ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

第25回日本SF大会顛末記 その4

2023年07月31日 | SFやで
 と、いうわけで、第25回日本SF大会の予行演習としてSFフェスティバルを行うことになった。これは柴野拓美先生のアドバイスによるモノで、柴野先生には的確な助言をいただいたと感謝している。
 この時、柴野先生のご自宅におじゃまに上がったのは、小生、清水、山根、沖田の4名であった。みんな若く貧乏であった。旅費を節約するためレンタカーを借りて東京まで走って行くこととした。
 小生の下宿に集合。近くのレンタカー屋でスカイラインを借りた。名神、東名と小生が運転した。東京の沖田のマンションに到着したのは深夜だった。翌朝、沖田宅で朝食をごちそうになって、レンタカーを返却後、電車で神奈川県二宮の柴野先生宅に午前中に訪問した。
 次の実行委員会で、SF大会前年にSFフェスティバルを開催することを提案して了承を得た。そして、次のことが決まった。
 第11回日本SFフェスティバルを1985年の夏に開催する。開催場所は神戸。実行委員長は不肖小生が任じられた。こうして1984年の夏、来年のSFフェスティバル、そして再来年の日本SF大会に向けて、小生たち第25回日本SF大会実行委員会は動き出したのである。

水車小屋のネネ

2023年07月26日 | 本を読んだで

 津村記久子           毎日新聞出版

 二人をのぞいていい人ばかりが出てくる小説だ。理佐と律の姉妹は多くのいい人とたちと1羽の鳥に見守られて人生を過ごす。40年の時が流れるこの小説は実に心地よい読書体験を提供してくれる。
 理佐18才律8才。10違いの姉妹にお父さんはいない。お母さんはいるけど、娘より交際相手の男の方が大切。幼い律は母の交際相手の男に虐待される。理佐は高校卒業を契機に妹を連れて家出を決意。そば屋の求人案件を目にする。「鳥のせわじゃっかん」そば屋の店員しながら鳥の世話もするらしい。
 特急は停まるけど山間の町のそば屋で理佐は働き出す。律も幼いながらも働く。そのそば屋は水車で動く石臼でそばを挽いている。その石臼を1羽のヨウムが見張っている。そのしゃべる鳥ネネの仕事は石臼が空になったらしゃべって知らせること。ヨウム3歳児ほどの知能があって50年生きる長生きの鳥。
 こうして理佐と律の姉妹はこの町で生きていく。そば屋の経営者夫婦、絵かきの杉子さん。律の小学校の藤沢先生。律の同級生寛実とその父親の榊原親子、理佐の次に水車小屋の番人となった聡青年。中学生研司。婦人会の人たち、いろんな人の善意に見守られて姉妹は育つ。そして40年。大人になった理佐と律は、この町で生きる。ネネもまだまだ元気だ。
 児童文学でもファンタジーでもないんだが、どこか浮世ばなれした雰囲気がただよう。この姉妹としゃべる鳥ネネが住むこの町は現実の町だろうか、人名は具体的な人名が出てくるが、地名は出てこない。少し大きな町は「急行が停まる町」と記述される。こんなにいい人ばかりが住む町。この小説を読んでいるあいだだけでも、こんな町があると思えるしあわせがある。

二十八年

2023年07月25日 | 作品を書いたで
 あの人は?間違いない。主人だ。あれから二十八年経った。六十歳になっているはず。生きていたんだ。二十八年もどこでどうしていたのか?聞きたいことは山ほどある。どんな事情があったんだ。でも、もういいんだ。あの人がこの世にいてくれるだけで私は満足なんだ。
 そういういえばあの人、ここ数日、このあたりで見かける。よく似た人だなあと思っていた。うすいもやもやが頭にかかっていたが、いま、それが晴れた。あの人も私のことが気にかかるんだ。様子を見に来たんだ。二十八年もたってから。
 こっちを見ている。視線が合った。こっちに歩いてくる。さあ、どうしてやろう。抱きついて泣くか。胸に飛び込んで拳でたたいて怒る。知らん顔して無視する。もし声をかけてきたら「どちらさまですか」いきなりグーで顔面にパンチを入れるというのもいいかもしれない。
 なんでもいい。二十八年間たまりにたまったモノをはき出してやるんだ。私はこんなんになってしまったけど、あの人を待ち続けた二十八年だった。

