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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆複雑な心境

2019-04-21 21:13:46 | 

 3746 9時にインフォメーションによって、ラフレシアの状況を確認してもらったが、全滅。仕方がないから、今日は、前回行かなかったキナバルパークへ行ってみた。小雨模様で、1000m過ぎたころには、大粒の雨が降り出し、あいにく、このキジャン、ゴムホースの一部がやぶれて蒸気が噴出し、オーバーヒート止まってしまった。山の中、どうなる事かと思ったが、運転手、このことは、前にも何回もあるのでと、交換道具と部品を持っていたし、水も1.5Lを5本も持っていた。30分ほど、ラジエーターが冷えるのを待って、部品を交換し、水を入れて、再発進。

目的地の1500m以上の場所は、雲の中。キナバル山を全く見ない。キナバル山登山入り口までいってみた。

 

ここから先は、歩きになるが、入山許可をされている人だけしか通れない、と、止められた。入山の人数が限定されているそうだし、申請が込み合っていて、順番待ちだそうだ。3か月以上前に申請していなければならないといっていた。

 

そして、その下りの途中にある、花屋さんに寄る予定だったが、その裏の駐車場に車が一杯、パサールがあり、ミュージックバンドも賑やか、そして、何やら、お堀の石垣のようなものが目に入った。何かと聞いたら、昔の捕虜収容所だったところだという。どちらのと聞いたら、オーストラリア人やイギリス人が多く、ここで亡くなったという。是は、お祈りしなければならないと思って、中に入った。

 

kundasang war memorial  クンダサン戦争記念碑と書いてある。私が生まれたばかりのころの話だ。第二次世界大戦中、サンダカンからラナウにかけての「死の行進」により命を落したオーストラリア及び英国の捕虜を慰霊するため、1962年に造られた記念碑です。と、書かれている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Kundasang_War_Memorial

どういう事情か知らないが、事実だったのでしょう。こういう場所を尋ねると胸が痛む。明らかにインドネシア人ではない欧米系の人が大勢訪れていて、犠牲者の名前が刻まれた壁を食い入るように見ている。日本人は会わなかったし、日本人が来ることは稀だという。

 

15時過ぎ、コタへ戻る途中、マリマリという、伝統的村に寄ってみた。15時でクローズだという。明日9時にまた来てねと、受付の人から言われた。

 

結局、ラフレシアには会えなかった。コタキナバルとその周辺、駄目だね。街のあちこちにラフレシアの造形物や絵を見るから、近くでいつも見ることができような印象を与えているが、会える確率は非常に少ないようだ。パンガンダランのわずか数平方キロメートルの中や、スマトラのブンクルーやブキッティンギの方が、よっぽど、確率が高いようだ。

戦争跡 キナバル山 残念

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(^_-)-☆がっかりだが

2019-04-20 22:58:34 | 

 3745 前回、行ってみたラフレシア インフォメーション センターへまた行ってみた。今回は、その施設は、クローズ、無くなっていたことを確認しただけだった。

 

しばらくの間クローズの看板。その辺りの事を、タクシーが集まっている場所で聞いてみた。全滅だった、10か程前に咲いていたという情報が、空しい。

 

タラップは無い、ラフレシアも無い、何にしに来たの?である。お昼前にはコタへ戻って、ラフレシアの現状を知っているかもしれないと、インフォメーションに寄った。しかし、日本語を何とかできる女性が、対応してくれたが、結局、今日は休日で、問い合わせ先に電話してもでないので、情報を得られなかった。明日、9時に開くので、明日は、そこから、スタートしようと思う。

日本語で話してくれてるが、私はインドネシア語しかしゃでらないので、その女性に、“貴方、インドネシア人ですか、日本人だと思った”と、言われた。いや、“純粋の日本人だよ”と、日本語で答えた。貴方みたいに、自然にマレー語を話す日本に会ったことがないといっていた。まんざらでもない。

 

ワイファイを使えるホテルを探しまくって、6軒目にやっとぶつかった。昼寝を2時間ほどして、海岸のパサールに出かけた。タラップをあきらめられなくて、訪ね回ったが結局、シーズンじゃないと言われた。インドネシアでは見なくなったSAWOを見つけた。こちらでは、CIKUチクと言っていた。買って食べた、名前が違っても味は同じだった。美味しい。

 

チンベダックが山盛りで売っていたし、バナナの房の下にぶら下がっている、日本語で何と言うのか知らないジャントゥン ピサンや、椰子の実から目が出ているもの、これを土の上に置いておけば、椰子の木になる。その他にも、名前を知らない果物が沢山あった。

 

魚も刺身で食べられそうな、カツオやブリ、アジやサバ、水揚げされたばかりの魚が山盛りで売っている。焼き魚や揚げたものも売っていて、その場でたべられるが、ちょっと、勇気がなかった。焼き鳥や目刺しのようにして焼いた魚は、その場で食べ歩いた。全て、美味しい。私に合っていた。

板敷きになっている海岸を、以前の時に渡った沖の島々を眺めながらブラブラ歩き。浦島太郎は、こんなところまで来ているんだという実感があった。そして、一歩一歩が、いつか、この景色のずっとずっと向こうの日本へ帰ってしまう時が、近くなっている気がするし、玉手箱を開ける日が近づいている気がする。

