南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆パニック障害

2011-06-15 23:15:56 | 複雑

その後どうなっているのか、私のパニック障害は。日本へ帰るたびに県立病院へ行って、袴田先生と世間話と私のインドネシアでの様子を話し、決まった薬を決まった数、処方してもらいます。それが、私の安心です。脈が飛んでしまって、めまいを起こしたり、過呼吸になって体中がぞっと冷たくなり、がたがた震えがきたりする、メインのとんでもない症状は、パキシルやコンスタンを飲んだ直後からなくなってしまい、その後も、その症状は全く出ていません。気管がふさがったような呼吸困難や脈拍数が200以上になって頭に血が上り、がんがんする症状も無くなった。ということで、パニック障害の症状は、パニック障害だからと断定できるものは無くなった。ただし、口の渇きが早くて、話をしずらくなる。涙の分泌が減ったようで、運転をしているときは特に目が乾き、目薬を離せない。など、パニック障害の前兆とも思える症状は今もある。しかし、これで、パニックになることはないわけで、パニック障害の症状とは言えない。歳の所為か、無茶な行動の所為か、そちらが原因ではないかと思う。

結局、今、振り返ってみると、パニック障害と病名を断定されたその日の夕方に、パニック障害は治ってしまっていたのです。

症状、心臓の鼓動が一時停止する、これは、24時間ホルダーでも、実際何人もの医者が手首を抑えて確認している。その時、なるほど、あなたは嘘を言っていない、程度にしか思ってくれなかったような気がする。事実、その症状に対し、誰も手を打とうとしなかった。私はそれが大変不満だった。大丈夫、死にはしないよ、いちいち、大騒ぎをしなさんな、と言っているように感じた。実際そう言った医者も何人かいた。

もう一つ、私が不満だったのは、心臓の脈が消えて、くらっと、来る、その直前、1秒くらい、体のどこか、場所は決まっていない、足のどこかだったり、お腹のどこかだったり、どこかの指先だったり、チンチンの先っぽだったり、耳の中だったり、とにかく場所は出鱈目なくらい、あちこちでした。針の先でちくっと刺されたような、一瞬(0.1秒)痛いと感じることもできないくらい、チクッと感じるのです。そのチクッがあれば必ず、クラッとなった。其のチクッが来るのが、今来るか、今来るかと、来ていない時も不安だった、そして、来る時は、何箇所かで連続で来る、その時は、連続でクラッとする。もう、立っていられなくなり、坐ってもいられなくなり、床に横になるしかない。そういう時は、もう、これで、この世ともお別れかと思う恐怖に襲われる。

それを、二カ月間、インドネシアでも日本でも多くに医者に話した。専門がそれぞれ違う医者に話をした。しかし、誰一人、そのことを真剣に受け止める人はいなかった、殆ど、聞き流されてしまった。多分、その医者たちは、そういう話を今まで誰一人からも聞いたことが無かったのでしょう。そして、そのチクッという感覚も全く想像できなかったのでしょう。症状の説明をしても無駄だと思うようになった。

勿論、同じ会社の、パワハラ担当の日本人は、頑固者が日本へ帰れて言っているのに、言うことを聞かないで、インドネシアで粘っている、迷惑な話だ、と周囲の人達に言っていたという話を後から聞いた。帰った時は逆に、帰るたな、と言ったのに、いうことを聞かないで帰ってしまった。自分勝手な奴だ、と周囲の人に言っていたという話を後から皆さんから聞いた。悲しい人たちだと同情しますが、彼らの病気は重症だし、言い薬はないと思う。

http://www.karacli.com/panicdisorder01.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

 

本当に参ってしまった。こんなに参ったしまったことは、後にも先にもなし、だから、薬を飲んで、チクッ、が無くなったときの喜びというか安堵は私にしか分からないでしょう。5年前の話でした。

インドネシアのある場所のあるところ

パニック障害 パワハラ 無理解

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(^_-)-☆程度が低い監査

2011-06-14 23:17:06 | 状況

ボールが当たったこと、全く問題は有りません。ここまで、マニュアル車を運転してきていますから、足に問題はない証拠です。

ここまでとは、チレゴンです。中部ジャワのチレボンではありません。ジャカルタからタンゲランを通って高速道路で西にむかいます。アンニョール、ムラッまでの一つ手前のインターです。タンゲランの西では一番大きな町です。その郊外にある某フェライトの原料を作っている会社の経営状態のチェックを頼まれて、帰国直前に、その会社の本社のトップに近い人から頼まれて、急遽訪問することになって、嫌と言えずに来ている木曜日までの予定である。私が手伝っていた会社にフェライトコアを納品していた会社に原料を供給していたので、私を知っていた。

 

この地方は、大きな港があり、原油や鉄鉱石など産業の基幹にかかわる原料の輸入港になっていて、それらは、その港の近くで、製品に加工するのが普通である。だから、製鉄所、精錬所、コンビナートなどの大規模な工場が立地している。有名なのはクラカタウ スチールである。プラスチックの原料を作っている、チャンドラアスリやトリポリタなどもここにある。ビジネスホテルに二泊して、会社のインドネシア人にインタビューし、問題点があれば、日本人に伝えることになっている。勿論、現地の日本人社長にはその旨私が訪問したことは伝えたし、報告書はその社長と意見交換してから私の文章として送るつもりだ。

監査というものは、監査をする人間は、自分が承知する範囲で、見聞きして、見解を報告する。全く、第三者の目で見ることが求められる。しかし、監査される方は後味が悪いことが多い。私は、監査を今までしたことがない。監査せれたことは数え切れない。数え切れない監査の中で、その報告書が後日回ってきて、なるほど、その人に指摘は当たっている、なるほどと、納得したことは一度もない。

 

一番面白くないことは、社長時代に、納入先のQCチェックが有った時、私以外の何人かにインタビューをして私には監査に来たという挨拶だけだった。その結果が、全く、私が承知できない内容だった。その会社の製品でクレームを発生させたことが無いのに、ただ単に、人手を掛けること、お金を使うことをやっていないからやれという内容だった。私に話を聞かないで、あれが足りない、これをしていないとは、何事かと思った。結局、次の監査までにそれらの問題点を解消しておくようにということだったが、無視をした。その後二回の監査がその人に依ってあったが、同じ結果で無視をし続けた。その時のQC担当者がPT,Kの四代目の社長として赴任してきた。パニック障害に主因の人である。

 

あなたにこんなメールが突然送られてきたことは有りませんか。

これから一般に出回ることはないとされたパニック障害改善術を公開します。もし、あなたが「パニック障害をなんとしても解決したい!」と思っているのであればほんの5分だけ、私にお時間をください。あなたのパニック障害の原因と改善の手順をご説明します。まずは、パニック障害の悩みから改善されたかたの感想をお聞きください。

長々しい、文章が続いて、結局、最期まで、改善法は出てこないで、本を買いなさいということになる。この類は全部、本を買いなさいである。全く、詐欺です。人の悩みに付け込んだ、卑劣な詐欺師のやることです。引き込まれてはいけません。

そんな本を買わなくても、親切に、黙って、ネットに公開されている対策法、改善法はあります。

http://www.karacli.com/panicdisorder01.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

パニック障害については、薬と生活環境の改善で必ず治ると信じましょう。私のように、其の日から症状が消えるかもしれません。2006年顕著になったパニック障害は、現在、完治したとは言いけれませんが、パニックにならなくなったことはパニック障害では亡くなったということでしょうか。

