ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

10月のもとまち寄席恋雅亭

2019年10月11日 | 上方落語楽しんだで

 昨夜は、もとまち寄席恋雅亭です。開口一番は、桂米団治師匠の総領弟子桂團治朗さん。手元のプログラムをみてアレと思いました。「團次郎」になっています。ところが高座のそでのめくりは「團治郎」です。ご本人も気がついたらしく「私の名前が二つありますな。ま、どっちでもええんですけどね」ほんとはめくりが正しく「團治郎」さんです。「狸賽」をやらはった。元気いっぱいの「狸賽」です。ただ、手と目線の使い方がダメでした。最初に狸が化けたサイコロは大きすぎたのですが、その大きさを手で表現するのですが、遠慮がちな手の使い方で、あれではサイコロの大きさが観客によく伝わらなかったでしょう。それからサイコロを転がすくだり。「このサイコロ走らへんやんか」「うわあ。真っ直ぐスーと行きおった」で、サイコロの動きを視線で表現するのですが、あれではサイコロはあまり動いてません。米朝師匠の「狸賽」をDVDで見れば良く判ります。米団治師匠のご指導が必要ですね。
 2番手は桂阿か枝さん。お隣明石市のご出身です。「祝いのし」を演じられたのですが、師匠の先代桂文枝師匠に良く似てきました。
 3番手は林家染雀さん。音曲漫才「姉さまキングス」の桂あやめ師匠の相方です。「化け物つかい」をやらはった。化け物が出るという借家を借りた男。ほんまに真夜中に一つ目小僧、大入道、のっぺらぼうが出てます。その男化け物を家事にこき使います。まったく怖がりません。私もあの手のものは怖くありません。病院は怪談をよく聞くところです。何度か入院しましたが、真夜中の病院をうろうろしましたが何にもでませんでした。夜勤の看護師さんに叱られただけでした。
 染雀さん、芸達者な染丸一門だけに、落語が終わったあと踊りを披露してくれました。着物を後ろ向きに来て、高座で後ろ向きに立って、後頭部に面をかぶって、さも前向きで踊っているように踊ります。「さかい住吉うしろ面」という芸だそうです。
 さて、中トリは鶴瓶一門の俊英笑福亭銀瓶さん。さっそく吉野彰さんのノーベル賞をまくらのネタにしてはった。その吉野さんが子供のころに読んだというのでファラデーの「ろうそくの科学」が話題ですが、銀瓶さんもここに来る途中三宮のジュンク堂に立ち寄ったそうですが売り切れですって。「ろうそくの科学」を読めばみんなノーベル賞というわけではありません。私(ごろりん)も子供のころに読んだ記憶があります。ノーベル賞はもらってません。ノーベル黒飴ならいただいたことがありますが。
「寝床」をやはった。大爆笑でした。浄瑠璃好きで人に聞かせたいだんさんと。聞きたくない店のもんや長屋の住人。だんさんの浄瑠璃がいかに危険なのかが、うんと誇張された表現でものすごくおもしろかったです。この笑福亭銀瓶さん、笑福亭たまさん、桂二乗さん、桂ちょうばさん、このあたりがいま、最も脂ののった落語家さんだと私は思います。
 中入りも終わり、トリ前は桂南天さん。この後にトリで出てくる桂南光師匠のお弟子さんですから親子会となりました。
 南天さん、ロックのライブによく行くそうです。ロックのミュージシャンはうらやましいんですって。彼らが何をいっても客はバカうけ。しかもステージの上から客にえらそうにどなる。「てめえら」「お前ら」呼ばわりしても客は大喜び。ここで私(南天)が立ち上がって、あなたたちに向かって「てめえら」と怒鳴りましょうか。で、彼らはなんども歌っている曲をやるぞ、といっても客は喜ぶ。客は決して聞きあきたとはいいません。で、私もここで「動物園」をやるといったらどうでしょう。
「というわけで『動物園』をやります」といって、ほんまに「動物園」をやらはった。こんな前座噺でも南天さんがやると大うけでした。この「動物園」をやる落語家さんは園長の名前に知り合いの本名をよく使います。きのうの南天さんの「動物園」の園長は前田さんです。たぶん前田達さんでしょう。南天さんの師匠の師匠桂枝雀師匠の本名です。
 さてトリです。桂南光さんです。銀瓶さんがまくらでいってたのですが、吉野彰さんの師匠の師匠はやはりノーベル化学賞の福井謙一さん。大師匠と孫弟子でノーベル賞。ノーベル賞、落語家でいえば人間国宝。大師匠の桂米朝師匠が人間国宝、順番からいうと孫弟子の南光師匠が人間国宝の番ですって。
 その南光師匠のまくらは岡本太郎画伯と会った時の話です。当時は桂べかこです。岡本画伯に「初めまして桂べかこです」というと初対面の相手に「おかしな名前だね」テレビカメラが回っている時は、いわゆる「岡本太郎」でしたが、カメラが映してないときは、だらっと休めをしてはったんですって。
 絵描きのまくらですから噺はごく自然に「抜け雀」です。ボロボロのきたないおっさんが実はたいへんに偉い人というパターンの噺です。落語では「竹の水仙」映画では「男はつらいよ 夕焼け小焼け」がそうですね。南光師匠の「抜け雀」のボロボロの絵描きは尊大でえらそうです。
「抜け雀」の下げは雀を書いた画家が、老人の画家が書き足した絵を見て落涙するところですが、南光師匠の下げと米朝師匠の下げが違います。
 南光師匠の下げは「天狗になるなという戒め」老人の画家が書いたのは、天狗が住むという鞍馬の杉の木。米朝師匠のは「親に駕籠をかかせた」米朝師匠の老人は雀に鳥カゴを描いたのです。鳥カゴのカゴとかつぐ駕籠をかけたのです。現代でも判りやすいように南光師匠が替えはったのでしょう。調べてみると南光師匠にこの下げを提案したのは小佐田定雄さんだそうです。

