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ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

ブログをやめます。

2025年04月16日 | 作品を書いたで
 goo blogが本年11月で終了します。2007年の3月29日に「とつぜんブログ」を開設し、この「ごろりんブログ」に替わったが、18年間ブログを続けてきました。「とつぜんブログ」時代は、ほぼ毎日更新してきました。
 よい機会だから、私、雫石鉄也はブログをやめることにします。非常にさみしい気持ちですが、私も、このトシです。正直、ブログを続けるのは少々負担になってきた。映画を観ても本を読んでも、ブログに書かなくてはと半ば義務感でブログを更新してきたところもあります。それから解放されました。これからはもっと自由にのびのびと映画や本を楽しめます。
 ブログは引退しますが、モノを書くことはやめません。だから私の書いたモノに接する機会があれば、お目にとまれば大変にうれしいです。

星群95号が出ました

2025年04月14日 | SFやで

 星群95号が出ました。今号はSF特集です。星群の会は今年で創立54周年です。そんな星群が発信するSFをどうか摂取してください。
 アマゾンで入手できます。また星群の会ホームページからも注文できます。

最高の贈り物

2025年04月08日 | 作品を書いたで
「ムツキくん、ちょっと来て」
「はあい」
園長が呼んでいる。ムツキは絵を描く手を休めて返事をした。画用紙には脚が四本まで描かれたカブトムシがいる。
「ムツキくん、今度の日曜日にきみに会いにくる人がいるんだけど、会ってね」
 日曜日になった。
「ムツキくん。お客さんは三時に来られるから、ここで待ってようね」
 園長がムツキを応接室のソファに座らせた。彼がこのソファに座るのは、園に連れてこられて以来だ。子供は応接室には用はないのである。
 園長が時計を見て部屋から出て行った。ほどなく、二人の大人を伴って帰ってきた。やさしそうなおじさんとおばさんだ。
「わざわざご足労いただき、申し訳ございません」
 園長が頭を下げた。
「いえいえ、少しでも早くムツキくんと会いたくて」
「ムツキくん、あいさつしなさい」
「本山ムツキです」
「かしこそうなお子さんですね」
 おじさんがいった。
「園長さん、ムツキくんには 言ってますの」
 おばさんが園長先生に聞いた。
「この施設はずっといるところじゃないのは、ここの子供たちはみんな承知してます。もちろん、ムツキくんも知ってます」
 ここにいる子供たちは、親のいない子供たちだ。両親と死別して親類縁者が一人もいない子、親に捨てられた子、天涯孤独な子ばかりがここにいる。
 中学生になれば、ここを出ていかなければならない。多くの子は中学生になる前に養子として篤志家にもらわれていく。
「それじゃ、行きましょうかムツキくん」
「ちょっと待ってください。村上さん」
「はい」
「ムツキくんに贈り物をお願いします」
「贈り物?」
「はい」
「用意はしてません。明日にでもムツキくんの希望を聞いてから、何か買います」
「ここを出ていく子には、育ての親になる人に贈り物をしてもらうことになっているのです。形のあるモノではありません」
「なんです?」
「名前です」
「名前?」
「ムツキの名前です」
「本山ムツキはこの子の名前ではないんですいか」
「はい。この子が捨てられていた所が本山町という町で、ウチに来たのが一月だったから本山ムツキとここで名づけられたんです」
「この子の本名は判らないんですか」
「はい。ここには名前のない子がほとんどです。ですから、ここから出ていくとき、『本名』をつけてもらうのです」
「わかりました。私たちの親としての最初のプレゼントというわけですね」
「はい」
「さ、行きましょうか。・・・くん」