 一月の未明のことだった。とつぜん下から何かが突き上げた。地下に巨人がいて大きな丸太で、下からドンと突き上げたようだ。何が起こったのか判らなかった。ガタガタと激しく上下に揺れ出した。地震だと判った。ゆっさゆっさと横に揺さぶられるのではなく、大きなピストンの上に乗せられているようだ。
 なかなか振動がおさまらない。ものすごく大きな地震だ。揺れはとつぜん止まった。シーンと静寂があたりを包んだ。光がまったくない。なにか大きなモノがすぐ目の前にある。それが何であるか判らない。粘性のある液体が手についた。なんだろう。臭いをかぎたいが手が動かない。
 主人を呼ぼう。声がでない。シーンとしていたが人の声が外から聞こえる。叫び声、ガヤガヤという声。ともかく外に出たい。身体が動かない。どうも家がつぶれて生き埋めになったみたいだ。
 うすく光が見えてきた。背中の下にごろごろしたモノがある。何かの上に寝ているようだ。
「人がここで生き埋めになっとる。手をかしてくれ」
「生きてるか」
「判らん。若い女の人だ」
 私を圧迫していたモノが取り除かれた。ずるずると何人かの手で私は引きずり出された。寒い冬の地面に寝かされた。不思議に冷たいとは感じなかった。
 マグニチュード七・三最大震度七の大地震であった。死者は七千人。あれから二十八年経ったが行方不明者がまだ三人いる。私の主人もそのうちに一人だ。
 わが家は全壊した。私は近所の人たちの手で瓦礫の中から引き出されたが、夫の姿はなかった。全壊した家の下敷きになっているかもしれない。近所の人や自衛隊や警察が探してくれたが見つからない。夫がどんな状態になっていても会いたい。結局、夫はどこにもいなかった。
 瓦礫は片付けられ、家があった所は更地になった。遺体は発見されなかった。
 こう考えるようになった。なんらかの理由で夫は私のもとを離れたかった。そこに地震が起こった。震災の混乱にまぎれて夫はこの地を離れた。
夫が行ってしまった理由は私には判らない。外に女がいた可能性は夫にかぎってないだろう。きまじめ実直を絵に描いたような人だ。会社のお金に手をつけた。考えられない。第一主人は技術部門の人だ。経理や営業ではない。こういうことも考えた。主人は大きな災害に遭遇してショックを受け記憶喪失になってしまった。私を忘れ家を忘れ仕事を忘れて、どこかへ行ってしまったのだ。
 決めた。私はここで待とう。きっとここに帰ってくる。
 あと一年だけ待とう。毎年冬になるたびにそう思っていた。それが二十八回続いた。
 こっちに来る。還暦の男としてはゆっくりした足取りだ。七十ぐらいに見える。頭はすっかり白くなっている。二十八年前の面影が残っている。
 
