現在、21:30、ニュールンベルグの家に戻っている。10:00頃スイスのLa.Puntを出発、快晴、雲ひとつない、もったいないくらいの天気なので、通過道のオーストリアのインスブルックへちょっと遠回りして寄ってもらうことにした。
人影が無い方が、スイスからオーストリアへの出るチェックポイント、もう一枚、車を止めてチェックしているのが、スイスからオーストリア(EU)へ入るチェックポイント。私たちは、パスポートを手元に準備しておいたのに、いずれも、止められることなく素通りだった。
Innsbrukインスブルックは全くの初めて、冬季オリンピックが開催された場所と言うことと、イン川をセンターラインとして発展した街ということだけ知っていた。
かなりの大都市で、ポプラの大木があったり、メープルの大木の並木道があったりで、札幌と何となく似ているような感じがした。洗練された大通りやオリンピックを開催したという点でも共通している。
旧市街地は中世のお伽の世界、娘が、ヨーロッパ関連のツアコンを仕事としていたので、このインスブルックへは、何度も、来ていたそうで、イン川の橋の中央が写真撮影スポットだと教えてもらったり、金の屋根の家が有名だろか、そのあたりのホテルだかレストランの前に来店した有名人の名前を彫った石板が貼り付けられていて、なぜか、モールアルトの名前が一番上にあって、石板が新しいように見えた。余計なことだが、1999年にジョクジャカルタのスルタン(王様)の名前もあった。
オマケに婿殿が気を利かせたのでしょう、中国人が経営する回転すしへ連れて行ってくれた。実際に回転すしは人気があるようで、行列ができていて一時間待ちだという、しかたが無いので、回転から離れたテーブルに付き、セットメニューを注文した。私は“ニギリ弁当“でした。9.5ユーロ(約千円)お茶が2.5ユーロ。高い、と思うが、お客さんは満員以上でした。味は本物のすし職人は何と評価するか知りませんが、私にとっては美味しかった。
この町も、タバコの歩行喫煙者が多い、投げ捨ては一般的、おそらく、雪の下に大量にフィルターが捨てられたのでしょう、道の脇の背が低い草の中に無数に見える、サンモリッツと同じで一つ一つ摘まんで拾うか、草の下の土ごとはぎ取ってしまうかどちらかしかない。インドネシアならタバコのゴミも多いがその他のゴミの方がはるかに多いし、臭いので、タバコのフィルターは目立たないが、こちらの街は綺麗で清潔なので、タバコのフィルターが目につくし、他の臭いが無いので、歩行喫煙の臭いもすれ違った時、より臭く感じる。残念。
オマケがもう一つ、夏休みをイタリアやスイスやオーストリアで過ごしたドイツ人が、帰省し始めているのでしょう。今までになく、車の数が多くて、時々、徐行運転になるほど、詰まっていた。そんな中で、初めてアウトバーンで交通事故の現場に出会った。2kmほど手前の路肩にパトカーが止まっていて、屋根の上の電子版にクラッシュ事故と表示されていた。そのあたりから、渋滞が始まっていた。そのパトカーは渋滞になる手前へ移動していた。先を見ると、大きな矢印が見える。その矢印まで近づくと四車線から中央寄り一車線になっていたが、通行止めにはなっていなかった。なぜか、消防自動車も付いていた。
渋滞の様子はインドネシアとは様変わり、路肩を走る車は一台もない。その上、四から一になる状態に争いと言う感じが全くなく、譲り合いだけである。これほどまでという感じがするほど、お先にどうぞ、である。
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いずれのことも、Photo Albumを確認してください。
ともあれ、無事にニュールンベルグへ着いた。ここに後5日間である。
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