長い灰色の線

2025年03月31日 | 映画みたで

監督 ジョン・フォード
出演 タイロン・パワー、モーリン・オハラ、ワード・ボンド

「西部劇の神様」ジョン・フォード監督の非西部劇映画である。フォード一家の主演俳優ジョン・ウェインは出ていない。その代わりフォード一家の名脇役ワード・ボンドが出ている。フォード一家を黒沢一家に当てはめると、ジョン・ウェインは三船敏郎、ワード・ボンドは志村喬といったところか。ワード・ボンドは名脇役だから彼が主演した映画は小生は知らない。テレビの西部劇なら知ってる。「幌馬車隊」という西部劇があった。「ローハイド」や「ララミー牧場」なんかと同じころでよく観た。その幌馬車隊の隊長がワード・ボンドだった。そのワード・ボンドはこの映画では主人公マーティー・マー軍曹の上司キーラー少佐を演じている。豪快で人情味あるけっこうな上司はいつものワード・ボンドであった。フォード映画ではジョン・ウェインもいいけど、ワード・ボンドも小生のお好みの俳優である。
 さて、この映画のことだ。「長い灰色の線」アメリカの陸軍士官学校の映画であるとは知っていた。こういう学校の話だから、厳格で非人間的は士官学校を描いた暗い映画かなと思っていた。正反対であった。お笑いくすぐりもあってユーモラスで人情噺的な人間劇であった。
 士官学校の教官マーティー軍曹が大統領(アイゼンハワーだろう)と面会してるところから映画が始まる。マーティーも70歳。退職を指示されている。士官学校が生きがいのマーティーは辞めたくないと大統領に直訴しているわけ。なぜ一介の軍曹が大統領に会えるのか。大統領はマーティーの教え子の一人なのだ。マーティーの想い出話が始まる。
 アイルランド移民のマーティー・マーは士官学校の食堂に就職する。失敗ばかりでクビになる。志願兵として士官学校に就職しなおす。
 体育主任のキーラー大尉に見込まれ体育の助手になる。ところが体育はさっぱり。ボクシングしたら生徒に殴られる。水泳はカナヅチ。それでも生徒たちはマーティーについてくる。
 同じアイルランド人のメアリーと結婚する。子供が生まれるがすぐ死ぬ。年月が経ちメアリーとも死別。教え子たちも士官学校を卒業して戦場へでて、何人か戦死する。悲しいこともあった。そんなときマーティーの心の支えになったのは士官学校の生徒たちだ。
 ブラッドレー、パットン、マッカーサー、アイゼンハワー。マーティーの教え子には優秀な軍人となり出世した者も多い。
 マーティー・マーは50年軍にいたが軍曹どまりの平凡な男だが、圧倒的な人間力と人望があったのだ。最後に士官学校の全校生徒がこの上ない贈り物をマーティーに贈った。長い灰色の線を描いて。

バブルへGO!!タイムマシンはドラム式

2025年03月25日 | 映画みたで
監督 馬場康夫
出演 広末涼子、阿部寛、薬師丸ひろ子、伊武雅刀、吹石一恵、劇団ひとり

 監督はホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫。ホイチョイ・プロはワシのお気に入りのクリエイター集団で、「見栄講座」「OTV」なんかは興味深く読んだ。また、元コピーライターのワシは「きまぐれコンセプト」はスピリッツを読んでるころは楽しみにしてた。「気まぐれコンセプト完全版」は蔵書として持っていて、ときどき見ている。映画もひととおり見た。「メッセンジャー」がお気に入りでブルーレイを買った。
 そのバブルの申し子みたいな馬場がバブルをネタに創った映画。楽しみに見た。結論からいうと少々消化不良なところがあった。
 バブルとは1980年代後半から1990年にかけて日本で繰り広げられた狂乱の時代のこと。日本中がうかれ騒いでいた。ワシ個人もこのころは楽しかった。ワシがいいだしっぺとなった第25回日本SF大会の開催準備のため、毎週のように同好のご仁たちとうち合わせをやっていた。阿波座にマンションを借りて事務局としてSF大会の準備をしてた。ワシが最も活発にSFファンダム活動をしていた。阪神タイガースで日本一(1985年のこと)になったり甲子園バックスクリーン3連発があったりした。山口組と一和会の抗争があったりして、ワーワーいってた時代であった。
 田中真弓は借金地獄におちいっている。自殺した母の香典さえ借金取りに持っていかれる。そんな真弓に財務省の下川路が接触してくる。真弓の母田中真理子は死んでいない。財務省が死んだことにして1990年に送り込んだのだ。真理子は1990年の大蔵省金融局長の芹沢にあって、銀行の不動産融資を規制する方針の発表を止めさせるためである。そんなことをすれば銀行がつぶれるほどの不景気がくる。実際、チョー銀はつぶれた。このままでは日本は破産する。それを防ぐために真弓は母真理子を見つけ出して、金融局長の発表を止めなければならない。
 と、いうわけで真弓は2007年から、母真理子が発明したタイムマシンに乗ってバブル真っ盛りの1990年にやってきた。
 船上のコンパ。ディスコの大騒ぎ。万札を振り立ててタクシーを呼ぶなど、バブルの風俗を描いているが少し物足らない。2007年と1990年のギャップのギャグくすぐりもあったけど足らない。このへんはもっと徹底的にしつこいぐらいの描写をすればよかった。
 真理子は企業の開発技術者(日立の)だが、技術者というよりマッドサイエンティスト。マッドサイエンティストがタイムマシンを発明するという、軽SFのネタの経済コメディだ。広末と阿部のコメディ演技は合格点だ。最後に、アベ首相が出てくるのがおかしい。安部ではなく阿部だが。