がっかり 無駄 遠くへ

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(^_-)-☆まだできるからやる

2019-03-19 22:43:17 | 

 3713 体中が痛む、二階への階段を上がるにも、ちょっと、頑張る。10時から試作、立ち歩き、原料投入の方から引取機の先まで、さまざまな調整と条件の変更を繰り返す、引っ張ったり、押したり、寄せたり、離したり、閉めたり、緩めたり、やることが山ほどある。数時間、昼食抜きで続けた。サンプルを何本か得ることができた。時々、背中を反らせたり、腰を揉んだり、首を回転させたり、大丈夫を確認しながらの作業だった。若い時ならな、と思いながら。

 

製品の後処理は、しばらく寝かせて、大きさや長さの変化が収まってからになるので、金曜か土曜だ。4月1日には客先にもっていって評価をしてもらう。だから、どうしても今日でなければならなかった。

 

チャガールアラムの西海岸側から入るのが常だ。知り合いのガイドが大勢いるし、レンジャーもいるからだ。挨拶して、入る。入って直ぐ、猿が出迎える。持ち物を取られないように細心の注意が必要、スマホ、カメラ、飲み物、食べ物、帽子、眼鏡、何でも摘まめそうなものは、後ろから忍び寄るように奪い去る。何人も被害に会っているのを知っている。この猿、ポカリにボトルの底の方をかみきって飲んでいる。

 

ジャングルへ向かいのは私たちしかいない、入口に向かうと、大雨の後だ、道の低いところがプールになっていて、大回りをして進んだ。この辺り、サソリの生息地だ。2cmほどの穴が開いている、その中にサソリはいる。以前がその先、柵で仕切られていたが、今は、柵がなくなっていて、自由に入れるようになっているが、先へ行く人はいない、今日のようなコンディションが、人影はない。右に曲がって登りになる。すでに、密林の様相だし、つるつる滑るので、小枝があれば捕まって上る、細い太い木の根が、横になって露出している、滑り止めになる。下ばかり向いていると、倒れた木が、行く手に横たわっているので、頭上や目の前の注意が必要だ。

 

10分ほど登ると、急に開けた場所にでる。元はここが監視場所になっていて、監視櫓が3か所に有って、監視人がいた。監視人が見ていないのを見計らってここを通り過ぎたが、今は、ガイドは必要だが、通り抜けようと思えば自由のようだ。この広場の向こうにジャングルへの入り口がある。殆ど真っすぐ進む、茂みに入ると、購買が急になる。歩く場所も入るたびに変わる、流れる水や倒木がそうさせる。最初に難所だ。連れが一緒だと、ここで、必ず、こんな状態が、続くのか聞かれる。中には、既に、ここで、とんでもないところに、連れてこられたという人がいる。今日に場合は、最悪に近い条件だから、既に、吸ってんころりんの人がいるはずだから、なおのことだ。

 

また、10分ほど登ると、ちょっとした見通しが良い場所に出る、ここで、一息つく場合が多い。その先は、もう、完全にジャングルの中、道なき道を何となく、いつもラフレシアが咲いている可能性が高い場所を目指す。これらの写真は序の口だ。もっと先へ行くと、この状態に、岩がごつごつした沢にはいったり、沿ったりしながら、匂いを感じる場所に出くわすことを願いながら、進む。両側を目を皿のようにして見ながら進む。

痛い 速い 出きる

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(^_-)-☆戻りは何となく

2019-03-18 22:30:38 | 

 3712 15時半には家に戻った。8時半、雨が降りしきる中、ウミさんのワルンから出発した。体の節々が痛む、脹脛、腿、肩から背中、腰、何やら、このまま、痛みが増したら、どうなってしまうだろうかと思う。それでも、出発、バンジャルサリまで、1時間、その後、バンジャールを過ぎたのが30分後、カーブと坂、ブレーキとクラッチを盛んに使う、ハンドブレーキを使った坂道発進も多い、両氏の土踏まず辺りから攣りだした。昨日、昨日、ぐしゃぐしゃになってしまった靴は履けないので、パサールでアディダスの偽物の靴を買ったが、試し履きの時は良かったが、しばらく、履いていたら、どうも、違和感がでてきていた。

 

そのうち、脹脛や腿も攣ってきた。運転ができないほどではないので、走り続けたら、慣れてしまったのか、攣ってはいるが痛みがなくなっていた。感じなくなってしまったのかもしれない。すると、眠気が差してきた。タシクマラヤのバイパス的ジャランラヤで給油とトイレによって、顔を洗った。

 

その後、睡魔が何度も来て、顔にアクアを掛けながらの唯ひたすらの運転だった。居眠り運転を何度か繰り返した、その都度、頭を振ったり、目薬をさしたりしていた。なんとは、最後は、あまり意識をしていないうちに戻ったという状態だった。こんなことからも、連れがいてたら、連れは、後ろか横で、ずっと眠ってしまっているだろうから、一人で良かった。

 

