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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆バリ島

2018-10-07 07:09:44 | 

 3550 9;35のフライト、かなり余裕を見て、5:30工場から出発した。タクシーの運ちゃん、今の時間なら1時間20分で着くよという。早すぎる。それが、もっと早く、ターミナル3に6;30についてしまった。3時間も前だ。チェックインカウンターへ行ったら、7;35があるから、それにしたら?と言われてしまった。ダメダメ、と、断った。

 

吉野家、日本でも入って食べたことがない、どんなものかと、食べてみた。このセットで500円くらい、高!味はどうか、“ほかべん“の牛肉と同じ味、インドネシアバージョンだ。わたしには合わなかったが、もったいないから食べてしまった。

 

10:00発だったが、順調に飛んで、バリへはバリ時間、12:30に外に出た。ところが、迎えのミニバス、5人分だから、太田さんは30万Rp払わなければ載せられないと言い出した。タクシーなら10万Rpの距離、HISの日本人に頼んでみた。全く、融通が利かない、規則になっているから、払っていただかなければ、乗せることはできません、の、一点張り、仕方がないから、タクシ―を使った。10万Rp払ったが、ブルーバードのメータータクシーなら5万Rp以下だ。HISそんな規則は見直した方が良いんじゃないの。

 

15時出発でムルアトゥのケチャックを見にいった。渋滞が所々であり、近くのコーヒー園まで、1時間半かかった。それでも、18時から始まるので、余裕があって、コーヒー園でジャコウネコのコーヒーを飲んでみた。コピ・ルアク(kopi luwak)というらしい、高級コーヒー?らしいが、もうし訳ない、あまり、逢わなかったが、飲みほした。そのあと、何種類かのコーヒーや紅茶などの試飲をし、ドリアン味が気に入ったので、その粉を買った。ジャコウネコは、アラビカ種の豆しか食べないという、食べるというか、飲み込むらしいが、本当かな、糞に豆のまま出てきている。全然、消化しないみたいだ。それを、洗ってきれいにしたものも、見せていた。

 

そして、目的のケチャック、18時15分前に入場した。もう、一杯一杯、観覧席には座れず、したのコンクリートに座らされた。18時始まったときには、お尻が痛くなっていた。狭い、入れすぎ、直ぐもの前デ、ケチャックが始まった。演出は派手、今まで、何回も見ているが、おふざけが多く、観客受けはしていたが、私は面白くなかったし、お尻の痛さが食いこんで、それどことではなかった。皆さんはこんなものかと楽しんでくれたようで、何よりだったと思う。19時終了、帰りは1時間で、アストンクタに着いた。皆さんとソトアヤムの夕食後、私が泊まるフェイブホテルに21時に着いた。

疲れ 不満 満足

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(^_-)-☆本当かな

2018-09-16 22:29:30 | 

 3529 ある新聞のイジェン情報を読んだ。旅行会社関連の人の実体験手記を載せたもののようだ。私も体験しているので、その手記を読んだ感想を書く。私の体験から、違和感を感じる内容が多い。先ず、お客様提供と書かれているブルーファイアー、真っ暗の中ではないと思う、blueじゃないですね。本当にきれいな青ですよ、素人の私でもきれいに取れました。暗い中、噴火している写真を撮って、修正によって、全体を明るくしたように見えます。明け方近くなって、周りが明るくなってきても、炎の青さは変わらなかったし、第一、吹き揚げる状態は考えられない、だって、山ほどある硫黄が燃えているのですから、どちらかというと、揺れている感じに近かった。噴出している感じではないから、近づいても、危険を感じない。

次に、登り始めて、一時間で火口湖への降り口に着いたようですが、これは、とっても、想像できない、インドネシア人、欧米人の、私よりかなり若い人いたち、私を抜き去ってゆく人はいないほど、結構、早く順調に、登って、2時間ちょっとかかった。手記に書いたが、途中の休憩所まで一時間だった。

http://otaenplaext.net/newpage120.html

http://otaenplaext.net/newpage121.html

“ブルーファイアが見える火口へ向かって約30分かけて降りていきます”ではなく、炎が下に見える場所まで登るのです。その青い炎を見ながら降りるのです。多分45°の下降だ。

 

 そもそも、夜中の二時に登り始めるというのは大間違いで、まったく知らないで行った私でも、タクシーの運ちゃんや駐車場のガイドに確認して、一時の出発にしたのです。旅行会社間連の人が行くなら、私より遥かに充分な情報を掴んでから行くでしょうに、どうなってるの。それに、2時から登り始めて、一時間登って降り始めて、30分で炎の近くまで降りたらしいですね。ということは、3時半に火口湖畔に着いている。それで、夜明けが近く、明るくなりかけている、というのは、変ですよね。私は、矢張り、3時ころ青い炎が見下ろせる場所に着き、見ながら、30分ほどで炎のちかくに、3時半ころ着いた、同じ時間ですね。十分、ゆっくり30分以上、撮影し、休憩し、1時間くらいかけて、先ほど降り始めた場所まで戻ったとき、5時ころ、明るくなり始めた。ずっと下に見てる青い炎の場所かまだ暗く、炎は見えた。本当は、2時に登り始めて炎の近くまで行ったのは3時間かかって5時近くに着いたんじゃないの。それなら、辻褄が合う。

 

登る途中、硫黄を担ぎ上げる天秤棒を借りて写真を撮っている。まだ、暗いですよね。

 

リアカータクシ―に関して、触れていないのも、腑に落ちない。行った人なら、この特殊な、私はインドネシアでここしか見たことがない、商売?シズテム、見てしまって、紹介しないのは変。見れば、誰だって紹介したくなるはずだが。

 

山のことはこれくらいにして、プランテーション、コーヒーは、インドネシア中あちこちにある。一昨日、小便と大便が真っ赤になったばかりのドラゴンフルーツの広大なプランテーションを紹介していない。ちょっと、街の南の郊外にでれば、なにこれ?という、妙うなサボテンのような植物が道の両側に広がる。これを紹介しないのも変。

 

午後、明日の準備のため金型を受け取りに行った。相変わらずの大渋滞と、汚い街?道端市場?