ビッグ・フィッシュ

2025年03月17日 | 映画みたで

監督 ティム・バートン
出演 ユアン・マクレガー、アルバート・フィニー、ジェシカ・ラング
 
「だれも釣ったことのない魚をワシは釣ったことがある」エドワード・ブルームは息子ウィルの結婚式で客に自慢話をして息子に嫌がられる。
 で、どんな魚を釣ったのだろうかと興味を持って見ていた。リチャード・ブローディガンの「アメリカの鱒釣り」なんて小説があるぐらいなんだから、鱒のでかいのかな。ところが映像の魚は鱒ではない。頭が丸っこい。ヒゲがある。どうみてもナマズだ。あのでかさから考えるにチャネルキャットフィッシュかピララーラだろう。ピララーラはアマゾンの魚だからアメリカナマズ=チャネルキャットフィッシュに間違いないだろう。
 ところでピララーラはレッドテールキャットフィッシュといって熱帯魚店でも稚魚が売られているが、成長すると1メートル以上になるから水族館並みの施設が必要である。だからでかい水槽を用意できない人は飼うべきではない。神戸の人で見たければ須磨シーワールドで無料で見れる。ピララーラはピラルクやチョウザメ、コロソマなんかと、無料のスマコレクションにいる。ちなみにここにいるロングノーズガーは飼育下で世界一の長寿というギネスもんの魚だ。ここにいる魚たちはかっては須磨海浜水族園ではアマゾン館にいて、この水族館のスターだったのだが、無料ゾーンの隅っこに追いやられている。シャチなんかより、この無料ゾーンの魚の方が貴重でもっと注目されるべし。
 さて、お魚のうんちくはこのへんにして、この映画の話をしよう。監督のティム・バートンはアメリカの映画監督ではいちばんオタクっぽい監督だろう。だから現実とは遊離した映画が多い。この映画もティム・バートンらしい。どこがほんまか、どこがホラかわからん。
 主人公のエドワードはホラ吹きである。アメリカにはトールテイル(=ホラ話)という伝統がある。SF作家でいえばR・A・ラファティがホラSFの名手である。ラファティだけではなくSFなんてもんはホラ話である。SF作家はホラ吹きである。(悪口ではない。ワシはそのホラ話を愛好して半世紀以上経つ)昔、筒井康隆師匠が「ハードSFなんぞは真面目な顔してヨタ飛ばす面白さである」といわはったことがある。
 だから、この映画はアメリカの庶民の娯楽の伝統に則った映画といえよう。原作はダニエル・ウォレスだそうだが、ティム・バートンが映画にしたのは最適であった。
 森の中の不思議な街、この手の話には不可欠なサーカス団も、巨人も火吹き男もちゃんと出てくる。サーカス団の団長は狼男だし、アジアの戦場で親しくなった双子の歌手は上体が二人で下半身は一人。運命の女性には飛行機雲で空に求愛のメッセージを書く。スイセンが好きな彼女に見渡す限りにスイセンを植えて贈る。
 エドワードじいさんのいうことは、どれがほんまで、どれがホラなんか見分けるのもこの映画の大きな楽しみである。
 