インドネシアの典型的風景です。

 元気 これから 監査

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(^_-)-☆一瞬のうちに思った

2011-06-13 21:55:03 | ゴルフ

久しぶりに、やっちゃった、と、一瞬思わされた。二打目を打ち終えた私は、次に打つ人の右を通って前にでた。その人を見ながらである。30m程のその人の右45°くらいにいた時その人が打った。三番ウッドだったと思う。その人の二打目は99%以上の確率で真っ直ぐピンへ向かって飛ぶ。今回も当然警戒をしていなかったが、見てはいた。それが、普通ならあり得ないミスショットで、私の方へボールは上がらないで、地を這うように勢いよく向かってきた。左右には無理だと思って、飛びあがってよけようとしたが、左足のくるぶしとアキレス腱の間を直撃された。

声も出せないほど強烈な痛みにのけぞるようにひっくりかえってしまった。その直前を見ていなかった人たちは、私が、気絶してしまったと思ったと言っていた。

当たった場所付近を掴んでじっと痛みをこらえるしかなかった。その時、こらえながら、骨折かアキレス腱に異常が無ければいいがと思っていた。また、オートマなら大丈夫だが、今のマニュアルでは車の運転が出来なくなってしまう。若しかしたら、エアチケットをキャンセルしなければならないかもしれない、ということでした。

 

回りの人、特にそのボールを打った人には申し訳ないな、とも、思っていた。回りの人達がカートをここまで持って来いとか、医療室に運べとか言いている。私は、痛みをこらえているために口をきけない。一分くらいのものだったとおもう。痛みが引いてきて、ボールが当たった場所を特定できるようになった。くるぶしでもなく、アキレス腱でもなくその間だと分かった。分かった途端に急に痛みも和らいでしまった。そこで、初めて皆さんに口をきいた。場所を見せながら、重大な事故では無いし、ちょっと、痛みがきつかったので、ひっくり返ったこと、痛みが取れたら、直ぐにプレーを再開できるからと宣言した。それから一分も過ぎないうちに立ちあがって、屈伸運動をして歩き始めた。皆さんは本当に大丈夫か、無理をしない方がいいよと言いたそうだった。私は構わず、さっさと自分のボールの位置へ行き三打目を打ってオンさせた。カートに乗らないで、グリーンまでそのまま、歩いた。そのホールは結局ボギー

前半の5ホール目だったので、痛みが出でだして、歩けなくなることを若干心配したが、痛みが増すどころか、最後にはボールが当たったことを忘れるくらいに痛みは消えていた。仲間もキャディも話題にしなかった。

あれから、十二三時間過ぎているが、腫れと青みは若干あるものの痛みはない。忘れている。正解かどうか知らないが、今、たまたま持っているサロンパスの液体を時々塗っている。

今回も怪我に強かった。骨折しても、指をちぎっても一日も会社を休んだことが無い。診断書を貰うなら、一か月は休養加療と書かれることだが、こんなことくらいで休んでいられるかというのは私の思いだから、回りの人が心配するほど自分は心配していない。今回のことも、その人の思いがけないミスショットの責任ではない。私が、自己過信をし過ぎていたのです。このくらいの距離で見ていれば大丈夫だと判断していたのでした。それが、大丈夫では無くて皆さんに余計な心配を掛けてしまった。反省!!

前の組のキャディが見ていたらしくて、キャディマスターに連絡した。係り員の一人が二三ホールのちにカートで巡回してきた。誰か、日本人が気絶したらしいが、誰かと、私に聞いてきた。知らないよと答えていたが他のキャディに聞いて私だとばれてしまい。当たった場所をみせろとしつこく言う、しょうが無いから見せたが、あまりの何もなさにがっかりしていたようだった。ちなみにその係り員とは10年以上前からの付き合いで、冗談ばかり言いあう女性です。旦那は以前ドライビングレンジでコーチをしていて、親しくしていた。

 

隣のコースから飛んでくることも、たまにではなく、割合、頻繁にあります。くれぐれも、ご用心と共に、保険会社の廻し者ではありませんが、保険に入っておいた方が良いと思います。私は入っています。

ヤクルトおばさんとアイスクリーム販売

直撃 痛っ 心配

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(^_-)-☆禁煙に逆行

2011-06-12 23:28:09 | インドネシア

帰国のエアーチケットを手に入れた。これが、高くてびっくり、6月1日から燃料サーチャージが大幅に上がって、それだけで450US$である。ANAだったが、JALも同程度上げっているとのこと、ガルーダは7月1日から上げるらしい。ガルーダにすればよかったと思う。今月中なら、ガルーダをお勧めです。インドネシアへの戻りはレバラン辺りにして、変更できるようにした。

久しぶりのゴルフ、インドネシアで安く頻繁に出来るのもインドネシアの魅力の一つだったが、間もなく、残念なことになる。これ一つとっても、日本の方がマイナスである。

ディエン高原にある地熱発電所の近くから毒ガスが吹き出ていて、このあり一面のジャガイモの栽培に支障が出ていると共に、観光客の受け入れを自粛しているという。ま、日本人で行く人はほとんどいないでしょうが。ところで、ジョクジャからボルブドールへ行く道は修復されて、行けるようになっているらしい。しかし、ボルブドールの下まで行けるだけで、登ることはできない。相似が終わっていないからです。いつ終わるか、予定日も知らされていません。

 

インドネシアのテレビコーマーシャルを見ていると、タバコの宣伝が目立つ。タバコの製造工場では、向こうの端が見えないほどの広く長い工場で、女性作業者が一本一本、手で巻いて作っている。自動化は全くされていない。ざっと見ただけで、二千人以上が両手を必死に動かしてタバコを巻いているように見える。

インドネシアのタバコはフルターが着いていない物の方が多い。手巻きをしているから、フルターは付けられないのです。マイルドなどと書いてあるが臭いはきつい、ニコチンやタールは日本のタバコの10倍以上ではないでしょうか。小さい子供がバイクを普通に運転しているようにタバコも小さな子供も普通に吸っている。分煙、禁煙も云われているが、声が非常に空くいない。インドネシア中がタバコを吸うことを容認しているようです。ちょう座番付の上位にタバコ会社の経営者が入っていて、政治献金も彼らからが、一番多いし、スポーツ、劇場、各種催しものにパトロンとして彼らの存在は貴重である。サッカー会場には日系企業の横断幕が一番多いが、必ずインドネシアのタバコメーカーの名前もある。どんな団体でも、寄付を申し込めば必ず寄付してくれて、その代わり、名前も出さなければならない。

コマーシャル画面にインドネシア中の観光地が大げさに入っている。そんなに素晴らしい場所では無いよと思うところも、この、コマーシャルを見ると、素晴らしいところだろ思わされるインドネシア人は多いと思う。インドネシアの観光にも貢献していると言ってもいいと思う。

 

タバコ禁煙の政府キャンペーンなどは全く考えられない。タバコメーカーの経営が順調に言っていることが、インドネシアの政治も欠かせない条件なので、喫煙に甘い。これはインドネシアとして仕方が無いことです。世界的にも、同じような事情で、価格を大幅に上げたり、生産量を計画的に減らすなということは、自分で自分の首を絞めることになってしまうことは、多くの人々が、認識していることです。