行った? 本当? 大丈夫?

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(^_-)-☆独立記念日

2018-08-18 22:16:41 | 

 3500ハリムルデカhari merdeka独立記念日である。外国選手は、派手な幟や旗があちこちに飾られているのを見て、何事かと驚いているでしょう。まさか、アジア大会を祝ってとは思わないでしょう。毎年、同じような催しがあるね。

 

朝早いが、渋滞を警戒して、4時、家をでた。そんな早朝でも、タンブンからブカシバラットを過ぎるまで、大渋滞、ボゴール方面に向かうリンカランに入る車が渋滞の素だった。そこを過ぎれば順調で、6時半に、ターミナル1ライオンエアー前に到着、ドメスティックは、一階だけで、到着、出発デートが、交互にある。ソラリアでイスミー硬焼きそば(400円くらい)を食べる余裕もあった。 時間通り8時離陸した。

 ドメスティック、以前は、飲み物持ち込み、国際線と同じように、駄目だったが、今回、試してみた。X線チェック、二回あったが、何も言われず、通過して持ち込んだ。大丈夫かなそれで。

 

ブンクルーには、10時前に到着、ターミナルから出たところに、タクシーのカウンターがあって、そこで、ラフレシアを見たい事と、明日、カバ山に登りたいといって、簡単な概略報道予定を離し、2日間の貸し切りタクシー(一日45万Rp)頼んだ。ガソリン代と食事代や運転手の宿泊代は別だという。早速、何年か前に行ったことがある山の方に向かった。約3時間走って、目的地辺りに着いたが、それらしき、雰囲気が無い。道端にラフレシアが咲いているよという看板が無い。仕方がないから、その辺りにいる人たちに聞いてみた。そして、一か所、ブンガバンカイを集めている人を見つけた。大コンニャクだけが、18株?あった。しかし、ほとんどが咲いてしまった後、木のようになっていて、それも、枯れるのを待っているだけが1数本、わずかに2本だけが、タケノコ状の芽が生えてきていて、大きい方は9月末から10月にかけて開くという、この写真がそれだが、今30Cmくらい、一か月半くらいで、2~3mになるという。今日の成果は、これだけだった。

 

明日、山登りをするため、歩きはじめる場所まで、車で行って、私と一緒に行動してくれる人を探して頼んだ。ここは,ガイドという職ではないが、飲み物などをそこで売っている家の男の子だ。Gn.Kaba1938Ⅿに登る。スタート地点が900Ⅿだといっていた。

 

Culupという街のGriyaというホテルに入った。夕食は、これ。カンクンとアヤムゴレンとテーパナス3万5千Rpぎっくりするほど安い。味も私には十分美味しかった。

 

こんなところで、日本があった。箱梨ティッシュペーパー用のケースだ。インドネシアでは、濡れティッシュや押しごりの習慣はなく、どこでも売っているtissueかトイレットペーパー(ロールティッシュという)をテーブルに置いてある。だから、それ用の入れ物が必要になる。

 

疲れた。昨日も0時過ぎに寝たが、3時には起きて出発し会社でタクシーを待った。殆ど寝てない上に、歩き回ったからだ。明日は6時出発の7時、登山開始になる。

 

しかし、今、パンガンダランへ行っているかゴルフをしていた方がよかったと思っている。

 ブンクル チャペ 株?

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(^_-)-☆二日目

2018-05-19 22:31:45 | 

 3409ラマダン突入ではじめての、金曜日、いつになく、モスジッドの前が賑わっている。チカランバラットからジャラントールに入りかけたトコロ、ゲート手前で、渋滞、ほとんど、進まない、こりゃ間に合わないと判断し、ゲートの前でUターンし、JLカリマランへむかった。これが正解だった。ガラガラ、ここは、運転免許発行所のまえ、高層アパートが、間もなく完成でしょうか。その向こう側にも、同じようなアパートが2棟並ぶそうだ。

その空いてる道を飛ばしていたら、突然、前のトラックが止まってしまった。しばらく、動かない、反対車線、向こう側からは、車が来ている。こりゃ何かあって、交互通行になっているなと感じた。そしてちょっと走り出したところで、前方を確認した。案の定、モスジッドだ。バイクと車が道を一車線塞いでいた。通りがかりの人たちが、お祈りをするのです。

 

 Timun SuriティムンスリとKurmaクルマが、ラマダーン時期に店に並ぶのが定番だ。瓜とナツメヤシの実ですね。瓜は、昔は高速道路の両側の田んぼが、ラマダンの3~4カ月前に瓜畑になり、ラマダンになれば、高速道路の両側に並べて売っていた。多くの車が路肩駐車で瓜を買っていた。今、この辺りでは、その面影はない。LRTなどのフライオーバーの工事現場になってしまっている。

