ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

銀河パトロール隊

2022年07月25日 | 本を読んだで

 E・E・スミス  小隅黎訳       東京創元社

 ワシもこのトシじゃ。ゲホゲホ。老い先短い身となってしもうた。イテテ。昔のことをつとに想い出す。昔は良かったなあ。ウグウグ。老人にとっては昔の想い出がなによりの宝じゃ。ちゅうこって、おりにふれて若いころ読んだ本を再読しとる。
 レンズマン。懐かしいなあ。この「銀河パトロール隊」はワシが生まれて初めて読んだSFじゃ。出版社はこの本と同じ東京創元社。編集者が厚木淳、小西宏訳、イラストは真鍋博だった。1966年のことじゃ。それから36年後2002年、この新版の「銀河パトロール隊」が出た。編集者が小浜徹也、小隅黎訳、イラストはご覧の通り生頼範義である。20年積ん読であったが、上記のごとき心情にあいなって、このたび読んだわけ。
 一読後、思ったこと。レンズマン・シリーズの後世のエンターテインメントへの影響の大きさ。と、いうことだ。スターウォーズ第1作「新たな希望」の日本公開は1978年。ワシは公開初日に観に行ってる。だからワシが小西訳の「銀河パトロール隊」を読んだときはスターウォーズなんてもちろん観ていない。
 で、スターウォーズ(以下SWと記す)とレンズマンの似ているところだが、SWのジェダイはレンズマンのレンズ装着者である。ルークがヨーダの弟子となってジェダイになったように、レンズマン=キムボール・キニスンは師アリシア人のメンターのもとで修業してグレイ・レンズマンとなったのだ。そしてルークたちが銀河帝国を相手に戦うように、レンズマンは宇宙海賊ボスコーン相手に戦うのだ。
原作は1930年代の作品だ。戦前だ。決して現代SFではない。でも、読んでいて古色蒼然とした感じはうけない。小西訳は50年以上昔に読んだから、どんなんだったか忘れているが、小隅訳は現代スペースオペラといってもいい作品に仕上がっている。このシリーズは空想科学な仕掛け、設定、兵器、武器が沢山出てきて、ワシのような空想科学小説大好きな古狸SFファンを喜ばせるのだが、ウソっぽい訳語が一つでもあれば興ざめだが、翻訳が小隅黎=柴野拓美先生だから安心して読めるのである。

出世か胃か

2022年07月24日 | 作品を書いたで
「山川くん、秘書課から電話。二番よ」
「はい。山川です。はい。え!社長」
 入社三年目の山川にとって、社長から直に電話がかかって来るなんて思いもしなかったことである。
「はい。判りました。こんどの日曜ですね」
 茫然としながら受話器を置く。
「ねえ、ねえ。なんの電話だった」
 電話を取り継いでくれた有加が聞く。
「社長の自宅に招かれた」
「日曜なの」
「うん」
「あたしとのデートは」

 あの電話は月曜日。きょうは水曜。もんだいの日まであと四日。あれからずっと考えているが結論がでない。有加とのデートをけって社長の招待を受けるか。もちろん有加に頼めばデートの日延べは可能だ。どう考えても社長の招待を受けるべきなのだ。
「お前、社長の家に呼ばれたんだって」
同期入社の天野が串カツをほうばりながら聞いた。
「うん」
「やったな。社長に覚えられて出世やな」
「どうしようか考えてるんだ。彼女とデートなんだ。その日は。なんでお前はそんなこと知ってるんだ」
「秘書課の勝木から聞いた。迷うことないだろ。有加ちゃんには延期してもらえ」
 俺は営業、天野は経理だ。利害はない。社内でいちばん仲が良い。純粋に俺の出世を喜んでくれる。営業の人間ならそうもいかないだろう。
「山川くん、天野から聞いたけど社長の家に招待されてるんだって」
 経理課長の中家が廊下ですれ違ったときに話しかけてきた。天野の上司で俺の大学の先輩でもある。
「はい」
「ふうん。俺なら断るな」
「社長の招待を断るんですか」
 部署は違うが、中家は後輩の俺をなにかと気にかけていてくれる。
「そうだ。人事部長の田原さんも以前呼ばれたんだって」
 田原部長は俺が入社するときに面接した人だ。たしか、あの時は課長だったはずだ。
「地獄を見たそうだ」
「社長の家でですか」
「そうだ。その地獄を見たおかげで、田原さんは課長から部長に昇進したんだがな」
金曜日になった。社長宅に行くには明後日だ。明日は休み。俺は社長宅の電話番号も携帯電話の番号も知らない。断るのなら、今日中に秘書課に連絡を入れなくては。
 その後、いろんな人に意見を聞いた。意見は二つに分かれた。
「招待を受けろ。出世するぞ」
「やめとけ。地獄を見るそうだぞ」
 いろんなことをいう人がいるが、俺のまわりで実際に社長の招待を受けた人はだれもいない。そういう人はみんな管理職のエライ人になっているから、俺が気軽に聞けない。
「出世」か「地獄」か。社長の家に行くのは大冒険だということだ。

