悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

私の貧乏体験

2013-11-11 17:52:29 | 雑記

父は国鉄職員だった。食べるものに困ったり、靴が買えないということはなかったが、
おもちゃや漫画本が買ってもらえず、「家は貧乏だ」と、子ども心にいつも思っていた。
私だけではないと思うが、風邪を引いてバナナを食べさせてもらえるのが楽しみだった。
とくに漫画本が買ってもらえないのが記憶に残っており、クラスメイトの女の子から、
漫画本を借りて読むのが楽しみであり、うらやましくもあった。
私がわがままを言うと、父母は、近所の誰それさんは、父母揃って仕事に行くので、
家に残る子どもに10円を渡し、5円で貸本屋、残りの5円で焼き芋を買って食べ、
父母の帰りを待っているのだ。おまえはまだ恵まれていると、言われていた。
我が家よりも、貧しそうな人を引き合いに出し、我慢をさせるということだったろう。

戦後10年の昭和30年代は、まだ食べるのに困るような貧困が残っていたように思う。
そんな時代に生きた私にとって、賤と貧の対照にあるものは、否定すべき存在だった。

学校卒業後、福祉事務所に勤務し、保護基準で生活してみた。その低水準に怒りを覚え、
保護世帯を組織しようと考えたが、先輩から否定され、すごすごと引き下がってしまった。
貧乏は、私の敵だったが、きちんと対峙するような仕事をしてこなかったのが心残りだ。