日本人が買うタバコは、マルボロが多いが、150円以下である。インドネシアが吸う、インドネシア製のタバコは100円以下である。日本の価格は今いくらになっているのか知らないが、こちらは、安い。

チラチャップの中学生、ネットカフェ。 喫煙 雇用 寄付金

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(^_-)-☆国外の会社扱い

2011-06-11 21:02:59 | 体験

エプテ(ENTREPOT PRODUKSI UNTUK TUJUAN ESKPOR以外に問題は沢山出てくるのですが、例としてエプテを取り上げたので、ちょっと、エプテとその申請環境について書いておく。

 金属加工の会社が屑金属を塊や板に加工して販売する。プラスチック成型の会社がロスをペレットにして販売する。ダンボール会社が古紙を塊にして販売する。など、廃品回収業のようなことをすると、定款に追加してあれば、エプテとしての強化は下りない。

会社の名前にメタルが入っていれば、プラスチック製品の販売をする、という文句、

プラスチックと名前に入っていれば、金属製の金型を販売する、という文句が入っていれば、あるいは、金属プレス製品の販売が入っていれば、申請で、差し戻しをされる。

 こういうことを日系エージェントは、知らないので、事前に申請内容を読んで、まずいということがあれば、差し戻しをして、取り除くなどの対策をしてから、これなら大丈夫と判断して申請をする、これが当然の手法ですが、エージェントはそれをしない。読みもしないで、提出して、いつごろまでに認可されるでしょうと呑気な返事をしてくる。もうそろそろではないかと、エージェントに問い合わせると、初めて、現状どうなっているのか、聞いてくれる。その結果を伝えてくる。実は、こういう文章が入っているので、診査できないと言っていた。全く、新しく、その文章を取り除いて、申請書を書いてくださいと、他人事のように言ってくる。それは申請書をエージェントに出して大体三カ月後のことになる。三カ月棒に振ったことになる。

 また、一か月ほどのちに申請し直す、また、不備が見つかって、例えば、会社の名前の確認がしてなくて、アルファベットが間違っていたり、抜けていたり、話すところをくっつけて書いたり、チュカイの連中は途中で読むのを止めて、書類を一番下に置いてしまう。前に書いたことも、今回にことも、チュカイからは申請に間違いがあるから、シンセできないという、知らせはない。ただ、投げられてしまうだけです。だから、エージェントはまた申請者から催促があるまで何の手も打たない。こういったことがあると知っていれば、日系にエージェントに任せてしまって呑気に待っていればいという日本人担当者は駄目だということになる。

 それを、私が手伝っていた会社の社長や親会社の社長に、警告として伝えても、なかなか手を打たない。二年掛ってまだ、EPTEが取れていない会社がある。呆れるばかりです。

BEAは、税務署CUKAIは税関です。インドネシアでは、同じ建物に入っていて、中で別れている。どちらも税に関する役所だから、同じ組織の下に並んでいるインドネシアは正解だと、私は思う。

 

輸出が何十パーセントという規定がある。それに違反すると膨大な罰金を取られるという噂がある。確か、30%以内の国内売りは許される。相手がエプテなら輸出です。国内売りということはノンエプテに売ることです。ですから、主な取引先がノンエプテなら、大問題になってしまいます。こちらも、ノンエプテでなければならなくなります。先日、書いたのは、この問題です。

例外があります。国内の公共施設、例えば病院や軍などに納入していて30%を超えそうな時には、申請すれば、40%、50%、60%と、国内売りの比率を増やすことが出来ます。そういう日系エプテ企業を知っています。なぜかというと、その会社からの供給が止まると、公共施設で施設や部品や設備の不足してしまうからです。また、だからと言って、本当の外国から輸入するのでは関税も掛るし、納期のコントルールも面倒になる。価格でも調達時期の調整でも、国内のエプテ企業から調達した方が、国や地方に取って利益になるからです。

それでも、国内売りの%がどんどん増えては、余計な心配が増えます。そこで、そういう企業は、日本本社からやその他の海外製造拠点から、仕事を融通してもらって、輸出%を増やす努力を地球的しなければなりません。そういう会社はドンドン規模が大きくなります。国内売りが主な会社は今、急成長しています。

 

エプテは良く知って、賢く使いましょう。同じ会社でも、敷地を仕切って両システム巧みに使い分けている会社もあります。

 

出入り口の話ですが、一か所が原則ですが、交渉次第で、増やすことも出来ます。若干の裏金は必要です。インドネシアスタイルは何にでも通じます。

 

入り口は一か所、その脇にチュカイ関係者の詰め所を作らなければならない、規定にあるかどうかは知らないが、要求条件はエアコン、冷蔵庫、テレビ、ベッド、洗面所、カマールマンディがあること、ホテルとまでは言わないが、それに近い居住性である。掛け持ちなので、一か月に二三日来るだけなのに。

会社全体の囲いの高さは2m以上。

この文章の数字については保証しません、確認してください。

 

融通 アンダーテーブル コレクシ

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(^_-)-☆投げだせない責任感

2011-06-10 22:54:00 | 人間

誰の責任かって?少なくとも現地のこの社長さんの責任ではない。しかし、現地の社長さんが皆さんの尻を拭いてまわらなければ、事は収まらない。人によって事情を知らない人はその社長さんの無知が原因だというかもしれない。それにも、ひたすら、耐えなければならない。

この社長さん物作りに関しては全くの素人、経理や総務の専門家でもない。要するに経営者なのです。そういう専門家の人達を総合判断によりながら、うまく使って行くのです。全てのことに関して知っている人ということも出来るかもしれない。様々な業界の経営者の仕事を海外で20年以上やっている人です。会社の立ち上げも色々な外国で経験がある人です。こんな人も世に中には居るんだと思わされた人です。

それに比べ、私は、会社の社長をやったことはあるが、経営者をしたことが無い。技術者としてひたすら物作りをしただけです。人やお金のことを考える必要が無かった。給料はばら撒いたし、儲かる仕事は製品を作っていれば、評判だけで注文が来た。やりくりはしなかったし、営業もしなかった。社長をやめて、技術者として、日系企業に技術を提供したり、インドネシア人に技術を教えているだけなので、経営の苦労は知らない。

この方はサラリーマン経営者ではなく、経営請負人です。財産はある程度蓄えたし、年齢も60半ばを過ぎたし、仕事にへばりついて何とか問題が無いように余計なことをしないで、期間を過ぎることだけを考える、そういう必要もない。ですから、気にくわないことが頂点に達すればいつでも放り出すことはできるのです。その会社の社員が人数だけは幾らでも居るのですから、投げ出せば当然直ぐ誰かが取って代わるのですから、自分が放り出した後のことを心配する必要など何もないのです。それでも、義務感の強い社長さん、契約がまだ残っているので、途中で放り出すことはできない。満期まで勤めるつもりでいるが、日本での会議のメンバーになっていても、体調が悪いからと言って、出席を拒否すると、ささやかな、抵抗姿勢を見せていた。

 

社内で、その人の気持ちの話を出来る人がいないし、社外の人に軽々に話してしまうわけにもいかない。他に発散する人がいないので、私に話をするしかないのです。

 