 H県A市。関西の高級住宅地として知られる。そのA市の山の手のR荘町。超高級なお屋敷町として知られている。一番最寄りの駅はJRのA駅だが、かなり山沿いなので歩いては行けない。バスで行くしかない。タクシーで行こうと思ったら、前にベンツが停まった。運転席を見ると秘書課の佐々木女史が乗っている。
「山川くん、乗って」
 助手席に乗ろうとすると。
「きょうは、あなたはお客よ。後ろに座りなさい」
 ベンツなんかに乗るのは初めてだ。車はしばらく走って大きなお屋敷の前に停まった。大理石の表札には社長の名前があった。
「よくきた。営業二課の山川くんだね。さ、遠慮なくめしあがれ」
 テーブルの上には社長の手料理が並んでいる。ベンツの中で佐々木女史がいっていたが、社長は料理が趣味で、これはと思う社員に食べさせるのを無情の喜びとする。
 俺は「これはと思う社員」と社長に思われたわけだ。ただし、どう「これは」と思われたのか判らない。仕事が有能そう?あるいは、どんなモノでも食べる食欲の持ち主か?
 ポークソテー 小豆餡かけ
 コーヒーラーメン
 コガネムシの幼虫の炒め物
 羊羹のにぎりすし
 フナ寿司のシュールストレミング添え
 ハバネロ入りドラ焼き
 これをみんな食べれば係長になれるかな? 


