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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆形になってきた

2010-12-22 22:58:14 | 習慣

    受注生産の会社、工場は、なかなか、スタートが大変である。多くの会社の下請けになろうとする会社なので、それなりの準備が必要だし、客先からの厳しい監査をくぐり抜け、任せても大丈夫だというお墨付きを貰わなければ、なにも始まらない。

社長を始め、第一工場、第二工場、押出、射出、塗装、真空蒸着、営業、経理などなど、日本人の着任が揃ってきている。既に10人以上の日本人が赴任してきている。来年初めにもう二人増えるらしい。私ともう一人が出るが、それにしても、一般的に百人に一人と言われている日本人が今は二十人に一人以上の割です。これから、どんどん装置を入れて、人も入れて、急激に生産量を拡大する予定になっている。順調に予定通りに伸びることを祈る。

 押出のISOは既に取ってあったが、会社全体としてもISOの認定を受けた。来年から、いよいよ、インドネシアで目立った動きを開始するでしょう。

 

 会社に申請できずに自腹で金型の修繕を頼んでいたものが多かったが、今日、其の最後の支払いを終えて、未払いは無くした。勿論,会社へ寄付する部分が多いが、自身の研究や勉強になっているので、普通だと思っている。

その他には身辺整理はなにもなし、また、すぐ、インドネシアへ出てくるので、現在の会社関係以外は全て継続である。切る物は何もない。

 

 会社から出るが、今回は自分から望んだ道だから、円満退社ということになるだろうし、この会社との縁が全くなくなるとは考えていないので、また、いずれかの機会に潜り込むかもしれないし、外部からお手伝いすることになるかもしれない。とにかく、先ほど到着したVIPとの話が残っているし、日本でも年末年始で二日に渡って顔を突き合わせることになっているので、縁は切ることはできないし、切る必要もないし、切られてしまうこともあり得ない。お付き合いは続く。

 

 AFFスズキカップの決勝はマレーシアと26日マレーシア29日インドネシアで行われるらしい。

 チアトル付近の道の様子。登り下りに右往左往の連続である。

 手伝い 縁  近況

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(^_-)-☆雲泥の差の序

2010-12-13 23:05:10 | 習慣

    私が赴任した時は、工場はまだない、従業員もいない、装置もない、仕事のあてもない、インドネシアには何もない、その世界の中で私の仕事は始まった。エンプラの押出成形の技術をインドネシア人に伝える仕事です。

 振り返って、私が、押出成形に出会ったのは、ドイツから輸入した装置に出会ったときからでした。大学を卒業したばかりの張り切っていた時でした。それを使いやすく改造することから始まった。それは、私の各転機、その場での仕事が終わろうとしているときに、後を継ぐ人がやることと同じだと、今は、思う。 他人が作ってしまった装置で他人が作ってしまった製品を、その装置の不足点、その製品の不満足点を見つけ出し、改善を加えるのです。創造的ではない、ただ、一種の荒捜しような感じがした。収率を上げても、使いやすくしても、寿命を長くしても、作業を単純化しても、所詮、後追いですし、借り物の装置や製品をいじっているだけであり、独創的なものが何もない。

 こういうことは、私がやらなくても、時期が来れば誰でもやることで、誰もが、そうしたいと思うし、ちょっと、手柄を主張したい人が思いつくことです。嬉しくもなんともなかった。充実感が得られないどころか、空虚な感じがした。

 

 ギックリ腰がまだ尾を引いている状態でゴルフでした。オリンピックは一人負け、意気消沈しながら帰る途中、いつも通る果物屋でドリアンを仕入れた。タイからの輸入ドリアンです。手前のカートンケースの中身です。

 

 無し  未開  後追い

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(^_-)-☆実益を兼ねている

2010-11-30 23:29:40 | 習慣

 旅も趣味です。特技とは言わないでしょうが、どこでも、物おじすることなく思いつけばその場所へ行ってしまえることは特技に値するかもしれません。

思い立ったが吉日、思い立ったが吉時間、思い立ったらすぐに出発します。仕事も同じです。思い付いたら直ぐアクションします。金型を直す、装置を直す、作りかえる、原料をいろいろやってみる、その都度、自分で直ぐに動きます。他人に頼んで、待つということはしません。頼んだことなら、常に、状況を知っていないと落ち着きません。

 

 

旅は、他人にくっついて行くことはありません。団体、グループ旅行は大の苦手、会社の慰安旅行などはまったくつまらない。個人で自由に適当の行きあたりばったりで行くのが一番いい。困ることは何もない、試練に当たることはあるが、それも、旅の一つ、何とかなっているから、今があるのです。

ゴルフのツアーを誰かが企画してくれて、付き合いで参加する時も、そのリーダー役の人が困ってしまわない程度に、お断りして、離れています。勿論ゴルフには参加しますが、やっていない時には別行動をします。私についてきたい方は拒否しませんし、良く面倒も見ます。団体行動が出来ないというより、ぞろぞろ付いてゆくのが嫌なのです。他に何か自分で行動すれば、皆さんと違った何かを見たり出来たりするのではないかと、もったいなく思うのです。