 

断食って言ったって、日の出から日の入りまでの約12時間だけ、それに、しなくても、いいやという人が、日に日に多くなって、二週間過ぎには半数以上が、止めてしまう。終わりごろになれば、しっかり、断食をしたという人は10%にも満たなくなる。そのうえ、断食をした、しないに関係なく、断食明けには、たらふく食べたり飲んだり、大騒ぎになる。苦痛を共有し、仲間意識を高めるという目的らしいが、苦痛どころか、共に楽しんでいる。断食太りといって、断食を過ぎたころ皆さん、以前より顔がふっくらしている。

 

私は、出勤日、紅茶やコーヒーは飲んでいるが、昼食を食べていない。みんなから、プアサ?といわれる。そうだよ、普段から、私はプチプアサをしているのです。苦痛でも何でもない、食べる必要がないから食べないだけである。

 

27日のエアーチケットを受け取りながら、この会社の後継者になってくれるかもしれないインドネシア人に会ってきた。私の教え子の一人だ。プアサ明けから移りたいそうだ。時間が無くて、暗しい話ができなかったので、20日のブカプアサ、食事を共にすることにした。

 

星由里子さんも亡くなりましたね。私と同年代でしたね。学生時代、座頭市とか若大将シリーズ、暇つぶしに見に行きました。

錦織選手、勝っちゃいましたね、相手が強すぎだから、次はダメでしょ。大谷選手、6号ですね。

一週間後、帰国

二日目 転職 準備

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(^_-)-☆まいった

2018-05-14 22:32:58 | 

 3404 7時ホテルから出発、ウミさんのレストランで軽く朝食、帰りは、南海岸を西に向かい、タシクかガルット経由にした。せっかくなので、初めてで最後になる可能性が高い人と一緒なので別の景色を見せようとした。道は分かりにくいし、狭いし、右往左往や上り下りが厳しいから、あまり、お勧めできないが、景色は、こちらの方が魅力的だ。

 

ということで、7時半すぎにパンガンダランから出た。グリンキャニオン方面に向かう。バトゥカラスの入り口を過ぎ、そのあとは、ひたすら海岸を左に見ながら西に進む、道は良い、時には60km以上で走った。途中、なにやら地元も催しがって、パレードなどしている場所以外は、全くの渋滞なし、2時間後、ゴムのプランテーション地帯に差しかかかった。降りて、そこで仕事をしている人に、作業の様子を聞いたり、写真を撮ったりする。広大なプランテーション、車で通過するのに20分以上掛かる。しばらく走って、北に向かう、タシク、ガルッ方面だ。ここまでは順調。

 

その後が、マチェッ。渋滞に次ぐ渋滞、ガルッ方面に曲がったと同時に渋滞になった。ガソリンが心配になって途中、ボトルので5Lほど買った。というのも、そこまでのガソリンスタンドに寄ったが、コソン(空っぽ)といわれ、入れることができなかった。ポリタンクをたくさん載せて、入れに来た軽トラの行列ができていた。道の両側に、プルタミニが次々とある。それに入れるためだ。タンクローリーが来るとすぐに行列になるという。ちなみに1L,1万Rpだった。通常は8500Rp

 

 

ガルッに入ったのが、13時過ぎ、既に、出発してから5時間過ぎていた。ガルッ内はスムーズだったが、タシクからの合流点まで数キロのところで車が動かなくなってしまった。もう、イライラ、こんなはずではなかった。例のインスタスポットの道に差し掛かったのが、15時、そしてチレニのインター手前で又渋滞、ジャラントールに入ったのが、17時、そこから、順調なら、チカランバラットには、18時半前に着くはず、しかし、実際には、19時半だった。なんと、パンガンダランから12時間かかった。行きはよいよい帰りは怖い。トプララン、シャラントールができてから、行きは最速新記録、帰りは最遅い新記録になってしまった。

 

家について、頭がぼおっとして、直ぐに寝込んでしまった。

 

サンセットには恵まれなかったが、ラスレシアには会えた。これが最後になるかもしれない、もし最後になっても、良かったと思える旅だったと思う。

印象 最短 最長時間

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(^_-)-☆会えた

2018-05-13 22:40:41 | 

 3403 ラフレシア、会えた。来た甲斐があった。8時にチャガールアラムに入った。先々週、見つけた間もなく開きそうだった蕾が有った場所を目がけた。その辺りに着いたときに匂いを感じた。ラシッド君も感じていた。早速、周囲を探し始めた。なかなか見つからない、10分程度捜しまわって見つからなかったので、私だけ、別のあった場所へ行ってみることにした。すると、みごとに匂い始めた。一二分で見つけた。また、直ぐ咲きそうな蕾やその他、小さな蕾と一緒に見つかった。その花は、多分、三日四日前に満開になったもので、少し、黒くなり始めていたが、まあまあ、良い状態だった。

 

その直後、先ほど探していた方向から、有ったよ、と、声が掛かった。直ぐに戻って見ると、意外にも、先日、蕾を見つけた場所ではなく、沢の反対側の沢から高さ20m位のところに見えた。下から見えた。良く見つけたなと思う。周囲の枯れ葉と全く同じ色にしか見えなかった。

 

会えたということでは、ほっとしているが、十分満足のチャンティックというほどのものではなかった。小さかったし、数日後で、腐り始めていた。

 

