ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

永遠のSF少年山本弘逝く

2024年04月05日 | いろいろ
 山本弘さんの訃報に接する。また古くからのSF友だちを失った。西秋生、石飛卓美、亀沢邦夫、みんな私より年下で、60代で逝った。男性の平均年齢は80を超えているというが、なぜ彼らは60代で逝ってしまうのか、理不尽なことだ。
 山本さんとは最近では京都SFフェスティバルなどのSFイベントでたまに会うぐらいだが、昔は毎月会っていた。
 まさにSFの申し子のような人だった。若いころから、自然科学系の知識をいっぱい持っている人で、SF少年そのものだった。
 星群が京都で例会をやっているころは、山本さんも毎月例会に参加していた。理屈っぽく理論好きで口げんかは強かった。いちど山本弘VS南山鳥27の口げんかバトルというのを見てみたいと思っていたが、実現できなくなって残念だ。
 京都での星群例会は府立勤労会館で1次会をやっていた。2次会は御池の喫茶店。3次会は居酒屋。ここまでは全員がいっしょ。居酒屋を出たところで二手に分かれた。私たち年ぱい者組と、山本弘、水野良、菅浩江、三村美衣といった若手。年ぱい者はさらにアルコールを摂取すべくスナックかバー。若手は、どうもゲームにいってたらしい。山本さん水野さんたちがのちに結成したグループSNEの萌芽はこのころにあったわけだ。
 さきにも書いたようにSFの申し子で、少年がそのまま大きくなったような人だった。若いころの彼を知っているが、大人になってネクタイ締めてサラリーマンをやるとは想像できなかった。この人、作家になるよりほかはないんではないだろうか。それもSF作家に。本人もSF作家志望が強くあった。そしてその才能も充分にあって、そのとおりSF作家になって、SF作家として逝った。
永遠のSF少年が彼岸へと旅立った。こころからご冥福をお祈りします。先にいくなよ山本弘。

姫路へ立ち食いそばを食べに行く

2023年01月09日 | いろいろ

 眉村さんや堀さんから、あそこのはうまいと聞いていた駅の立ち食いそば。一度、食べにいきたいと思いつつ、なかなか機会がなかった。
 今日は休日なり、たいてい喜楽館か繁昌亭に落語をききにいっているのだが、その予定もないし、映画「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」を観に行ってやろうと思ったが、もうしばらく上映しているだろう。で、姫路まで行った。2時間だけ会社で仕事して新快速で姫路へ。降りたホームのそこにある立ち食いそば「えきそば」が目的地。天ぷらえきそば430円を食べる。長年の念願が晴れる。
 そばといっても蕎麦ではない。和風ラーメンといっていいかな。和風の昆布鰹だしに中華風の麺が使われている。
 だしは澄んだ純関西風のだし。心持ち塩っけが強かったが、上品にうま味が出て上等のだしだ。麺は細いうどんとストレートの中華細麺の中間のような麺。黄色くないからかん水を使っているのだろうか。純関西風のだしとこの麺が実によくあう。なかなかうまい。また機会があれば食べたいし、自分でも作ってみよう。だしはできるけど麺が難しいな。フードリエの麺好亭の細直麺がなんとかこれに近いかな。