 

旅をして後味が良かったと思うことが出来ることが旅の条件です。今まで、旅をして後悔したことは一度もありません。団体力以外は。というより、後悔するような旅行は自分でしないからです。納得がゆく旅行しかしないからです。今週末には、警戒火山で5日に大火砕流を派生させて200人以上亡くなった、ムラピ山の近くまで行くつもりです。ボロブドゥールは閉鎖中と聞いているのでどういう状況か確認することと、チャンディ プランバナンの様子も見てこようと思う。チャンディ プランバナンは2006年のジョクジャ、バントゥールの大地震の時に、かなりの部分が崩落してしまっていたのが、今、どの程度まで修復されているのかも見たいからです。ラトゥ ボコからのパノラマもまた、楽しみにしたいと思っています。自分で十数時間運転して行くのですが、行って良かったと必ず思うでしょう。

是が、私にとって実益です。

カラワンバラットのスダナゴルフの一番とクラブハウスの裏側の庭

満足  ひたすら  気まま

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(^_-)-☆趣味と特技 

2010-11-29 21:17:29 | 習慣

  どうも、私のことをフォトグラファーと思い込んでいる人が多いようだ。あるいは、写真を撮ることが、趣味だと思っている人が多いようです。プルファイルというか自己紹介でも、写真は趣味にも特技にもなっていません。http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html
 私の行動のついでに過ぎないのです。カメラはいつも持っています。いつでも、直ぐに取り出せるようになっています。そして、行動している最中にこれは写真を撮っておこうと思います。その結果の紹介が、ウェブサイトのフォトアルバムですし、毎日のブログの一枚ないし、二枚の写真の添付です。いつまで続くのか、止められなくなってしまったブログ投稿も趣味ではありません。こっちは、時間つぶしです。

 どちらも、本当の専門家が評価すれば、散々なものになってしまうことは私が一番承知しています。ですから、どちらについても、ああした方が良い、こうした方が良いと思っている方も、何も言わないでください。言われても、それを、参考にして、スタイルや考え方、念入りにチェックし直す、読み返す、手直しをする、ということは全くアありません。写真は撮りっぱなし、文章は書きっぱなしです。これが、私のスタイルというか、いい加減さというものでしょう。これで、すごいと評価されようと全くお思っていないからです。

 私の趣味や特技は他のことで沢山あります。その中の最大は仕事です。趣味であるし特技でもあると思っている。私の仕事し付いて、評価できる人はいないと思っている。そのくらい、身も心ものめり込んでいます。写真や文章を書くことは、人に語れることは何人いつありません。しかし、仕事のことについては、語れば切りがありません。また、しかし、私が語ることを分かる人もいないでしょう。趣味であり特技であるということはそういうことだと思う。
 思い立ったらいつなんどきでも、仕事に関して行動をする、自分が止めるまで、いつまででものめり込んでいる。何日徹夜しても、何時間考え込んでいても、それを、他の人は知らないし、知ってもらおうとも思わない。上手くいかなければ、それらのことは、全く無駄だったということに自分ではなるが、そこで、だめだったという経験を積んでいる。それも、他人からは見えない。
  工場の様子 写真,旅, 苦手

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(^_-)-☆紹介訪問始める

2010-10-06 21:58:55 | 習慣

 早ければ、年内にもPT.NPIから離れることにしています。その為にできるだけ早く、客先も後継者に引き渡す必要があります。紹介した客先にはその後は私抜きで話をしてもらいます。私が絡むと言いたいことを言えなくなるでしょうから。

引き継ぎでもらう人の客先への紹介を始めた。手始めにカラワンティムール方面の会社からでした。訪問した会社は現在既にお客さんです。射出の仕事もあるので、営業関係の人も一緒に連れて行っている。製造が客先と話をすることは控えるのがN社流のようなので、営業の人が来れば、改めて紹介することになるし、今回紹介する製造の人は直接接触することは無くなると思う。

 

 インドネシアのゴルフ場、暑いですよ!!普通はスポーツドリンクを500mlくらいはプレー中に飲みます。しかし、暑さを心配する日本からのお客さんは、意外に暑くないと皆さんにいます。相当暑いと思ってくるのでしょうね。それほどでもないと感じるようです。

一昨日のゴルフ場の写真は朝日の出から30分後位、06:30頃です。多分、25度くらいだと思います。一般的の10月から翌年3月までが雨季、4月から9月が乾季です。雨季には毎夕方80%以上の確率でスコールが有ります。逆に乾季には10%以下の高確率になります。今年はその乾季がほとんどないまま、雨季になってしまったようで、乾季のはずが50%位の確率で雨が降っていた印象がありました。作物の出来具合に大きな不作の原因を与えた様で、果物、例えばランブータンやサラックなどの出荷が極端に減っているというニュースが有ります。