ただし、お勧め時期だと思う。パナンジュン滝までの途中で二つに会えたのだが、その付近に、まだ、たくさんの蕾があり、滝を過ぎて、帰路に向かう途中でも沢山の蕾にあった。先々週に見つけていなかった場所にもあった。そして、10日後には必ず開いているだろうという、状態のものが2つ以上はあった。それに、1か月後、2か月後には開くだろうという状態のものもあった。今後、2さんカ月の間、たくさんの花に一遍に会えるわけではないが、必ず、いくつかのラフレシアに会える確率が非常に高い。今回会えたのは、会える確率が非常に高いと読んで、来て、予想通りに会えた。今後、しばらく、数や完璧な状態かどうかは保証できないが、必ず会えると言えるでしょう。

 

疲れた。体中が痛む、沢の岩のコケで、すってんころりん、右足の脛を岩にぶっつけた。今、はれ上がっている。必ず転ぶ、用心しても転ぶ、転びやすいところで探すから仕方がない。足元は躓きやすいし、頭は横になった木や枝にぶっつけやすいし、急斜面やコケが付いた岩では滑りやすいし、刀のように切れる葉、棘がいっぱいついている蔓や枝、上を向いている折れた木の尖った先、怪我をしやすいものが次々と出てくる。良く行くよと我ながらお思う。75歳近くになって。今回もこれが最後になると思って。

 

傷が痛々しいと思うが、痛みはほとんどない、歳を取ると時差があって、痛みを感じるのが遅くなるよ、今は痛くないが、2、3日後に痛みを感じるようになる、と、冗談。

対面 痛い ほっ 

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(^_-)-☆また来てしまった

2018-05-12 22:21:06 | 

 3402 7時、友人のアパートから出発、平日なので、EJIP方面に向かう通勤ラッシュのなか、チカランバラットからジャラントールに入る。東方面、道はガラガラ、ビアサ ディ ルアルbiasa diluarの順調に進む。結局、到着まで渋滞個所は一か所もなし、途中、タフスメダンとウビチレンブヲ購入するため、それぞれ、5分程度、150km地点のテンパッ イスツリハッで給油とトイレで10分ほど停車しただけで、13;35入り口に到着、信号待ちの正面に、新しいモニュメン、大カジキが出現していた。その向こうにゲートがみえる。

 

通常25000Rp払うが、今回は先々週のチケットを示して通過した。有効日数は何日でしょうか、聞いたこともないが、以前、半年前のチケットで入ったこともあった。

 

夕食は、久しぶりのパサールイカンだった。クピティン、蟹500g、ウダン、海老500gカンクン、空心菜、それにナシ、ご飯、二人分に十分な量、34万Rp、高くなったものである。ロブスターの値段を聞いた。600g40万Rp、高!。止めた。

 

http://otaenplaext.net/newpage326.html 

これは、多分12年くらい前に書いた、パンガンダランの紹介です。今に、合わない部分もあるかもそれません。最初に紹介している人の中にコビル君とありますが、かれは、数年前、不慮の事故で亡くなった。明日は、ラシッド君たちがガイドをしてくれることになっている。

 

http://otaenplaext.net/newpage21.html

こちらは、6年ほど前書いたものですね。写真、気に入ったものが重複しています。

http://otaenplaext.net/newpage21.html

こちらは、ラフレシアについて書いたものです。明日はどうでしょうか。

また 順調 元気

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(^_-)-☆旅とゴルフ

2018-05-02 22:07:40 | 

 3392 メイデイ、ハリ ブルーでした。各地でデモがあり、結構あれる雰囲気だったが、今年はどうだったか。TVONEでは、外国人労働者に関する討論会をしていた。

 

4月20日辺りから、仕事は2日しかしていない。今日でそんな旅とゴルフの日々は終わる?と、思う。

今朝、ウミさんのところで食事をし、6時45分に帰り出発した。昨日の客は土日よりかなり少なく見えたので、渋滞は、そう酷くならないとよんで、暗いうちの出発は止めた。8;20バンジャール、10:40チアウイを通過、順調過ぎる。ガソリン補給とトイレで5分ほど車から降りた。タシク前後の急な登りでも、営業トラックがないので、閊えることはなかった。チレニには11:30、手前で、ウビとタフを買った。12;50にチバトゥインターから出た。家に着いたのが13;15だった。6時間半、グラハタマンやチタフィラに住むようになってからの短時間新記録だと思う。山間部の渋滞がなかったことと、トールでは、時々120Km以上出せたくらい空いていたからだ、と思う。

 

サンライズにも恵まれた。とにかく、東海岸は、ほとんど、何まなくなってしまって。チャガールアラムへの入り口近くの私有地での土産物屋とシーフードレストラン、それと、昔からあるパサールイカンがそのまま営業しているだけ、その間の東海岸道路沿いには、ホテルというか安宿が点在しているだけになってしまって、日中は、寂しい通りになってしまったし、それに、昨日書いたが、護岸(砂浜を取り戻すためだとか)の景観は醜いし、流れ着いたか、観光客や地元人は捨てたのか、防波堤の足元はゴミの山になっている。そのゴミと防波堤の向こうの海に地引網網を夜設置しておいて、明け方に、道路から網を引っ張っている。小魚が入っているが、ゴミと仕訳けなければならない。

 

私の竜宮城の一つが、次第に俗っぽくなってきている。

 