有馬温泉に行って来ました。

2022年11月21日 | いろいろ

 日本は四季おりおりに愛でるべき花鳥風月がございます。早春は梅、春は桜、秋には紅葉が美しいです。晩秋でございます。紅葉を愛でるには、この土日が最後の機会かと存じます。風流を解する者として秋の紅葉は見逃すことはできませぬ。
 と、いうわけで、夫婦で有馬は瑞宝寺公園に行ってまいりました。私の住まいおる神戸市東灘区からはバスで行くのがようございます。阪神芦屋駅の前が有馬行の始発です。ずいぶんたくさんの人が乗って来てバスは満員でした。私たちは座れましたが、みなさん山登りの人たちのようです。
 芦有道路を通って1時間足らずで瑞宝寺公園前につきました。このバスの運転手さんはものすごく上手な運転手さんでした。あの曲がりくねった山道を、乗客には全くストレスを感じせず実にスムースにバスを走らせてました。あの運転手さんに拍手。
 瑞宝寺公園の紅葉は見ごろです。紅や黄色に色づいた樹々が鮮やかで、まこと日本の秋の「美」を満喫いたしました。
 さて、いつまでも紅葉を愛でていたいのですが、お腹もすいてきましたし、有馬温泉の中心地に向かいました。釜めし屋さんに入りたかったのですが、長い行列ができてました。近くのうどん屋さんでなべ焼きうどんを食べました。美味しゅうございました。時うどんではありませんので「ひっぱりな」なしで、ゆっくりうどんをいただきました。
 さて、太閤殿下にごあいさつしたあと有馬観光をしました。有馬山椒、有馬篭の花入れ、炭酸せんべいを買いました。焼きたての炭酸せんべいも食べました。賞味期限5秒です。軟らかいのですがすぐパリパリになります。パリパリはパリパリで美味しかったです。温泉まんじゅうも食べました。このあたりの街の風情は落語の「有馬小便」を思い起こします。
 せっかく名湯有馬温泉に来たのですから、温泉に入らないのはいけません。それにゆっくりしたいので、宿を予約してあります。中之坊瑞苑です。チェックインは午後2時からですから、ロビーでゆっくりしました。見事な錦鯉が泳いでおります。このホテルは「料理の鉄人」で道場六三郎と名勝負をくりひろげた太田忠道さんが総料理長を務めておられますので料理が楽しみなのですが、太田さんは独立されたようです。でも太田さんの薫陶を受けたお弟子さんが料理しておられると思われます。夕飯が楽しみです。
 さて2時になりました。部屋は「和モダン」というタイプで畳でツインのベッドです。板張りの居間が窓際にあり、そこで食事ができます。冷蔵庫のビールは無料です。早速、温泉につかりに行きました。露天風呂です。金泉と銀泉の2種類の湯が楽しめます。銀泉は透明ですが金泉は赤い不透明なお湯です。酸化鉄でしょうか、塩分が高く身体がよく浮きます。身体がほこほこといたします。浴室から出たところにアイスボックスがあって、湯上りのビールは無料です。
 しばし窓からの眺めを楽しみます。写真がその眺めです。有馬川です。奥の橋が太閤橋、木で隠れて見えませんがねねの橋が手前にあります。ねねの橋のたもとにはねねさまの像があります。太閤橋の近くの太閤殿下とねねさまはむかいあうようにおられます。
 夕食の時間になりました。部屋食をリクエストしましたので仲居さんが運んで来てテーブルセットをしてくれます。私たちは少量美味会席を頼んでました。少しづつ美味しいモノがいっぱい出てきました。前菜盛り合わせ、椀は松茸の土瓶蒸し、お造り3種、メインは神戸牛です。私は神戸牛の白みそ鍋、相方はヘレ肉の陶板焼きです。煮ものは太刀魚。ご飯は松茸ご飯でした。デザートはカボチャと渋皮栗のプリンです。みんな美味しゅうございました。特に松茸ご飯が絶品でした。縄文土器のような土鍋でたっぷりありました。もったいないですが、食べ残しました。もちろんお酒もいただきました。夕食の後、もう一度温泉につかりました。ほろ酔いでつかる温泉もまたかくべつです。
 有馬の朝になりました。朝食前に朝風呂です。朝食は洋と和が選べます。和朝食にしました。お目覚めのジュースということでとトマト、オレンジ、豆乳と3種類の飲み物がついてるのがうれしかったです。メインの魚料理は銀鱈、カレイ、秋鮭から選べます。私は銀鱈、相方はカレイを選びました。あと湯豆腐、サラダ、卵料理も茶碗蒸し、出汁巻き、温泉卵から、私は出汁巻き、相方は茶碗蒸しを選びました。海苔は炭火が入った箱で出てきますのでパリとしてます。ご飯は縄文土器で炊いたごはんです。
 朝食にも満足して、たっぷり休んチェックアウトしました。大満足しました。このホテルは13歳以下の客はとりません。だからお客は大人ばかりで、静かで落ち着いた雰囲気です。それも一つの見識でしょう。「おもてなし」とはいかなるモノかを満喫しました。神鉄の駅まで車で送っていただきました。
 有馬温泉は、他の温泉場にあるような殿方がお好みになる、スケベなお店はありません。パチンコ屋すらありません。おちついた風情のある実にけっこうな温泉地です。帰りは神戸電鉄でのんびり帰りました。
 

