五日ほど来ていないだけだが、ずいぶん、ここに来ていないような気がする。鏑木がこの店を始めて40年になるが、こんなに店を休んだのは初めてだ。
新型コロナウィルスのまん延にともない、ここH県S市にも非常事態宣言が発令された。ここ海神はめったに満席になることはない。「三密」とはいえない店だが、4月15日から営業を自粛している。
S市駅前商店街。シャッターが目立つ商店街だから、新型コロナ騒ぎ以前とさして変わらないが、ポツポツと営業している店も休んだから、完全に死んだ商店街といっていいだろう。
灯が灯っていない「海神」のランタンの下に鏑木は立つ。鍵を開ける。ドアを押す。カラン。カウベルが鳴る。暗いガランとした店内。営業しているときでも、毎日、毎日、暗い店内に入っていたが、今は、一段と店内の暗さが目にしむ。
照明を点ける。カウンターとボトルが並んだ棚。テーブル席が2セット。この店が鏑木の店海神である。
海神をオープンさせたころは、この商店街はにぎわっていた。地域の生活を支える場所であった。それから40年、商店街の店は時流の変化にともなって、多くの店が閉め、シャッター商店街となった。それが、このたびの新型コロナウィルスまん延で、このS市駅前商店街は完全に死んだ街となった。
バー海神はまだ生きている。棚にならぶキープしているボトルがすべてなくなれば、海神は閉めようと鏑木は考えていた。
ガランとした店内を観る。二週間ほど店を閉めている。もちろん客は、その間一人も来ていない。収入は1銭もない。支出はある。正直、この海神では、大きな利益は出ない。いままで、店の維持費と鏑木1人が生きていけるだけの利益が上がるである。
これを機に海神を閉めようかと鏑木は思った。店の維持費がいらなくなれば、自分一人が食べていければいい。私もこの年だ、質素に暮らせば死ぬまで生きていけるだろう。
あとどれぐらい、この新型コロナウィルス騒動が続くか判らない。この海神をいつまで閉じておけばいいのだろう。
棚に並んでいるキープのボトルのオーナーは全員判る。連絡もできる。手紙を書き、ボトル1本分のお金を添えて、海神閉店のご挨拶を送ろう。
便箋とペン出してきた。その時小松左京の「復活の日」の登場人物土屋医師の言葉を想い出した。「どんなことにも終わりがある。どういう終わり方をするかだ」鏑木は便箋とペンを元に戻した。
そうだ、どんなことにも終わりがある。「復活の日」はMM88というウィルスで人類絶滅という終わり方をしたが、この新型コロナウィルスのまん延も終わりがある。これは現実だ。鏑木は高齢だ。感染すれば重症化する可能性が高い。死ぬかもしれない。でもこの騒動はいつかは終わる。この先、どうなるか判らないが、その時は「海神」をまた開けよう。現実の復活の日まで「海神」はこのまま置いておこう。
新型コロナウィルスのまん延にともない、ここH県S市にも非常事態宣言が発令された。ここ海神はめったに満席になることはない。「三密」とはいえない店だが、4月15日から営業を自粛している。
S市駅前商店街。シャッターが目立つ商店街だから、新型コロナ騒ぎ以前とさして変わらないが、ポツポツと営業している店も休んだから、完全に死んだ商店街といっていいだろう。
灯が灯っていない「海神」のランタンの下に鏑木は立つ。鍵を開ける。ドアを押す。カラン。カウベルが鳴る。暗いガランとした店内。営業しているときでも、毎日、毎日、暗い店内に入っていたが、今は、一段と店内の暗さが目にしむ。
照明を点ける。カウンターとボトルが並んだ棚。テーブル席が2セット。この店が鏑木の店海神である。
海神をオープンさせたころは、この商店街はにぎわっていた。地域の生活を支える場所であった。それから40年、商店街の店は時流の変化にともなって、多くの店が閉め、シャッター商店街となった。それが、このたびの新型コロナウィルスまん延で、このS市駅前商店街は完全に死んだ街となった。
バー海神はまだ生きている。棚にならぶキープしているボトルがすべてなくなれば、海神は閉めようと鏑木は考えていた。
ガランとした店内を観る。二週間ほど店を閉めている。もちろん客は、その間一人も来ていない。収入は1銭もない。支出はある。正直、この海神では、大きな利益は出ない。いままで、店の維持費と鏑木1人が生きていけるだけの利益が上がるである。
これを機に海神を閉めようかと鏑木は思った。店の維持費がいらなくなれば、自分一人が食べていければいい。私もこの年だ、質素に暮らせば死ぬまで生きていけるだろう。
あとどれぐらい、この新型コロナウィルス騒動が続くか判らない。この海神をいつまで閉じておけばいいのだろう。
棚に並んでいるキープのボトルのオーナーは全員判る。連絡もできる。手紙を書き、ボトル1本分のお金を添えて、海神閉店のご挨拶を送ろう。
便箋とペン出してきた。その時小松左京の「復活の日」の登場人物土屋医師の言葉を想い出した。「どんなことにも終わりがある。どういう終わり方をするかだ」鏑木は便箋とペンを元に戻した。
そうだ、どんなことにも終わりがある。「復活の日」はMM88というウィルスで人類絶滅という終わり方をしたが、この新型コロナウィルスのまん延も終わりがある。これは現実だ。鏑木は高齢だ。感染すれば重症化する可能性が高い。死ぬかもしれない。でもこの騒動はいつかは終わる。この先、どうなるか判らないが、その時は「海神」をまた開けよう。現実の復活の日まで「海神」はこのまま置いておこう。