 ところで、インドネシアのゴルフ場の暑い、それほどでもない、の違いは、立地の高度によります。平地なら30℃以上の中でやりますが、高原なら25℃の環境でできます。ジャカルタ近郊を大きく分けると、ジャカルタ特別区内、タンゲラン方面(ジャカルタより西)ボゴール方面(ジャカルタより南)チパンペック方面(ジャカルタから東)の四つになります。一番暑くないのはボゴール方面です。

 日本でゴルフをするより一年中、はるかに快適です。日本の夏冬の温度差はこちらから見ると、ほとんど凶器です。

 雨の日もあれば風の日もある、めちゃくちゃ暑く感じる日があれば適度の風が吹いていて涼しく感じることもある。確率として、日本でやるよりインドネシアの方が快適な日がはるかに多いと思うし、ゴルフ場の解放感は全然違うと思う。

  快適  スポーツドリンク  風景

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(^_-)-☆任せる余裕

2010-09-29 22:26:50 | 習慣

ISO9001と14001のCERTIFICATEを受け取った。TÜV NORDからである。スタッフのインドネシア人には十分な感謝の意をあらわした。よく、やってくれたと思う。早速、フレームを買って会社へ寄付をした。インドネシア人スタッフだけで獲得した成果なので私も大変うれしい。今後は会社全体のISO収得のリーダーを引き継ぐことになろうかと思うが、そちらの方でも頑張ってほしい。

 

どこかで書きましたが、ISOは日本のものと異質です。というか、私は日本でのISOの収得プロセスを知らない。インドネシアのやり方は熟知している。

日本人がどこの段階、どこの時点でもちょっかいを出すことはプロジェクトにとって邪魔者、厄介者に過ぎない。コンサルタントもエージェントもインドネシア語で今までの指導の仕方で、ISOを取らせてくれるのです。インドネシア人はそれに従っていれば期限内にセーティフィケートは受け取れるのです。その行程の中に、日本でISOの収得で中心的役割をしていたからといって、張り切ってインドネシア人を指導しにきて、割り込んで入ったとすれば、考え方の違いや何より、コミュニケーション不足で何を言いたいのか分からない、混乱状態に、陥れてしまい、本人のストレスがたまる以上にコンサルタントやインドネシア人スタッフ悩ませてしまうばかりです。雰囲気が悪くなる上に収得の期間も長引いてしまう。

 

もし、QCやISOの専門家と言われる人が日本から派遣されるなら、ISOを収得した後、落ち着いて、状態や内容を確認して、何か指導したいことがあればそれから指導した方が良い。ISO収得トレーにンブ中に何もすることは無いし、何かしたら、邪魔なだけです。

 

規模にもよるが、平均的に60JUTAでこれも平均4~5カ月後には収得します。インドネシア人スタッフの人数は一概に言えませんが、コンサルタントとミーティングするのは4~5人で十分です。会社ぐるみでISO収得に向けて一丸となって走り、協力するという考えは同じですが、その濃さは非常に薄い。担当者だけでなにもかもやってしまいます。それが一番簡単な方法ですから。

 

会社からいちばん近い集合レストラン、インドネシア人しかここへ来ない。

ファミリーカラオケ、イヌルフィスタ、リッポチカランのハイパーマートの駐車場の一角にある。ダンドゥットゥ歌手のイヌルが展開している全国チェーンで人気が大変ある。システムは日本にあるカラオケを参考にしています。100%健全です。いわゆる、インドネシアで日本人が行くブロックMのカラオケとは全く別物です。

別物  厄介者  ISO

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(^_-)-☆終盤の寄せ次の一手

2010-09-28 22:37:28 | 習慣

  この会社の押出部門が順調かどうかは私の判断によれば、若干の滞りはあったが、おおむね大変順調に推移していると思っている。しかし、見る人によっては、もたもたしていると評価する人がいてもそれはそれで基準の違いなのであることだと思う。

小さい所帯で安定して確実の徐々に利益を上げてゆくやり方が私にとっては一番望ましい。大きなプレッシャーを回りに掛けなくても、私の力量で出来る範囲までに収めたいと常に思っている。売り上げも利益もほどほどでいいと思っている。それ以上の事は必要無いし、求めない。

実際、私がいた全ての場所で利益を常に上げていた。そして、客先にも満足していただいていた。そして、部下たちにも相当の配分をしていた。特に私が太田化工として経営していた沼津(現S社)の時と静岡の時には無借金経営で、自分の手形を切ることは無かった。こじんまりした規模にもかかわらず、常に高額納税をしていた。インドネシアへ来てからも、私の部門は本社や他の日本人の手助けを必要としないで、最初から利益を上げていた。だから、私のやり方なら、大きくはならないが、確実に儲かるし、従業員も明るく仕事ができるのです。私が手伝って、主に射出成形をしていた同じ会社の中でも押出は確実に利益を上げていた。東プラ精工、PT.KITAGAWAの中で、勿論、間違いなく利益を上げていた。扱われ方はどうしても押出部門に不利な状況でした。