 星群の会ホームページ連載の「SFマガジン思い出帳」が更新されました。どうぞご覧になってください。
 

居酒屋丙寅虎日記 10月9日

2019年10月09日 | 阪神タイガース応援したで
「女将さん、今夜はウィスキーをいただこうかな」
「はい。バーボンを用意しました。エヴァン・ウィリアムスです」
「あ、ワシもそれ」
「うん。なかなかうまいバーボンやな」
「しかし、まあ、なんですな。望月にはちと荷が重かったですな」
「そうですな。あとのピッチャーはちゃんとゼロでおさえとりますかなら」
「きょうの敗因は先発ピッチャーの選択ですな」
「はい。素直に岩貞先発で良かったんですな」

料理はむつかしい

2019年10月08日 | いろいろ

 小生、料理が趣味である。料理歴はけっこう長く、もう20年以上になる。プロの料理人なら、花板とか料理長とかになっているであろう。しかし、小生はアマチュアであり、趣味の料理である。土日しか料理しないし、何年やろうと素人料理は素人料理である。
 趣味の素人料理ではあるが、プロに勝っていると思うときがある。ラーメンが大好きでよく外でも食べるが、小生の作るラーメンに勝っていると思うラーメンにはあまりお目にかかれない。
 小生の料理を食べる食べ手は、小生と家族だけ。だから、小生は自分の口と家族の口にあう料理をする。ところがプロの料理人は不特定多数の客の口を満足させなくてはならない。最大公約数的な味になってしまう。100人の客はおいしいといっても101人目の客はまずいというかも知れない。その101人目が小生かもしれない。だから、小生自身と家族にとって最もおいしいのは小生の料理かも知れない。
 播半。いまはもうないが関西を代表する名料亭である。その播半で食事をしたことがあったが、口に入れた瞬間、ミスター味っ子のごとく稲光は光らなかったし口から破壊光線は出なかった。正直、播半の料理より、漁労実習の時、漁船の上で食べたイカの方がおいしかった。とはいうものの播半の料理をおいしいという人が数多くいたわけだから、名料亭として名前が残っているのだろう。料理というモノは難しいのである。

