わがせこが ころもはるさめ ふるごとに のべのみどりぞ いろまさりける
わがせこが 衣はるさめ 降るごとに 野辺の緑ぞ 色まさりける
紀貫之
夫の衣の洗い張りをする、そんな頃の春雨が降るごとに、野辺の緑が色濃くなっていくことだ。
「わがせこが 衣はる」までが、「春」を導く序詞になっていて、さらに「はる」が「張る」と「春」の掛詞になっています。序詞の部分は口語訳に際して意味を認識しない(と言うか、訳文には反映しない)方が普通かと思いますが、ここではあえて入れてみました。
作者の紀貫之はもちろん男性ですが、この歌は「私の夫の衣服の洗い張りをする」ということで、女性(妻)の立場から詠まれています。「土佐日記」を「をとこもすなる日記といふものを をむなもしてみんとてするなり」と、女性のふりをして書いたことも思い出されますね。
ときはなる まつのみどりも はるくれば いまひとしほの いろまさりけり
ときはなる 松の緑も 春来れば いまひとしほの 色まさりけり
源宗于
変わることのない松の緑も、春が来ればさらに色がまさるのだ。
作者の源宗于(みなもとのむねゆき)は光孝天皇の子で三十六歌仙の一人。古今和歌集には六首が入集していて、0315 の歌は百人一首にも採られています。
やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
はるのきる かすみのころも ぬきをうすみ やまかぜにこそ みだるべらなれ
春のきる 霞の衣 ぬきをうすみ 山風にこそ 乱るべらなれ
在原行平
春が着る霞の衣は、横糸が薄いので、山風が吹くと乱れてしまいそうだ。
風が吹いて霞が切れ切れになってしまう様子を、風に乱れる服に見立てています。
作者の在原行平は業平の兄にあたる人物。古今和歌集には四首入集していて、中でも百人一首にもある 0365 は有名ですね。
たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む