そんなことで、大量生産、大量利益と大きく拡張しようとする今の会社には、方針は正しいと思うし、成功もしてほしいと思うが、私の考え方は全く馴染まない。私が、それに、協力することは能力的にも年齢的にも無理である。近い将来邪魔者になる可能性すらあると思う。これまでの私の役割は何であったのだろうか分からないが、役割は終わったと思う。出来るだけ早い時期に次の手を探らなければならない。迷惑を掛けないように引き際を探ることになる。技術者としての次の一手であって、何もしないで日本へ帰って隠居という一手は100%ないが。

 

ドイツ、ニュールンベルグのベンツのミニバス、外観と内部、インドネシアのミニバス、コアシとは別物のように綺麗でこれが普通だと思う。

 

読み  何手先  引き際

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(^_-)-☆最期のじいちゃん役

2010-09-16 16:08:22 | 習慣

 姉妹の間で争い事が絶えない。見ていてお姉さんの方に同情する。

例えば、妹は手伝ってほしい、手伝ってくれなければやらないと言って、手伝わせるまで、動こうおとしない。そのすぐ後に、同じことをするときに、手伝うと、今度は、自分でやりたかったのに、手伝ったから、もう、やないという。どうすればいいの?それの繰り返しだから、大人は閉口する。同じようなことが姉妹の間にはもっと頻繁に起きている。

妹は、自分の思うようにならないと、親に姉のしたことを告げる。親は姉を叱る。かなり、姉の方はストレスがたまっていることに両親は気を使ってやれない。言って聞かせれば、間違いは間違いとして認めてもらえると思って、確信をもって、叱ったり、こんこんと言い聞かせたりしているが、本人のストレスはたまる一方だと思う。ストレスがたまっていれば、何かの拍子に手が出たり、言ってはいけない悪口をたたいたりするのは、小さい子供では当然なことだと思う。

 お爺さんとしても、妹の方と係わるのは御免こうむりたい。親に何を告げ口されるか分からないからである。こちらへ来て二三日で、妹の方と係わるのは辞めた。おじいちゃんと言って、近づいてきても、空返事しかしない。なお近づいてきたら、逃げることにした。

 今日がドイツ最後の夜である。孫たちがとにかく可愛いと思うのは、どうも、二三歳の頃までかもしれない。今回、彼女達と接して、もう、おじいちゃんとして付き合うのがメンドクサイと感じるようになってきた。今回が、おじいちゃんとして接するのは最期にしたいと思う。来年の三月にまた会うことになると思うが、その時は、自分の孫という感じでなく、小さい子供達という意識でだけでせっすることになるだろう。普通のおじいちゃんと違うかもしれない。

プレーランドという遊園地へ行って最期のおじいちゃんをやってきた。

日本のアメージングパークと違い、素朴な遊具が多く、電動で動く物は無い、自分で遊ぶものばかり、積み木の大がかりなもの、滑り台の10m程度のもの、吊り橋渡りや梯子乗りなどは、子供たちの能力だけで遊ぶものです。こんな公園がインドネシアにあればはやると思う。

 

 ニュールンベルグの町中にある染料の会社、1700年代からの企業だとか。プレーランドの入り口前。

 

 おじいさん  孫  可愛くない

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(^_-)-☆三文の得

2010-09-15 18:30:47 | 習慣

06:30頃起きてしまったので、一人、朝の散歩に出かけた。気温は5℃前後、清々しい。この地方は田舎の農園地方である。トウモロコシ(家畜の餌用)の畑が広がっている。小麦畑もその中にあるが収穫されたばかりだろう。トウモロコシはニメートル以上の高さが有り、大きな実が一本の木?に沢山付いている。沢山過ぎて、中には、腐っているようなものもある。人間が感じる味より量が重要なのでしょう。木も密集していて、間を人間が通り抜けることは出来ない。

 朝焼けが見事だったが、それと背中合わせに、虹が現れた。それも二重だった。トウモロコシ畑の向こう側である。5分ほどで消えてしまったが。早起きして三文の徳をしたようでした。

 

 ひんがし(東)の野に日の出“かぎろい”の立つ見えて、返り見すれば虹“月”かたぶき(傾き)ぬ、(借り作)

 

旅の一つのお勧めは、夜明け前に外へ出て、そこらへん界隈を歩いてみることです。旅先で夜遅くまで騒いで遊んで午前様で寝て、朝食時間に起きてこないというなら、旅に出る必要はありません。勤め先界隈でやっていれば良いことです。親睦と言う目的なら旅に出ることは無い。旅先ならば普段付き合えない人とも付き合うことができると言うのは詭弁に過ぎない。