SFマガジン2025年6月号

2025年03月16日 | 本を読んだで

2025年4月号 №768     早川書房

雫石鉄也ひとり人気カウンター
今号は取り上げるべき作品はなし

連載
マルドゥック・アノニマス(第58回) 冲方丁
ヴェルト 第二部 第五章       吉上亮
博士とマリア(第2回)ナルシスの肖像 辻村七子
未来図ショートショート(第6回)   田丸雅智
幻視百景(第53回)          酉島伝法
小角の城(第80回)          夢枕獏

SF少女マンガ特集
金曜の夜の集会             萩尾望都
サマタイム               大島弓子
ノスタルジー              坂田靖子
SFアリ/少女の書くSF/AIのSF 吟鳥子
あみ手の星              白井弓子

 うう、ゴホゴホ、テテテ。どうもトシとると身体のあちこちが具合が悪くなっていかん。ん、そうじゃ。SFマガジンじゃ。わしゃ少女マンガはもひとつ苦手なんじゃ。今号は読むとこはなかったぞ。モトさまだけ読んで、あとはパラパラめくるだけだった。  

喜楽館の元気寄席に行ってました

2025年03月14日 | 上方落語楽しんだで
 昨日は神戸は新開地喜楽館の元気寄席に行っておりました。元気寄席は喜楽館で木曜の夜席でやっている落語会です。演者は4人ほどのこじんまりした落語会で、全席自由席なので、ふらりと気軽に寄れて上方落語を楽しめます。
 開口一番は、月亭八織さん。八方師匠の8番目のお弟子さんです。きれいな噺家さんです。最近師匠に似てきたといわれるようです。何が似てきたのか。足の長さだそうです。月亭八方師匠といえば短足で有名ですが、わたしは着物の八織さんしか見たことがないのでわかりません。
「母恋くらげ」をやらはった。この噺、江戸の柳家喬太郎さんが創った新作落語ですが八織さんがうまく上方落語にしてました。母くらげと別れ別れになった子くらげの噺ですが、海の生き物を八織さんはうまく表現してました。きれいな顔を変顔にしてタコを演じたあとカレイとヒラメが出てきました。ちゃんと顔の向きを変えてました。
 2番手は桂三語さん。喜楽館ができてからよく神戸の新開地に来るようになりましたが、大阪の新世界とよく似てる、同じ空気が流れていると三語さんはマクラでおっしゃってました。でもわたし(雫石)は違うと思います。私は三つの時から神戸市民で高校は湊川でした。高校の帰りは新開地を通ってました。昔の新開地はヤの字のおにいさん、おっちゃんの巣でした。私は慣れてましたから普通に歩いてましたが、昔の新開地は良家の子女は足を踏み入れない方がいいでしょう。あ、今は絶対にそんなことはありません。ですから老若男女善男善女、神戸女学院とか海星女子学院のお嬢さまがお一人で行かれてもだいじょうぶです。大阪の新世界はあまり行ったことはありませんが、新世界はホームレスの街、新開地はヤの字の街(昔のことです)とわたしは思います。で、三語さんがやった落語は「天狗裁き」です。
 三番手は露の眞さん。露の都師匠の2番目のお弟子さんです。中堅からベテランにさしかかろうという噺家さんです。三重県志摩市の出身だそうです。志摩出身の芸能人はだれもいなかった。ですから眞さんが志摩出身の一人だけの芸能人だったそうですが、最近、なんたらいう坂道アイドルが志摩から出たんですって。眞さんの母上と坂道アイドルの母が知り合いだそうです。アイドルの母が「うちの娘芸能界にデビューしたけど、お宅の娘さんのお仕事は?」眞さんの母上は自分の娘が落語家になっているといえなくて「グラビア」いったそうです。そのグラビアアイドルの眞さんが演じたのは「軽石屁」です。旅ネタで東の旅のお伊勢さんから帰りの噺です。軽石を粉にしたのを飲むと屁がでます。
 さて、仲入り後のトリは桂三扇さん。こういう落語会に来られる熟年夫婦は落語が始まる前、あまりお話になってないんですって。会場が繁昌亭だったら奥方はパンフレット読んでる。旦那は天井の提灯を数えてるんだそうです。ほんまかなと思って周囲を見ると、昨夜の喜楽館はみごとにおっさんばっかりでした。三扇さんの落語は「別れ話は突然に」師匠桂三枝(現6代文枝)作の創作落語ですが、三扇さんの噺ぶり、文枝師匠にそっくりです。さすが子弟ですね。
 八織さんはご自分で八方師匠似てきた(あんまり似てないとわたしはおもいますが)といわはるし、三扇さんはほんまに文枝師匠に似てます。
 ここで師匠に似てる落語家を見てみましょう。まず、桂米團治師匠。さすが実の親子だけあって、米朝師匠によく似てます。一瞬、米朝師匠が生き返ったのかなと思います。そして桂八十八さんも米朝師匠に似てます。
 それから桂阿か枝さん。数多くいる先代5代目文枝師匠一門で、阿か枝さんが先代文枝師匠に似ています。阿か枝さんの噺に先代文枝師匠の面影がかいま見えるときがあります。
 笑福亭一門では笑福亭鶴志さんが松鶴師匠に一番似ていたが、おしくも亡くなりました。今の人では鶴瓶師匠が大化けしたら松鶴師匠に似てくる気がします。
 次に桂枝雀一門ですが、ざこば一門の桂りょうばさんが枝雀師匠の実子ですがお父さんとは似てません。桂雀々さんが枝雀落語とは別次元の爆笑落語を展開していたのですが、こちら惜しくも亡くなりました。しいていえば雀三郎さんが枝雀師匠に似てるかな。「おひいさんが、カー」という芸も受け継いではるし。
 それはそれとして、昨日の喜楽館の客席、おっさん、じいさんばっか。上方落語家はいま270人。関西の落語好きの人数を考えると落語の供給源はこの人数でいいのではないでしょうか。ですから今は落語家を増やすより、落語ファン、特に若いファンを増やすのが喫緊の課題ですね。