眉村卓の異世界物語 トリビュート作品集

2022年10月10日 | いろいろ

 眉村卓追悼企画本「眉村卓の異世界通信」が昨年の6月に刊行されました。おかげさまで高い評価をいただきました。でも、刊行委員会一同、積み残し感がありました。追悼エッセイや、眉村作品単行本未収録作掲載、各種リストなどに加えて、眉村さんに対する想いを形にしたトリビュート作品も掲載したとの考えもありましたが、時間的なことページ数の都合もあり「異世界通信」では残念ながら見送りました。
 冒頭でいったように「異世界通信」は高評価をいただき、自費出版のコンテストにて優秀賞を受賞しました。賞金がでました。さて、この賞金をどうしよう。刊行委員会ZOOM会議をかさね、使い道を考えました。本で得たお金は本にするのが一番だ。と、いうわけで、積み残しとなっていた、眉村卓トリビュート作品集を刊行する運びとなり、このたびできあがりました。
 執筆者は以下の通りです。
 眉村卓、芦辺拓、北野勇作、岡本俊弥、藤野恵美、雫石鉄也、高井信、菅浩江、竹本健治、河内実加、椎原悠介、深田亨、大熊宏俊、石坪光司、村上知子、堀晃
 アマゾンで購入できます。購入申し込みは、こちら

酒庫の掃除をした

2022年01月23日 | いろいろ

 ワシは飲酒は週に4回と決めておる。日曜、火曜は日本酒かビール。いまは寒い時期だから日本酒を飲んでおる。木曜、金曜はウィスキーだ。月曜、水曜、土曜は休肝日。健康のため1回に飲む酒の量は決めておる。日本酒は1合半、ビールは500cc缶1本。ウィスキーは100ccだ。
 ウィスキーはフルボトルでだいたい700cc。だから、ほぼ1か月で1本ウィスキーが空く。ウィスキーを買うのは1か月に1本か2本。だからウィスキーのストックは少しつつ増えていく。
 ウィスキーはできるだけ涼しくて日の当たらん所に保存しておくのがよろしい。だから家じゅうで一番暗いところに保存しとる。で、時々、ストック分を取り出して、掃除しなくちゃホコリがたまっとる。
 そういうわけでウィスキーのストックを並べてみた。前列左から、バーボンのブラントン、スコッチのグレンファークラス105、バーボンのスタッグJr、あとはごらんのとおり、白州、山崎、響とサントリーのトップスリー。かくれて見えないが、中の列左から、アメリカのシングルモルト、リッテンハウス、ウエストランド、ワスムンズ、バーボンのノブクリーク、サントリーローヤル、六甲山ウィスキー。後列は国産ウィスキー越百、スコッチのラガヴーリン12年、グレンドロナック12年、木箱に入ってるのはバーボンの最高峰ブッカーズ、マッカラン12年、ジョニーウォーカー18年、シーバスリーガルミズナラ18年。一番うしろの背の高いのは日本酒の呉春である。

訃報 きんたミーノ

2020年08月28日 | いろいろ
 おかげ様ブラザーズのリーダーきんたミーノさんが亡くなった。とても死にそうにないおっさんだっただけに、いささかショックを受けている。享年59歳。若いな。もっと年取っていると思っていたが。
 おかげ様ブラザース大好きだ。「仏教戦隊ブッダマン」「セブン・ゴッド・フーチュン」「やーサンバ」「人間ポンプ」どれもノリの良い曲で、折りにふれて聞いている。親友石飛卓美が健在だったころよく出雲へ行った。愛車インテグラでおかげ様ブラザースをガンガン鳴らしながら、中国道を120キロで走ったもんだ。いまとなっては、なにもかも懐かしい。
 きんたミーノさんのご冥福をお祈りする。