 旅先を楽しむなら、旅先でなければ出来ないこと、見ることができないことを楽しんだ方が良い。

それには、早寝早起きです。旅先の早朝の風景や雰囲気は、必ず新鮮に映るはずです。日常的には接することができない地元ならではの何かに接するからです。

これはインドネシアでも同じことです。皆がまだ眠っているときに外へ出て見れば、既に、人の外での生活は始まっています。仕事も始まっています。それは早朝だけにしか見られない風景です。

 昼間は、殆ど、横になって寝て過ごした。

撮った写真の編集とドイツへ残しておく映像をDVD-RWにコピーをした。明日一日を残すのみである。

静寂  のんびり  孫の相手

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(^_-)-☆これからが休息

2010-09-13 20:08:49 | 習慣

日曜日なので、昼過ぎからNurnbergの郊外へ案内をしてもらう。孫たちと遊園地で遊ぶ、その前に、Fujiという名前の回転すしレストランで昼食。実を言うと回転すしレストランで回転している寿司を取って食べたのは今日が初めてである。二十年くらい前に現れたと思うが、日本でもインドネシアでもどこでも、回転すしを食べたことはなかった。昨日のインスブルックの回転すしでも離れた席に座って、セットメニューを食べたのでした。日本でも一度入ったことがあるがそこもセットメニューだった。

 食べ放題で9.5ユーロ(約千円)握り鮨はサーモンだけ、その他は沢庵やキュウリのノリ巻き寿司らしいのはその程度、野菜サラダ、ダックの焼き鳥、春巻き、プリン、イカ焼き、甘いレモン、シウマイ、そして、卵焼きなどが回っている。ガリとワサビも回っている。極め付きはピサンゴレンやクルプックである。そういえば、昨日のレストランのメニューにナシゴレンがあった。

 この店も、この価格、このメニューで結構繁盛しているようで、男女二人のカップルの客で回転すしの回りは満席になっていた。経営者はどうか知らないが、店員は全部中国人でした日本から、持ち込んだのでしょう。日本の有名歌謡曲のカラオケが流れ、壁には富士山やサクラの大きな写真、壁際には、日本人形が配されている。おでんなどと書かれた赤ちょうちんもあった。待たないで、直ぐ、食べられるのと、決まった料金と言うことがはやる理由らしい。夜は倍の価格16ユーロになるが、握り鮨が主なメニューになるらしい。

 昨日と同じように、サーモンの握りをことごとく取ってしまって、孫が上の刺身を食べ、私がご飯だけを食べた。格別おいしいわけではないが、他の物を食べるよりはましである。

 今日は完全休養日である。

こちらは、インドネシアのような100~150ccのバイクは一台も見かけなかった。国によってこうも違うのかと思うくらい、田舎でも全く見かけない。自転車はレジャー用が主だが、実用にも使われている。バイクはおそらく最低でも250cc一般的には500cc平均だと思う。アウトバーンにも普通に現れる。

ところで、ライダーの服装である。上から下まで真っ黒に決まっているらしい。女性のライダーも多いが、すべて、革製の黒である。彼らが集団でツーリングしている姿やパーキングエリアで纏まって休んでいる姿は、ちょっと、近づきがたく異様な感じがする。赤とか黄色などの服装があった方が良いと思うが。

一つの例、Audi専門店の看板、流石、ドイツ、フォルクスワーゲンやメルセデスなどの専門店も広いし、状態が洗練されている。

高価  人気  寿司もどき

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(―_―)!!☆とんでもないことに

2010-09-08 13:46:07 | 習慣

   St.Moritz dorf,からTiranoまで往復のGlacier Express(氷河特急)を楽しむことにしていたが、残念ながら、こちらへ来て初めての雨模様。中止にしようか強行しようか迷っている内にお腹が痛くなってきた。次第に痛くなって、氷河特急どころではなくなってきた。もう我慢が出来なくなって、09:00頃、ラ、プントゥからサンモリッツ方向の途中の街Samedanのオーバーエンガディン名前の総合病院の救急受付に飛び込んだ。点滴や痛み止めの薬を注射され、血液検査、エコー検査もした。全て正常だが、小腸に炎症が見られるという診断。何もしない、点滴と痛み止めだけで終わり。痛み止めの薬を三錠出された。その間、二時間ほど、料金は800SF(約7万円)でした。病院を出るときのも痛みは治っていなかった。

 宿泊場所に戻って様子を見ることにしたが、12:00過ぎドンドン痛みが増してきて、我慢の限界になってきて、痛み止めを飲んだが、一向に収まらない。13:00頃、再び、同じ病院の救急へ戻ってしまった。今度は、痛み止めの飲み薬を二種類、錠剤を一種類その場で処方され飲んだ。次第に痛みは治まった。完全ではないが、痛みはかなり和らいだ。Rindaさんという、金髪美人のドクターの言うには、炎症を起こし、空気が溜まっている、圧迫されて痛むのだ、と。それじゃ、その空気を出す治療をしてほしいと頼んだら、それはしない、二三日後には自然に治ると言う。「水を飲み、食事も普通に十分するように」と言いながら、写真のような乾燥パンを持ってきて、「これを食べてください。様子を見たい」と付け加えた。ジャスミンティーのようなお茶も持ってきた。