 なつかしい。二十八年ぶりに故郷に戻ってきた。この地での想い出は楽しいことしかない。妻と結婚して三年ここで暮らした。小さな建売住宅であったが、私のスィートホームであった。
 あの日までは。
 とつぜん家が壊れた。天井が落ちてきた。なにかが頭を強打した。
 暗い広いところで気がついた。まわりには寝ている人がたくさんいる。人がたくさんいるが、人の気配がしない。
 これだけの人が寝ているのなら、いびきとか歯ぎしり、それに呼吸しているのだから、なにかの気配があるはずだ。
 ここはどこだろう。もうろうとしていた意識が戻ってきた。意識がはっきりとしてくるとともに、暗かったまわりに薄く光がでてきた。
 どうも体育館のような所に私は寝かされている。隣りで寝ている人を見る。おばあさんだ。七十は超えているだろう。顔色が普通ではない。くちびるが紫色だ。息をしていない。
死んでいる。そのおばあさんは死体だ。
 身体が動くようになった。上体をおこして周りを見る。ここは死体置き場だ。なにが起きたんだ。
「お、あの人生きてるぞ」
 どやどやと人がやって来た。医師と思われる人が診察した。
「骨折はしてない。脳しんとうをおこしたらしい。吐き気はしますか」
 吐き気はない。
「だいじょうぶだと思いますが、しばらく安静にしてください」 
 そういうと医師は去って行った。
 少し頭がフラフラするが、家を見に行った。ぺしゃんこになっていた。自衛隊が瓦礫を片付けていた。
「おーい。人が生き埋めになってるぞ」
 妻だ。夢中で駆け寄る。
「あぶない。下がって」
「私はこの家のもんです。妻です」
 
 家があった場所は更地になった。私はそこに妻の成仏を祈って小さな石仏をまつった。
 この土地にいるのが辛くてここを離れた。二十八年経った。石仏に手を合わせる。
「帰ったよ。待たせてごめん」
 

クライ・マッチョ

2023年07月24日 | 映画みたで

監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド、エドゥアルド・ミネット、ナタリア・トラヴェン

 91才!のイーストウッドが映画に出て、なおかつ監督までやっている。もうそれだけで満足である。
「ローハイド」のロディ・エイツ役のイーストウッドを観てから、「荒野の用心棒」「ダーティハリー」と60年にわたってイーストウッドを観てきたが、91才のイーストウッドまで観れるとは思わなんだ。長生きは芸である。
 お話は「グラン・トリノ」とおんなじ、じいさんと少年の物語。
 マイクはかってはロデオの名手であったが、落馬して人生が狂い、落ちぶれ果てた老人になった。そのマイクが恩人に頼みごとをされる。恩人は離婚して元妻はメキシコにいる。13才の息子も元妻の元にいるが、どうも元妻に虐待されている。息子を元妻の元から連れ戻してくれ。
 恩人の頼みは断れない。マイクは老骨にムチ打ってメキシコに向かう。息子はろくでなしの母親から離れて一人で生きている。闘鶏で日銭を稼いでいる。マイクは息子ラフォと彼の相棒雄鶏のマッチョを連れてアメリカに向けて旅をする。
 じいさんと少年と雄鶏のロードムービーである。向かうはテキサス。メキシコとアメリカの国境地域。西部劇でおなじみの場所だ、そこをテンガロンハットをかぶったカウボーイが行く。若きころのイーストウッドがさんざんやったシチュエーションだ。あのころのイーストウッドは若かった。それを観てたワシも若かった。前立腺を手術してなかったし、尿酸値の心配もなかった。トシを取ったもんだ。
 マイクのやったことは、父親の依頼と本人の同意があったとはいえ、親権者の母親の同意がないので誘拐だ。母親の手の者に追われ、メキシコの警察にも追われる。この映画、当初はシュワルツェネッガー主役で企画されたそうだが、シュワルツェネッガーなら追っ手や警察と派手なアクションをくり広げたであろう。でも91才のイーストウッド。追っ手も警察ものんびりまぬけ。イーストウッドが追っ手を一発殴っただけで、追っ手をやっつけるのは意外な人物(?)老人と少年はゆったりのんびり旅を続ける。そして映画実に素直に終わる。91才のクリント・イーストウッドであった。満足。アメリカに人間国宝なんてもんがあるか知らんがイーストウッドはアメリカの人間国宝だ。

