ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

もとまち寄席恋雅亭がこのまま終わる

2020年03月30日 | いろいろ
 神戸の上方落語ファンにとっては毎月10日は、お楽しみの日であった。毎月10日、神戸は元町の風月堂ホールで、まとまち寄席恋雅亭が行われる。(行われていた)小生も毎月行っていた
実はこのもとまち寄席恋雅亭は4月の500回というキリの良いところで終わる。会場の風月堂ホールが老朽化のため使えなくなるからだ。その500回最終公演は、上方落語の主力メンバーがほぼ全員が出演する超豪華落語会になる予定であった。小生もおおいに楽しみにしていたが、その4月の500回最終公演も新型コロナ肺炎のため中止。
 もとまち寄席恋雅亭は、このまま42年の歴史に幕を閉じることになった。大阪に繁昌亭がなく神戸に喜楽館がない昔から、神戸の貴重な地域寄席として、もとまち寄席恋雅亭が上方落語発展に大きく寄与したことは間違いない。
 もとまち寄席恋雅亭は、上方の落語家にとってはガチンコで落語をできる場であった。ふつう、落語会は、開口一番の前座がいて、2番手、3番手と続き、中トリがいて、トリ前がいて、最後に大トリが出てきて終わる。大トリはだいたい大御所的な落語家が務める。その前に出る落語家は、大トリに斟酌して、あんまり派手な噺はやらない。大トリを務める大御所を引き立てるように遠慮する。ところが、このもとまち寄席恋雅亭は、そんなことはおかまいなし。前座であろうがトリ前であろうが、大トリにいっさい忖度なし。リミッターをとっぱずして大熱演を演じて客席を爆笑の渦にする。そういう寄席であった。
 上方の若手の落語家にとって、もとまち寄席恋雅亭に出演することは、落語家として一人前として認められたことになる。上方落語家の出世すごろくはこうだ。
 入門→師匠の独演会で前座を務める→繁昌亭か喜楽館に出る→NHKの「上方落語の会」かMBSの「らくごのお時間」に出る→もとまち寄席恋雅亭に呼ばれる→NHKの「日本の話芸」に出る→弟子が入門する→繁昌亭か喜楽館で大トリを務める→大阪市の「咲くやこの花大賞」を受賞→大きな名跡を襲名→叙勲→人間国宝。
 もとまち寄席恋雅亭はそういう立ち位置の落語会であった。その終焉に立ち会うことができなくなった。まことに残念。新型コロナ肺炎のウィルスをうらむ。

牛肉と里芋の韓国風煮物

2020年03月22日 | 料理したで

 今夜は韓国風の煮物がおかずです。牛肉と里芋の煮物です。牛肉はすね肉を用意しました。野菜は里芋とにんじん、玉ねぎです。
 そんなに難しい料理ではありません。まず、煮汁を作りましょう。水につぶしたニンニク、長ねぎの青いところを入れて煮だします。そこに切った牛肉を入れましょう。盛んにアクが出ますので、ていねいにアク取ります。しばらく煮たら調味料を入れます。塩と酒です。酒は日本酒でも紹興酒でもどっちでもいいです。韓国料理ですから韓国のお酒マツカリがあれば一番いいと思います。私は紹興酒を使いました。
 さて、野菜を入れましょうか。里芋は皮をむいて塩でもんで水洗いして煮ると味がよくしみこんでおいしく煮えます。あと、にんじんとくし形に切って玉ねぎを入れます。ここまで来るとお肉もやわらかくなって、煮汁にお肉のうま味がでていいあんばいです。お肉は具であると同時にダシの素なんですね。
 さて、お肉も里芋もにんじんもやわらかく煮えました。仕上げの調味料をいれます。醤油とコチジャンをいれます。
 煮えたらそのまましばく置いておきます。煮物はさめていく段階で味がしみておいしくなるんです。これ、あらゆる煮物の大事なポイントです。
 食べる直前にもう一度火にかけあっためてネギを散らせばできあがりです。