バンドゥンのバイパスに入って直ぐ左、140km地点で、高速鉄道のバンドゥン駅の工事現場と思られる場所だと思う、ジャラントール脇に出入り口が付くられていた。ワリニ駅の工事現場への入り口も107Km地点にあった。まさか、高速道路を使って建設用大型重機が持ち込まれるわけではないと思うが。インドネシアと中国だから、やりかねない。もしそうなら、それでなくても、陸橋が傾いたり、路肩が崩れたり、大きな穴が出現したり、頻繁に高速道路の修復工事が繰り返されているのに、なお、致命的に高速道路が破壊されるのではないかと思う。

 

雨に中、パンガンダランの出口ゲートに向かう真っすぐな道、左側に新しくルコができていた。この辺りも、新築ホテルがドンドン出来上がっているが、聞くところによると、つぶれるホテルも多いとか、雨季ということもあって、閑散としていた。

 

途中、ところどころに渋滞地点、登りが急、カーブがきつい、道のわきが崩れ落ちている。

痙攣 睡魔 到着

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(^_-)-☆一人で良かった

2019-03-17 22:38:25 | 

 3711 大雨が止まず、8時から10時に変更して、チャガールアラムに入った。完全に、大量の水が、どこもかしこも、登りも下りも、歩く、狭く開けた場所は雨水が流れていて、登り始めから靴の中に水が入ってしあったい、とに角、滑る、つま先で蹴ってあること、必ず滑る、足の裏全体で蹴りながら登る。もっとも、この歩き方が山登りの基本だから、その歩き方は慣れていた。それでも、ちょっと急で、細い木の根が露出していない場所は、必ずと言っていいほど、ずるっとすべってしまう。そして、問題は下りだ、下りの場合はとにかく、滑りそうもない場所を探して足を置く、それでも、数え切れないほど尻もちをついたり、仰向けに転んだり、左右にも転んだ。泥だらけである、傷だらけだ。

 

倒木が多い、木の途中で折れているもの、根っこから抜けて倒れているもの、元々、ハッキリしていない道だが、それを完全にふさいでしまっている場所が多数、迂回しるには、生い茂った林の中、小枝ら蔓をかき分け、横たわる木をまたいだり、くぐったり、手をついてかがんだり、足を大きく上げてまたがったり、疲労と体のあちこちが痛む。頭を何回も打った。

 

そして、雨季の後半の今、意外では見られない水の流れ、石の上を歩くが、最初から、靴の中に無図が入ってしまっているので、お構いなしに流れに足を入れて歩いた。滑る石の上に載って、何回転んだか、水量が最大だ。パナンジュンの滝壺迄降りた。私一人できているので、下りた。連れが一緒だったら、絶対下りない、それほど、下り登りが、厳しい、一年で最大の水量の時期、普段は無い滝がいくつも現れていた。いつもの滝壺迄降りるためには、無かったはずの滝の下を頭から水を被って通過する。帰りもそこを通った。もし、一緒の人がいれば、絶対無理だ。

 

そこまで、ラフレシアには会えない、逢うのは蕾と腐ってしまって真っ黒の残骸ばかりだった。

 

帰りは、滝の上まで出て、ちょっと休憩、歩き出したが、その滝の上の沢を遡らなければならない、大量の水が勢い六流れている。その中を道を探しながら歩く、ラフレシアに匂いは全くなし、ひたすら、転びながら上り下りを繰り返しながら、とにかく、早く逃げ出したい、この環境から、という一心でひたすら、休憩もせず、歩きとおして、戻った。昨日の足が攣ったなどは、今日の足の攣り方は、序の口だ、平坦な場所に下りてきても、足が言うこと聞かない、右往左往しながら、車にたどり着いた。

 

結局、咲いたラフレシアには会えなかったが、大量の水のお陰で、いつもは見られない滝を幾つも見たし、その水量は、何十回も来ているが、最大で、豪快だった。落下の水によって、風が起きていた。一人でと買った、誰かを連れてきていれば、この情景を見ることはできなかった。

 

ゲート前の信号の四差路にできたモニュメント、日の暮れる前と暗くなってからのライトアップ

 

年寄りは痛みだすのに時差がある、明日の朝が心配だ。

豪快 転び 滑り

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(^_-)-☆今年始めて

2019-03-16 18:53:03 | 

 3710 午前中 MMの取引先に新アイテムの見積もりや試作のスケジュールの打ち合わせ。その会社からでて、そのまま、12時に、出発、パンガンダランへ。今、パンガンダランの東海岸よりのホテルにいる。

 

MM2100からジャラントールに入った。相変わらずのLRT,中国高速鉄道、高速道路の工事たけなわ、ところどころで車線が減る、故障者が所々で停車している、そして、洗濯板のような凸凹が断続的に出てくる、などなどで、カラワンバラットを過ぎるまで、のろのろ運転、バンドゥン方面の高速道路に入るところまで40km1時間以上掛かった。そこからは、順調、チレニ―の出口までMM2100から7万Rpくらい、とに角、支払はカードなので、残金が心配、入ったはいいが、出るときに足りないなっていうことにならないように気を使わま蹴ればならない。入ったときに、残金が示される、17万Rpだったので、これで、帰りの心配をしなくていいことを確認した。

 

