南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆複雑な心境

2019-04-21 21:13:46 | 

 3746 9時にインフォメーションによって、ラフレシアの状況を確認してもらったが、全滅。仕方がないから、今日は、前回行かなかったキナバルパークへ行ってみた。小雨模様で、1000m過ぎたころには、大粒の雨が降り出し、あいにく、このキジャン、ゴムホースの一部がやぶれて蒸気が噴出し、オーバーヒート止まってしまった。山の中、どうなる事かと思ったが、運転手、このことは、前にも何回もあるのでと、交換道具と部品を持っていたし、水も1.5Lを5本も持っていた。30分ほど、ラジエーターが冷えるのを待って、部品を交換し、水を入れて、再発進。

目的地の1500m以上の場所は、雲の中。キナバル山を全く見ない。キナバル山登山入り口までいってみた。

 

ここから先は、歩きになるが、入山許可をされている人だけしか通れない、と、止められた。入山の人数が限定されているそうだし、申請が込み合っていて、順番待ちだそうだ。3か月以上前に申請していなければならないといっていた。

 

そして、その下りの途中にある、花屋さんに寄る予定だったが、その裏の駐車場に車が一杯、パサールがあり、ミュージックバンドも賑やか、そして、何やら、お堀の石垣のようなものが目に入った。何かと聞いたら、昔の捕虜収容所だったところだという。どちらのと聞いたら、オーストラリア人やイギリス人が多く、ここで亡くなったという。是は、お祈りしなければならないと思って、中に入った。

 

kundasang war memorial  クンダサン戦争記念碑と書いてある。私が生まれたばかりのころの話だ。第二次世界大戦中、サンダカンからラナウにかけての「死の行進」により命を落したオーストラリア及び英国の捕虜を慰霊するため、1962年に造られた記念碑です。と、書かれている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Kundasang_War_Memorial

どういう事情か知らないが、事実だったのでしょう。こういう場所を尋ねると胸が痛む。明らかにインドネシア人ではない欧米系の人が大勢訪れていて、犠牲者の名前が刻まれた壁を食い入るように見ている。日本人は会わなかったし、日本人が来ることは稀だという。

 

15時過ぎ、コタへ戻る途中、マリマリという、伝統的村に寄ってみた。15時でクローズだという。明日9時にまた来てねと、受付の人から言われた。

 

結局、ラフレシアには会えなかった。コタキナバルとその周辺、駄目だね。街のあちこちにラフレシアの造形物や絵を見るから、近くでいつも見ることができような印象を与えているが、会える確率は非常に少ないようだ。パンガンダランのわずか数平方キロメートルの中や、スマトラのブンクルーやブキッティンギの方が、よっぽど、確率が高いようだ。

戦争跡 キナバル山 残念

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