SFマガジン2023年8月号

2023年07月23日 | 本を読んだで

 2023年8月号 №758  早川書房

雫石鉄也ひとり人気カウンター
1位 魘魅蠱毒 パク・ハル  吉良佳奈江訳
2位 殺人橋フジミバシの迷走 小川一水
3位 宇宙の底で鯨を切り裂く イザベル・J・キム 赤尾秀子訳
4位 筋肉の神に、敬語はいらない ジョン・チュー 桐谷知未訳
5位 毒をもって・・・      草上仁
6位 超光速の遺言        松崎有理
未読 グラーフ・ツェペリン あの夏の飛行船 高野史緒 

連載
ヴェルト 第一部         吉上亮
戦闘妖精・雪風 第五部〈第8回 因と果〉 神林長平
空の園丁 廃園の天使Ⅲ〈第18回〉     飛浩隆
小角の城(第70回)            夢枕獏
 

特集《マルドゥック》シリーズ20周年

 特集は冲方丁のマルドゥックシリーズの20周年企画。小生、このシリーズは未読だし興味もない。したがってこの特集企画はパス。
読み切り短編をつまみ読みする。「魘魅蠱毒」と「殺人橋フジミバシの迷走」がちょっと面白かったかな。
「殺人橋フジミバシの迷走」なんか、かっての横田順彌を思いおこさせる。まじめなヨコジュンというていいかな。桂枝雀の「鷺とり」を先代桂春団治がやったみたい。


メジャーリーグ

2023年07月11日 | 映画みたで

監督 デヴィッド・S・ウォード
出演 チャーリー・シーン、トム・べレンジャー、マーガレット・ホイットン

 クリーブラント・インディアンスは34年も優勝してない。(関西の某球団よりひどい)そのインディアンスのオーナーが死んだ。(関西の某球団も1985年球団社長が日航機墜落事故で亡くなり、それに発奮したのか某球団は優勝日本一になった)
 インディアンスの新オーナーには亡くなったオーナーの夫人が就任。この女ハデでイケてる女だが野球は全く素人で興味もない。こんなクリーブラントなんて尼崎みたいな街はやだ。マイアミに移りたい。球団が弱くなり観客動員数も減ればマイアミに行ける。インディアンス弱くなれと願う。こんな新オーナーのもとに新しい監督選手が集められた。
 監督はマイナーリーグの監督経験者だが本職はタイヤ工場経営者。正捕手はベテラン捕手だがヒザを痛めていてまともに送球できない。そのうえ元恋人をストーカーする。ピッチャーは刑務所を出た悪ガキでめっぽう速い豪速球を投げるがノーコンで球はどこに行くか判らない。阪神時代の藤浪みたい。(最近はよくなってアスレチックスのセットアッパーの仕事をちゃんとしてるみたい)金満家だが野球より投資に熱心な三塁手。足だけは速いがほかはまったくダメな外野手。ブードゥー教の信者でロッカーの中に祭壇をこしらえてラム酒や葉巻鶏を供えている。ストレートは打てるが変化球はぜんぜんバットに当たらない。変化球は神頼み。
 こんなチームが勝つはずがない、連戦連敗。がまんできなくなった監督が選手たちにオーナーの本心をあかす。「あの女の鼻をあかそうぜ」発奮したチームは快進撃をする。
 あと32勝で優勝だ。監督は女オーナーの等身大パネルをロッカールームに設置する。32枚の着衣のシールが貼ってある。一つ勝つたびに1枚シールをはがす。女オーナーの肌がだんだんあらわに。そしてヤンキースとの優勝決定戦。シールはあと1枚。オーナーはヌードになったのか?