北斎漫画

2019年10月07日 | 映画みたで

監督 新藤兼人
出演 緒形拳、西田敏行、田中裕子、樋口可南子

 葛飾北斎を映像化した作品としては、アニメ「百日紅」テレビドラマ「眩くらら」そして、この映画と3本観た。「百日紅」と「眩くらら」は主人公は北斎の娘お栄。この「北斎漫画」は北斎が主人公であるが、お栄も重要な登場人物である。北斎を取り巻く重要な人物としては、娘で弟子のお栄以外に戯作者の滝沢馬琴がいる。
「百日紅」には馬琴は出てなかったが、この映画と「眩くらら」には出ていた。葛飾北斎と滝沢馬琴。当代の人気絵師と作家。平井和正と生頼範義か星新一と真鍋博といったところか。
 その馬琴、この映画ではお栄よりも重要な人物として描かれている。史実では、どうも北斎と馬琴はコンビを解消したらしいが、この映画では最晩年まで友として描かれている。
 もう一人の重要脇役のお栄は「百日紅」と「眩くらら」は一人前のクリエイターとなっているが、こちらではたんなる北斎のアシスタントである。
 で、肝心の北斎だが、「百日紅」と「眩くらら」では晩年の画号のとおり、まさしく「画狂人」で、画以外は眼中になかったが、この映画では樋口演じるお直という人物を創ることによって、男性としての北斎を描写している。お直、葛飾北明がモデルかな。

居酒屋丙寅虎日記 10月7日

2019年10月07日 | 阪神タイガース応援したで
「みっちゃん、ビール」
「ワシも」
「アテ、そやな。串カツ盛り合わせ」
「それとハムカツ」
「えらいもんで、横浜やったら阪神強いでんな」
「ほんと。蛇足シリーズの第一段階通過してもたな」
「第二段階で巨人相手にせなしゃあないな」
「しかし、このまま阪神が巨人やっつけて、日本シリーズ行ってええんやろか」
「あかんやろ。貯金1しかないチームが日本シリーズなんかにいったら」
「ほんま、1年間の戦いはなんやったんや」

笑福亭たまお気楽独演会

2019年10月05日 | 上方落語楽しんだで
 昨夜も落語です。仕事を終わって新開地へ。まず、グリル一平で腹ごしらえです。ヘレビーフカツレツを食べました。私は喜楽館での落語会では、たいていこのグリル一平で食事をします。おいしい洋食とおもしろい落語。これ以上なにを望むのでしょうか。
 グリル一平から喜楽館まで、歩いて1分です。喜楽館に入ります。笑福亭たまさんのお気楽独演会です。実はこの落語会、去る8月15日に行われる予定だったのですが、台風のため中止。その振替公演です。真夏の落語会でしたから怪談特集ですが、この暑さですから違和感はなかったです。開演までにもらった落語会のチラシを見ていたのですが、たまさんが精力的に独演会をやったはる。しかもそれぞれ違う演目です。大きな名跡でも襲名するおつもりでしょうか。そうですね。笑福亭たまという高座名はそろそろ改めてもいいころでしょう。
 さて、開口一番は笑福亭智丸さん。会長仁智師匠のお弟子さんです。「平林」をやらはった。オーソドックスな平林でした。
ところで、今回は2階席でした。上から落語家さんを見降ろしてるですが、見台の上の小拍子の扱いなど手の動きが良く見えて興味ぶかかったです。
2番手は桂二乗さん。いま、米朝一門では伸び盛りの落語家さんです。娘さんネタのまくらです。娘さんが小さいので家で落語の稽古ができない。で、真夜中、深夜の街をブツブツ落語をつぶやきながら歩くそうです。で、真夜中の2時にウサギを拾ったそうです。なんともシュールなまくらでした。演目は「写真の仇討ち」です。怪談特集ですから、ちょこっとだけ怪談っぽいネタを選んだそうです。
 さて、仲トリはいよいよ笑福亭たまさんの出番です。演目は私が楽しみにしていた「地獄八景」です。この噺、桂米朝師匠のはもちろん、米團治師匠、文の助さんと、米朝一門のを生で聞いたことはありますが、笑福亭の「地獄八景」は初めてです。この噺の特徴ですが、たまさんも最近亡くなった人をたくさん出さはった。あの世の映画ではアニメが良いらしいです。優秀なアニメのクリエイターがぎょうさんこっちへ来ましたからな。
さて、閻魔の庁のところでたまさん、掟やぶりともいう奇手を使わはった。
「きょうは先代閻魔の1000年忌につき、特別に恩赦を行う。われと思わん者は自己申告せえ」「最初の亡者でませい」
ここで開口一番でしゃべった智丸さんが出てきて、たまさんの隣にチンと座ります。「次の亡者でませい」こんどは二乗さんが出てきました。高座に複数の落語家が出てくる落語なんか初めて見ましたわ。
なにはともあれ大爆笑の「地獄八景」でした。閻魔の庁のくだりで終わり。人呑鬼のパートは割愛しはった。これで良かったと思います。フルでやったら長すきます。
 仲入り前は笑福亭仁智師匠。上方落語協会会長になってなにかと苦労も多くたいへんだそうです。この時の演目は、怪談特集ということで「恐怖の民宿百物語」海外生活の経験が長い女性オーナーが経営する、おしゃれな「レイクサイドプチホテル」にやって来た二人の男。このホテル8時になると停電します。で、そのくだりになると、喜楽館館内の灯りがほんまに全部消えて真っ暗になりました。1本のロウソクの灯りだけで仁智師匠は落語を続けたはる。怪談特集らしい面白い演出でした。
さて、仲入り後の大トリはもちろん。笑福亭たまさん。「死神」です。病人の枕元に死神がおると、その病人はほどなく死ぬ。足元に死神がおると絶対助かる。枕元に死神がおる病人をなんとしてでも助けてくれといわれた主人公。どうしたか。そしてどうなったか。という噺です。
 元気いっぱいの笑福亭たまさんを堪能した落語会でした。
 