シン・ウルトラマン

2022年07月21日 | 映画みたで

監督 樋口真嗣
出演 斎藤工、長澤まさみ、有岡大貴、早見あかり、山本耕史

 最初に映画館の大きな画面いっぱいに、あのぐにゃあと曲がるウルトラQのロゴがでて、シン・ゴジラのロゴが一瞬映る。これで今からはじまるこの映画が、少年のころ親しんだウルトラQシリーズ(最近もNHKで放送してた)から、「シン・ゴジラ」までの世界を表現する映画だと認識させ期待感を高める。
 そして映画が始まった。ゴメス、ぺギラ、マンモスフラワーなど懐かしの怪獣どもがでてくる。でも、これらは怪獣ではない。禍威獣なのだ。その禍威獣を退治したのが禍威獣特設対策室。禍特対なのだ。
 この出てくる怪獣じゃなかった禍威獣はテレビのウルトラマンに出てきたなつかしのメロディーである。
 この映画、「シン・ゴジラ」で庵野秀明らが作った世界=パッケージになつかしのテレビのウルトラマンを挿入したモノだ。「シン」という本体の「ゴジラ」を抜いて「ウルトラマン」というカートリッジを入れ替えたモノといえよう。
「シン・ゴジラ」のゴジラは災害=荒ぶる神であったが、この映画のウルトラマンは宇宙より飛来した巨大人間型生物なのだ。だからゴジラは神だがウルトラマンは人間なのだ。人間だから感情を持っている。ウルトラマンは人間に好感を持ってしまうのだが。
 後半の敵役メフィラス星人を演じたのは山本耕史だが、山本もいろんな役をする役者だな。まさか土方歳三や石田三成が異星人に化けるとは思わなんだ。
 本編が終わってエンドロールが終わったら、うれしいおまけがついていた。テレビのウルトラマン35話メフィラス星人登場「禁じられた言葉」が上映された。土方石田じゃないメフィラス星人が出てきた。しかし、このトシになって映画館でウルトラマンの歌が聞けるとは思わなんだ。ウルウル。
 メフィラス星人のエピソードは映画もテレビも禍特対と科特隊の女性隊員がでかくなるのだが、禍特対の浅見弘子は長澤まさみが、科特隊のフジアキコは桜井浩子がやったのだが、桜井の方が長澤より可憐だから、フジアキコのでっかい方が妙に色っぽい。
 この映画はミント神戸で観たのだが、ここの地下に「くそオヤジ最後のひとふり」なる珍妙な名前のラーメン屋がある。ダイエーやコーヨーで買い物をする時前を通るので機会があれば味見をしてやろうと思っていた。いつも行列してる。少し待って入店。貝のラーメン専門店だ。あさりラーメンを食す。フチに薄い焼豚をまとわせた小ぶりのどんぶりが出てくる。あさりはたくさん入っていたが、ぜんぶ殻つきだから食べるのがめんどう。小生があさり料理するときは、多くをむき身にして、殻つきを上にかざりとしてのせる。で、味だが、塩味がかちすぎ。あさりのうま味成分であるコハク酸のうまみ不足を塩で補っている。正直、小生のボンゴレラーメンの方がうまい。このラーメン屋の前はよく通るがもう入ることはないだろう。

えんとつ町のプペル

2022年07月18日 | 映画みたで

監督 廣田裕介
出演(声) 窪田正孝、芦田愛菜、立川志の輔、小池栄子、藤森慎吾

 小生、神戸市営地下鉄で通勤している。去年のことだったかな、窓におもしろいイラストを張った電車が走っていた。なんでも「えんとつ町のプペル」という絵本のイラストだとか。なかなか魅力的な世界観の絵本だと思っていた。
 その絵本がアニメになったので観た。原作、脚本と製作総指揮はお笑い芸人の西野亮廣。小生、お笑いは好きだが上方落語限定で、この西野亮廣なるご仁は知らぬが、SF的なセンスはあるようだ。で、この映画の評価だが、合格である。合格だが不満はある。名作に少し足らないおしい作品だ。
 ビジュアルは満点をやってもいい。独特な色使いで、このえんとつの町の世界観がよく表現されていた。
脚本がダメ。長セリフが多くうっとおしい。初心者が小説を執筆するときに、よくいわれるアドバイスだが「説明するな描写せよ」といわれる。えらそうなことをいってるが小生もそのアドバイスを守ってないことが多々ある。この映画、長いセリフとナレーションが多いが、長いということはセリフとナレーションで物語の設定を説明しているということ。せっかくのきれいなビジュアルなんだから、そのビジュアルをもっと生かすべきだ。
同様のアニメ「天空の城ラピュタ」と見比べればよく判る。「ラピュタ」は描写している「プペル」は説明している。
 西野の努力と意欲は買うが才能が少し足らなかったようだ。 
 

