。

あなたにとって向かいやすい対象を選び、毎日毎日思い続け集中していく、集中された心は同一の対象に一筋に伸びていき一点集中で留まり心は静止して、そこには煩悩や無知などは消去されていきます。そして真知が自ずと現れます。真知は常識的な善悪ではない。この世の悪に対しても善に対しても心は動かすことはない。そしてその中で自然と変わらず生きることになるのです。

そんなことがイメージできるようになった、今、そこに没入する。

 


私の心は…何を求めているのか、本物か?

2016-05-29 08:42:56 | Saranyaのひとり言

私たちは何のために生まれてきたのか?そのために何を求めるか。

私たちの体は食べ物で支えられている肉体、そしてその肉体を動かしているエネルギー(気)が存在します。

そのエネルギーに方向を与えている想い、考え(想念)によって体は動きます。

その想念は過去の記憶や新たな情報(知識)によって支えられ、その情報をエネルギーに移行します。

私たちの動きの根本原因は楽しく幸せでありたい(福楽)という動機によって知識を支えています。

ひとりの人間には肉体、気、想念、知識、福楽と存在していると古来インドでは綿々と伝えられてきました。

例えば

赤ちゃんが欲しい…。お友達の赤ちゃんを見て私もあのような幸せを味わいたい。夫の子が産まれてきたら夫婦は今よりもっと幸せになる。赤ちゃんの存在が幸せををもたらすと信じる。そして妊娠するための情報を集める、より幸せは赤ちゃんが産まれることだと、どんどん執着していき、想いも膨らみ、赤ちゃんが産まれることが最大の幸せと思い込むようになる。その幸せを得るために努力していく、エネルギーはそのことに集中して消耗していきます。産まれなければ落胆し不幸になります。しかし、妊娠したとしても束の間の喜びとなります。

この繰り返しが人生です。常に目先の事柄に何かを求め、それが成就するかしないかで幸不幸を決定していきます。絶対的な幸せではないことに気づいていきます。それでも、私は幸せをそしてそれにまつわる何かを求め続けます。そのとき、その想いは絶対か、また永遠に続くか、本当の幸せ至福かを判断していくしか本当の幸せに辿り着くことはできないのです。

日頃感じている私は体を含め性格やその肉体に付属する諸々を漠然としたものを誰もが「私」と思っています。実は本当の私ではないのです。これらの事柄を知っている「もうひとりの私」が存在しますよね。これも誰もが感じていることです。その時の表舞台を演じているのが「私」だと勘違いをしています。本当はその様々の様子を知っているのが「本当の私」であることに気づくと…。何かにこだわり、何かを求めることの虚しさを感じます。それらは束の間の幸せであり、もう少しこの幸せを感じていたいと思っても、一瞬に水の泡のように消えていきます。

動き回る何かを見ている動いていない何かが在る、何かというより意識があるのです。日頃の心を知っている意識があります。このからくりを知っているのと知らないのとではこれからの人生で「私」という心の方向を見極めていく上で違ってきます。

心、性格というものはそれぞれが生まれてきて経験を重ねて来た結果で作られた不完全なものだということが理解できます。そこにいろいろな知識を持ち込み制御しようとしても切りがないのです。

私という心を知ることです。

この一週間、私という心が何を考え言葉にしようとしているか観察してみてください。

佳い一日をお過ごしください。


命とは

2016-05-25 05:25:25 | Saranyaのひとり言

Hさんお優しいメールありがとうございます。感謝します。

お母様を亡くされたママからのメッセージが届きました。日頃は命を感じることは殆どありませんが大切な人の死は身が裂けるほどの辛い、そして突然やってきます。

支援中に私が乳癌であったことを伝えたことに対してのメッセージでした。

そのメッセージに感謝の返信です。
癌を見つけたのは私自身でした。
体調が変で、何かあると受診しましたが「疲れです」と、言われました。いいえ、おっぱいが何か変です。と申しますと検査されました。そして癌であると診断されました。
その診断の半年前に健康診断のため一週間ドックに入りましたが見つかりませんでした。癌は急に癌にはならないのです。長い年月をかけて、正常な細胞がストレスや生活環境によって変化していきます。そしていずれ癌細胞に変化します。直ぐには発見できないことも多いと言われています。

主治医とはかなり話し合いました。どう生きるか。治療法は私が決めるといった時、叱られたり。しかし、結局、私の命。命を信じることで強くなりました。主治医も喜んでくださっています。ありがたいことです。


すべての命は尊く、永遠です。
その事を心に言い聞かせてこれまで活かされました。
皆さんにも、命を感じて欲しいと願っています。その方法がヨーガなのです。皆さんに知ってもらい体感して欲しいと感じるようになりました。ひとりでも多くの人々に伝えたい、そして自らの尊い命を生きて欲しいのです。余った少しのエネルギーは他者のために活用して欲しいと…願いします。


「死」は「出発」新しい命を生きるために、一度この世の肉体を捨て、新たな肉体をまとうそうです。お母様の愛は貴女の心にいつも在ります。涙は見せず、楽しく幸せな貴女の姿を望んでおられるでしょう。 

お互いに楽しく幸せに生きましょうね。

これからヨーガを学んでいきたいとメールが届きました。


咲く時期が大事!!

2016-05-21 08:43:28 | Saranyaのひとり言

老齢期を迎えて、若い時の過ごし方はとても大事だといつも思うのです。

咲く時期が大事!!

 

若さ…。エネルギーの向くままに生きることは楽しいことです。また、時にはその行為の結果に悩み、そして解決した喜びに有頂天になる。若さっていいね。と、私たちは口にします。

若き日々、心の右往左往は良いことのように感じます。しかし、この時期のエネルギーの方向を丁寧に正すことはいつまでも豊なかに快活に過ごせます。『おばあの言葉』

この間エネルギーの方向を正しくする「聖者の言葉」を見つけました。

聖者の言葉    5月11日 の9:30 ·引用させていただきました。参考にしてください。

『 修習が私を作る 』
 
    


われわれがあるところの一切のものは、習慣(修習)の結果である。


そのことは、われわれに慰めを与える。

なぜなら、習慣に過ぎないわれわれはいつでも、それを作ることも壊すこともできるのだから。
  


サンスカーラ(行。心の奥の潜在印象)は、われわれの心を通り過ぎるこれらの振動によって残される。それらの一つ一つが、それの結果を残していくのだ。

われわれの性格は、これらの印の総計であり、その中で優位を占める波動が、それの傾向となる。
もし善が優位であれば人は善良となり、悪が優勢なら悪くなり、もし喜びに満ちていれば、幸福になるのだ。
 
悪い習慣の唯一の矯正法は、反対の習慣である。あとに印象を残したすべての悪い習慣は、善い習慣によって制御されるべきである。
善い行ないをし続け、絶えず清らかな思いを思え。
それが、卑しい印象をおさえつける唯一の方法である。誰であれ、決して見込みがないなどと言ってはいけない。彼はただひとつの性格、一束の習慣をあらわしているだけであり、それらの習慣は新しいものと変えることができるのだから。性格は、繰り返された習慣であり、繰り返された習慣のが、性格を変えることができるのである。
 
   
         ~スワミ・ヴィヴェーカーナンダ~


今の性格は過去の習慣からの傾向と潜在印象の総計である。現在、悲しいことが多いとか、寂しい、腹が立つ、喜びがいっぱいで毎日が楽しい等々、様々な性格の人がいらっしゃいます。上記を熟読して、直ぐさま変わりましょう。


「鉄は熱いうちに打て=Strike while the iron is hot.」」と申します