丸枠写真の鈴木くん

2020年03月21日 | 作品を書いたで
 家でタイガースを応援しながら、バーボンをちびちびやっていると、電話が鳴った。
 中学で同じクラスだった橋田悦子からだ。「久しぶり。ヒマしてる?」
 三宮のスナックで女三人飲んでるとのこと。なんでもクラス会の打ち合わせをしてるらしい。
 だいたい一〇年に一度のわりでクラス会をやっている。いいだしっぺは、たいてい橋田悦子か山口道江、松浦幸恵の三人である。
 私は、この三人とは特に親しかったわけではない。かといって疎遠であったわけでもない。
 中学を卒業して三〇年以上。多くの者がここ神戸を離れた。阪神大震災で亡くなったクラスメートもいる。
 私と三女史は中学卒業後もずっとここに住んでいる。大震災も生きのびた。この地にいまも在住は、この四人と、あと数人だけ。そういうわけで、前回、クラス会をやった時、三女史にひっぱりだされて、手伝わされた。住所が判っている者はいい。転居先不明の者はなんとか調べて案内状を発送した。
「鈴木くん。来るんだって」
「鈴木くんって」
「私もよく覚えてないのよ」
鈴木くん。鈴木正雄。三女史の記憶にない。
優等生でも劣等生でもなく、運動が得意でもなく、絵が上手というわけでもないと思われる。その鈴木くんが今度のクラス会に出席するとの連絡があった。
 住所は判っていた。神戸在住で中学の時から住所が変わっていないはずだ。
 市立の中学だから、生徒の住所は中学と同じ区内だ。私や三女史のように転居していない者は、たいていスーパーかどこかでぱったり会ったりするものだ。阪神大震災の時は私たちの避難所となった小学校でみんなと会って、お互い無事を喜び合った。避難所で期せずして臨時クラス会となったわけだ。私もその場にはいた。その時、写真を撮ったのだが、その写真に鈴木くんは写ってなかった。シャッターを押したのは私だった。
「だれか鈴木くんのこと覚えてないかしら」
「田中くんだったら知らないかしら」
 田中弘泰。勉強とか運動はそこそこできるが、クラスで一番の人気者だった。敵がいない男で、だれとでも仲良し。社交的な男で、中学卒業後もクラスメートとの親交は続けているとのこと。私ともときどき会って酒席を供にする。もちろん電話番号も知っている。
「あ、おれ。いま、橋田らと今度のクラスの打ち合わせをしてるんやけど、鈴木から出席のハガキが来てるんや。おまえ、鈴木ってどんなヤツか覚えてるか」
「はい。うん、うん、お前もそうか」
「田中も覚えてないって」
「さっちゃん、いまアルバム持ってるでしょう」
「うん、重いけど、なんかの役に立つかもと思って持ってきたわ」
 松浦幸恵がバックから中学の卒業記念アルバムを出した。
「三年七組のページはここだわ。あれ」
 幸恵が首を傾けた。
「どしたの」
「集合写真には写ってないわ」
「ほんとだ。外に丸枠で出てるわ」
 丸枠は鈴木くん一人だけだった。 
 卒業記念アルバムの集合写真を撮る日は、極力学校を休まないようにいわれてたのを思い出した。すると鈴木くん一人この日は休んだのだ。
 パラパラとアルバムのページを繰っていた幸恵が声を上げた。
「あれえ。修学旅行の記念撮影も鈴木くんは丸枠だわ」
 富士山をバックの集合写真にも鈴木くんは写ってなかった。彼は丸枠の中にいた。
「この鈴木くんって子修学旅行にも行かなかったんだ」
「ほかの写真はどうなの」
 橋田悦子がいった。
「ちょっと見て見るわね」
 幸恵が、今度はていねいにアルバムをめくる。私と、橋田、山口が横からのぞく。四人は顔を見合わせた。
「どの写真にも写ってない」
 スナップ写真が何枚かアルバムに載っているが、鈴木はどの写真にも写っていなかった。つまり、彼は、このアルバムの中には丸枠の写真二枚に写っているだけだ。
「そもそも鈴木正雄って子、私たちのクラスに、いいや、学校にいたのかしら」
「いたはずよ。今度のクラス会に出席するんだから」