そして、バトンは渡された

2025年03月12日 | 本を読んだで

 瀬尾まいこ    文藝春秋

 おとぎばなしだ。主人公優子をとりまく人たちはみんなやさしさと博愛に満ち満ちた人たちだ。
 優子は苗字が4回変わった。母は2人父は4人いる/いた。でも優子はとっても幸せだ。
 実母は優子が幼いころ亡くなった。実の父水戸が再婚したのが梨花。水戸は仕事でブラジルへ。優子は梨花とともに日本に残る。梨花は優子を連れて泉ヶ原と再婚。そして泉ヶ原と離婚。森宮と再婚。この森宮さんがいまのお父さん。だから今は森宮優子という。
 水戸も泉ヶ原も森宮も優子をとても優しく大切してくれる。でも、一番優子を愛しているのは継母の梨花。夫を次々取り換える自分勝手で浮気な女に見えるが、これはみんな優子を想ってのこと。
 水戸さんも泉ヶ原さんもすてきで考えられないほどやさしいお父さんだが、特に現実離れしてるのが最後のおとうさん森宮さん。森宮さんと優子は血のつながりはない。森宮さん37歳。優子17歳。森宮さんは健康な成人男性。優子を「女」と見てなくて、純粋に自然に自分の娘と想っている。このあたりのことは、ま、これはおとぎばなしなんだから生物の雄的な眼で見てはいけないのだ。森宮さんは生き物の雄ではなく「お父さん」なんだ。

