第4番 吉祥院天満宮
京都市南区吉祥院政所町3
主祭神 菅原道真
ご利益 学業向上
菅原道真公くらいの最上位クラスの神様になれば生誕の地も一か所ではない。菅原院天満宮同様の有力な場所がここだ。菅原院天満宮には産湯の井戸があったが、何せここには、胞衣塚があるのだから嘘ではない。文子天満宮は乳母の多治比文子に神のお告げがあったのだから本当だろうし、北野天満宮はそのお告げに従って祀られた。
こちら吉祥院天満宮は菅原氏始祖である曽祖父までさかのぼる。土師古人と言う、次の祖父の代から菅原姓に改名。清公、是善、道真と続く。古人が遣唐使になった時、帰り(行きと言う説も)の嵐の中、吉祥天女に導かれ助かった。その後、菅原家では代々吉祥天女を篤く祀ったのである。道真没後すぐに修行僧の霊夢により朱雀天皇の勅願で北野に先立ちここに天満宮が創建された。こちらこそが天神さんの第1番と言うのだ。
934年創建と言うから、没後31年。文子天満宮も北野天満宮も947年創建。なお、菅原天満宮は邸宅跡なので神社としての創建ははっきりしない。
境内は広々とし付属幼稚園の運動場に隣接したグラウンドのような開放感がある。本殿前には、道真公のキャラクターが鎮座?していて威厳よりも親しみを感じる。他に、金の撫で牛や愛らしい牛のキャラクターを展示するなど成り立ちが怨霊信仰とは思えない子供の学業意欲をそそる?趣向が満載だ。
一方、「硯の水・鑑の井」など道真公の学業修行始めを象徴するゆかりの遺跡もあり歴史も感じる。肝心の「胞衣塚」は境内南端にあった。また、入口鳥居のすぐわきには、「道真公生誕の地」の石碑。横には「公産湯の井戸」との表示。天神さんともなれば産湯は一回だけではないか。
西大路9条と国道10条の間の幹線道路が行きかう近くであり道真公も今は安らかではないと想像する。
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