 痛みはやっと和らぎ、乾パンを平らげてもなんともなかった。

 家に戻ったのが、16:15頃だった。

一日、棒に振ってしまい、皆さんに迷惑をかけてしまった。しかし、終日雨だったし、多分、毎日あちこち歩き回るより、彼らにとっては一日良い休憩になったのではないだろうか。孫たちも、宿で、となりのトトロを見たり、ドラえもんを見たりで、おじいさんに付き合わされて、氷河を見に行くより、楽しんだと思う。17:30の今、痛みは再発していない。このまま治ってほしい。

二回目の費用は4千円ほどだった。こんな小さな村にも立派な総合病院があるとは流石赤十字の国である。診察は先ずしつこいほどの問診、“医者なら早く診察して様子を見てほしい、こちらは痛みで苦しんでいるのだから、早く痛み止めを駐車してほしい”と思っているのに、なかなか、始まらない。お腹に指をあてながら、「痛いのはこの場所だけで、他は痛くない」と説明しているのに、お腹をあけて触診をしながら、痛くないと言ってあるところばかりを押して、痛くないか、痛くないか、と聞く。答えは、ことごとく痛くないに決まっているのに、である。

病院はガラガラ、日本やインドネシアの病院とえらい違いだ。病院関係者の人の数の方がはるかに多い。費用は高いはずである。

そして、最初の時は、結局、帰って良いと言ったが、痛みは治らなかった。

ロマンシュ語のOTAは上という意味で、この地方のあちこちにOTAという表示がある。上町、下町と言う意味で書いてあるらしい。病院の名前もEngiandin OTA

だった。

いわゆる、ナイチンゲール風の看護婦スタイルの看護婦は見当たらない、すべてが看護師なのでしょう、帽子はない、白の上着にグレーのズボンというスタイル。最初、医者かと思った。血圧計や脈の検出器の器具を付けたり、点滴や注射用の針を刺してセットしたりする。日本の看護婦看護師と同じである。愛想がいい。言葉は5種類飛び交っている。それにも対応している。ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語、ロマンシュ語、そして今日は日本語も特別参加した。

 

経験  問診  処置なし

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(^_-)-☆知らぬが信心

2010-08-25 17:55:40 | 習慣

毎年のことだが、プアサ(断食)の時間Azan subuhについて、テレビ番組の中で宗教指導者に対すら単純な質問がされる。南極や北極に近くに住むイスラムの人たちはどうしているのですか?と。毎年繰り返されるこの質問、永久に決定的な答えは出ないでしょう。宗教者も困っています。人によって答は違います。そうです、勝手に解釈して自分の考えをいっているからです。分からないとか、解釈が色々あってこまっているとか、日照時間を基準にして断食の時間を決めたのが間違いだったとか、そういう宗教者はいない。コーランの曖昧な点は他にもあって、困っているとは言わない。批判はタブーだからです。話は違うが、ジハードの解釈についても、宗教者は困っています。

 断食の時間に戻ります。夕方の断食明けの時間maghrib(buka puasa)については、あらゆるメディアで、大都市の名前とその付近という形で、予測時間と開けた時間が知らされます。では、朝、断食が始まる時間についてはどうでしょうか。早く起きてSahurの後、Imsakイムサックと言います。これが、外国人でイスラムではない私にとってはよくわからない。日照時間から、普通に考えれば、夕方18:00に断食が終われば、翌朝の06:00頃から断食が始まると思う。しかし、どうもそうではないらしい。ジャカルタとその付近は04:30にイムサックになるらしい。私はその時間に起きていることは殆どないし、起きていても、NHKを見ているので、断食の時間の知らせを見たことがない。

 疑問は18:00ころ日没とともに断食から解放されて、なぜ、日が昇る一時間半ほど前に断食が始まるのかということです。日の出とともに断食が始まるのではないのです。どうもよくわからない。断食する時間Azan subuhは赤道直下で13時間半くらいなのです。そのことを聞いても分からないと言われるだけです。

 

 ところで、例として、日本、静岡でのイスラムの断食時間はどうなっているのでしょうか。聖職者からどういう指示が出ているのでしょうか。北極近く、南極近くのイスラムの人はどうするのでしょうか。モスクワ辺りにも回教徒は大勢いるはずです。明快な回答は得られないどころか、インドネシア人で赤道から離れて南北に離れれば離れるほど、日照時間(太陽が地面より上にある時間)が季節によって違うということを知っている人は5%もいないのではないでしょうか。地球上の場所によって日照時間が異なると、地球の絵を書いて回転軸が傾いていることも言って、説明しても、分かってくれない。私の説明を信じてくれない。だから、断食の時間が違っていいのか、あるいは、太陽が沈まなければ断食しないでいのか、と、聞いても、何のことを言っているのか、その質問自体を理解できない人がほとんどである。