喜楽館の4周年記念特別公演

2022年07月14日 | 上方落語楽しんだで
 神戸新開地の喜楽館ができて4周年となります。で、4周年記念特別公演をやっております。これは喜楽館のタニマチの小生も行かねばなりません。午前中、会社で仕事をして午後より半日有給休暇を取って新開地へ行く。
 喜楽館に着きました。呼び込み太鼓が鳴らされています。入り口にメリケンさんが座ってはった。大阪の新世界の通天閣にビリケンさんがおるねんから、新開地の喜楽館にもなんぞおってもええやろ、とゆうことでできたのが、このメリケンさん。新世界がビリケンさんやから港町神戸はメリケン波止場にちなんでメリケンさんというわけ。デザインは桂あやめ師匠。ひざをなでると落語家の笑い声が聞こえます。なでました。桂文福師匠の大笑いが聞こえました。
 さて、開演前の一席は月亭希遊さん。「鷺とり」の鷺がでてこないバージョン、鷺の替りにガタロが出てくる噺をやらはった。ガタロ、河童のことやねんけど、大昔、川底をさらって金属くずなんかを回収して金にしてるおっさんをガタロとゆう。こんなん若い人は知らんやろ。
 開口一番は桂華紋さん。「牛ほめ」の半ば家の普請をほめるとこまで、台所の柱の節穴に秋葉さんのお札を張るとこまででした。
 2番手は笑福亭由瓶さん。「癪のあい薬」をやらはった。このときは林家染吉さんがこの噺をやらはったが、期せずして染丸一門と鶴瓶一門の「癪のあい薬」の聞き比べとなりました。甲乙つけがたいです。噺のうまさでは染吉さん、元気の良さでは由瓶さんですね。ハゲ頭をぺろぺろなめられるお侍のおかしさは両方おなじぐらいです。
 色もんは滑稽音曲の囃子座。クラリネット、太鼓鐘、バンジョーの3人組。いまや懐かしいチンドン屋さんです。ジャズのスタンダードナンバー「A列車で行こう」を演奏してくれました。
 仲入り前のモタレは林家染二さん。あのパワフル染二です。やった演目は「貧乏神」です。この噺、もとは小佐田定雄さんが桂枝雀師匠のために書いた噺ですが、今や古典となりいろんな噺家さんがやります。登場人物?(神)の貧乏神がなんとも哀れで悲しくそしておかしい名作です。枝雀師匠の貧乏神はなんともいえんペーソスがありましたが、パワフル染二さんの貧乏神は、元気な染二さんがやるから、哀しい仲にもたくましさが垣間見えて、なかなか味わいがある貧乏神でした。染二さんの貧乏神のファンになりました。
 さて仲入り後の最初は桂あやめさん。なんとも鮮やかな着物で高座に上がらはった。あいかわらず色っぽい。入り口にあるメリケンさんにまつわるマクラ。通天閣のビリケンさんが有名ですが、実は日本初のビリケン像は神戸にあるんですって。ここ喜楽館の近くの松尾稲荷神社にビリケンさんがいてはる。というマクラをしゃべっていると下座でチンと鐘がなった。「あ、吉弥さんがきはった」このあと出る桂吉弥さんが遅れているのであやめさんが時間かせぎしてはったんです。で、本編に。本編は「コンパ大作戦」あやめ落語の大定番です。
 で、遅れてた桂吉弥さん。なんでもJRの新快速が遅れてたんですって。小生もJRで通勤してるのですが、しょっちゅうダイヤが狂ってますね。なんか「電車とお客さまとの接触」が多いです。その吉弥さんが演じたのは「七段目」芝居噺です。う~む。さすがに米朝一門の芝居噺です。師匠の吉朝師匠によく似てきました。
 さてトリは笑福亭松喬師匠です。少し年をとらはった。マクラは博打の話。ぼんくら息子なんていう「ぼんくら」という言葉。もとは半丁賭博からきたんですって。「ぼん」半か丁かの盆の上が暗くて愚かなことからきてる言葉だそうです。
で、ばくち打ちが出てくる落語。「へっつい幽霊」です。主人公は博打うちののうてんの熊五郎。「らくだ」にも熊五郎が出てきますが、あちらはヤタケタでムチャもんですが、こちらの熊五郎はそれなりの筋の通った男。勘当されたアホぼんの面倒を見てます。その熊五郎、出てきた幽霊と博打をします。松喬師匠、泥棒の噺もうまいけど博打うちの噺もうまいです。
 落語を楽しんだあとはお食事です。三宮に移動して駅前のミント神戸に行きました。7階の台湾料理の京鼎楼に行きました。夏の台湾夜市コースをいただきました。小籠包がおいしゅうございました。点心がいろいろ出てきてたのしく満足しました。もちろん水分補給も怠りません。

ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ

2022年07月11日 | 映画みたで

監督 根岸吉太郎
出演 松たか子、浅野忠信、広末涼子、伊武雅刀、室井滋、妻夫木聡、堤真一

 小生も50年ほどSFファンをやっているから、主にSF作家ではあるが、作家なる人たちを知っているが、作家なる人たちは尋常な人ではない。尋常ではないが、小生が知己を得ている作家さんたちは、人間としては極めて真面目、誠実、まっとうな人たちであった。いつぞや星新一さんが「SF作家ってもっとおかしな人かと思ったが、案外、常識的な人なんですね」といわれて「常識を知ってるから非常識をかけるんです」といった。
 でも、作家には無頼派とか破滅型といわている作家もいる。作家ではないが、自由律俳句の種田山頭火とか尾崎放哉、将棋の小池重明もそうだろう。天才として後世に名を残しているが、身近にいたら迷惑千万な人たちである。作家にもそういう人たちがいた。その無頼派破滅型の典型的な作家が太宰治といっていいだろう。この映画は、その太宰の妻が主人公である。ちなみにその太宰の墓前で自殺した作家田中英光も破滅型作家であり私小説作家であろう。小生、田中英光のご子息の田中光二さんと会ったことがある。田中光二さんは太宰や英光とは正反対のSFと冒険小説の作家だ。とてもスマートでかっこいい人だったとの記憶がある。
 大谷譲治は大変に才能がある売れっ子作家である。でも家に金はなく飲み屋の飲み代を踏み倒すばかりか、飲み屋の金庫から金を盗みさえする。金は稼ぐが、酒と女に使ってしまう。大谷の妻佐知はそんな大谷を容認しつつも、小さな子供を抱えてなんとか生きている。飲み屋で警察沙汰になるのを防ぐため、人質がわりにその飲み屋椿屋で働く。若くきれいな佐知目当てに客は大入り椿屋は繫盛する。大谷は生まれた時から死にたいとの願望を持っていて、愛人と心中未遂をする。
 大谷譲治、太宰のことだろう。上記のごときどうしようないクズ男で、佐知もとっとと見捨てればいいと思うが。ラストに二人で生きていきましょうという。大谷にとって佐知は孫悟空にとってのお釈迦さんではないか。孫悟空はしょせんお釈迦さまの手のひらの上なんだろう。
 浅野と松のうまさが際立つ。浅野のダメっぷりと、松のおとなしげに見えるが奥に狂気を秘めた演技がすごい。ダメ男の夫を見る佐知の表情がこわい。実に冷たい目で夫を見る。松たか子の目の演技がこわい。

第25回日本SF大会顛末記 その3

2022年07月04日 | SFやで
 1986年に第25回日本SF大会をやることになった。第14回大会の神戸でのSHINCONの実行委員長だった清水宏佑ら何人かのSF大会実行委員経験者はいたが、実行委員会のほとんどがSFイベント実行委員未経験者だ。ごあいさつを兼ねて、柴野拓美先生に相談にあがった。神奈川県二宮の柴野先生のご自宅を訪問した私たちに柴野先生は、ある提案をされた。
「SF大会をやるなら、予行演習としてSFフェスティバルをした方がいいですね」
 実に的確なご提案であった。清水、岡本、山根らSF大会実行委員の経験者はいた。また小生も星群祭の実行委員長は経験があるが、1000人規模の大きなイベントであるSF大会は経験がない。他の実行委員たちはイベントの実行委員の経験がない者がほとんであった。
 SFフェスティバル。1977年の中断をはさんで1969年から1979年まで毎年行われていた。日本で一番大きなSFのイベントは、いうまでもなく年次の日本SF大会である。日本SF大会は2年前の大会で立候補して、日本SFファングループ連合会議の承認を受けなければならい。日本SF大会はファンが自主的に行うイベントではあるが、日本SFファンダムのオフィシャルなイベントといっていい。SFフェスティバルはSF大会より規模も小さく、気軽に開催参加できる、「てごろ」なSFイベントであった。
 柴野先生の提案を持ち帰った、私たち4人はさっそく次の実行委員会で実行委員諸君にはかった。