OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

悲しくなるよ

2006年01月02日 | 母のこと
夫の実家から我が家へ戻る。
二日ほど留守にした我が家はちょっぴり寒いけれど、やはりホッとする。

夕方、長男と娘と3人でOT園へ。

母の所へは、31日、出かける前に小さなお弁当箱におせちを詰めて「お正月に出してやって下さい」とお願いしてきた。
1日も、昼間ちょっと気になって私だけで短時間覗きに行った。
「お正月をこんなところで過ごすなんて思っても見なかったワァ~。あはは」
OT園の方でもいろいろ気を遣って、メニューも特別なもの、レクもお正月らしく百人一首などをしたり、楽しく過ごさせてもらっているようだった。

孫達と会って、母はうれしそう。
「お年玉をあげなくっちゃぁね!」と、私が用意していたポチ袋を娘に渡してくれた。
「あら、Y君の分はどうしたの?忘れちゃダメじゃない」
「おばあちゃん、今年から僕は勤めてお給料もらうようになったから、お年玉はいらないんだよ。だから、クリスマスプレゼント渡したでしょ。」
「あら~、そうだったわね~。」

そしてまたしばらくニコニコとおしゃべり。
お正月の話題は、やはりどこかはなやかなのだが、「そうそう、お年玉をあげなくちゃ!」
「もう、もらったよ、ほら!」
「あら、Y君のはどうしたの?」
「僕は、4月から…。」

1時間余の間にこれを何回繰り返しただろうか。
どうしてもお年玉を渡すことが気になるらしく、そこから気持ちが抜け出せない様子。
テーブルの上にさりげなく袋を出させておいたのだが、それも目に入らず、「忘れずにお年玉を渡す」ことにこだわっていた。

帰宅した後、長男がポツリと言う。
「今日のおばあちゃんは本当に楽しそうにしてて、良かったねえ。でも、なんだか見てると悲しくなるよ。」

母が事故にあって瀕死の状態だった時、私は子供や甥・姪達に「お仏壇にお線香をあげて、早くお迎えに行ってあげて下さいってお祖父ちゃんに頼むのよ。」と繰り返し言った。
2~3日後、長男がまじめな顔で、「お祖父ちゃんは迎えに来ないよ」と言う。
なんでも、父が長男の夢に現れて、「ごめんな、おばあちゃんはまだ迎えに行けないんだよ」と告げたらしい。
妙にリアルな夢だったと言って、とても神妙な顔をして報告してくれた。
笑って済ませることもできたのだが、私もこの話を信じた。
母にはまだこの世でやるべき仕事が残っているのだと信じ、ICUにいる母の生存を確信した。

時々、母がやり残している仕事はなんだろうと考えることがある。
長男に「悲しくなる」と言わせる母の老いた姿。
この姿を家族に見せることが母の仕事なのかもしれない。
私にも、子供達にも「年を取る事」の本当の姿を教えてくれているのかなあと思ったりしている。