 

 MM2100の高速道路入り口ゲート手前左に細い道がる、その道に従って100mほど行ったところにインドネシア料理レストランが出来た。Saung desaという。この辺りにしては思い切った高級レストランだとおもう。思い切った投資だと思うが、場所も価格も、続けてゆくには難しいと思う。プアサ中なので、客が少ないのは当たり前だと思って行ってみた。少ないどころか、200人は座れる場所があるのに私一人しかいない。「今、営業しているのか、」と、聞いてしまった。 

 

 ソプ ブントゥットゥ ゴレンです。牛の尻尾のスープですが、肉と骨はスープに入れておかないで、揚げたものをスープと共にたべる。

 

 教育  自転  傾き

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(^_-)-☆今どきのラマダン

2010-08-24 23:33:27 | 習慣

従業員の皆さんが大変当てにしているTHR(tunjangan hari raya)。「旗日(ナショナルホリデー)の手伝い」という意味だが、レバラン前に支給するのが一般的、利益を配分するボーナスと違って、この時期に長期休みを利用して、Mudikムディック(故郷へ帰る)などで、一年で一番お金を必要とするから、その足しにしてもらうという趣旨です。他の宗教の人たちにも、同じように支給される。他の宗教の人たちも故郷に帰る人が多いからです。会社としては他の宗教の人たちの人数が少ないので、分けてやるより、この時期に全員に渡してしまった方が、手間が省ける。

公務員も国からもらうTHR以外に、他からも手に入れようと、何かと仕事を遅らせたり、取り締まりを厳しくしたりして、小遣稼ぎをする。これが、なかなか、厄介である。気をつけましょう。

 

 ラマダンの期間中、最初のころは、今まで毎朝のように朝食を売る人が、会社の前へ来ていて、従業員は会社へ入る前にそこで朝食を食べる人が多かった。どこから来るのか知らないが、雨の日も風の日も来ていた。プアサになって、その売る人が来なくなってしまった。ところが一週間過ぎてから、また、来るようになった。すると、普通の時ほどではないが、立ち寄って朝食を食べる人がいるようになった。二週間過ぎたころは、普通の時と変わらない人数が食べるようになっていた。

 仕事はこの時期、16:00に終わる。普段は17:00終業だからその時間に来ていたカキリマが16:00前から来るようになっていた。プアサ開けは18:00頃なので、まだ、食べてはいけない時間です。16:00に終わった従業員はさっさと家に帰って、夕食の支度をするとか、開けの食事会に行くとか、早く、会社の近所から、いなくなると思いきや、会社の前に来ているカキリマで夕食を食べている人が目立つ。それが、普段よりカキリマの数が増えている。お腹がすいて、それを見て、我慢できない若者が多いのです。皆で食べれば恐くない。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00069.html

 いい加減イスラムと言いたくはない。口には出さないが、断食というイベントは、色々な点で良くないと思っている人は多い。だから、断食破りの行動を見て見ぬふりをしているし、むしろ、自分も同じように、出来れば、したいと思っている。それが自然で、いいことだと思う。

 

 インドネシアでこの時期でも、熱中症という話は一切聞かない。暑くても、水を飲まないで我慢している人が多いにもかかわらずで、ある。私も、キャディに気を使って、ラウンド中は水分の補給をしない。しかし、熱中症の気配を感じたことはない。キャディたちの一部はプレー中だけでなく、しっかり、プアサをしている人もいる、しかし、熱中症で倒れたという話はどこのゴルフ場からも聞いたことはない。若いから全然問題ないのでしょうか。インドネシアに長くいれば、インドネシア人と同じように暑さに強い体質になってしまうのでしょうか。

アクリル製品の試作の準備を始めた。パネルの生産を始めた。今月末までに、納品を終わるつもりで、体制を作り終えた。

 

 朝05:00頃、家の自鉢植えの花。名前を知らないが綺麗、可愛い。

 

 プアサ  自由  甘い

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(^_-)-☆ようやくスタート台

2010-08-15 22:43:42 | 習慣

Ø  出勤日だったが、他社の多くは休みなので、外部からの連絡は少ない、そこで、ISOインターナルオーディットのクロシングミーティングをした。アウターナルオーディットまで半月である。一応順調に行っている。ダイレクターとして、偉そうなことをしゃべっているが、私自身は皆さんが言っていることを全部分かっているわけではないので、ほとんど、任せきりである。それでも、前に書いたように、大体、多くのメンバーは今までの会社で経験している。要領は分かっているので、インドネシア人スタッフだけで十分です。呼ばれた時、セレモニーで挨拶をするだけです。

 

Ø  会社の射出部門の注文が入り始めたので、会社全体の活気が出てきた。大型の製品が多いので、空気を積むような成形品の在庫の場所を広く必要とするので、一層、仕事をしているという感じになってきたようです。ただ、射出の専門家の日本人がまだいないので、一抹の不安はあるが、とにかく、早く走りだして、日本人を除いた、人件費くらいは出せるようにしないと、今まで何をしてきたのか分からなくなるというのが仕事を受ける理由である。明日も明後日も生産するようです。

