いろもかも おなじむかしに さくらめど としふるひとぞ あらたまりける
色も香も おなじ昔に さくらめど 年ふる人ぞ あらたまりける
紀友則
桜の花は、その色も香りも昔と同じに咲いているのであろうが、それを見ている自分は年を取って変わってしまった。
詞書にも「桜の花のもとにて、年の老いぬることを嘆きてよめる」とあり、年老いてしまった自身の身を嘆く歌です。作者紀友則は生年が定かでないので没したときの年齢も正確にはわかりませんが、60歳そこそこだったものと思われています。それからすると、この歌を詠んだ時の年齢は50代くらいだったのだろうと思いますが、当時は50歳を超えてくればもはや「晩年」というイメージだったのでしょうね。
みてのみや ひとにかたらむ さくらばな てごとにをりて いへづとにせむ
見てのみや 人にかたらむ 桜花 手ごとに折りて 家づとにせむ
素性法師
ただ見てそれで人に話すのではとても足りない。この桜花をめいめいで手折って家への土産に持って帰ろう。
この桜の美しさをわかってもらうには、見た印象を語るだけではダメで実際に見てもらうしかない。そのために桜の枝を折って持ち帰り、家で待つ家人に実際に見せてやりたいという想い。
梅の歌にもしばしば出てきましたが、桜についても「枝を折る」ということが良く歌われます。いくら咲き誇る梅や桜が美しいからといって、枝を折って持ち帰るなどということをしたら、現代では大変な批判を浴びることでしょうが、奈良・平安の時代にあってはそうした感覚はなく、むしろ花を愛でる所作として肯定されていたのですね。
今日はクリスマスイブ。今年もあと一週間ですね。
古今和歌集の歌を一首ずつご紹介するこのシリーズ。10/31に急に思い立って始めて、なんとかここまで続けて来れました。読んでいただいている皆さんに、心より御礼申し上げます。一日一首のペースをどこまで守れるかはともかくとして、気長に続けていきたいと思っていますので、お気の向かれたときには、引き続きお付き合いください。
いしばしる たきなくもがな さくらばな たをりてもこむ みぬひとのため
石ばしる 滝なくもがな 桜花 手折りても来む 見ぬ人のため
よみ人知らず
激しく流れ落ちる滝がなければ、見られない人のために桜花を手折って帰れるのになあ。
「石ばしる」は滝にかかる枕詞ですが、ここでは滝の流れの激しさも表しています。この美しい桜を見に来られない人のために枝を折って持って帰りたいところを、激しい滝の流れに阻まれてそれができない口惜しさを歌うことで、それほどまでに美しい桜の魅力を表現してますね。咲き誇る桜に心奪われ、それを愛でる思いは、平安の人々も私たち現代人もさして変わりはないようです。
よのなかに たえてさくらの なかりせば はるのこころは のどけからまし
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
在原業平
世の中に桜というものがまったくなかったなら、人々はさぞゆったりした気持ちで春を過ごすことができるであろうに。
いっそ桜なんてものがなければ、美しく咲き誇ってはすぐに散ってしまう桜に心を惑わされずに済むのに、と、人々の心を捉えて離さない桜を逆説的に賞美する着想。
作者は在原業平。すでにこのブログでも何度か言及してきた大歌人ですが、本人の歌はこの第53番が初登場。血筋的には、父方から見れば平城天皇の孫、母方から見れば桓武天皇の孫ということで非常に高貴な身分の生まれですが、生誕の翌年には臣籍降下し、官位は従四位上どまりと政治的には不遇でした。歌人としては六歌仙、三十六歌仙に名を連ね、古今和歌集には30首が入集しています。六歌仙の一人ということで、古今集仮名序に歌人としての評価が記されていますが、「心余りて言葉足りず」と、六歌仙の他の歌人同様、なかなかに辛辣な評価が貫之から下されています。古くから伊勢物語の作者であるとされてきましたが、こちらは近年、貫之の著作との説も有力視されていますね。0004 でもご紹介しましたが、藤原高子(二条の后)との恋仲でもつとに有名です。