もとまち寄席恋雅亭がこのまま終わる

2020年03月30日 | いろいろ
 神戸の上方落語ファンにとっては毎月10日は、お楽しみの日であった。毎月10日、神戸は元町の風月堂ホールで、まとまち寄席恋雅亭が行われる。(行われていた)小生も毎月行っていた
実はこのもとまち寄席恋雅亭は4月の500回というキリの良いところで終わる。会場の風月堂ホールが老朽化のため使えなくなるからだ。その500回最終公演は、上方落語の主力メンバーがほぼ全員が出演する超豪華落語会になる予定であった。小生もおおいに楽しみにしていたが、その4月の500回最終公演も新型コロナ肺炎のため中止。
 もとまち寄席恋雅亭は、このまま42年の歴史に幕を閉じることになった。大阪に繁昌亭がなく神戸に喜楽館がない昔から、神戸の貴重な地域寄席として、もとまち寄席恋雅亭が上方落語発展に大きく寄与したことは間違いない。
 もとまち寄席恋雅亭は、上方の落語家にとってはガチンコで落語をできる場であった。ふつう、落語会は、開口一番の前座がいて、2番手、3番手と続き、中トリがいて、トリ前がいて、最後に大トリが出てきて終わる。大トリはだいたい大御所的な落語家が務める。その前に出る落語家は、大トリに斟酌して、あんまり派手な噺はやらない。大トリを務める大御所を引き立てるように遠慮する。ところが、このもとまち寄席恋雅亭は、そんなことはおかまいなし。前座であろうがトリ前であろうが、大トリにいっさい忖度なし。リミッターをとっぱずして大熱演を演じて客席を爆笑の渦にする。そういう寄席であった。
 上方の若手の落語家にとって、もとまち寄席恋雅亭に出演することは、落語家として一人前として認められたことになる。上方落語家の出世すごろくはこうだ。
 入門→師匠の独演会で前座を務める→繁昌亭か喜楽館に出る→NHKの「上方落語の会」かMBSの「らくごのお時間」に出る→もとまち寄席恋雅亭に呼ばれる→NHKの「日本の話芸」に出る→弟子が入門する→繁昌亭か喜楽館で大トリを務める→大阪市の「咲くやこの花大賞」を受賞→大きな名跡を襲名→叙勲→人間国宝。
 もとまち寄席恋雅亭はそういう立ち位置の落語会であった。その終焉に立ち会うことができなくなった。まことに残念。新型コロナ肺炎のウィルスをうらむ。

チャチャヤング・ショートショート・マガジン9号が出ました。

2020年02月09日 | いろいろ
 
 チャチャヤング・ショートショート・マガジン9号が出ました。今号は眉村卓先生の追悼号です。いまから半世紀近い大昔、1970年代初頭、当時、新進気鋭のSF作家であった眉村卓さんが深夜放送をやっていた。その番組のショートショートコーナーの常連投稿者たちが、番組終了後同人誌を結成、月に一度、眉村さん宅におじゃまして勉強会をやっていた。
 それから長い年月が経ったが、その常連投稿者たちは、今も書いている。眉村卓先生は昨年11月に85歳でご逝去。眉村さんの薫陶を受けた常連投稿者たちが眉村卓先生を偲ぶ。
 