この辺り、雨季には。田んぼが湖のようになってしまうので、一期作しかできない。田植えが始まっているが、大部分は、まだ、水が引いていない。苗代は、既に苗が成長している。この写真、車を走らせながら、前を向いたまま、カメラを横に向け、被写体を確認せずにとったもの、インドネシアの風景らしいと思った。電線を消したいね。

 

バンドゥン県からタシクマラヤ県に入ってすぐの山の中、南下するとガルット方向になる辺り、急カーブと急こう配、交通の難所だ。数年前に、そこは、東向き一方通行になり、西向きは、南側に三車線の道を作った。そして、その途中に、こんな場所ができている。だから、帰りだけこの道を通る。イスタスポットとでもいうのでしょうか、駐停車禁止だが、写真を撮っている。

変化 順調 帰宅

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(^_-)-☆のんびり 

2018-05-01 21:59:35 | 

3391 終日のたりのたりかな、いつも使っている相棒のラシッド君、アウェン君が、“太田さん、まだ行っていない滝があるよ”“ラフティングで下って、滝つぼ迄行く、最近、開かれた観光地になっている”という。それならと、朝、出かけた。方向は西、グリーンキャニオンの手前で北(山)の方に向かった。いきなり、狭い道、見通しも悪い、のごり下り、右往左往、向こうから来るが来たらどうなるの、すれ違える場所の間隔は少なくとも100Mはある。いきなり心配、おいおい、外国人高齢者の運転でこんなところに誘うなよ、と、思わされた。まだ?と。何回も聞いたが、どのくらいの距離とか、何分くらいかかるなどの返事がない、本当にこの道に、客が大勢来ているの?その気配が全くない。なお、山の中へ、民家がぽつんとあったかから、聞いてみた。この先に滝つぼ迄行ける場所があるのか?あるという、道は良くなっているよという。それならと、先へ行った。道がよく成るどころか、岩がむき出しのごつごつになってきた、車の底が時々当る。

 

この道は、入ったばかりの比較的良い道だ。これ以降は、写真を取る余裕がない道ばかりにある。

 

なお急こう配になる。こんなところに大勢、車で来るはずがないと、私自身が結論付けて、引き返すことにした。引き返し始めたたとたんに、二人が、以前、こんな道は通らなかったとい始めた。自分たちが示しておいて、散々、行き止まりみたいなところまで、行かせておいて、それはないよ。いい加減さに、腹が立ちだした。前は誰の運転でどの道で、行ったのか聞いたら、ジャカルタからのインドネシア人だという、じゃ、その道、は、覚えているんだね、なぜ、こっちに案内したのか?これに答えない。前に道で行ってみることにしよう、と私から言って、元の広い道に戻った。以前の道はどこ?答えない、誰かに聞くといって誰かに、電話をしだした。ところが、ウルサが切れて、電話ができないという、コンビニによって、プルサを補充し、電話をしている。その内容が、“今は、ラフティングは客がいなくてやっていないという、滝までの道は車が行ける状態ではないという”

 

全く、どうにもならない。呆れて、西海岸に引き返した。その後は、のんびり、東、そして、西海岸を歩いた。東海岸の護岸状態が醜い、店は綺麗になくなっているが、隙間が多く、ゴミが溜まりやすくなっていて、掃除もしにくくなっている。バナナバートや宇宙船のような遊具が増えている。チャガールアラムへの入場料、外国人、22万RPになっていた。現地人も値上げされていた。以前は、多くの人が、入っていたが、ほとんど入ってゆく人がいなくなった。昨日、一般観光客が入ることができるエリアに誰もいなかった。その辺りのガイドが以前は20人ほどいたが、一人にあっただけだった。その人も、今日は一度も入っていないという。

 

知り合いのチケット販売の公務員レンジャーに、“以前と今とどちらがいい?”と聞かれた。以前のままの方がよかったと答えた。不満そうだった。海岸で飲食をしながら、海を眺める場所が無くなってしまった。また、海で遊びながら、そのまま食事、休憩、土産物を物色、そういう場がなくなった。

 

ウミさんのレストランから西海岸を望む、以前は、その西海岸にあった。海岸で遊んだ人がここまで来ないし、ここで食事してから海岸へという人もいないでしょう。

 

サンセットの様子には恵まれたと思う。パンガンダランらしい写真が撮れたと思う。

呆れ のんびり 改悪

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(^_-)-☆パンガンダラン ナウ

2018-04-30 23:11:24 | 

 3390 何回目だろうか、また、パンガンダランに来ている。帰国する前だから、前回は、昨年の6月だったと思う。こんなに、空いたのははじめてかもしれない。

昨日からの四連休も多いので、滞を避けるために、2:30、出発、チバトゥゲートに入ったのが2:50、バンドゥンバイパスの出口、チレニイ、4;50、渋滞が全くなければ、一時間半だが、30分余計かかった。55000Rp,約100Kmだから、450円くらい、安いものだ。サンライズは山の中なので、世間が明るくなっても、直射日光はない。太陽を拝んだのは6:30を回っていた。バンジャールへは、8時ころついた。そして、パンガンダランのゲートをくぐったのが10時だった。途中、渋滞はほとんどなく、道の凸凹も不思議なくらい全くなし、以前、二回、途中で引き返したことを思えば、大順調だった。

 