私はなぜか、そういう対象になりやすい人らしい。経験は豊富で色々な事情を知っている、冷静さを失って、頭に来てしまうことも無い。女性、酒、タバコはやらない。ブログを毎日書いているが、そういうたぐいの人が私に話をしたことを、批判的に特定して書いたことはない。女性から見ても、そうだが、男性の友人たちからも、人畜無害人間と見られていることも確かだと思う。もっとも、話をする前に、ブログにまともに書かないでくださいと、念を押されることが多い。それほど、公にはできない、封印してあって、どうしても誰かにぶちまけたい悩みや墳慨があるのです。一代で急成長させた会社の商品で手伝いをしていましたが、それらの創業者社長さんからも、悩み事を打ち明ける対象人物にされています。日本に帰った時、訪問すると、必ず昼食を挟んで数時間以上話しこみます。実をいうと私は嫌ないのです。だから、なるほど、そうですかと、聞いているだけで、私の方から、ああしたらいいとか、こうしたらいいじゃないですか、というよなことは一切言わない。求められれば、言いますが。

それらの社員曰く、太田さんの様に長く時間を取る客はいないと。一体何を話すことがあるのですかと。普通は、長くて30分、サッサと次の客と交代だそうです。そりゃそうだ、忙しい人だから、一般的には分刻みのスケジュールになっているはずである。

だから、多くの経営者の方々から、私は書いてはいけない内容の話を沢山聞いています。これ等のことは、公開しない文章として保存をしてある。

非公開 容量 はけ口

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(^_-)-☆大変な社長さんが

2011-06-09 23:19:46 | 試練

 多くの部門があるのでそれぞれの専門家らしき大勢の日本人が駐在し、大勢の日本人が次つぎと応援?と言って出張で来る。来客も大変多い。その地位、仕事の内容、目的は多岐にわたる。順調とは言えないが、紆余曲折あって、現在に至っている。リッポチカランのヒュンダイ工業団地に二年前に進出した、プレスを主体にある程度のアセンブリや塗装などもする。その会社の社長さん、大変だと思う。本社のワンマン社長から、応援を頼まれたが、この会社を訪問した時に、現地採用に日本人スタッフの質の低さき、社長さん、こんなスタッフを日本の社長から押し付けれ、こりゃ大変だ、と思いつつ、手伝いを断ったが、社長さんとは、リッピチカランでよく食事をご一緒する機会がある。

 突然の状況変化もある。例えば、新たに進出してくるかなり大規模な会社がある。某プリンター屋さんのサプライヤーとして、である。日本の会社同士の打合せで、保税会社(EPTE)にする部門とそうでない部門(NONEPTE)を作り、この会社からの部品はEPTE部門で購入する。という決定が有った。その指図のもとに、現地工場も両システムに分けた。それも、申請して一年半かかってやっと、エプテ、ノンエプテ部門の操業開始許可が下りた。そして、打ち通りにEPTE工場に二億円という製造設備の設置を始めた。ところが、どうでしょう。その客先に考えが変わってしまった。というのも、その製品、インドネシアのノンエプテの会社に売るのですから、エプテではそれが出来ない。だから、エプテではない工場(ノンエプテ)の部門に納入してもらうと、日本での決定を覆した。現地工場としては覆すのは当然である。

 原因は、両方の日本の会社がエプテのシステムの内容を知らないので、知らない同士が、無税で装置を購入し、製品を売ることが出来るといううま味だけにとらわれて、条件について、全く、調べようとしなかったのです。ちょっとだけ、どちらかの、誰かが、現地のエプテの会社の人か、進出した工業団地の日本人職員に聞けばよかったのに、思い込みだけで何もしないまま、喜んで決定してしまった。その、決定会議か打合せか知らないが、事情を知らない人だけでシャンシャンとやったのでしょう。その場を想像すると、・・・です。感想を書けない。

 現地へ進出して初めて、客先は、これはまずいと知った。その会社の現地も客先の売り先がノンエプテなのにエプテ部門で組み立てをするのは変だと感づいていた。しかし、いまさら、決定は覆さないだろうと考え、現地同士の確認をしないまま、本社の指示通りにエプテ工場に、そのために大型クレーンや給水排水機構や機械装置の電気やエアーの工事もし、無税で機械を輸入し、設置をし始めた。装置の50%以上が入って、日本で作った金型も無税で入れてトライも始まった。来年初め初納入が始まるというスケジュールに依って、順調に推移していた。

 ところが、突然、ノンエプテの工場で生産をしなければならない羽目になってしまった。

社長さん、全く知らない場所で、決定が有って、その通りに担当者が進めていたのに、装置の移動先の環境を整えるためにノンエプテ工場のレイアウトの変更と新たな工事が加わって、何千万円の臨時支出をしなければならなくなったうえに、機械や金型の移動の手続きをベアチュカイとしなければならなくなった。どちらの期間もはっきり客先に云えないでいる。準備がいつ終わって、試作の始まりがいつになるという話が出来ない状態になっている。

 

西海岸の北半分、日曜日と月曜日の朝8時ごろ

 

愚痴 ストレス 気持ち

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(^_-)-☆現世浮世に戻ると

2011-06-08 22:34:03 | 仕事

斜めからインドネシアを見る 934

インドネシアで生きるのは二週間を残すのみ。しかし、たびたび仕事半分、リラックス半分でインドネシアへ来るので、別れに関する催しは何もない。7月のゴルフは申し込まないが、8月の後半は日本の夏休みとインドネシアのレバランが連続するので、かなりやると思う。あるいはパンガンダランへ行くかも知れない。

 帰国のチケットを手配したが、今月1日から大幅な値上げになったそうで、前回の倍近い金額の1200US$以上です。インドネシアへ戻るのは一応八月中旬としたが、変更が可能なチケットにした。

旅行記と写真集がまとまりました。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage123.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/yanto.html

 

焼き芋について、形は多分日本の市場では商品にならないでしょうが、味は日本の薩摩芋より甘い、おいしい。生のままの芋を売っている店で焼き芋を買うのだから、matangという必要がある。云わなければ、聞かれる。Ubi bakar(焼き芋)Ubi matang(生では無くて、焼くか煮るかオーブンで温めて柔らかくした薩摩芋)をよく買って食べる。はずれはない。マタンの意味は、本来、果物などが食べ頃に熟した状態をいう。料理の煮え具合や焼き具合にも使う。例として、肉や卵の焼き具合でSetengah matangなどと使う。

 

八日ぶりにタンゲランのカワサン インダストゥリー ムティアラにあるインジェクションの会社で、手続きの為に使った記録をファイリングしてきた。事務関係担当の日本人がいるが、これが、何もできない。説明しても分かったのか、分からないのか分からない。書類や記録も参考になるとは思えないが、いつまでも係わるわけにいかないので、終了まじかです。日本には、事情を書き送ってあるが、まともに受ける気配が無い。今まで手伝った会社は、そういうたぐいの会社が多い。結局、仕事が出来ない日本人から、私は殆ど成果を上げなかったと報告されるはずである。彼らの三分に一の報酬も貰っていない私が、言い聞かせているし、率先してやっているのに、これらは皆、彼らがやったことになるのが一般的です。そういうものです。可哀そうになります。

 

 カリマンタンの何頭の海で客船が高波の為に沈没した。105人乗っていて27人犠牲になって見つかった。その他は行方不明で捜索中。よくある話です。フェーリーが沈没することも多い。

