昨日は神戸は新開地喜楽館の元気寄席に行っておりました。元気寄席は喜楽館で木曜の夜席でやっている落語会です。演者は4人ほどのこじんまりした落語会で、全席自由席なので、ふらりと気軽に寄れて上方落語を楽しめます。
開口一番は、月亭八織さん。八方師匠の8番目のお弟子さんです。きれいな噺家さんです。最近師匠に似てきたといわれるようです。何が似てきたのか。足の長さだそうです。月亭八方師匠といえば短足で有名ですが、わたしは着物の八織さんしか見たことがないのでわかりません。
「母恋くらげ」をやらはった。この噺、江戸の柳家喬太郎さんが創った新作落語ですが八織さんがうまく上方落語にしてました。母くらげと別れ別れになった子くらげの噺ですが、海の生き物を八織さんはうまく表現してました。きれいな顔を変顔にしてタコを演じたあとカレイとヒラメが出てきました。ちゃんと顔の向きを変えてました。
2番手は桂三語さん。喜楽館ができてからよく神戸の新開地に来るようになりましたが、大阪の新世界とよく似てる、同じ空気が流れていると三語さんはマクラでおっしゃってました。でもわたし(雫石)は違うと思います。私は三つの時から神戸市民で高校は湊川でした。高校の帰りは新開地を通ってました。昔の新開地はヤの字のおにいさん、おっちゃんの巣でした。私は慣れてましたから普通に歩いてましたが、昔の新開地は良家の子女は足を踏み入れない方がいいでしょう。あ、今は絶対にそんなことはありません。ですから老若男女善男善女、神戸女学院とか海星女子学院のお嬢さまがお一人で行かれてもだいじょうぶです。大阪の新世界はあまり行ったことはありませんが、新世界はホームレスの街、新開地はヤの字の街(昔のことです)とわたしは思います。で、三語さんがやった落語は「天狗裁き」です。
三番手は露の眞さん。露の都師匠の2番目のお弟子さんです。中堅からベテランにさしかかろうという噺家さんです。三重県志摩市の出身だそうです。志摩出身の芸能人はだれもいなかった。ですから眞さんが志摩出身の一人だけの芸能人だったそうですが、最近、なんたらいう坂道アイドルが志摩から出たんですって。眞さんの母上と坂道アイドルの母が知り合いだそうです。アイドルの母が「うちの娘芸能界にデビューしたけど、お宅の娘さんのお仕事は?」眞さんの母上は自分の娘が落語家になっているといえなくて「グラビア」いったそうです。そのグラビアアイドルの眞さんが演じたのは「軽石屁」です。旅ネタで東の旅のお伊勢さんから帰りの噺です。軽石を粉にしたのを飲むと屁がでます。
さて、仲入り後のトリは桂三扇さん。こういう落語会に来られる熟年夫婦は落語が始まる前、あまりお話になってないんですって。会場が繁昌亭だったら奥方はパンフレット読んでる。旦那は天井の提灯を数えてるんだそうです。ほんまかなと思って周囲を見ると、昨夜の喜楽館はみごとにおっさんばっかりでした。三扇さんの落語は「別れ話は突然に」師匠桂三枝(現6代文枝)作の創作落語ですが、三扇さんの噺ぶり、文枝師匠にそっくりです。さすが子弟ですね。
八織さんはご自分で八方師匠似てきた(あんまり似てないとわたしはおもいますが)といわはるし、三扇さんはほんまに文枝師匠に似てます。
ここで師匠に似てる落語家を見てみましょう。まず、桂米團治師匠。さすが実の親子だけあって、米朝師匠によく似てます。一瞬、米朝師匠が生き返ったのかなと思います。そして桂八十八さんも米朝師匠に似てます。
それから桂阿か枝さん。数多くいる先代5代目文枝師匠一門で、阿か枝さんが先代文枝師匠に似ています。阿か枝さんの噺に先代文枝師匠の面影がかいま見えるときがあります。
笑福亭一門では笑福亭鶴志さんが松鶴師匠に一番似ていたが、おしくも亡くなりました。今の人では鶴瓶師匠が大化けしたら松鶴師匠に似てくる気がします。
次に桂枝雀一門ですが、ざこば一門の桂りょうばさんが枝雀師匠の実子ですがお父さんとは似てません。桂雀々さんが枝雀落語とは別次元の爆笑落語を展開していたのですが、こちら惜しくも亡くなりました。しいていえば雀三郎さんが枝雀師匠に似てるかな。「おひいさんが、カー」という芸も受け継いではるし。
それはそれとして、昨日の喜楽館の客席、おっさん、じいさんばっか。上方落語家はいま270人。関西の落語好きの人数を考えると落語の供給源はこの人数でいいのではないでしょうか。ですから今は落語家を増やすより、落語ファン、特に若いファンを増やすのが喫緊の課題ですね。