EXPO'87

2025年03月11日 | 本を読んだで

   眉村卓          小学館

燃える傾斜」と同じく、村上知子さまからご恵送いただく。ありがとうございます。村上さま。
 小生が生まれて初めて買って読んだSFマガジンは1967年9月号№98であった。そのSFマガジンに、この「EXPO‘87」の連載の2回目が掲載されていた。あれから60年近い年月が経った。60年ぶりにあらためて読んだ。すっかり忘れていたが、傑作だ。経済、社会という眉村さんの得意なカテゴリーの大作SFだ。1967年という年数を見てわかるように、1970年の万博の前に書かれた作品である。執筆時が1960年代後半、作中の設定は1987年の3年前から物語が始まる近未来SFである。それを1987年もはるかに過ぎた2025年に読んだわけ。違和感を感じなかったのはさすがだ。
 3年後の1987年に、愛知県安城市で東海道万博開催される。関西の企業大阪レジャー産業も出展を計画している。大阪レジャー産業は非財閥系の企業で専務の豪田が実質会社のかじ取りをしている。それの企画を任されたシン・プランニングセンターの山科。万博反対を唱えるビッグ・タレントと呼ばれるマスコミ人朝倉。女性の権利拡大を訴える過激な女性結社家庭党。万博をめぐり、かような人たちが織りなしていく社会経済サスペンスが前半。そして万博開催までの年月が少なくなってきて、日本各所に非常に有能な若き産業人がでてくる。彼らは人知を超える能力を発揮して、日本の企業を飛躍的に強化する。外国の企業も日本への進出のスピードが大幅に落ちる。
 有能な若き産業人。それは密かに養成された産業人=産業将校という。産業将校の活躍と万博賛成にまわった家庭党の力で万博は無事開催の見通しがたった。かような状況で反万博の立場の朝倉の存在感が薄くなった。起死回生をかけた朝倉は産業将校にたいして公開討論を持ちかける。
 こうしてビッグ・タレントと産業将校の自己の存在意義を賭けた公開討論が始まる。
 2025年の大阪万博まであと一か月もないという、この時期に本書を読んだのがなかなか良かった。
 小生(雫石)は博覧会が好きであった。(過去形なのだ)1970年の万博は日参した。ほとんどのパビリオンは見た。アメリカ館の月の石を見るだけで1日を費やした。ソ連館で買ったソコロフの宇宙画集は今も持っている。神戸のポートアイランド博覧会も国際花と緑の博覧会も行った。
 ちなみに2018年にこんなことをいっている。この場を借りて7年前の自分に答えよう。日本の首相は石破茂。アメリカの大統領はドナルド・トランプ。阪神タイガースの監督は藤川球児。阪神タイガースは2023年に日本一になった。そして、2025年の大阪万博は行かない。行く気がしない。2025年の現実にはビッグ・タレントも産業将校もいない。万国博覧会はその存在意義を失ったのではないだろうか。1970年に大阪は千里で見た夢はもう見えない。

方舟を燃やす

2025年03月06日 | 本を読んだで

 角田光代             新潮社

 どんな人間にもドラマがある。なんということもない人物を主人公にすえて物語を紡いでいっても、手だれの小説書きの手にかかると、読まされてしまう。
 本作の主人公は二人。昭和生まれの男と女が主人公だ。この二人、どこにでもいるごく普通の人物だ。鬼道衆でもないしヒ一族でもない。どっかの国のエージェントでもないし、大藪春彦の登場人物のように車をとばし銃を撃つこともない。
 物語は1967年に始まる。柳原飛馬が鳥取で生まれた。この年谷部不三子は東京の高校生。なんの縁もゆかりもないこの二人を軸にお話しはすすむ。
 飛馬(昭和のお笑い野球マンガの主人公にちなんだ名前ではない。近くに飛行場ができた日に生まれたから)は小学生のころは文通に高校になってアマチュア無線に夢中になる。長じて東京で区役所の職員になる。子供のころ母が死んだが母の死に疑問と責任を感じている。父には祖父は村の英雄で功績をたたえる碑があると聞かされていた。
 不三子は飛馬より年長。結婚して望月不三子となって長女と長男を生む。料理教室にいった。そこの講師勝沼沙苗に一生感化される。人間の幸不幸は食べ物で決まる。白米、添加物、肉、魚を食べると不幸になる。有機栽培の野菜しか食べない/食べさせない。長女は子供のころ友だちに家に遊びに行ったとき出されたお菓子をガツガツ食う。長女は家出する。
 昭和、平成、令和と時代は進む。口さけ女。ノストラダムスの大予言。終末。いろんなデマ、うわさが流れる。いろんなことがあった。万博、オリンピック、大震災、オウム真理教騒動、新型コロナ蔓延。
 それらの時代の流れが飛馬と不三子を流していく。そして二人の交点となったのが子供食堂。そこの謎の女の子が来る。
 物語はなんの解決もないまま終わる。問題がないのだから解決もないのである。