 通勤列車の屋根に乗って通勤する乗客が多い。一種の自己主張なのでしょう。通勤列車は満員で閉じない昇降口からはみ出ている人もおい。これも、ささやかな自己主張。子供の時からトラックの屋根に乗ったり、ミニバスの中が空いているのに入口に乗って外に体を投げ出していたり、後ろのバンパーに乗ったり、勿論屋根に乗ったりすることが、自己主張になっている。子供の子らからのモラル無しの社会、教育者も容認している。バイクの無免許通学も見ないふりをしている。

 鉄道会社は、色つきの放水をしたり、電気を通した邪魔者を取りつけたりしているが、対策らしきものをすればするほど、屋根乗りに燃えるらしい。対策前より、堂々と当り前のように屋根の上に直行です。

 

 牛の放牧は普通、牧草地です。インドネシアの牛はゴミ処理場に街全体から集められた廃棄物の上に話されている。放牧とは言えないでしょう。生ゴミも産業廃棄物も分別が無いインドネシアです。多くの産廃の中から牛たちは生ごみを明後日いる。イスラムはきたないものを何でも食べて不潔な豚は食べてはならないと、聞いている。そう答える人が多い。実際の理由は知らない。それならここの牛たちはブラより汚くて不潔の上に重金属など蓄積すれば体に障害を起こしたり癌のもとになったりするものも食べている可能性が高い。それでも、ここの牛は食用として普通に売られてゆくという。保健所も毒では無いと保証している、そういう検査表見たいなものを発表している。ゴミ処理場も何かの利益があるのでしょうか。追い出すようなことはしない。その横でシャベルカーがゴミの山を慣らしている。

 

 ドイツ、ハンブルグ辺りから広がり始めたO104大腸菌の関係でロシアはヨーロッパ諸国からの野菜の輸入の禁止措置を取った。スペイン発のキューリが原因とコッホ研究所が発表した、今は取り消されているが風評被害が200億ユーロを超えているそうです。通貨ユーロの価値が下がる原因になりそう。風評でも何でも、日本の場合は円高になってしまっているが、ユーロはどうでしょうか。

朝ごはん、回りのカンクン、テンペ、アヤムゴレン(鳥から揚げ)、タフゴレン(油揚げ)、テロン(なす)が乗っている。ナスは大変おいしい。

 現世 人並み 危ない

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(^_-)-☆天国にニアミス

2011-06-07 22:25:04 | 複雑

四連休の最終日、昨日帰るつもりだったが、タシクからバンドンまでの工事で来た時に一時間ロスした、帰りは三時間以上ロスが予想されるので一日滞在を伸ばした。お陰で、10:00に出発し、16:00前には家に着いた。新記録である。もっとも、一人なので途中焼き芋を買ったのと給油した時間合計でも10分くらいだった。殆ど六時間走りぱなしだった。ちょこっと降りて写真は撮ったが。
初めてまともなサンライズに会うことが出来た。06:00前に何十艘もの漁船が次々と出発してゆく、日の出とともに出てゆく、東海岸の肩に近い部分の河口の奥に広がった川があり、そこに漁船は集結している。津波が襲えば決して安全とは思えないが、それでも、海岸に停泊させておくよりは流される確率は少ない。天然の良港になっているようだ。河口は浅くて、小舟でも船外機は使えない、人が押して海との堺まで行く、船外機が使える場所へ来た時、皆、乗りこみ、勢いよく出てゆく、インド洋の高い波に向かって突っ込んでゆく。あっという間に見えない遠くまで行ってしまう。もっとも、うねりの高さが二三mあるので、その幾重の向こうなので直ぐ見えなくなってしまうのです。
西海岸は昨日と打って変って人が少ない。何万人も来てその人達が全部いなくなってしまったのです。多くの店も青いシートで包んだ状態にしてあって、店の人もそのあたりには全く居ない。祭りの後、という感じ。それでも、ウミさんのワルンは8時に行ったときには開いていた。ミールグスとアヤムゴレンを食べて朝食とした。今回は、シーフードレスタランへは一度も行っていない。連れがいれば必ず何回かはパサールイカンとかチャガールアラムへの東海岸口の傍のシーフードレスタランへ連れて行ったご馳走ななければならないが、今回は必要なし、ミーバソ、ナシゴレン、ミーゴレン、ミアヤム、ミールブス、マサカンパダンなどなど、私を手伝ってくれた人たちの好みの一般的なここの食べ物を食べて過ごした。例の日本人はもう一週間ほどインドネシアにいるらしいが、私と食べたミーバソが、土地の料理を食べたのが始めてだったとか。エスチャンプルと共に、おいしかったと言ってくれた。後でお腹を壊さなければいいがと思うだけです。

パンガンダランに空港があるのは15年前から知っていたが、セスナをチャーターして来ることなど全く考えていなかったので、気にしていなかった。例の日本人はジャカルタから飛行機をチャーターしてきたと言っていた。それに、毎日一往復いるという話を聞いて、ガイドに聞いてみた。スシエアーという会社が津波の前からハリム、パンガンダラン便を飛ばしていると言っていた。早速、事務所の場所を聞いて、行ってみた。確かに有った。12人乗りのプロペラ軽飛行機でハリム発10:30パンガンダラン発は13:30でした。料金は往復で52万Rp,片道はその半額、飛行時間は一時間ということを確認した。バンドンからも毎日来ている。

今回は初めて一人での訪問だった。一人は一人で、これまた、いいものです。現地では大勢の人達に囲まれるのですから、一人では無いともいえるが、やはり、思い付きで自由に行動できるのが良い、また、人を待たなくていいのが何よりである。15年前から今まで知らなくて良かったと思う処を今回知って、知ったからにはと、行ってみた。万が一にも無い話だが、誰からも見放されて、あるいは、しがらみが全くなくなってしまったら、ここを竟の住処としたい。天国に一番近い場所だ。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/yanto.html
天国 感激 継続

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(^_-)-☆現世に戻ると

2011-06-07 21:22:08 | 状況

インドネシアで生きるのは二週間を残すのみ。しかし、たびたび仕事半分、リラックス半分でインドネシアへ来るので、別れに関する催しは何もない。7月のゴルフは申し込まないが、8月の後半は日本の夏休みとインドネシアのレバランが連続するので、かなりやると思う。あるいはパンガンダランへ行くかも知れない。

 帰国のチケットを手配したが、今月1日から大幅な値上げになったそうで、前回の倍近い金額の1200US$以上です。インドネシアへ戻るのは一応八月中旬としたが、変更が可能なチケットにした。

旅行記と写真集がまとまりました。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage123.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/yanto.html

 

焼き芋について、形は多分日本の市場では商品にならないでしょうが、味は日本の薩摩芋より甘い、おいしい。生のままの芋を売っている店で焼き芋を買うのだから、matangという必要がある。云わなければ、聞かれる。Ubi bakar(焼き芋)Ubi matang(生では無くて、焼くか煮るかオーブンで温めて柔らかくした薩摩芋)をよく買って食べる。はずれはない。マタンの意味は、本来、果物などが食べ頃に熟した状態をいう。料理の煮え具合や焼き具合にも使う。例として、肉や卵の焼き具合でSetengah matangなどと使う。

 