着いて、西海岸へ向かった。様子が変、海岸の道側に並んで所狭しと有った土産物店やテントレストランが無くなっている。サーフィンの教習所もなくなっている。とにかく、すべてが無くなっていて、砂浜だけになっている。こりゃ、ウミさんの店もラシッド君のサーフィン店もなくなっているなと思いながらチャガールアラム方へ行った、やはりない。彼らはいったいどこへ、何件の店が追い払われたのか想像がつかない、それらを、何処かへ移動させたはず。以前、パサールパリウィサタを作って移動させたように。新築のそれらしき建物がいくつかあって、それらに店が入っているから、そちらに移らされたと想像できた。

 

仕方がないから。アウェンに電話した。ちょうどウミさんの店にいる、そして、私が待っている場所を確認して、バイクで迎えにきてくれた。導かれて行った場所は、新築の建物、その二階、新しい場所が与えられて、一見、よさそうだが、ここじゃ、客は来ない。気に毒な場所に移ったなと思った。

 

13時から、チャガールアラムへラシッド君と入った。結局、会えなかった。蕾にたくさん遭った、数え切れないほど有った。10日後に咲きどうな蕾は2つ、多分、今後、数カ月、次々に咲くでしょう、状態はどうか分からないが、一か月後辺りから、必ず、一つや二つに会えるでしょう。私は、近いうちにまた来ようと思う。会える確率が非常に高い。

 

途中ですれ違った女性。

 

西も東も店が全くなくなった海岸

 

蕾と10日ほど前に咲いた花。

 

新築の建物、この中にすべてが写された。

変化 蕾 田植え

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(^_-)-☆旅での印象

2018-04-26 19:25:10 | 

 3386 10時過ぎ、残る友と空港で分かれる。また、いつかといったが、高齢者同士、会わないかもしれない。ジャカルタへは14時前に着いたが、平日、マチェット(タクシー運ちゃんに言わせると、これは、アントレらしい)で家に着いたのは18時を過ぎていた。

 

日本人の日本語はほとんど聞こえなかった。聞こえてくるのは、インドネシア語と意味不明に言葉ばかりだった。特に、ウルワトゥの人出は、凄まじかった。猿が、多く、観光客は、カメラや眼鏡、HPなど、持ち歩かないように中止される。しかし、今回、サルが殆どいなかった。人が多すぎて、サルの方が恐れたのかもしれない。そして、ざっと見ると、明らかにインド人が多い。観光バスにもインド語だと思うが、それらしき文字が多い。

 

ホテルHotel Puri Nusantaraの朝食、非常に貧弱で美味しくもない。7時からで、8時にレストランへ行った。ごはんはあったが、二種類しかないオカズの一つがなくなっていた。もう一つは、テンペイとタフの角切りを味付けして煮たもの、これは、見るからに辛そうで、手を出せない。今、作っているという。仕方がないから、トーストにバターを塗って、紅茶で食べていたが、10分過ぎても、オカズは出てこなかった。他の人は、その辛そうなものだけでご飯を食べていた。評価ゼロのサラパン パギでした。エクストラベッドやカマールマンディなどの不満を含めて、格安ホテルだから、こんなものか。

 

このホテルの直ぐ側に昔からある、彫刻像、真っ白で良く目だつ、クタの方とは反対、空港の北端の外の道にある。Satria Gatotkaca Park Taman Satria Gatotkaca 交通量が多い、ロータリーの西側。何回か、ここの周りを様々な友人と写真を歩きながら撮った記憶は蘇る。

 

空港の南に見える塔のようなもの、像自身も高いが、丘にあるので、かなり遠くから、見える。完成すれば、もっと高くなるから。もっと。目だつようになる。Garuda Wisnu Kencana という名前の像だとか。この周囲の地域は、まだ、未完成でしょう。岩山を切り開いて作る彫刻公園は、ヒンドゥーの最大寺院になるのかもしれない。

 

ジャカルタに戻って、空港で二つ、一つは、自動販売機、この自販機だけかもしれないが、おつりが出ないということと、コインは使えないと書いてあった。もう一つ、ブルーバードタクシー乗り場があったので、行ってみたら、係の人が、順番待ちのカードを出して、呼び出し迄まって、という。タクシー待ちらしい人が、写真の大勢いる。妙な事に、見ていると、タクシーはブルーバード以外にも来て止まり、その辺りにいた人たちが乗ってゆく、かと思うと、複数の何種類かのタクシーが来ても、乗る人がいなくて、タクシー入ってしまう。なお変なのは、呼び出しをしていない。10分ほどして、たまりかねて、係に番号を示して聞いてもた。そしたら、これにすぐ乗りなさいと言われた。え、良いの?大勢待っているし、順番が来たと思えなにの?ま、いいか、乗ってしまった。インドネシア、わかりませ~~~ん。早く乗れたはいいが、タクシーの中で、膀胱が一杯にならないように祈っていた。結果、大丈夫だった。

 

しばらく友と過ごた、貴重な時間だった。

印象 記憶 再会

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(^_-)-☆南方面巡り

2018-04-25 21:26:10 | 

 3385 何故か、希望によって、南方面の海岸巡りの一日だった。海の上の高速道に乗って、ヌサドゥアNusaduaへ、ここでは以前、パラセーリングをした場所だ。10年前には、それと、バナナボートと水上バイクくらいしかなったが、今は、10種類以上ある。潜水服を着て、海底歩きが、お勧めのようだったが、値段が高いといって、誰も何もしなかった。

