とにもかくにも第25回日本SF大会DAICON5は動き出した。週に1回は大阪は梅田の喫茶店ホワイトローズで実行委員会をやっていた。メンバーもだいぶん増えてきた。女性の委員も増えてきた。その中には、のちに日本SFファングループ連合会議議長となり、SFファンとしては位人臣を極めた、みいめさんこと田中紀子(現牧紀子)もいた。ちなみにSF大会が開催されたところではSFファン同士の夫婦が多くできるといわれる。当然だろう、数年にわたって健康な(健康の定義はさまざまであるが)男女が同じ目標に向かって活動しているのである。DAICON5終了後の関西でもSFファン同士のご夫婦が何組も誕生したのである。
小生、星群祭の実行委員長は経験があるが、日本SF大会のような1000人規模の大きなイベントの経験はない。DC5実行委員会の委員には、第14回日本SF大会の実行委員長だった清水宏佑や実行委員の岡本俊弥、DAICON3の実行委員の山根啓史など、何人か経験者はいたが、DC5実行委員会の委員のほとんどは日本SF大会をやったことのない者がほとんどである。
こういう時は先達に相談するのが一番である。日本のSFファンダムの最も偉大なジェダイマスターともいうべき大先達は、いうまでもなく柴野拓美先生である。柴野先生は星群祭には毎年ゲストで来ていただいていたから、小生は以前より懇意にしていただいていたが、日本SF大会を関西で行うことになったとは、この時点で柴野先生のお耳に入れていなかった。もちろん、柴野先生は北海道でのSF大会内でのSFファングループ連合会議で次々回日本SF大会の開催地が大阪になったことはご存じだろう。ここは早急に私たち実行委員が柴野先生に直接ごあいさつする必要があるわけだ。
実行委員の山根、沖田郁夫、清水、小生の4人で柴野先生宅に行くこととなった。4人で頭割りすれば新幹線や高速バスより安いだろうと判断してレンタカーで行くこととなった。小生が近くのレンタカー屋でスカイラインを借りて、名神東名と走って沖田の東京の自宅に到着したのは、確か深夜だったと記憶する。それからちょっとだけ仮眠して、神奈川県二宮の柴野先生のお宅へ向かう。柴野先生はいつものとおりのニコニコ顔で出迎えてくださった。大阪でSF大会を開催するというと、たいへんに喜んで、激励してくださった。そして柴野先生から、ある提案がなされた。
小生、星群祭の実行委員長は経験があるが、日本SF大会のような1000人規模の大きなイベントの経験はない。DC5実行委員会の委員には、第14回日本SF大会の実行委員長だった清水宏佑や実行委員の岡本俊弥、DAICON3の実行委員の山根啓史など、何人か経験者はいたが、DC5実行委員会の委員のほとんどは日本SF大会をやったことのない者がほとんどである。
こういう時は先達に相談するのが一番である。日本のSFファンダムの最も偉大なジェダイマスターともいうべき大先達は、いうまでもなく柴野拓美先生である。柴野先生は星群祭には毎年ゲストで来ていただいていたから、小生は以前より懇意にしていただいていたが、日本SF大会を関西で行うことになったとは、この時点で柴野先生のお耳に入れていなかった。もちろん、柴野先生は北海道でのSF大会内でのSFファングループ連合会議で次々回日本SF大会の開催地が大阪になったことはご存じだろう。ここは早急に私たち実行委員が柴野先生に直接ごあいさつする必要があるわけだ。
実行委員の山根、沖田郁夫、清水、小生の4人で柴野先生宅に行くこととなった。4人で頭割りすれば新幹線や高速バスより安いだろうと判断してレンタカーで行くこととなった。小生が近くのレンタカー屋でスカイラインを借りて、名神東名と走って沖田の東京の自宅に到着したのは、確か深夜だったと記憶する。それからちょっとだけ仮眠して、神奈川県二宮の柴野先生のお宅へ向かう。柴野先生はいつものとおりのニコニコ顔で出迎えてくださった。大阪でSF大会を開催するというと、たいへんに喜んで、激励してくださった。そして柴野先生から、ある提案がなされた。