日本の七十二侯を楽しむ -旧暦のある暮らし―

2023年07月07日 | 本を読んだで

 白井明大 文   有賀一広 絵    角川書店

 日本は豊かな国だ。食糧もエネルギーも輸入に頼っているとはいえ、本書を読むとそのことがよく判る。
 日本には春夏秋冬四季がある。自然が四季おりおりに千変万化して、目耳口この国に住まう人々の五感を楽しませてくれる。
 立春、雨水、啓蟄、春分、晴明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒の二十四節季。それぞれに初候、次侯、末侯があり合計七十二侯。1年をこれだけ細かく区分わけして、それぞれの季節季節ならではの花鳥風月が楽しめる。花鳥風月だけではない、食べ物もその時その時の旬がありおいしいモノを最もおいしく味わえるのだ。
 素晴らしいことに、この日本の七十二侯のめぐみは、士農工商四民全てに平等に与えられるのだ。空の月を愛で飛ぶ鳥を愛で花を愛でることはだれでもできる。
 日本人の基礎教養として読んでおいてもいい本だ。

キツネ狩り

2023年07月04日 | 本を読んだで

  田中光二           徳間書店

 田中光二は大ファンであった。デビューされたとき、小生の好みにドンピシャの作家が出てきたと喜んだ。田中さんも小生もSFはもちろん、冒険小説大好き車大好き。新刊がでれば読んでいた。ご本人にお会いしたいと思って、お会いしたこともあった
 その田中光二のカーアクション小説である。こまるなあ。こんな小説は。小生は2002年にリストラされ経済的な理由で車を手放して20年間一度もハンドルを握ってない。完全にペーパードライバーになってしまった。でも、いま運転せえといわれたら、そのへんのおっさんよりうまく車をあやつれる自信はある。近親者に高速道路の専門家がいるが、その人によれば自信を持った年寄りドライバーほど危険なもんはないとのこと。それでも車の運転という快楽をもう一度味わってみたいという未練はたっぷりと残っている。困ったもんである。この小説はその未練をくすぐりまくるのである。
 近未来(いや、すでに現実かも)車に運転者は不要となった。完全にコンピュータが管理し人間は運転者ではなく客でもなく、たんなる「荷物」となった。でも自分自身の手と足で車の運転をしたいと思うものたちがいる。
 キツネ狩り。かっての英国で行われていた残酷なゲームである。それを車を使ってする。日本列島北の青森から山口まで逃げ切ればキツネの勝ち。莫大な賞金がもらえる。主人公伊吹哲也はキツネになった。乗る車は日産フェアレディSR311。いまのフェアレディZではない。2000cc。SOHC。もちろんFR.オープンタイプの2シーターのスパルタンなスポーツカーである。
 このキツネを追うのはハンターばかりではなく、このフェアレディSRを渇望する男も出てくる。なぜ、ある種の男たちは(小生もその一人)オープンタイプのスポーツカーを熱望するのか。田中光二の行間から、それが実によく判る。本物の車好きならきっと判るであろう。
 徳間の編集に苦言。表紙の車はフェアレディSRではない。ポルシェ911である。ポルシェはこの小説には出てこない。カバーイラストは空山基となっているが空山は車を知らんのか。編集がフェアレディSRの資料を提供しなかったのか。





カリートの道

2023年07月03日 | 映画みたで

監督 ブライアン・デ・パルマ
出演 アル・パチーノ、ショーン・ペン、ペネロープ・アン・ミラー

 麻薬取引の大物、カリートは30年の懲役をくらっていた。それが5年で刑期終了。親友の弁護士デイブの尽力の賜物だ。娑婆にでたカリートは本気で更生を誓う。ディスコの経営をしながら、南国バハマに恋人ゲイルと二人で行ってレンタカー屋をしながらの平穏な暮らしを夢見ていた。
 もう悪事には絶対に手を出さない。固く心に誓うのであった。ところが大恩ある人物から、マフィアのボスの脱獄を手伝えといわれる。ボスとその息子の脱獄には成功したが。
 とても素直で直線のストーリーである。暗黒街の伝説となっていた男が5年ぶりに帰って来たニューヨークは仁義もくそもない街になっていた。ちょうど山守組長が支配する広島呉みたいに。そんな街はカリートを真人間にしてくれるのか。彼は南国の楽園に恋人ととも行けるのか?