Ø  この製品、今まで、どこで作っていたのでしょうか、いきなり、月産、何万個という話である。今まで、作っていた会社は大型の成形機が一台空いてしまうことになるのだが、大丈夫でしょうか。どんないきさつがあるのでしょうか、興味があります。

 

Ø  今月5日に合意し、売買が成立したと聞いている。これで、今の場所がPT.NANBUの物になったらしい。さっそく、EPTEの申請をしたようです。このプアサに入ってしまった時期に、普通より早く認可が降りるとは思えない。どう考えてもレバラン後何週間掛るかというのが、私の見方です。輸入ドキュメントにEPTE番号を入れなければ意味が無いので、認可が下りるまで、船積みを待たなければなりません。早くて9月末の出帆、会社へ装置が入るのは10月中旬以降になるでしょう。

Ø  一丸となって、突っ走ろうとしていることは確かだが、空回りも多いのが気になる。
末までには日本人が14(うち現地採用が4人)人以上常駐するようになるらしい。私ともう一人は一年契約で、来年二月末までとしているので、その人数の期間はそう長くないが。

 

l  http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage006.html

 

l  今日から四日間パンガンダランへ行った気持ちで、パンガンダランの写真を使う。パンガンダランの西海岸のサンセットと東海岸のサンライズ。半島の首の部分の幅が狭いところで、200mくらいですから、どこに泊っても、どちらの海岸へも歩いて二三分で行ける。

Ø  始まり  申請  囲い

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(^_-)-☆宗教の話はタブー

2010-08-14 22:24:16 | 習慣

全く新しい、最終の金型の出来上がりが、18日になりそうで、遅れている。独立記念日の前に何とか完成させようとしたが、無理のようでした。

                                            

インドネシアで宗教の話、特に批判めいた話はしない方がいいと思う。相手がどんな宗教観を持っているのか、どんな団体に属しているのか、千差万別で、急進派かいい加減派か見た目だけでは判断できないし、ご都合主義の人も多いので、どんな、印象を受けるのか、場合によっては、一気に敵視されるかもしれないので注意が必要です。

おとといから、プアサになっているが、突然の来客で、昨日今日とプアサに付き合わされていて大変です。朝、03:30に起こされて、サフール04:30に再び寝てしまったが、06:00に起こされて06:15には家をでて会社に向かった。グロドックへ行ったこともあって、昼食は抜き、家に帰ったのが、18:00ちょっと前、断食明けの時間でした。やっと夕食にあり付けた次第。真面目に、プアサをしているといちばん往生するのは、口が渇くと。それでなくても歳を取ってきて唾液の分泌が少なくなっているのだから、舌の回りが遅くなる、唇も渇く、インドネシア語を話すのがたどたどしくなってしまう。体も重くなる。食事はしなくても水分の補給はした方がいいに決まっている。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0101.html

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

 

この時期、就寝直前まで、飲食をする。それも、お客さんをよんでいつもより豪華にする。12時間の飲まず食わずで、いきなり大食いをするのです。体にいいわけが無いが、アッラーのお告げだから、宗教行事だから仕方が無い。その行事の健康的な不合理とか矛盾を指摘する科学者や医者、政治家はいない。一般人も批判する人はいない。しかし、自主的にプアサ破りをしている人はいくらでもいる。体調管理を自分でする人は、自然にそうなる。平均寿命の伸びが遅いのもこれが原因していることは明らかである。

体に良くないことを一か月皆さんでやらなければならない理由は私には見つからない。困難を共有し同胞感を深めることが目的だと言う人がいるが、何もマイナスの困難を共有する必要はない、他に共有する前進的な教育的な行動を強いることはいくらでもある。例えば、一カ月間、体力作りに毎日水泳の練習をするとか、理科の勉強を集中的にするとか、病院や体の不自由な人の援助のボランテャイをするとか、色々あると思う。イスラムが生まれたころです。そういうことは、国力を増すために、出来たと思う。しかし、思いつかなくて、マイナスの試練を与えようとしたのですが、戦い以外では、競争力を強化できない結果になってしまったので、他の団体が建設したものを壊してしまって、自分たちのレベルまで下げさせて、対等になろうとしたのです。

 

他の宗教と前進の速度や大きさで競争すればいいのに、前進している他の宗教の足を引っ張って、自分の後ろまで、後退させようとする考え方は、私には理解できません。          

 

  こういうことを書くのに勇気がいること思わせること自体、宗教として、恐れられるのです。そういう宗教は支配者から生まれた宗教です。支配者から逃れようとした民衆から自然発生的に生まれた宗教ではない事を物語っている。

 

インドネシアのイスラムはこの世界で一番ゆるやかな解釈になっていると思う。

 町の一画

 宗教  タブー  ピンキリ

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