アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

672 生きてるだけで丸儲け  ㉑ 吾妻ひな子 

2020-02-19 07:50:45 | 日記

生きてるだけで丸儲け!

吾妻ひな子  

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筆者、小さい頃千日劇場からの中継で、関西テレビ「お笑いとんち教室」(?)とか言う番組があった。関西版の「笑点」(大喜利)である。司会が2代目桂米朝で、回答者が、文我、文紅、春蝶(いずれも先代である。)そして、端っこに紅一点の吾妻ひな子。その隣は桂小米(後の枝雀)だった。他のメンバーも面白かったが、端の二人が掛け合いで一層調子はずれの答えをして、米朝が顔に墨を塗っていた。関西では「座布団」を重ねる事はなく、顔に墨を塗るか、張り扇で叩かれていた。(因みに扇で叩くギャグは、捨て丸が春代にやられていたが、チャンバラトリオが飛び切り大きな張り扇を考案して一気に広まった。)

 

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昭和51年頃か?当時の出番表。

落語家でもない女流芸人が、大喜利に出演していることがとても不思議に見えた。後に、「女放談」「女道楽」とか言う「芸」があることを知った。のんき節など三味線の引き語りで座を盛り上げる座敷芸を、高座に導入したのだろう。特に、吾妻ひな子は、途中のしゃべくりが面白く、むしろそれが中心だったように覚えている。これも後ほど知るのだが、若いうちから枝雀(小米)の将来性を見出し特に可愛がったらしい。

当時の芸人の王道である「旅芸人」の出身である。鳥取県の生まれだが、(そうだ、枝雀とは同郷だ。)和歌山や四国などドサ周りを長く経験し関西に落ち着くことになる。一時、鳳啓介と婚姻関係にあったが、離婚している。鳳啓介は京唄子と再婚するがこれもすぐ離婚する。けっこう当時の芸人仲間はドロドロしているようで、吾妻ひな子はその後、夢路いとしとも愛人関係であったことを告白している。

「桂小米」の画像検索結果

 

 

 

 

 

このシリーズで、オープニングのテーマソングを数々紹介したが、ひな子の場合、エンディングンに定番の歌があった。

「あることないこと、おんな放談。ようこそ御辛頂きました。おかげで日当になりました。(ここで爆笑)それでは皆さんさようなら。ハハ、のんきだね。」味のある少女のような透明な歌声だった。まさに年齢不詳の不思議な芸人だ。

 

 

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