2年間使ってきた携帯電話が不調だったのでスマホにしようかと、少し迷ったが、
大きな携帯は自分の生活スタイルに合わないと思い、スマホへの移行をやめた。
スマホへの移行を考えたのは、鹿児島に行ってブログを書くのに便利だと思ったから。
携帯でもメール機能を使って記事を投稿できるのだが、段落や行数を調えるのは不便。
タブレットか小さなノートパソコンは、接続環境が難点。
「イーモバイル」のサービスエリアは都会中心、指宿付近の通信は困難。
「ウィルコム」は、宿、会場付近にサービスエリアがあった。
私が加入しているプロバイダーにモバイル接続サービスがあり、
「ウィルコム」を使用しているので、これの導入を考えている。
もちろん「いぶすき」だけではなく、戸外での使用にも使えるので、端末を何にするか、
これから考えたい。
実際に戸外で使うことはそれほど多くはないと思うので、無駄使いかなとも思うのだが、
じわりじわりと、モバイル通信のことがわかってくると、購買意欲が高まってくる。
「断捨離」、「ときめきの片づけ術」の先生方へ
少しときめいているので、お許しください(-_-)
野木町のラーメン屋で下野新聞を読んだ。栃木出身の国会議員が、
園遊会の主催者に手紙を渡した議員に対し、批判の声を上げている。
田中正造は議員を辞職し、命がけで直訴したので、なぞらえるに値しないと。
現代の国民が、命がけで手紙を渡すなど、比較すること自体異常な反応だ。
首相が、主権回復式典で、予定になかった「○○万歳三唱」をしたのこそ、
政治利用はともかく、異常なパフォーマンスだ。
手紙を渡し、読んでもらえなくても政治利用になるのかも、疑問だ。
手紙の方がまだかわいい行動だと思う。国会では、野党が束になってもダメではないか。
別の手段を執ったことは、パフォーマンスの1つかもしれないが、オリンピック招致のため、
プレゼンで「汚染水は制御されている」という嘘ほどの問題ではないと思う。
朝日新聞の「越えてはならない一線」と題した社説も、時代がかっている。
政治利用されかねない位置に付けておくこと自体、もう改める時期ではないのか。
国民統合の象徴などと、わかりにくく、どうとでもとれる立場に置かず、
何となく尊敬せざるを得ない位置にも置かず、上も下もない国にしてほしい。
そうして、3世代くらい過ぎないと、日本は戦後が始まらないと思う。
被差別を何となく差別してしまう心性が消えないのは、意味不明の「貴」があるから。
「賤」をなくすには、「貴賤」を認めない国にしなければならないと思う。
子どもの頃、家の周りのひと区画(班)には、「どぶ」が掘られていた。
記憶では、幅70cm、深さ30cm程度の小さな流れだった。
各家庭から出た下水を流すのだが、花が咲き、ドジョウなどもいた。
家を出て北に20mほど行った二軒隣の家の「どぶ」には、菖蒲のような花が咲いており、
幼稚園に行くのが嫌で、「どぶ」の縁ににしゃがみ込み、愚図っていた記憶と重なっている。
「どぶ」でつかまえてきたドジョウは、庭の一角にあった小さな池に放して飼っていたが、
その内世話をしなくなり、餌もやらないので、頭だけが大きなやせた姿になっていた。
「どぶ」という言葉はほとんど死語になっている。
もう一つ思い出したのは、なすやキュウリに串を刺し動物に見立て、どぶの畔に置き、
線香などをあげて、祖先の霊を祀っていた。
ただ、この風景は、家には仏様がいなかったので、
よその家で置いたものを見ただけなのかもしれない。
昔の風習や言葉を知らない人ばかりになっていくのは寂しいものだ。
