1078 取りあえず母はまだ生きている。目は開けないらしいが、手足は、動かしていると云う。
今朝の出勤は、いつもの通り眠いままだったが、既に、休みになっている会社が多いのでしょうか、全く渋滞は無かったどころか、日曜日の様に道は空いていた。いつもより30分以上早く会社へ着いてしまった。いつもこうなら良いと思う。
手のカジカミはどうにもならない。物を掴むとき感じるし、インドネシアでは全くしたことがない、ポケットに手を突っ込むと云う行為が自然に出る。
この会社も今日が仕事納め、ほっとしている、馴染まない環境へ暫く行く必要が無いからである。次の出勤日は1月5日である。私としては日本でのサラリーマン(微微たる金額の給料は、)のような生活は29歳までだったので、疲れる、出来るだけ波風が立たないように、当たり障りのない仕事に特化してやってきたが、それでも、慣れない環境、なれない装置の中で想うように行かなくて、全く、経過、結果共に不満を感じている。ここでなければないと思うものは一つも無かったし、足りないものが多い上に、その足りないものを足りるようにする手段も環境も無かったし、そう長くない私のこの場の仕事では、他の人が使わない道具などを買っても、私がいなくなれば無駄になってしまう可能性が大きいので、そろえるわけにもいかない。後で、捨てられる運命にあるものを買うわけにはいかない。
仕事に関しては、インドネシアと日本を約一カ月おきに往復して、それぞれの場でアドバイスと云うより、自分の仕事を作ってやっていた。それらは、それぞれの工場で量産に結びつける前段階の技術開発と試作でした。私がやるテーマは難しく、他社でも自社でも出来ない物を、何とかしましょうと、引き受けるのです。だから、自分が思うようにやりたいのだが、それが出来ない一年でした。
その間にも、他の会社からの誘いや相談が在り、それにも、対応してきた。今年の後半は来年の三月末で契約が切れるとの会社との契約は延長しないつもりで、他社との相談にも乗っていた。自分でやる可能性もあるが、私的な都合もあり、暫くは休養期間を設けることも考えている。ということで明日から一週間ほどの休養日は私にとって考えを纏める日々になる。
夕方、会長訓話、新聞を読んで最新情報を知ることが大切というのが骨子だった。今年は会社にとって難しい年になったが、攻めの気持ちは変わらない。30分ほど話して終わった。最期に何を思ったのか、“太田君ひさしぶりだな“云った、突然言われた私はどう返事をしていいか迷って、何も、答えなかった。もう、訓話は終っているので私の方へ近づいてきた。”明後日、よろしく”といってやったら、ニヤッと笑って、うなずいていた。訓話を聞かされていた従業員の50人ぐらいは、どんな、関係?と思ったことでしょう。
付き合い 面倒 抵抗
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