そこまで、バンドゥンの南をバイパス的に通る高速道路、その北側の路肩の外側に、新しい塀が連続している、そのところどころ、主に、インターの近くで橋桁を作るための鉄骨の網を輪にしたようなものが転がっていた。この辺りでも、始まっているなと確認、ジャカルタから140Kmほどの高速の今度は見ない側の路肩の外に工事基地だろうか、その辺りにバンドゥン駅の予定里だろうか、赤土の土地が開かれていた。これで、チプララン高速道路沿い、意外の場所は、ジャカルタ―チカンペックとパジャラランーチレニー高速道路に沿って通ることは分かった。この間は、ほとんど平ら、長い橋もトンネルもない、工事は簡単だと思う。問題は、南北のルートだ、橋とトンネルの連続になるでしょう。

 

例の曲がりくねった上り下りが急な坂の道を通り、タシクマラヤを過ぎ、チアミスを通過した辺りで暗くなりだした。18時前、ここ迄、給油とトイレで、10分ほど止まっただけ、6時間、この橋は、ジョクジャカルタへ向かう道から外れて南に向ってすぐ、バンジャールの町に入る手前にある。虹のように塗装されていた。

 

その橋を通ると、コタ バンジャールのシンボル的広場に差し掛かる、金曜の夕方、多くの人で賑わっている。どこの町でも見られる風景だ、ここから1時間ちょっとでパンガンダランのゲートに入る。7時間半、途中、両足とも、攣ったが、軽度だったので、何とか運転し続けた。

 

どかった降ったかと思うと、からっと晴れ、途中、何度もスコールを抜けた。まだ、完全に乾季とはなっていないので、明日が心配だ。

 

今年初めてだが、多分、70回目近いかな。

気のまま 順調 攣る

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(^_-)-☆雨季真っただ中

2019-02-04 22:19:50 | 

 3670 近くなったし、近いうちにまた、行ってみようかなと思っているディエン高原、一般的にヒンドゥーの遺跡、カワーという温水が噴出している場所、ちょっとしたテラガ湖、そして、山また山のジャガイモ畑、花の季節は圧巻だ。ということですが、

http://otaenplaext.net/newpage330.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0308.html

http://otaenplaext.net/newpage36.html

http://otaenplaext.net/newpage35.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage04.html

私は、山葵、ワサビの加工工場、ポテトチップス(クリピック クンタン)の工場、地熱発電所、そして、なんといっても、ディエン三山(gunung sindoro dan sumbing dan prauシンドロ、スンビン、プラウ)の景色とサンライズ、特に乾季がお勧め、高速道路が中途半端な6年ほど前は、チカランからディエンまで13時間近くかかったが、今は、スマランから南にジョクジャカルタ、ボロブドゥール方面の途中まで高速道路は繋がっているので、山道に入る手前まで、高速道路から下りる必要なく行けるので、8時間以内に高原に行ける。

 

知っていれば、見どころ満載、途中のロサリコーヒーやチャンディ グドン ソンゴなど、また、南にヲノソボという、オランダ時代の別荘地、その南にボロブドゥールなどなど、一週間ほど時間が欲しいくらい、インドネシアの歴史に関して見どころ満載の中部ジャワのまた、中央部地帯です。

 ディエンから反対側、スマランからジョクジャカルタへ向かう右側に見える、シンドロ、スンビン

今日も7時半ころからゴルフ、13時前に終わったが、その間は天気が良かった。ちょっと、今日、感じたこと、ゴルフの新ルールにパットの時でもグリーンの外から寄せる場合でもピンは刺しておいても抜いてもプレーヤーの自由だそうだ、本当かな。グリーンエッジからチップインを狙う時、ピンを抜いてと頼めるとか、オンしてパットをするとき、ピンを刺したままにしておいてと頼めるらしい、何やら、面倒臭いことになっているようだ。

 

前の組、オンする前からキャディーにピンを抜いたり刺したり頼んでいるし、全員ONの後も、パットをする人ごとに、さしたり抜いたりしている。全員が穴に近付くにしたがって、穴の周りに集合して、旗が立ったり寝かされたりしている。新ルールはプレーを早くさせるためが目的で改定された結果らしいが、どう見たって、プレーを遅らせている、以前は全員がオンしたら、ピンを抜く、遠くて見にくい時には、抜かないで誰かだ旗を持って、位置が分かるようにして置き、パットをしたら直ぐに抜く、と、承知していた。その承知が間違っているかどうかは知らないが、それで、問題なかった。新ルールが本当なら問題だと思う。

 

今日もゴルフの後、会社で一仕事、家に帰って洗濯をしなければならないが、今までの洗濯機、脱水のモーターが回らなくなってしまっていた。それに、雨季、外で干すわけにかない、で、洗濯機と物干しを買ってきた。洗濯機が二層で1万円くらい、物干しが3千円くらいだった。早速使った。

 

この部屋?屋根があるが、外と同じ、雨があちこちからポタポタ、場所によっては、ザーっと入ってくるし、壁に幾筋もの雨水が伝って降りてくる線ができている。全体が水の撒くができている。雨どいからの水もこの部屋の内側の隅に流れ落ちるようになっている。洗濯機をどこの置こうか迷う。結局、この場所、電源が遠いが延長コードを使う、水源は近い、排水は、右のずっと先まで、雨水と同じように流れる、一応、かすかな斜面になっている。