新・二都物語

2019年10月03日 | 本を読んだで

 芦辺拓      文藝春秋

  関東大震災、阪神大震災。この物語は二つの大震災をつなぐ時間の流れに沿って紡がれていく。主人公は二人の男。東北の貧農出身の政木謙吉。大阪の銀行家の息子の水町祥太郎。この二人を軸に大正、昭和、平成の日本と中国での物語が展開する。
 二人は一度だけ会った。関東大震災直後の東京で。謙吉は貧乏書生の被災者として、祥太郎は大阪からやってきた復興支援者として。この震災が二人の運命を大きく変えた。謙吉は別人となって、政府の役人に奉職。映画を検閲する立場となる。祥太郎は没落した実家を出て、映画製作者として生きていく。
 謙吉と祥太郎。この二人にからむのは、甘粕正彦や李香蘭(と思われる新人女優)といった有名人から、無名の中国人少年まで、波乱万丈の物語が展開していく。
 そして1995年1月17日午前5時46分。神戸のとあるホテルに90を越える老人が宿泊していた。その後、老人を見かけた人はだれもいない。



サンマの蒲焼丼

2019年10月02日 | 料理したで

 今年の土用の丑の日はウナギを食わんかった。国産のウナギは高い。かといって中国産のウナギを食う気はしない。ウナギのかわりにナマズを食った。
 ウナギの蒲焼もうまいが、今の時期、旬のサンマも蒲焼にするとうまい。ところが今年のサンマは大変な不漁とのこと。いちおう店頭に並んで入るが、高い。それにやせている。サンマの魅力である脂があまりのっていない。それでもなんとかマシなモノを買って蒲焼丼にした。
 神戸の春の風物詩イカナゴも明石のタコも不漁。う~む。ニッポンはどうなっていくのであろうか。

そごうがなくなった

2019年10月01日 | いろいろ

 西宮生まれで、三つの時から神戸市民であるワシが、こんな景色を見るとは思いもせなんだ。ご覧のように写真に写っているデパートは「阪急」や。なんともおかしげな感覚や。ここにはワシがものごころついたときから、ず~と「そごう」があった。デパートの「阪急」は大震災以前は、いま、工事中の阪急三宮駅の駅ビルにあったんや。
 阪神沿線在住のワシにとって、デパートといえば「そごう」や。阪神電車の三宮で降りると、すぐそこに「そごう」がある。これはワシが子供のころからつい先月までのことや。
 むかしむかし、大むかしは「そごう」へ行くというのんは一大イベントであった。阪神電車で御影をすぎるあたりからワクワク。で、三宮について改札を出るとそこがワンダーランドそごう。親が買い物してる間は子供のワシは屋上の熱帯魚売り場にいた。おもちゃより魚の方が好きな子供であった。ネオンテトラやグーラミィを見ていると時間が経つのを忘れる。用事がすんだ親が呼びに来る。8階の大食堂でごちそうを食べて帰るのである。もし、なんか買ってもらったら、がまんの限界は新在家あたりかな。石屋川を過ぎれば、包み紙を開けて中を見ている。
 そういう想い出がつまった「そごう」がなくなった。さみしい。