南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆良いことがある

2010-08-22 22:47:45 | 生活

完全に雨季の天気である。十数年インドネシアを知っているが、今年ほど異常気象の年はなかった。昼過ぎから土砂降りである、20:00になってもまだ降っている。

ワイヤーカットの行程に時間がかかってしまって、新しい金型の入手は月曜日になった。今日から生産を始めている。土日残業である。30日には最低200セット分納めるつもりでいる。従業員にとってはこの時期の残業は大変うれしいはずである。

 

レバラン前の特別手当は二週間ほど前に支給するのが一般的、大体、一か月の給料分を支給する。勤続が一年に満たない人ばかりなので、勤続月×12分の1で計算される。

 

 29歳でサラリーマンを辞めて、自分で仕事を始める準備を始めた。サラリーマンの時の上司だった、塩崎さんが経営していた、裾野、葛山の富士プラスチック精工で夜勤ばかり12時間の仕事を一年半させてもらった、約二百万円を溜めた。1972~3年のころである。妻が小学校の教師をしていたので、家には一銭も入れないで、私の収入を全部ため込んだ。家のローンも妻が払ってくれていた。今ドイツにいる子供の保育園などの送り迎えや掃除洗濯は私の仕事だった。それを資金に30歳で会社を作った。その後数年間の収入は設備増強に使ったので、やはり、妻には一銭も渡さず、ひたすら会社を大きくし、銀行の信用を得ることに努めた。その間、妻には申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。学校の教師をやっていてくれたので、私の仕事を成功させることができたと思っている。

 その妻は、今、日本の家で一人暮らし、なぜ、インドネシアへ一緒に来ないかというと、彼女は彼女なりにやることが一杯あるからです。民生委員をはじめ、町内関係の仕事、近くの小学校での色々な催しのボタンティア的な手伝い、生け花の指導、趣味の家庭菜園、染物の指導などなど、忙しい。私を自由にさせてくれている彼女を縛る権利は何もない。今は求める物も何もない。明らかに自立をしていてくれている。

 その忙しさをぬって、今日からニュールンベルグへ行っているという知らせが入った。来月4日まで滞在だとか、私は2日に着くので二日間だけ一緒にいることができる。ラジオ講座の独学でドイツ語をかなりのレベルまでマスターしているので、一人旅も彼女にとっては、負担にならないようだ。今年、一月四日以来の二日間だけの廻りあいである。十日後である。大変楽しみ。今年末に日本でまた会うことになるのだが。

 小学生の遠足の前のように、このことを含めて、最近、浮き浮きすることが一杯ある。楽しみなことが一杯ある。

 

 MM2100工業団地近くの風景、道端の瓜売り、断食の時だけ、売られる。レバランが終われば、スッと無くなってしまう。クルマ(ナツメの実)も同じ。味が無いので、砂糖やシロップで煮て甘くして食べる。

 近所で多くの牛やヤギやヒツジが飼われていて、団地内の草を求めて、近隣からやってくる。

 自立  手間なし  楽しみ

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