 

い物の帰り、ジャバベカ2から南の黒雲、手前のメトロホテルの白壁には日が差しているのと対照的、ちょっと、パラパラと降り始めていた。

 

物干しを組み立てて、外に出そうとした時、どっと、ふり始また家の前の様子。

新ルール 外部屋 見どころ

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(^_-)-☆鼻水と疲れ

2018-12-28 22:42:42 | 

 3632 今年、最後のゴルフ、袋井だった。天気晴朗なれども、強風が吹き荒れ、枯れ葉、落ち葉が降り注ぎ渦を巻いている。グリーン上は、それらで敷き詰められ、払いのけることなどできない。そのまま、てきとうにパッティング、入るわけがない。鼻水たらたら、とに角、散々な状況の中、早く終わらせたいばかりだった。9;30スタート、やっと終わったのが、15:30 昼食時間45分だった。

 

紺碧の空だが、殺風景。インドネシアのゴルフ場とは・・・と思う。

 

シニアーコンペだから、そのあと表彰式、最初の組だから、一時間ほど待たなければならないが、もう待っていられない、商品をもらえるようなら、送ってほしいと、ゴルフ場に頼んで、脱出した。

 

日本でのゴルフは1月に二回、入っている。

 

というのも、孫会社の人達と食事会が予定されていたからだ。バイパスと東名をぶっ飛ばして、18:00に10分前、間に合った。友人が経営している日本料理屋さん、“くしまる”という名前だ。提供する料理の種類が多い、20;00に終わったときには、狭い店の中,満席だった。住宅地の中、目だたないが繁昌しているようだ。

 

一日中、足で車で入りまくった。打って、食べて、疲れた。

寒い 冷たい 美味しい

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(^_-)-☆外国人気分

2018-12-17 18:33:25 | 

 3621 富士山の裾野でゴルフの後、せっかくなので、富士五湖を回って帰ることにした。先ず、田貫湖で逆さ富士を見ようと、休暇村へ行ってみた。ところが、分かっていたことだが、逆さどころか、まともな富士山が雲の中。

 

その後、本栖、精進からの富士も雲の中、もう、諦めて、主道路から逸れて、西湖の北側の道へ向かった。

 西湖がまだ見えない、西湖いやしの里根場(ねんば)と書いた看板があった。始めて、目にした看板だったので、どんな癒しがあるのだろうかと、寄ることにした。広い駐車場があり、何やら、建物が目に入った。駐車場に入ると、その建物ではなく、左のチョット小高い場所に、茅葺?の屋根の家が何軒か目に入った。湖畔に向かう道は、何度も通っているが、このに着いては全く知らなかった。聞くところによると、1966年昭和41年、台風で、がほぼ全滅したそうだ。2003年から復元展示事業が始まり、2006年から、一部の公開を始めたそうだ。

 

駐車場から見上げた印象は、インドネシアのカンプンナガkampung Nagaだと思った。ということと、明らかに。外国人を乗せてきただろう大型バスが数台見えた。そして、その方に向かうと、大型バスが新たに到着、下りてきた人たちから、インドネシア語が聞こえてきた。

 

入場料を払って、番号順の家を見て回り始め、ちょっと、後ろを振り向くと、富士山、雲がなくなっていて、すっきり、完全な姿があった。そこのパンフレットに乗っているような風景になった。で、外国人も大歓声、着物を貸しだしたり、お茶のセレモニー→染物、水彩画などの体験も楽しんでいるようだった。シンガポール、インドネシア、タイランドからの人達と会話が弾んだ。外国人、それも、東南アジア、中国からが訪問者の90%だそうで、日本人は殆ど来ないという。ガイドブックで紹介されていて、忍野八海と共に、ツアーコースになっているという、そのガイドブックを持っている人も多かった。こんな、田舎、私も全く知らなかった。偶々、寄ってみて、日本人も一度、覗いてみたらいいと思った。日本昔話のテレビアニメの作家ご本人も接客を熱心にしていたし、その他、いろいろな、芸術品?作家の方々ご本人が、対応してくれていたのが印象的だった。そういうことは、外国人には分からない。

 

西湖の北側の道からの富士山と珍しい形の雲、忍野八海からの逆光の富士山、そして、山中湖に向かう大通り、富士急ハイランドの横あたりからの富士山、見事にはれ上がっていた。

篭坂峠を抜けて静岡県に入り、御殿場、裾野、沼津を通って戻った。16時ころ由比の海岸辺りを通過、ぐるりと、ゴルフ、富士五湖一周の旅というか、富士山ぐるりツアーでした。日本を満喫した一日でした。

外国人 富士山 トラディショナル

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(^_-)-☆サンザンな

2018-11-16 23:37:06 | 

 3590 夕方から、大荒れ、嵐のような天気、直ぐそばへの落雷の連続、勿論停電、それに、断水。ドアの下の隙間から水が入り込み、水浸し。それに、どうも、風邪を引いたらしい。トラックアンギンを飲みだした。

 