八日ぶりにタンゲランのカワサン インダストゥリー ムティアラにあるインジェクションの会社で、手続きの為に使った記録をファイリングしてきた。事務関係担当の日本人がいるが、これが、何もできない。説明しても分かったのか、分からないのか分からない。書類や記録も参考になるとは思えないが、いつまでも係わるわけにいかないので、終了まじかです。日本には、事情を書き送ってあるが、まともに受ける気配が無い。今まで手伝った会社は、そういうたぐいの会社が多い。結局、仕事が出来ない日本人から、私は殆ど成果を上げなかったと報告されるはずである。彼らの三分に一の報酬も貰っていない私が、言い聞かせているし、率先してやっているのに、これらは皆、彼らがやったことになるのが一般的です。そういうものです。可哀そうになります。

 

 カリマンタンの何頭の海で客船が高波の為に沈没した。105人乗っていて27人犠牲になって見つかった。その他は行方不明で捜索中。よくある話です。フェーリーが沈没することも多い。

 通勤列車の屋根に乗って通勤する乗客が多い。一種の自己主張なのでしょう。通勤列車は満員で閉じない昇降口からはみ出ている人もおい。これも、ささやかな自己主張。子供の時からトラックの屋根に乗ったり、ミニバスの中が空いているのに入口に乗って外に体を投げ出していたり、後ろのバンパーに乗ったり、勿論屋根に乗ったりすることが、自己主張になっている。子供の子らからのモラル無しの社会、教育者も容認している。バイクの無免許通学も見ないふりをしている。

 鉄道会社は、色つきの放水をしたり、電気を通した邪魔者を取りつけたりしているが、対策らしきものをすればするほど、屋根乗りに燃えるらしい。対策前より、堂々と当り前のように屋根の上に直行です。

 

 牛の放牧は普通、牧草地です。インドネシアの牛はゴミ処理場に街全体から集められた廃棄物の上に話されている。放牧とは言えないでしょう。生ゴミも産業廃棄物も分別が無いインドネシアです。多くの産廃の中から牛たちは生ごみを明後日いる。イスラムはきたないものを何でも食べて不潔な豚は食べてはならないと、聞いている。そう答える人が多い。実際の理由は知らない。それならここの牛たちはブラより汚くて不潔の上に重金属など蓄積すれば体に障害を起こしたり癌のもとになったりするものも食べている可能性が高い。それでも、ここの牛は食用として普通に売られてゆくという。保健所も毒では無いと保証している、そういう検査表見たいなものを発表している。ゴミ処理場も何かの利益があるのでしょうか。追い出すようなことはしない。その横でシャベルカーがゴミの山を慣らしている。

 

 ドイツ、ハンブルグ辺りから広がり始めたO104大腸菌の関係でロシアはヨーロッパ諸国からの野菜の輸入の禁止措置を取った。スペイン発のキューリが原因とコッホ研究所が発表した、今は取り消されているが風評被害が200億ユーロを超えているそうです。通貨ユーロの価値が下がる原因になりそう。風評でも何でも、日本の場合は円高になってしまっているが、ユーロはどうでしょうか。

朝ごはん、回りのカンクン、テンペ、アヤムゴレン(鳥から揚げ)、タフゴレン(油揚げ)、テロン(なす)が乗っている。ナスは大変おいしい。

 現世 人並み 危ない 

 

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(^_-)-☆ラフレシア

2011-06-06 22:56:20 | 状況

 08:00からウミさんのワルンを出発、それが、なんと日本人の若者と一緒、2日にジョクジャカルタへ行った日本人がいたと聞いていたが、まさか、その本人と今朝、会うとは思っていなかった。イワン君が連れてきたのでびっくりである。特に予定が無いので、一緒に連れて行ってくれというので、初めてのことだし、せっかくだから、一緒にチャガールアラムへ入ることにした。彼は、初めてで、まだ、ラフレシアの本物に会ったことが無い。ブンクルへ行ったらしいが、その時には会えなかったそうだ。今回、2日に全く差開く気配が無かったし、昨日、捜しまわってもらった結果も、無かったということだった。だから、私は全く期待していなかった。そのことを彼にも云っておいた。会えることは運が良いことだと、言っておいた。

 それでも、昨日と2日には、入っていなかったところまで入って探しまくった。なかなか見つからない。蕾は沢山あるし、咲いて何日か過ぎて真っ黒になってしまったものも沢山あったが、肝心な、今、咲いているというのになかなか会えない。結局、滝の上も過ぎて、もうないだろうと思っていたところで、独特の臭いがしてきた。必ずあるとガイドたちは確信したようだ、しかし、この場所も2日に私とガイドが臭いを感じて探した場所だった。あきらめずに、急斜面の上の方まで登っていてくまなく探しまくった。ガイドの一人が、あったと叫んだ。かなりの斜面に枯れ草、落ち葉が積もっているので、なかなかそこまで登れない。それでも、遠くから見えるようになった。今回も私の恋人とやっと会えることが出来た。同行の彼はかなり感激していたようだった。とにかく初めて幻の花に会えたのだから。私は何回も会っているが、それでもまた会えればひとしおである。良かったと思う。

 彼は花に鼻を押し付けても臭いを感じないと言っていた。その点、私は、インドネシア人ガイドが感じた時に私も感じていた。近づけば近づくほど臭いが強くなっていった。このにおいは本当に独特です。私にとっては決して良いにおいとは思わないが、このにおいに会えるとうれしくなる、ラフレシアを直ぐ見ることが出来ると期待できるからです。正しいかどうか分からないが、ドリアンの臭いも決して良いにおいとは言えないが、その臭いを嗅げば美味しいドリアンを食べることが出来るので、このにおいに会いたいと思う。

 

 チュウッグ、パナンジュン(滝)の滝つぼまで降りた。水量が一番多い時期で、しぶきが寒かった。ラフレシアに会った後なので、そこの景色にも十分満足した。

 帰り道、何箇所かで、道からそれて探してみたし、臭いも感じていたが、全て、つぼみでした。私の予測では、今ある蕾の多くは7月始めから順番に開き始め、それぞれ一週間ほど咲いていて真っ黒に枯れてしまう。8月中旬までの一か月半ほどは、何箇所かで、咲いているラフレシアに必ず会えるでしょう。もし、パンガンダランへ行ってラフレシアを見たいなら、その期間中、80以上の確率で、三つ四つの見ごろの花に会えるでしょう。私もその時期に訪れたいが、日本で仕事なので無理な話になってしまっている。

 

 東海岸のサンライズにも四日目で会うことが出来た。今日の西海岸の朝の人出はおそらく3万人くらいだろうと思う。遠浅の広幅の海岸が人人で埋め尽くされていた。

 夕方5時半ごろ、同じ場所は殆ど人いなくなっていた。三日間サンセットを見ることが出来なかった。今日も太陽を見ることはできなかったが、夕焼けは5分ほど見ることが出来た。落ち着いた、ほっとするように温かさがある夕焼けだったと思う。最終日にやっと、パンガンダランらしい夕焼けに会うことも出来て感激した。

 

新築のウミさんの家を見に行ってきた。8年前にウミさんのワルンに置くために持っていった椅子、私が行ったときにこの椅子でくつろごうと思ってでした。2006年の津波の時に海岸から本人の家にこの椅子は移されていた。もし、移していなかったら津波でどこへ行ってしまっていたでしょう。大変懐かしかった。いつになるか分からないが、今度訪問するときには、この椅子を海岸へ戻して、くつろごうと思う。