私の境遇に少し似た映画が公開されている。…『ペコロスの母に会いに行く』
母は帽子を脱がなくても、私の顔をわかってくれるが、私の周囲の人たちはそうでもない。
けっこう多くの人が、帽子を脱いだ私の顔を見てから、「あぁ…、こんにちは」と言う。
何度かこんな経験をすると、私も賢くなる。前もって帽子を脱いで挨拶をするようになった。
母は、けっこう人情家なので「おれおれ」には騙されそうだが、私の言葉には騙されない。
事前に伝えるのをうっかり忘れて、「明後日ショートステイに行くから」などというと、
「聞いていない!」と言う。
「言わなかったかな?」と言うと、きっぱりと「聞いていない!」
理由を言うと、たいてい受け入れてはくれるのだが。
突然言って「ああそうかい」を期待しても、無駄なことが多い。
私は「俺」を使わないが、孫はいつも言っているので、やはり騙されるかもしれない。
そんな母を見ているのは、けっこう『ドラマ』だ。
有名レストランだけでなくデパートのおせちまで、販売中止に追い込まれている。
多くの人は、氷山の一角だろうと、気づいている。
ラーメン屋などで領収書を求める客は、税の控除に使うのだろう。
企業は、大・中小に限らず、脱税もかなりの金額に上る。バレるのは氷山の一角だろう。
脱税をしても倒産するという現実はあるにしても、脱税が日常化しているのは、どうか。
節税だと強弁する向きもあるが、下記のように疑問に思うものもある。
「税理士が脱税指南」などという報道もよく聞く。
ネットで新人自由業者の質問に答えた先輩自由業者の意見…(マーカー、赤文字は、
筆者による)
『仕事に関係するものはすべて』
業種にもよりますが自由業の強みとして「仕事で関係したものは全て」
経費に計上できますよ。全てではなくてもたとえば50%、70%など
パーセンテージで計上できることもあります
私の場合
・書籍全て(漫画や小説なども)
・外食費
・家賃と光熱費の50%(自宅で仕事しているので)
・パソコン・プロバイダ代・周辺機器増設費・ソフト代
・ゴミ袋・お茶・お菓子など消耗品の50%
・携帯料金
・各種交通費(これは領収書がなくても記録をとっておけば大丈夫)
・各種人件費(お手伝いが必要だったとき)
・収納家具
・テレビ・オーディオ類・カメラ
・旅行費用(この間の食費は計上しません)
・各種文具類・封筒やコピー用紙等
ざっとこんな感じでしょうか
業種によっても計上できるものが大きく変わってくると思います
と、こんな調子。うなずけるものもあるが、どうにでもとれるものもある。
『仕事に関係するものはすべて』というので、子どもの漫画でも、
家族の外食も計上できるだろう。
商売が賭のようなものであることはわかるが、やはり腑に落ちない。
私の住む二丁目は夕日が落ちると真っ暗だ。
子どもの頃、肉屋にコロッケを買いに行く途中には、たばこ屋、床屋、酒屋、駄菓子屋、
魚屋、医院、煎餅屋、八百屋、旅館があった。今も店を続けているのは、3店舗だけ。
肉屋に行くと、近所に住む同級生の妹が焼豚を買いに来た。
「○○ちゃんは元気かい」
「元気だよ」
「仕事は今も○○をやっているの」
「あれはとっくに止めてサラリーマン」
「日が落ちるのが早くなったね」
こんなささやかな日常が、東海村で大きな爆発が起これば、住めない町になる。
周辺に住む者として、「早く言ってやるのが責任ある立場だ」など、言ってほしくない。
本当に制御できるのか、制御できない領域に踏み込んでいるのではないか。
制御できないことをうすうすわかっていながら、既定路線を後戻りしたくないだけで、
現状肯定を続けているだけではないのか?
