こひこひて まれにこよひぞ あふさかの ゆふつけどりは なかずもあらなむ
恋ひ恋ひて まれに今宵ぞ あふ坂の ゆふつけ鳥は 鳴かずもあらなむ
よみ人知らず
愛しい人を恋慕い続けてようやく今夜逢うことができた。逢坂のゆふつけ鳥よ、お前が鳴くと帰らなければならないから、朝になってもどうか鳴かないでおくれ。
「ゆふつけ鳥」は鶏の別名で、0536 に続いての登場。このあと、0740、0995 でも出てきます。これまでは叶わぬ恋や、愛しい人に逢いたいのに逢えない歌が続いていましたが、ここで初めて、逢瀬が叶っている状況を詠んだ歌が出てきました。季節を詠んだ歌が時のうつろいにそって配列されていたのと同じく、恋歌も恋の始まりから終わりへと順を追った配列になっていますね。
しのぶれど こひしきときは あしひきの やまよりつきの いでてこそくれ
しのぶれど 恋しき時は あしひきの 山より月の 出でてこそ来れ
紀貫之
思いは心に秘めているけれども、恋しい思いが募るときには、山から月が出て来るように家を出てあなたを訪れてしまうのですよ。
「あしひきの」は「山」にかかる枕詞ですね。抑えてもほとばしり出てしまう思いを山の端から出て来る月に準えた作者不詳の歌が万葉集にあります。あるいはこれを踏まえた詠歌なのでしょうか。
あしひきの やまよりいづる つきまつと ひとにはいひて いもまつわれを
あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 妹待つ我を
(万葉集 巻第十二 第3002番)
ひとしれぬ わがかよひぢの せきもりは よひよひごとに うつもねななむ
人知れぬ わが通ひ路の 関守は 宵々ごとに うちも寝ななむ
在原業平
人に知られず密かに私が通う路の番人には、夜毎に居眠りでもしてほしいものよ。
業平の歌ですので、例によって歌物語かとまごうような長い詞書がついています。長いですが、全文を引用します。
東の五条わたりに、人を知りおきてまかりかよひけり。忍びなる所なりければ、門よりしもえ入らで、垣のくづれよりかよひけるを、たびかさなりければ、あるじ聞きつけて、かの道に夜ごとに人を伏せて守らすれば、行きけれどえあはでのみ帰りて、よみてやりける。
「歌物語かとまごう」と書きましたが、実際に伊勢物語の第五段にも収録されています。
こりずまに またもなきなは たちぬべし ひとにくからぬ よにしすまへば
こりずまに またもなき名は 立ちぬべし 人にくからぬ 世にし住まへば
よみ人知らず
懲りもせず、またもありもしない噂が立つことだろう。人に関心を持たずにはいられない世の中に住んでいるのだから。
「人にくし」は不愛想である意。なので「人にくからぬ世」は人々が不愛想ではないこの世の中ということで、とかく他人に関心を持ち、人の噂話を皆が好むこの世に暮らしているのだから、またありもしない噂が立つことだろう、というわけです。