今回の写真集 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage123.html

ラフレシア 夕焼け 日本人

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(^_-)-☆色々あるらしい

2011-06-05 22:57:44 | 情報

 パンガンダランへは40回を超えたあたりから来た回数がわからなくなっている。50回近いと思う。最初は1997年、同じ会社の同僚二人と三人できた。ガルットを回った片道十五時間かかった。帰りチアミス経由だったが、15時間掛った。それ以来、一人で来たことはまったく無かった。一番、最初一緒だった女性は今、6年間日本での日本語学校や大学の保証人になって生活を手伝って、今は日本人と結婚し、日本に住んでいる人とでした。ウミさんや子供達も全員彼女のことは覚えていて、綺麗なお姉さんだったと今でも話題に出す。それから、日本人も大勢一緒にきた。今、スラバヤで生まれたばかりの赤ちゃんとご主人と一緒に住んでいるマリアさんとも10回以上来ていて、写真集に一番多く登場している。彼女の友達でウミさんの娘さんイヨさんは、私のWEB,SITEの表紙のロブスターの人です。今は、小学校の先生をしていて、職場結婚をした。今回はジョクジャへ子供たちを引率して出駆けていて会えなかったのが残念。ということで、一人はとにかく初めて。ロンボクまで一人で運転して行ってリンジャニ山に登った時、バリまで一人で行ってバトゥール山、アグン山に挑戦した時以来である。その時もかなり色々な誘惑、誘いが有った。

 パンガンダランでも、やはり男一人で来ると色々な誘いがあることを15年たって初めて知った。バリでは、何十年も前から、色々あることは知っていたが、パンガンダランよ、お前もか、という感じを受けた。色々詳しくは書けないが、マッサージの女性が色々話をしてくれた。この女性のマッサージが上手で私の体に合っている、毎晩呼んでやってもらっている、一回、一時間半で1千円です。安い。名前はイナさん。だから、日本人の男同士で来ても、何かと楽しむことはあるようです。遠いけれどジャカルタとは違う雰囲気で勿論海や山やジャングルや展望や水泳やダイブやシュノーケリングやヌサカンバンガンや各種遊戯道具やバギー、二、三人乗り自転車は、サーフィン、何といてもラフレシア発見、トレッキング、滝つぼ水泳、ロブスターや大型の蟹や各種魚のシーフード、各種熱帯の果物は当然。ここまでは知っていたが、夜もいろいろ楽しみがあることを知った。ジャカルタ、バンドン辺りで仕事をしている日本人だけでなく、一度、来て色々安く体験したらいいと思う。バリの半額以下で何でも楽しめます。

 最近、2007年の地震と津波で喪失した東海岸の砂浜の変わりの砂浜を増やすための縦に防潮堤が作られている、それを使って桟橋にし、バリのヌサドゥアように、バナナボートやマリンジェットやパラセーリングも出来るようになった。これはバリの真似で、パンガンダランらしくないと思うが、評判はどうでしょうか、客はインドネネシア人が98%以上なので、始めて見たが、長続きしないような気がする。この間バリでのパラセールは10分程で、15万Rp(1500円じゃく)ですから、同じ価格なら客はないと思う。

 

 チャガールアラムへ入ってラフレシアを探してもらっている間に一人で、ルンバープトゥリの下の海岸へ行って泳いできた。パンガンダランの西海岸のごった返した状態と小舟が頻繁に出入りする状態で泳ぐより誰もいない壮大な海岸で泳ぐ方が、はるかに気持ちが良い。

ただし、漁師が遠くに見えるだけで、一応、誰もいない海で泳ぐので、万が一の時は、助けはない。

 そこまで歩いて行く、途中に椰子の樹液から砂糖を作る家にお邪魔して、樹液を煮詰めている様子を見せてもらった。出来たての黒砂糖を貰った。そこの家の子供たちが、私が帰るときに家の前を通るのを分かっていて、家の前で待っていてくれて、渡してくれた。

 日本軍が作らせた鉄道線路の鉄橋は5年前までは橋げたと鉄路は残っていたが、今回は、崩れ落ちてしまったのでしょうか。橋脚しか残っていなかった。

 泳いだ海岸の向こうに見えるパンガンダラン、チャガールアラム、明日、また、ラフレシアを探しに入る。

 一人 自由 誘い

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(^_-)-☆チラチャップ、ヌサカンバンガン

2011-06-04 23:44:28 | 状況

 予定通りの行動で、パンがンダタンの西海岸ウミさんのワルンから08:00に車でスタート、バンジャールへ戻る方向に山道をクネクネ30分ほど走ると右側にマジンクラックの標識が見える、そこを右へ曲がって海の方に向かう。登り下りの狭い凸凹道です。山を抜けると、平野に出ます。見渡す限りの田圃です。アスファルトが禿げた道を10kmほど行くと、マジンクラックの漁港に着く。昨日からブッキングしてあった船外機のボートに乗り、チラチャップに向けてスタートです。以前ここから、ヌサカンバンガンの、いつもはパンガンダランの西海岸から一時間半、掛って行く、西海岸へ一度だけ云ったことがあるので、この漁港を知っていた。今回は、西海岸でなく、ジャワ島とヌサカンバンガンの間の海を通ってチラチャップへ行くことにしたが、途中、監獄を見ることが出来る、ということを情報として知っていた。

 この海は幅が10kmくらいで長さが、ヌサカンバンガン島と同じ20kmくらいである。一面マングローブしか見えない水路がほとんどである。どうでしょうか、私が知る限りでは、世界で一番広い、マングローブ林の湿地帯ではないかと思うほど、広大です。行けども行けどもマングルーブでした。

 狭いところで10mほど、広いところが300m以上か、人が住めるような湿地帯では無いので、家は殆ど見ることは無かった。ところどころに、網を張っている場所があり、そこには発泡スチロールの浮があるので、其処は避けなければんらない。

 

 目的の有名な監獄は、船が通過する場所から、一番近くても500mほどヌサカンバンガン島の内陸にある。私が想像していたのと全く違っていて、綺麗な白い塀と壁、屋根はインドネシアにはどこにでも有る赤い茶色でした。四隅に監視塔が見えなければ、これが、監獄とは思えない。ヌサカンバンガンは有名な犯罪者の多くが送り込ませる,泣く子も黙る監獄島と聞いていて、インドネシア人なら誰もが恐れる島です。行ってみれば遠くから写真を取るだけ、上陸して監獄に近づくことはできないと言っていた。私は、上陸して見学を申し込もうよと、ガイドら、ブートの操縦者に提案したのですが、理由もなしに、禁止だと云われてしまった。彼らは恐くて、そういう気分になれないから、そう云っているのだと思う。

 だから、私にとっては監獄島と云う印象は全くなく、マンブローブの貴重な林でこれは保護するか、もっともっと成長させなければならないと思った。悪徳政商と云われたボブハッサン、バリ爆発事件の主犯格、アムロジ(この場所で銃殺刑になった)また、スハルト大統領の二男、トミーも汚職で何年か収容されていた。ヘリコプターで自由に出入りしていたとか。

 そこを過ぎて、暫く行くとチラチャップの港に到着する。この町の主な風景は、プルタミナの石油備蓄基地と燃料を作り出すコンビナートです。内陸の方から何年か前に来たことがあったが、その場所には行けなかった。上陸して、サテカンビン(ヤギの肉の串焼き)を食べた。ソプ、ブルと云って、ヤギの足のスープです。腿の骨や足の爪先などの肉もそれとわかる姿で、煮込まれていた。いずれも、おいしかった。私の感覚に合っていた。