 

パンダワ海岸Pantai Pandawa、新興海水浴場、岩山を切り開いて、路を作り、海岸に至るようにしている、そして、大規模なホテルやアパートを建設中、近い将来、ヌサドゥアに匹敵するような観光地になるかもしれない。

 

ガルーダ・ウィスヌ・クンチャナGaruda Wisnu Kencana Cultural Park、山の中に、やはり、岩山の切り開いて、新興ヒンドゥー名所を建設途上だが、既に、ヒンドゥーの神々の大きな像が完成している。建設中のものも、まだまだあるらしい。

 

ニュークタゴルフと同じ場所のドゥリームランドDreamland Beach、私はここで、ゴルフをしたことは、有ったが、海岸に大きなホテルがって、その前が海水浴場?になっている。そして、何故でしょうか、欧米人が多い、80%以上だ。インドネシアの他の海岸、クタやブサドゥではほとんどいない、水着の人が多い。日光浴をしている人が多い。

 

最南端に近いウルワトゥヒンズー教寺院Pura Luhur Uluwatuまで、ここで、ケチャックを見ながらサンセットも見るという予定ったが、ケチャックは、ソールアウト、残念、サンセットだけの鑑賞になってしまった、それでも、満足できた。

この花は何?

 

夕食をとジンバランjimbaranへ直行した。なにこれ、シーフードレストランへの入りかたが、変、前に止めるのではなく、クルマが一台が入り込む。下ろされて、海岸方面、奥に案内される。テーブルについて、飲み物を注文した後、先ほど車が入った場所にある海産物置き場い戻らされて、選んで量をいって、料理法もいう。要は、そこで注文をする。その形式も気に入らなかったが、値段票を見てびっくり、高!!!パンガンダランの三倍以上だ。異常だ。キャンセルして飛ぶ出してしまった。食べるのを後にすることにした。

 

 空港の近くのクリスナ土産物屋Krisna Oleh Oleh Khas Bali、私は何も買わないが、みやげものを買ってもらうことにした。そして、その隣のホテルHotel Puri Nusantaraに入り、荷物を置いてすぐ、向かい側のレストランMen Tempeh, Ayam Betutu Asli Gilimanukでやっよ夕食、ここのメニューになぜか、寿司の何点かがあって、試しにサーモンとツナの海苔巻きを注文してみた。そして、止めておけばよかったと思った。

 

インド人が大いのに気が付いた。場所によって。中国人より多い。

 観光 買い物 食事

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(^_-)-☆お勧めは?

2018-04-14 19:36:22 | 

 3374 10数年前、PT,KITAGAWA当時、押出部門だけで、バスの旅、パンガンダランの東海岸、パサールイカン(pasar ikan)のレストランでロブスター食べ放題といった食事、この連中のほとんどは、現在、同じ会社での押出部門にいる。当時は全員が、20歳台だった。この中の一人、サイフール君、現在、金属労連系の労働組合長になっている。ベースアップは勿論だが、契約社員制度の廃止を要求して、結構、過激に活動している。私からの影響があるようだ。私のウェブサイトの表紙にある写真の一枚。

 

日本から見えられたお客さん。どんなところで、製品を作るのだろうかと、確認しに来たのでしょう。しかし、その製品に関しては、特に難しいことはなく、製品の話はほとんどしなかった。話は、インドネシアの旅というか、私の行動についてが多かった。私のウェブサイトも紹介した。お勧め場所も紹介した。ラフレシアの事も話した。 

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0075.html

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00092.html

始めて2011年2月

https://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/archive/2015/12/3

2015年12月3日のブログです。

http://otaenplaext.net/newpage48.html   http://otaenplaext.net/newpage49.html

2013年4月 シンガポールでビザを取ってジャカルタに戻り、そのままブリトゥンへ 向かった。 

http://otaenplaext.net/newpage66.html  http://otaenplaext.net/newpage127.html

昨年行った記録と写真です。

 

ジャカルタから超近場で、家族連れに最適な竜宮城。インドネシアの中の旅をしたいなら、日本からなら、ジャカルタ、トランジットで、まず、ブリトゥンへ一泊か、二泊で行ってから。他に行ったらいいと思う。とにかく風景は抜群、海岸も海もいい。ラスカルプランギもいい。内陸は鉱物資源採掘現場、錫や鉛、ボーキサイトだ。地理や社会科の体験学習が自然にできる。

 

もう一か所、遺跡巡りをしているという方がいたので、ジョクジャ周辺の観光コースは、当然、ボロブドゥールとチャンディプランバナン、そして、時間が許せるなら、その辺りに点在する、ヒンドゥーの遺跡を訪れるのが定番だが、せっかく、その辺りへ行くなら。コースからはずれているが、チャンディプランバナンに向かう大通りの反対側の丘の上のラトゥボコというヒンドゥー遺跡をお勧めした。ここからの景色は、抜群だ。ボロブドゥールのてっぺんから周囲を眺める景色よりはるかに良いし、ボロブドゥールからサンライズを拝む早朝ツアーもあると聞いている、私も個人的に日の出時間に行ったことがあるが、ラトゥボコからのサンライズの方が遥かに美しい。

 