久しぶりの出勤、ナイフ自動カッターが納入されていた。今迄に物よりナイフのサイズが大きく、大きくて薄いプロファイル用だ。まず、ホギーのスリットパイプのトライをした。カット面の状態は大成功、後は、スリットの幅の安定化だ。カット後、直ぐに、水の中に落としてあるので、明日。その様子を確認する。隙間がOKなら、サンプルをだせる。

 

昨日、マリオボロのホテルから、16時過ぎにグラブタクシーで向かった。何分かかる?と聞いたら、「一時間半、渋滞の具合では3時間以上の時もある、今日は、出発は何時?」18;50。「多分、大丈夫」だった。町の中を走り始めた。渋滞が長い、来るままなかなか進まない、右折車が邪魔をして居る、どの交差点も、左折や直進(三叉路)は赤でも進める。運転手、巧みにそれを使う、右したい場合は、左折して、Uターンして、戻り直進する。そんな方法を駆使している、見事なものだ。彼らの出発の一時間前に到着した。ということで、町中から空港に行きたい場合は、4時間ほど前に出発しないと安心できないようだ。ジャカルタだけではない、ジョクジャも渋滞が酷くなっている。新空港が出いるらしいが、そちらにはどうだろうか。

 

歩道にずらっと並んでいる土産物、Tシャツ6枚10万Rp,3枚10万Rp,バティックのシャツやズボンが5万Rp,何もかも、確かに安い、だからと言って、沢山買っても仕方がない物、私はTシャツ3枚だけ買った。

 

もう一つの印象、空気の汚染が厳しい、ベチャがベモに変わり、バイクが怒涛のように乱れ流れて居る。ベモに座っていると、その排ガスを直接吸ってしまっている。臭い、むせる、くしゃみも出る。古都も汚染されれ行く。

 

 

会社の連中に何やらジャクジャの地元性のアンパンのようなものを沢山買った。今朝、皆に分けた。

 

三日間のジョクジャの旅、矢張り、皆さんの事に気を使うので、自分のペースではない、小学校の修学旅行で、鎌倉や上野などへ行った時も、私が集合旗を持っていた。全く、不満だった。今回も、その通りなのだが、皆さんに、感謝瀬れて、自己満足する。皆さんを空港で見送り、肩の荷が下りる。後、5日ほどバリにいるらしいが、無事に帰国を祈る。

停電 断水 落雷

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(^_-)-☆今日も疲れた

2018-11-15 12:45:57 | 

 3589 家に戻っている。9時チェックアウト、ベモ(ベチャモートル、ベントール)に分乗して、先ず、バティックの工場へ、実際に蝋で柄を描いている場所、その工場で、染め迄している工場と頼んだが、実際には、単なる店に連れていかれ、工場だよ、と言ったら、あ、そうか、次に行った場所は、一人のおばさんが、店の前で一人、布に、蝋で絵を描いていた、それだけ?、今は、この地区には、染め迄一貫してやっている工場、工房は、なく名手いるという。以前は大勢の女性が働いていて、皆さんで描き、その横で流れるように染めもした場所があったに、今は、工場で印刷だという。

 

ろうけつ染めの絵画の工房にも行ってみた。そこでも、同じだった。外でおばさんがやはり実演?をしていただけだった。手作業の仕事は、やる人がいなくなっていると感じる。小さい横長の蝶の絵を買った。シルクだ。その染める前のものも一緒に買った。合計60万Rp(5千円弱)

 

お決まりで、次はワヤンの人形つくりの工房にも行ってみた。どうも、本物の牛革(クルボー)を使った影絵に使う人形を作る工房だ。ここでも工房の前で一人が、その操り人形に絵に具?で色を載せていた。中に入ると薄暗く、壁に貼ってある人形が埃でくすんでいるように見える。2の男性だけでやっているという。陳列ケースの中に、何枚かの売りものが重ねられていたので、値段を聞いてみた。1ジュタだという。どうだろう、こんなに細かい仕事をして、色を塗り、8千円くらいじゃ安いだろ、と思うが、売れていないのでしょう、私は、この一枚?をかった。日本帰ったら、壁に張ろうと思う。

 

クラトンがオープンの時間だというので、直ぐに入った。どこも、そうだが、日本人だろとチケット売り場で言われる。慣れたもので、何人か分かるようだ。インドネシア人だ。といい、SIMを見せる、直ぐに納得、ここは外国人は3倍だった。

入ってすぐ、ワヤンの実演を実演をしていたので、鑑賞をする。その後、グルーっと左回りで、博物館をめぐる。スルタン(ジャクジャカルタ地方の王様)の館の一部が解放されているのが、クラトンと言われている。王室の催しはこの中で行われるという。私は、何回目になるだろうか。

 

タマンサリ(ヲーターパレス)ここも、すぐ隣で、お決まりのコース、白い塀の細道の途中に分かりにくい入り口がある。入ると、見覚えのあるずっと先の入り口が正面に見える。全てに思い出が沢山なる、多くに人と同じ道を歩き、同じ店により、同じような会話をいた。

 