母は、昨日までは聞こえたのに、今日はテレビの音が聞こえないと言いつのる。
足、膝の痛みは少しずつ軽くなってきた。
世の中も、歩くくらいの速度で進めばよいのではないかと思う。
日本スリーデーマーチを最後に完歩したのは2009年、4年前だった。
このときは初日のみ50㎞コースで、2日、3日と20㎞コースを歩いた。
これで通算21回目となった。最後の50㎞3日間完歩は、2008年、5年前。
その後は、腰痛その他の事情が重なり、出ても1日、20㎞コースであった。
今回は久しぶりに大附みかん山を歩きたくなり、3日目の今日、50㎞を歩いた。
みかん山の手前から膝が少し重くなった。上りはあっという間に到着したが、
下りが膝、脚に応えた。みかん山が20㎞地点で、その後も辛い歩きとなった。
千年谷公園の豚汁は久しぶりにいただけた。ここからの10㎞がいつも長い。
ゴール直前、いつものところてんの店に行く。おかわりをして2杯食べる。
ゴールは3時。朝6時にスタートして、9時間経過している。
休憩は、豆腐を一丁食べたのと、千年谷でおにぎり1つと豚汁を食べただけ。
ほぼ8時間、連続して歩いてしまったことになる。
脚を鍛えていなかった割には、無理をしてしまった。ただ、前半の20㎞、
以前よく行った店での知り合いと一緒に歩いたので、比較的快適に歩けた。
50㎞コースは景色がよいので、歩いていて気分が良い。
50㎞コースにはまだ未練があるが、20㎞くらいにした方が良さそうだ。
石破幹事長が札幌市での講演で、こんな発言をしたそうだ。
「『この地域は住めません、その代わりに手立てをします』といつか誰かが言わなきゃ
いけない時期は必ず来る」と。
誰がそうしてしまったのかという設問に対する答えは、はそれほど難しくない。
当事者の一員である国に、責任を持って『住めません』と堂々と言ってほしくない。
これは、「原発のある土地は、住めない」と言っているようなものだ。
東海は、福井は、いずれ住めなくなるのを覚悟して生活しろと言うのか。
それでも、責任政党だから、「居直って」問うつもりなのだろう。
だれも甘い見通しを望むものではない。
そんな地域にした責任は責任政党にあるという、自覚が足りないのではないか。
この発言は、波紋を呼ぶと思う。
巨人・楽天戦第6試合を見ている。野球のテレビ放送は何年も見ていないが、
一応?巨人ファンである。
子どもの頃は、「巨人、若乃花、卵焼き」だったが、王、長島の時代しか知らない。
今は、監督の原以外はどんな選手がいるのかも知らない。
それでも片手間に見ているのは、楽天の投手を打ち負かす場面を見たいだけの興味。
私は球技が得に苦手で、キャッチボールもボールが怖くて、あまりしたことがない。
サッカーは、授業でしかしたことがない。まったく下手だが、ボールを取るために競ると、
体が大きいため、級友をはじき飛ばしてにらまれるのが面倒で、好んではしなかった。
野球、サッカー、スキーなど、道具を使うスポーツは嫌いだと、よく言いふらしていた。
そこにいくと、ウォーキングは靴が必要だが、ボールやバットとは違い、体だけなので、
文句の付けようがない(競わない)スポーツだと思う。
ゴルフや卓球、パチンコなどは、あんな小さな玉を扱うのだから、まったく苦手だ。
要するに器用でないだけなのだろう。
例会などへの参加者数は事務局としていつも気になる。
会の役員としては、会への参加という形での会員の評価を気にするのは当然だが、
財政問題としての関心の方が大きいというのが本音だ。
バスを利用した遠方への例会は、参加者が少ないと赤字になる。
赤字になった場合は、会費を充てることにしている。
バス利用で参加費に残金があった場合、残額によっては参加者に返還しているが、
たいていは会計に入金させてもらっている。
12月の例会は、バスで常陸太田に行く。今日現在34名の参加申込で、ほっと一息。
1月は、事務局がまとめて「いぶすき菜の花マーチ」に参加する。
予定の24名となり、こちらもほっと一息。今回参加者の評判がよければ、来年は北海道、
沖縄などの日本マーチングリーグ(JML)への参加を計画したいと思っている。
このようなバスツアーは、参加者にとって気軽に参加できるので歓迎されるが、
「ただついて行くだけ」という意識になってしまうと、会としては本末転倒になる。
例会などへの参加をきっかけとして、交通機関利用など準備の一端を知ってもらい、
自分の力で各地に出かける参考にしてほしい。
当会は、いわゆる旅行会ではない。自分で行動できる会員を増やしたいと思う。