ま、ブリトゥンもラトゥボコも、どこへ行くにも、お天気次第なので、乾季の方が、いいと思う。

組合 旅の勧め ブリトゥン

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(^_-)-☆ゆったり

2018-03-03 22:27:11 | 

 3332 予定では、きょう午前中にコタキナバルから戻って、午後、大使館へ行って、パスポートを受け取るはずだった。予定が崩れて、今日は、ホテルを移るだけになってしまった。徒歩10分くらいの距離、12時前にチェックアウトをし、歩いて、予約済のホテルに移動した。12時15分頃チェックインしようとしたら、2時からだといわれてしまった。さてどうしよう、暑い、カンカン照りだ。すぐ隣にあるマレーシアレストランに入った。インドネシアと何も変わらない。ナシクニンをメーンに、イカン、アヤム、そしてトロールを載せた。ホットコーヒー付きで15RM.約、400円、ま、こんんものでしょうね。

 

夕方は、ソッ ダギンだけだった。こちらの牛肉は、小さく切ってあるが、それが、硬い、それ以上小さくできないまま飲み込んだ。のどに閊えないように用心深く。半分ほどでお腹がいっぱい、こちらは7RMだった。

 

それから、どこへ行くったって、行く当てがない。インドネシア大使館前のゴルフ場の価格を調べたら、平日でも380RM,一万円もする。この暑い中、クラブやシューズを借りてまでやる気になれない。2時まで時間をつぶす、さて、“Lot10“イセタンのビルだが、地元の人にはロッテンといった方が分かる。ごちゃごちゃしていないし、涼しいし、トイレもある。なんといっても臭くない。こんな、恵まれた場所かほかになさそうだ。一見、町は、インド、バングラ、パキスタン系の男たちがたむろしているし、彼らが経営している店も多いし、工事に携わっている人も多い、ここには、それらの人が入ってこないようだ。差別意識は毛頭ないが、そういう人たちばかりの中を歩くのは、何となく、意識をしてしまう。

 

私だけだけではない。カフェでくつろいだり、雑談、商談?をしている人が目につくが、ベンチでぼ~~っとしたり、電話をしたりしている人も多い。混雑はない。十分涼んだ。

 

マイホテルという名前のホテル、到着した日に泊まったホテルだ。

 

KLの時間は変。ジャカルタより、一時間早い。経度的には一時間遅い、だから、日の出が8時過ぎ、サンセットが20時過ぎ、どうも、日本やジャカルタの時間と明るさ、暗さに慣れているので、変。

 

また、小学校に上がる前の事を思いだしてしまった。家の裏に畑がった、ある程度の自給自足のためだった。冬にはサツマイモの収穫が楽しみだった。そして、畑の脇にサトウキビを植えてあった。その気になったときには、折って、被りついて、噛み砕いて、甘い汁を吸った。そんなことを思い出しながら、本当に久しぶりにサトウキビの絞り汁を飲んだ。甘ったるい。こんな味だっかな、と、思いながら。

 

”旅に病んで夢は枯野を駆け回る”から、今日、初めて、旅先という感じだった。

 春節 ブラリ 涼み

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(^_-)-☆工業団地 1

2017-10-06 22:37:02 | 

 3184 ノーベル文学賞は、イギリス国籍のカズオ イシグロさん、っていう人でしたね。それでも、生まれは日本、ご両親は日本人だそうですね。村上春樹さんは、いつになるでしょうか。物理学賞では、日本の施設を使ったり、日本人が協力したりした結果でもあるという。今年も、日本に関係が結構あったようですね。

 

先日、会社に来られたお客さん、インドネシアに工場進出して3年になるという。名刺をいただいた。日本の近社のダイレクターと技術担当の方でした。会社案内にインドネシア工場の住所が入っているし、お二人とも、二回ほど行ったことがあるという。こちらから、聞いたわけではないが、スルヤチプタだという、続けて、“ジャカルタから3っ目のインターチェンジで、20Kmくらいのところにある工業団地“と説明してくれた。

違う違う、スルヤチプタは、ジャカルタから50km位離れているし、インターチェンジはその間に10か所あるし、また、増えているかもしれないよ。渋滞がなければ50分くらいか、渋滞が最高潮の時には3時間くらいかかるときもある。

Kawasan Industri Pulogadung

MM2100 Industrial Town

East Jakarta Industrial Park(EJIP)

Delta Silicon Industrial Park Cikarang

Hyundai International Industrial Estate

Delta Silicon 2.3.6.8

JababekaⅠ~Ⅵ

Kawasan Greenland International Industrial Center (GIIC)

Karawang International Industrial City(KIIC)

Kawasan Industri Mitra (KIM)

Kawasan Industri Surya Cipta

Kawasan Industri Kujang Cikampek(KIKC)

Kawasan Industri Indotaisei

Kawasan Industri Kota Bukit Indah

私が知っているだけでも、ジャカルタから、東に向かう、チカンペックまでの間に、これだけの工業団地がある。スルヤチプタは、遠い方である。このほかにも、ゴーベルやモデランなど、財閥系が国道沿いにもたくさんある。

 

 チカランバラットインターチェンジから南に曲がった道。ここの右側がEJIP、しかし、右折はできないので、左に曲がって、Uターンする。そして、左側には、Uターン場所のちょっと、向こうを右折すれば、ヒュンダイの工業団地に入るし、まっすぐ行けば、日本人がうじゃうじゃ住んでいる場所がある。

  前の車はUターンをしようとしている。朝6~8時だけ、右の対向車戦も南一方通行になり、ここで右折してFJIPに行ける。

工業団地 高速道路 インターチェンジ

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