ライオン1時間遅れの出発、友人は、その前に、バリへ向かった。私が一人、22時過ぎにジャカルタ、そいして、家に着いたのは24時を回っていた。

忙しい 歩き ベモ

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(^_-)-☆もう、大変

2018-11-12 20:22:01 | 

 3586 午前中はゴルフ、途中、大雨に遭遇し、1時間近く中断、雨季のインドネシアのゴルフはこんなものだを体験した。15時過ぎにゴルフ場を後にし、会社から、17時過ぎにタクシーで空港に向かった。中学の時の同級生、5人がやってくるのを出迎え、ジョクジャまでのエアティケットの手配と今日のホテルの手配、めんどくさいが、仕方がない、やってやるしかない。明日、4時過ぎのライオンエアーにした。大丈夫と言うしかない。

 

それにしても、渋滞の酷さには呆れるしかない。リバトゥやチカランバラットから高速に入ると渋滞にハマる活率が高いと思い、ティビトゥン(MM2100)からにしようとも思ったが、、待てよ、国道からゲートまで、高速道路の増設工事のため、今までの直進する道が閉鎖され、かなり遠くまで行ってUターンして戻らなければならないようになっていることが分かっているので、ここもやめ、その先のタンブンから入ることにした。そこまでの国道も、通過のコタチカラン、チビトゥン、そして、コタタンブンもそれぞれ、渋滞がきつかった。そして、コタタンブンからゲート方面に左折をした。これが、始まての道で、これが高速入口までのアクセス道とは、信じられないほど、狭いし、凸凹、そして、街灯が無く、真っ暗、カリマラン道に突き当たった。そこからは、いつか通ったことがある道で、タンブンインターから高速に入った。ここまで来れば、渋滞はないと思っていたが、いきなり渋滞にハマった。そこまで、既に2時間かかっていた。

 

迎えの時間、21;30には間に合いそうもないと、その時に、既にあきらめた。そして、延々と、渋滞、屋とオジュタイが終わったのが、ブカシバラットの先のリンカラン高速の入り口を過ぎてからだった。結局、空港に到着したのが、21時を回っていた。トイレも限界に達していて、なにをするより先にトイレに飛び込んんだ。

 

ターミナル間を移動するシャトル電車の乗り場、駅とに角、今日の役は終えた。

大変 渋滞 雨季

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(^_-)-☆夢の中

2018-10-10 22:24:17 | 

 

 3553 チカラン地方の工業地帯の現状チェックから始まって、キンタマニまで、5日間、慌ただしく、あっという間に過ぎてしまった。

 

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page237.html

 

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.html

 

2011年、単独でバリへ行った時の記録です。今回、皆さんと歩いた場所と重なっています。

 

 

 

ツアーコンダクターとしての役割は、何となく、果たせたと思う。平均年齢は後期高齢者、皆さん、ロング ロング アゴーのクラスメート、当時、そのままに、動き回ったら、とても持ちそうにないので、皆さんの行動速度に一番、気を使った。はぐれないように気を使った。特にバリ、初日の夜のウルワトゥのケチャッでの混雑ぶりを酷かった。こんなに入れるなよ、と思う。

 

 

 

食事に気を使った。日本食は最初から避けようと思った。せっかく、インドネシアへ来ているのだから、日本食以外で、お腹を壊さないだろう食事をしてもらうことを気にした。インドネシア料理が主だが、揚げ物、炒め物、煮物の色々を食べてもらった、スープ類も色々試してもらった。皆さんの評判は、押しなべて、良かったと思う。アッサム、マニスの料理が気に入ったようだった。日本に無い味付けなのかもしれない。ゴレン、バカールなども覚えてもらった、ガドガドも結構いけるらしい。私が辛い物が苦手なので、辛くしないように頼んでおいて、何種類かのサンバルを添えてもらった。皆さん、それらを付けたり混ぜたりして試していたが、これも、それぞれの好みで、美味しそうに食べてくれた。

 

 

 

最終日、バリの空港のレストランで、日本ではちょっと食べる機会がない料理だからと思い、ソ ブントゥットゥやミーアタムを食べてもらった。結構、大きな肉も入っていて量的にも食べ甲斐がったようだが、味を気にいったようだった。で、ブンブーについて話もした。

 

すでに、皆さん、手で食べるようになっていた。最初の内は、ナイフとフォークで、何とか食べていたが、私が手で食べているので、何となく、皆さんも手で食べるようになっていた。そのうち、インドネシア料理は手で食べた方が良い料理ばかりだねというようになっていた。勿論、どのレストランにも、手を洗う場所があることも知ってもらった。

 

 

 

満喫してもらたと思う、体の具合が悪くなる人もいなかった。皆さんの協力に感謝。帰国しても、皆さんの平穏な生活が長く続くことを願うと締めくくった。夢の中の出来事でした。

 

 

 

そして、夢から覚めて、新規の仕事の詳細を聞くために、デルタシリコン3の中華系の射出の会社へ行ってきた。医療用ではなく、普通のベッドのサイドバンパーだった。この会社は、それとセットになる製品を受注しようとしている。最終客先はバンドゥンだとか、金曜日にバンドゥンまで行って詳細の打ち合わせをすることになった。