 

 帰りは11:00チラチャップスタート。殆ど同じ水路を通っていた。流石地元の船の操縦者、迷うことはなかった。帰港する前にヌサカンバンガンのいつも行く海岸へ回ってくれると云うので、任せたが、川の流れと云うか、瀬戸内海の鳴門のごとく、潮の流れがきつい時に当たってしまい、外海からの大波と内陸から外海へ流れ出す勢いがぶつかっている場所は3m以上のパイプラインになっていて私たちの小舟では、突破は無理とわかり、引き返した。

 

 マジンクラックの港へ戻ると、エイが二匹水揚げ垂れていて、売っていた。エイというかもう一匹はマンタのようだった。それぞれ1000円と1300円で買われていった。水族館でしか見とことが無いエイなどを死んだ状態でまじかに眺め、安い金額で売れていく、何となく妙な感じだった。

 監獄とサテカンビン、ソプブル。

 監獄島 小さい 目立たない

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(^_-)-☆また、パンガンダラン

2011-06-03 23:13:37 | 旅行

朝06:00に家を出て、パンガンダランへ向かった。途中、バンドンのバイパスを降りて、タフスメダンの店を過ぎたあたりから渋滞が始まった。とにかく二車線が三車線や四車線になっているので、進まない。この渋滞の手前までが2時間の08:00渋滞を抜けたのが、タシクマラヤ県の入口の門辺り、その前で、コンクリート舗装をしていて二車線が一車線になっていたのが原因でした。たったの5km程を一時間掛ってしまった。

後は順調に流れて、13:00に目的のパンガンダラン、西海岸のウミおばさんのワルンへ到着した。途中、速度的にはそう落ちなかったが、バンジーャルサリというバンジャールの南の町の道路が完全に壊れてしまっていて、未だ、雨季の名残で頻繁に雨が降るらしく、車の道は水が10cmほど溜まってしまっていた。両側の歩道はちょっと高いので冠水していない、排水が出来ないので、水の蒸発を待つばかりの様で、手の打ちようが無いらしい。そこで、車がくしゃくしゃの汚れてしまった。

待ちあわせの其のワルンで食事をし、14:00に半島のジャングル(チャガールアラム)へ出発、今日の私の付き添いはイワン君とアア君の兄弟、オーストラリアへ二年の契約で英語の勉強をしにいっているラシッド(元、私のガイド)君の弟たちで、ウミさんの息子達です。彼らに初めて会ったのが、14年ほど前ですから、その時は小学校の低学年で可愛い男の子たちだったのが、今は、いかつい顔をし、色も黒い、サーファーになっていて、ガイドとサーフィンのインストラクターをしている。主に欧米やオーストラリア人が彼らの相手です。私が来た時だけ、日本人の相手、かと、思っていたら、先週一週間ほど日本人の若者が一人で来ていて、今朝、ジャクジャカルタへ出発していたという。その相手も、イワン君がしたとか。皆、自立ができて、立派になってきたと思う。この家族、子供が11人、ウミさんが、皆、生んだのです。子供たちに私のガイドをしてもらって、その報酬をガイドをした子供たちに渡すのでは無く、ウミさんに渡すならわしになっている。子供たちに渡すと、ガイドをした子だけが貰えて、貰った子たちは自分の為だけに使ってしまう。だから、皆に、ウミさんに渡すからウミさんは当然、全員の為に使うから、という話をして、そうしている。今もそうだ。

 

ところで、残念ながら、パチャール サヤ(私の恋人)に会うことが出来なかった。蕾は沢山あったが、開いているラフレシアが無かった。最近は、私がジャングル入る時は必ず開いている恋人に会えていたのに、今日が落胆でした。

5日にもう一度ジャングルへ入るが、その前日に、ウミさんの今ここにいる息子達、全員の四人で、ジャングルの中へ入って手わけをして、ラフレシアを探して置いてくれること云っていた。期待をしたい。

今回は一人で来ているが、ここにいると、常に数人が集まるところに私はいることになる。ウミさんの子供たちだけでは無く、ガイド仲間やライフガードの連中がウミさんのワルンへ集まってくる。

 GOA JEPANゴアジャパンと云って、インドネシア中至る所にある日本兵の隠れ家というか陣地になっていたほら穴がジャングルの入口近くいにある。その地下道の上にそびえている大木。

 パンガンダラン 一人 ラフレシア

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(^_-)-☆食中毒は日常的

2011-06-02 22:49:34 | 複雑

肩の荷物を一つ一つ降ろす作業に掛り始めた。明日からはチュティブルサマ(年休を一緒に取りましょうという日)を挟んで四連休になる。作業は暫らく中止で、パンガンダランのサハバッ(友人)とパチャール(恋人)に暫くに別れを伝えに行く。

日本の震災や原発事故を怖がって、日本から逃げていったヨーロッパ人、日本全土が放射能に汚染されている。日本の食料は放射能に汚染されている。炉心溶融を隠していた日本人は嘘つきだとか言っているヨーロッパ人、今回の食中毒についてどう考えているのでしょうか。ヨーロッパから脱出したいと思っているのでしょうか。それとも、自分のところは安全だと思っているのでしょうか。政府や保健省、衛生省などの発表を信じていて、十分なチェックや対策を取っていると信用して、信頼しているのでしょうか。今の状態は、日本の方がはるかに安全、安心だと思うのですが、どう思っているのでしょうか。洗ったり熱湯消毒したりすれば大丈夫と思っているのでしょうか。

私が食中毒について知るのはネットからだけですから、軽々しくこうだとは云えませんが、菌は大腸菌O104と特定されていて野菜からとわかっているようですが、どこのどんな野菜からと云うことも特定できていないようです。スペインのキュウリから大腸菌は見つかったが、今回の食中毒の菌とは種類が違うようで、濡れ衣だったようです。ドイツに住む日本人がドイツから脱出し始めたら、ドイツ人はどう思うでしょうか。

 

その点、インドネシアの食中毒や密造酒で亡くなる人は後を絶たないし、鳥インフルエンザもあるし、それが、国内や周辺諸国で大きな問題になることはない。またか、と云う感じで、あまりニュースにならない。バソ(bakso)といってミーバソなどに使う肉団子です。牛肉のミンチを直径2Cmくらいのボールにしたもので、どういうわけか、赤くなくて、グレー色をしています。この肉が本当に牛肉だけかというと、そうでもないらしい。鳥や豚ならまだいいが、ゴキブリ、鼠や小さなトカゲや蛇など肉という肉は何でも混ぜる。中には、増量剤として、植物の繊維、紙なども混ぜて作っている。その製造過程をテレビで流している。とにかく、冷たいままで食べることはないので、熱湯で殺菌してあるから、食中毒にはならないらしいし、私も、大好きで安いから、よく食べる。お腹を壊したことはない。

それでも、食中毒事件は日常的に頻繁にあるし、原因の菌は様々らしい。多分、日本人の若者が、食べれば食中毒症状になる食べ物でも、インドネシアの人は食中毒症状にならないという食べ物も多いと思う。

ヨーロッパの人も日本人の若者に近い無菌状態で生活しているから、今後、どんな広がりを見せるのか、心配でしょうね。

 

ミーアヤムとミーバソ、バソが隠れて見えない。

放射能 食中毒 パニック

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