開口一番は、月亭八織さん。八方師匠の8番目のお弟子さんです。きれいな噺家さんです。最近師匠に似てきたといわれるようです。何が似てきたのか。足の長さだそうです。月亭八方師匠といえば短足で有名ですが、わたしは着物の八織さんしか見たことがないのでわかりません。
「母恋くらげ」をやらはった。この噺、江戸の柳家喬太郎さんが創った新作落語ですが八織さんがうまく上方落語にしてました。母くらげと別れ別れになった子くらげの噺ですが、海の生き物を八織さんはうまく表現してました。きれいな顔を変顔にしてタコを演じたあとカレイとヒラメが出てきました。ちゃんと顔の向きを変えてました。
2番手は桂三語さん。喜楽館ができてからよく神戸の新開地に来るようになりましたが、大阪の新世界とよく似てる、同じ空気が流れていると三語さんはマクラでおっしゃってました。でもわたし(雫石)は違うと思います。私は三つの時から神戸市民で高校は湊川でした。高校の帰りは新開地を通ってました。昔の新開地はヤの字のおにいさん、おっちゃんの巣でした。私は慣れてましたから普通に歩いてましたが、昔の新開地は良家の子女は足を踏み入れない方がいいでしょう。あ、今は絶対にそんなことはありません。ですから老若男女善男善女、神戸女学院とか海星女子学院のお嬢さまがお一人で行かれてもだいじょうぶです。大阪の新世界はあまり行ったことはありませんが、新世界はホームレスの街、新開地はヤの字の街(昔のことです)とわたしは思います。で、三語さんがやった落語は「天狗裁き」です。
三番手は露の眞さん。露の都師匠の2番目のお弟子さんです。中堅からベテランにさしかかろうという噺家さんです。三重県志摩市の出身だそうです。志摩出身の芸能人はだれもいなかった。ですから眞さんが志摩出身の一人だけの芸能人だったそうですが、最近、なんたらいう坂道アイドルが志摩から出たんですって。眞さんの母上と坂道アイドルの母が知り合いだそうです。アイドルの母が「うちの娘芸能界にデビューしたけど、お宅の娘さんのお仕事は?」眞さんの母上は自分の娘が落語家になっているといえなくて「グラビア」いったそうです。そのグラビアアイドルの眞さんが演じたのは「軽石屁」です。旅ネタで東の旅のお伊勢さんから帰りの噺です。軽石を粉にしたのを飲むと屁がでます。
さて、仲入り後のトリは桂三扇さん。こういう落語会に来られる熟年夫婦は落語が始まる前、あまりお話になってないんですって。会場が繁昌亭だったら奥方はパンフレット読んでる。旦那は天井の提灯を数えてるんだそうです。ほんまかなと思って周囲を見ると、昨夜の喜楽館はみごとにおっさんばっかりでした。三扇さんの落語は「別れ話は突然に」師匠桂三枝(現6代文枝)作の創作落語ですが、三扇さんの噺ぶり、文枝師匠にそっくりです。さすが子弟ですね。
八織さんはご自分で八方師匠似てきた(あんまり似てないとわたしはおもいますが)といわはるし、三扇さんはほんまに文枝師匠に似てます。
ここで師匠に似てる落語家を見てみましょう。まず、桂米團治師匠。さすが実の親子だけあって、米朝師匠によく似てます。一瞬、米朝師匠が生き返ったのかなと思います。そして桂八十八さんも米朝師匠に似てます。
それから桂阿か枝さん。数多くいる先代5代目文枝師匠一門で、阿か枝さんが先代文枝師匠に似ています。阿か枝さんの噺に先代文枝師匠の面影がかいま見えるときがあります。
笑福亭一門では笑福亭鶴志さんが松鶴師匠に一番似ていたが、おしくも亡くなりました。今の人では鶴瓶師匠が大化けしたら松鶴師匠に似てくる気がします。
次に桂枝雀一門ですが、ざこば一門の桂りょうばさんが枝雀師匠の実子ですがお父さんとは似てません。桂雀々さんが枝雀落語とは別次元の爆笑落語を展開していたのですが、こちら惜しくも亡くなりました。しいていえば雀三郎さんが枝雀師匠に似てるかな。「おひいさんが、カー」という芸も受け継いではるし。
それはそれとして、昨日の喜楽館の客席、おっさん、じいさんばっか。上方落語家はいま270人。関西の落語好きの人数を考えると落語の供給源はこの人数でいいのではないでしょうか。ですから今は落語家を増やすより、落語ファン、特に若いファンを増やすのが喫緊の課題ですね。