満喫 無事 感謝

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(^_-)-☆皆さんと別れ

2018-10-09 23:28:14 | 

 3552 無事、皆さんをスカルノハッタ空港で見送った。慌ただしい数日だったが、過ぎてしまえば、あっというまだった。肩の荷が軽くなった。

 

昨日と同じように、朝、8時にアストンからスタート、先ず、キンタマニへ向かった。昼食後、そこから、時間を見ながら南にむかって、途中、プラ、ヒンドゥー寺院に寄るという、スケジュールだった。しかし、早く着きすぎてしまうので、途中、ゴア ガジャにより、それでも、早いので、ティルタエンプルにもよった。鯉の池や水浴びの場所があるところだ。

 

11:30にそこから、キンタマニに向かい、12;00にレストランに入った。バツールの北側から、赤い炎が上がっていた。野焼きかと聞いたら、自然発火だという。いわゆる山火事だ。火の粉が偶に舞って来るという。

かなり激しく燃えているが、消火作業をしないで放っておくらしい。手前に焼け跡が広がっている。

 

食事後、キンタマニでも、もっと上のダナウ バトゥール寺院に寄ってみる。以前、行ったことがあって、印象が良かった場所だった。熱心に説明をする人が付いてきて、マークの意味とか、カルデラ湖の縁にあった寺院は、噴火で埋まってしまったので、この場所に、1935年に再建したとか、ヒンドゥー年は、一年420日だと、一か月は35日だとか説明してくれた。

 

皆さんがホテルに帰る途中、ライステラスに寄った。この世界遺産の棚田、何故なったのか理解できない。インドネシアには他に、持った大規模な棚田は一杯ある、それも、バリの棚田に比べれば,100倍以上の規模だ。私にしてみれば、かなり上位のがっかり世界遺産だ。それでも、観光客で賑わっている、登録されて二三年後には、もとの、がら空きに戻るどこかと違って、不思議に賑わいが増している。

 

私は、空港で降ろしてもらい、皆さんがホテルに戻り、バッグを持って空港に来るのを待った。18;30頃、チェックイン、時間があるからと、ゆっくり食事をしていたが、皆さんと私の便が違っていて、私は皆さんより一時間早い出発になってしまっていたことに気が付いて、あわてて、私だけ、ゲートの場所を探しに行ってしまった。慌ただしい、分かれになってしまった。

私は、24時を回って、工場に到着した。

5,000 hilang di dua kawasan Paluプラの二か所の地帯で5000人が見付かっていない。

Semasa Balaroa, Petobo alami insiden tanah jerlus

見送り キンタマニ 分かれ

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(^_-)-☆タナロットなど

2018-10-08 22:57:46 | 

 3551 8時 アストンから出発するため、私のフェイブからは6;30に出て、歩いてみた。30分で着いてしまった。私のホテルは、クタ海岸入口ゲートを左に見ながら右に曲がってすぐのところ、途中に、ソゴーやワーターブームがあり、夜遅くまで賑わう通り、早朝は、ひっそり、歩くのに、人をよけない。前を見て、横を見、なにがどこにあるかゆっくり確認しながらジャランジャランだ。2Kmくらいだったでしょうか。昨日は、タクシーで大渋滞、25分かかったが、今朝は、閑散道を逆方向、徒歩、30分だった。

私にウェブサイトの一つの表紙にしてある場所、ゴルフ場も何度も来ているが、何方からも、他方を眺めるだけで、どちらからも、行ったことがないので、一度、行ってみたいと思っていた。

 

その後、クタビーチに寄って、散策、暑い砂浜の海岸を皆さん良く歩いたと思う、その前に、シーフードレストランで昼食、私にといってはお決まりのカンクンやイカンバカール、ウダンアッサムマニス、チュミチュミゴレンなど、皆さんとっては初体験の食事をしてもらった。安くておいしい、見事に平らげた。

 

ガルーダ・ウィスヌ・クンチャナGaruda Wisnu Kencana Cultural Park 前回来た時には、あのでっかいガルーダの像が未完成だったが、今回は既に完成しているので、皆さんに見せたかった。昨日、入口の前を、時間が無くて通過した場所だ。

観光客の多いこと、大型タクシーが次々とやってくる。入るとすぐに、バロンダンスの鑑賞ができた。昨日のケタッとは、会場の雰囲気が全く違って、広々とゆったりした会場で、ゆっくり鑑賞することができた。これは、着いていたなと思う。皆さんに、昨日の雰囲気は何方かというと、特殊だったと。その後、あの大きな、完成したばかりの像の下まで登った。皆さん大変だったと思うが、行く頑張った。その後、下ってきて、カフェで休憩、ゆっくり、懇談これもよかった、休めた。

 

ここの奥、左側に私が泊まったフェイヴホテルがある。

 

ここを右に曲がって、左に曲がれば、正面にクタビーチのゲートが目に入る。

 

閑散とした道の先、T字路、ここを右に曲がって、300m位先の右側に、アストンクタホテルがある。

 

ジンバランで食事、サンセットを眺めながら、贅沢な夕食、ロブスターやクラブ。大満喫してもらったと思う。

 

もう一日、今のところ、全員が、正常。まずまずである、もう一日、無事にと願う。

歩く 食べる 見る

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