虚の伽藍

2025年02月28日 | 本を読んだで

月村了衛         新潮社

 主人公は僧侶だ。仏の道を衆生に説いて、「善」に導くのが仕事。そのため仏門に深く帰依し、仏道に精進し、高潔高邁な境地に達する聖人。ほんとかな、お坊さんってそんなに偉いのかな。
 滋賀県の田舎の寺の息子志方凌玄は仏教系大学を卒業して、伝統仏教最大の宗派燈念寺派の宗務庁に入る。そこで凌玄が知ったこと。寺の幹部たちの実態。仏の道どころか人の道からも大きく外れた先輩僧侶たちの行状。寺有地の売却を食いもんにして私服を肥し、権勢をほしいままにする腐れ坊主ども。若い凌玄は、「お山」の改革の必要を感じる。そんな凌玄に和倉という男が接触してくる。「お山」の改革はお前がやるべき。和倉に説得される。和倉は京都の裏のドン。京都最強のフィクサー。和倉が凌玄に紹介したのが京都最大の暴力団扇羽組若頭の最上と京大卒の切れ者幹部の氷室。凌玄はこうして「お山」の「改革」に取り組んでいく。
 青雲の志をいだく若き僧侶が、ぐちゃぐちゃどろどろの利権と欲望にまみれた「お寺さん」のブラックホールにどっぷりとつかっていく。誘拐拉致買収脅迫殺人。目的を果たすためならなんでもあり。濃厚な欲と権勢欲に包まれた世界がこってりと描かれている。「お山」にいるのは仏じゃない鬼だ。

白熱 デッドヒート

2025年02月27日 | 本を読んだで
田中光二      角川書店
 ワシの家には、ワシがものごころついた時から車があった。オヤジは車好きで、ウチに初めて来た車はトヨタ・パブリカだった。800ccの空冷エンジンの車だった。それから幾星霜、ワシのかたわらにはいつも車があった。オヤジの車好きは強化されて遺伝したらしい。リストラされ愛車ホンダ・インテグラを手放してから自分の車がない。晩年になって車がない生活をしているわけ。会社でフォークリフトを運転してちょっだけ癒しているが、重度の車禁断症状はかなり深刻な病状。で、この車禁断症状を少しでもやわらげようと思って、かようなカーアクション小説を読んだわけ。
 ガソリンスタンドで働く、新庄卓は車が生きがい。運転には絶対の自信がある。その自信が打ち砕かれた。
 交差点グランプリ。卓のチェリーX-1の隣にゴールドメタリックのスカイラインGTハードトップが並んだ。スカGは圧倒的な加速力とドライビングテクニックで卓を抜き去った。卓の中でスイッチが入った。それからは、彼女を捨てスタンドを辞め、ひょんなことで手に入れた大金でターボチャージャーで武装したセリカLBを手に入れ、ゴールドメタリックのスカGを探す。手掛かりは名古屋ナンバーということだけ。卓は各地の「族」に接触し、情報を仕入れ宿敵のスカGを追う。
 と、こういう話だ。うう、いかん。車禁断症状を少しでも治めるため読んだ本だが、車依存症がぶりかえした。
 うう、くるま、くるまが欲しい。運転したい。くく、苦しい、早く、車を。車をくれ。くるしい。くくく、く・・・。

トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦

2025年02月25日 | 映画みたで

監督 ソイ・チェン
出演 レイモンド・ラム、ルイス・クー、テレンス・ウラ、サモ・ハン

 いやあ、おもしろかった。久しぶりの香港アクション映画の快作である。主人公は香港に密入国した青年チャン。腕っぷしを見込まれヤクザの大ボスに誘われるが黒社会に入るのを拒否して、そこにあったヤクをつかんで逃げる。逃げこんだのは九龍城砦。そこを支配するのは散髪屋のおやじのロン。チャンはロンのもとに身を寄せる。九龍城砦の人たちや、ロンの手下とも仲間になる。
 と、いうわけでワケありの青年ロンその他大ぜいが九龍城砦でクンフーであばれまくるというわけ。キレキレのアクションがのっけからてんこ盛り。舞台が中国返還前の無法地帯九龍城砦。この九龍城砦の映像が良い。猥雑でごちゃごちゃ。臭ってくるような濃密な風景が展開される。もう、サイバーパンクかと思われる映像だ。押井守の「攻殻機動隊」かリドリー・スコットの「ブレードランナー」想いだしてもらえればよく判る。そのサイバーパンクな風景で壮絶なカンフーアクション。銃は使わない。肉体と肉体のぶつかり合い。飛び散る汗と血。
 登場人物のキャラもいい。主人公のチャンはきまじめな青年。チャンの師匠にあたるロンが大変にかっこいいおやじ。いつもくわえタバコでキレのいいカンフーを使う。大けがしたチャンの手当てをしたもぐりの医者セイジャイ。顔に大きなキズがあるからデストロイヤーみたいなマスク(後半は大谷刑部になる)している。ロンの子分ツンャ。ロンをしたう青年サップイー。チャンはセイジャイ、ツンャ、サップイーと友だちになる。この男4人の熱い友情も感動ものだ。
 最後はこの4人と最強のラスボスとも対決。こいつがとんでもなく強い。いやあ。面白かった。カンフーアクションを堪能した。満腹満腹。まことにごちそうさまでした。
 叉焼飯おいしそう。こんど作って食べよう。

こんにちは、母さん

2025年02月24日 | 映画みたで

監督 山田洋次
出演 吉永小百合、大泉洋、永野芽郁、寺尾聡、宮藤官九郎、田中泯、YOU

 小生、関西人のくせに関東色が強い「男はつらいよ」シリーズのファンである。全作見ていると思う。何本かDVDで持っている。
 本作は山田洋次映画が色濃く出た映画だ。東京の地理は良く知らぬが、この映画の舞台隅田川のほとりから、北の葛飾には草だんごの店寅屋があって、寅さんやさくらがいて、タコ社長と寅がケンカしていてもおかしくない。「時」は違うが、同じ空間同じ空気が存在している。
 大企業の人事部長の息子。下町の足袋屋の母。孫娘は大学生。母のボランティア仲間。教会の牧師。息子の同期入社の友だち。ホームレスの老人。と、いった人たちが主たる登場人物。人間だから苦労があるが、主人公の一人息子に苦労が集約されている。人事部長としてリストラで人を首切りしなくてはならない。その中に友だちも。妻とは別居で離婚することになる。娘は反抗する。で、母には幸せが集約されている。孫娘にはなつかれる。息子には頼られる。ボランティア仲間とは仲良し。牧師には片想い中。とはいいつつも老いの恐れもあるが。
 舞台を葛飾から隅田川下流に移し、時間を50年ほど手前に引き寄せれば、母の足袋屋のおもてを寅さんが歩いていてもおかしくない。足袋屋も母の住居も兼ねている。縁側があり小さな庭。二階に上がる階段。隣は印刷工場ではないけど、二階にはマドンナの代わりに孫娘がいる。寅とタコ社長のかわりに息子とその友だちがケンカする。マドンナに恋する寅さんのかわりに、母が牧師に恋する。
 北海道に転勤になる牧師を見送るとき、車の窓に母が手をかけていう。「私も一緒に行ってもいいですか」「冗談です」これなんか、「リリー、俺と所帯を持つか」「冗談だよ」おんなじである。
 いい映画であった。主演の吉永さんがたいへんにチャーミング。魅力的。とても80近い人には見えない。「男はつらいよ」の歌子より魅力的であった。