眉村卓先生追悼エッセイ 9編
 創作          14編

 執筆者
 小野霧宥、和田宜久、柊たんぽぽ、雫石鉄也、岡本俊弥、野波恒夫、深田亨、大熊宏俊、南山鳥27、ミラディス・ジョアン

オンデマンド出版です。ご購入はこちらから。


あれから25年。

2020年01月17日 | いろいろ
 あれから25年。ついこないだのように思うが、もう1/4世紀もたった。あの大震災からふた昔半も過ぎた。小生も年を取るはずだ。
 あの日は三連休明けの日であった。前日まで友人の結婚お祝い合宿で奈良で泊まっていた。それまで神戸では大きな地震はないと思っていた。
 さて、連休も終わった。今日から会社だ。起きんといかんな。と、とつぜん下から突き上げられた。世界が激しく上下に揺さぶられた。地震だ。かなり大きい。この時の揺れは、小生が住む神戸市東灘区では震度7であった。揺れがおさまったあと、シーンとした静寂。しばらくしてガヤガヤという人の声がする。
 家の中はシャッフルしたようであった。机のこっち側にあった本棚が、中身をぶちまけながら空中を飛んで机のあっち側に着地している。真っ暗な台所で何かが斜めになっていた。食器棚が倒れている。その食器棚を乗り越えて家族を連れて玄関までいった。台所に置いてある熱帯魚の水槽が魚と砂利を吐き出して破壊されていた。エンゼルフィッシュがまだぴくぴく動いていた。玄関は熱帯魚の餌としていたイトミミズの容器が棚から落ちて、あたり一面ミミズだらけだ、
 玄関が開くか心配だったが、開いた。駐車場に向かう。途中の屋根付きガレージにあるベンツの屋根がへこんでいる。ガレージは無事だ。ベンツが飛び上がってガレージの屋根に当たったのだろう。
 ウチの車は露天の駐車場であったから無事だった。ともかくここから移動しよう。どこへ行ったらいいか判らぬが、とりあえず国道43号線を東へ走ろうとした。走れない。巨大なモノが道をふさいでいる。信じられないものを見た。頭上を通る阪神高速が斜めに倒れて道をふさいでいるのだ。
 車での脱出をあきらめて、近くの小学校へ避難する。最初に入った部屋はシーンとした静かな部屋だった。そこにいる人はみんな毛布をかぶって寝ている。そこは死体置き場であった。あわてて講堂に移動した。すでに大勢の被災者が避難していた。開いた場所に座った。その場所の隣にフィリピン人のご一家がいた。このご一家にはたいへん親切にしていただいた。
 北区に住む弟が小生たちを探し出してくれた。神戸市北区は無事だった。彼に車で彼の家に避難した。
 これが小生の震災当日1995年1月17日だ。
 


えべっさんへ初もうで

2020年01月04日 | いろいろ

 西宮のえべっさんへ初もうでに行く。以前は、三が日か十日えびすに行ってたのだけれど、えらい人出で拝殿までたどり着けなかったことがあった。それからは、えべっさんへの初もうでは4日に行くことにしている。4日といってもけっこう参拝客は来てて、屋台も出ててお正月の雰囲気もあるが、参道を普通に歩ける。
 今年もいろいろえべっさんにお願いした。あれぽっちのお賽銭で欲どしいと思われるかもしれないが、西宮生まれの小生はえべっさんとのつきあいは長いのだ。

安全第一。長寿長命。金満裕福。年金増額。阪神優勝。巨人敗北。文芸上達。夫婦円満。近本盗塁。有給休暇。長編執筆。上方落語。料理自慢。大山長打。矢野喝采。辰徳大恥。馬食鯨飲。満願全席。財布肥満。尿酸適正。血糖安定。洋酒入手。唯我独尊。五輪中止。野党結集。自民下野。安倍退陣。富籤的中。空想科学。


謹賀新年

2020年01月01日 | いろいろ
           あけましておめでとうございます

                          今年もよろしくお願いします。
                今年は子年でございます。子の1365番が当たりますように。



大晦日です。

2019年12月31日 | いろいろ
 大晦日でございます。2019年が去っていきます。私もさしたる仕事も成さぬまま、ただただ馬齢を重ねる1年でございました。
 このブログは9月に開設しました。ときどき、思いついたように更新しております。以前やっていたブログでは毎日更新しておりました。毎日の更新、正直、負担となっておりました。ブログのネタくりにかなり頭を使いました。お花見にいっても、落語会にいっても、これを記事にしなくてはと、それに気が行って、花や落語を楽しむのが二の次となり、本末転倒とあいなりました。かようなことを反省点として、この「ごろりんブログ」を開設したしだいでございます。
 義務感にかられての更新はいたしませんが、このブログも息長く続けるつもりですので、新年度も、どうぞご覧になってくださるようお願い申し上げます。
では、どちらさまも、良いお年をお迎えください。