 夕方五時集合。場所はJR芦屋駅前のホテル竹園。すこしぜいたくな場所でのクラス会となった。
 午後四時三〇分。受付に橋田悦子が座っていた。
「だれか来たか」
「あんたが一番よ」
 ポンと肩をたたかれた。ふり向くと田中だった。
「久しぶり」
 その後、参加者が集ってきた。参加予定者十一名。橋田の前の参加者リストは十一名全員にチェックが入れられている。鈴木正雄にもチェックが入っている。
「鈴木、来たのか」田中が橋田に聞いた。
「来たみたいね。私がチェック入れてるんやから」
「どれが鈴木や」
「わからない」
「受付したんやろ」
「一度に五人ほど来たから、いちいち顔見てないわ」
 会場には参加予定者十人がいる。順々に顔を見ていく。
 田中、岡本、山根、岩本、前川、高松、平、山口、松浦。これで九人。そして、ここに私と橋田がいる。全部で十一人。参加予定者全員が揃っている。名簿を見る十一人全員にチャックが入っている。名簿の鈴木にはチェックが入っている。
 二時間の楽しい宴は終わった。これから都合にいい者は二次会となる。最後に記念撮影をしようとなった。
 私がシャッターを押した。次に山口がカメラを持った。
「入って。こんどは私が写すわ」
 彼女はバツが悪そうな顔をした。
「ごめんね。電池切れだわ」
「また丸枠ね。鈴木くん」
 確か私は集合写真を撮る時も、修学旅行も病気で休んだ。スナップ写真はたいてい私が撮影係だった。


シャドー81

2020年03月20日 | 本を読んだで

ルシアン・ネイハム 中野圭二訳         早川書房

 ロスアンゼルス空港を飛び立ったPGA81便がハイジャックされた。要求は金塊で2000万ドル。犯人はPGA81ジャンボ機の機内にいない。どこにいるか。彼はPGA81便の後方の空中にいる。
 最新鋭戦闘爆撃機TX75E。アメリカ空軍の虎の子である。戦闘機としても爆撃機としても優秀で、可変翼機。しかも垂直離着陸ができる。ベトナム戦争末期。和平も近い。TX75Eが1機消息を絶つ。懸命の捜索にもかかわず機体もパイロットも見つからない。ダナン空軍基地の司令官でありTX75Eの産みの親でもあるエンコ将軍は、機体の残骸をなんとしても見つけろと厳命。虎の子の最新鋭戦闘爆撃機が敵方の手に渡るのは非常にまずい。
 それからほどなく、香港の造船所にミステリ作家のアメリカ人が奇妙な船の注文にやってくる。
 そしてハイジャック事件勃発。犯人は戦闘機に乗ってPGA81便ジャンボ機の真後ろを飛んでいる。ゆうことを聞かねば撃墜するぞと脅す。
 で、ここからは、PGA81便機内、戦闘機、ロスアンゼルス空港管制塔のやりとり。そして地上には共犯者「サンタクロース」がいて、警察をふりまわす。
 ミステリー作家が注文した船がどう使われるのか。「サンタクロース」の正体。このありの以外度は及第点だが、ハイジャック犯の正体は最初から分かっている。それにTX75Eが垂直離着陸機というのがミソ。
 なんといってもラストが衝撃的。ええ、こんなんありか。ええんかいな。

上方落語の医者

2020年03月17日 | 上方落語楽しんだで
 やっかいな病がまん延して、世界中が困ってまんな。私ら落語家は、お客さんの前で一席うかがうのが商売でおます。繁昌亭も喜楽館も公演中止で、仕事ができまへん。こんなんが続くと江戸でも上方でも落語家の干物がようさんできまっしゃろな。
 病ちゅうと、お医者が頼りでんな。お医者が出てくる上方落語もあります。「ちしゃ医者」「夏の医者」なんかがそうですな。それから大河落語「地獄八景亡者戯」にもお医者がでてきます。
「ちしゃ医者」に出てくるのは赤壁周庵先生。私ら病気になっても、できたら、この赤壁先生にかかるのはごめんでんな。たいない医者を藪医者ゆうけど、兵庫県に養父郡(やぶぐん)ちゅうところがおます。昔、この但馬の養父に名医がおった。それから養父の医者=名医となったんですな。で、どんな医者でも養父の医者と名乗るようになった。そんなかにも、とんでもないヘボ医者もおったんでっしゃろ。それからヘボ医者をヤブ医者というようになったとか。
 この赤壁周庵先生は藪医者なんてなまやさしいもんやおまへん。竹の子医者=これから藪になる。すずめ医者。藪に向かっていく。手遅れ医者=なんでもかんでも手遅れ。「手遅れじゃ」「先生さま、いま、屋根から落ちたばかりなんじゃ。いつ連れてきたらええんじゃ」「屋根から落ちる前ならなんとかなる」
「夏の医者」に出てくるお医者は、うではどうか判りまへんが、度胸はピカいちですな。うわばみに呑み込まれてもハラの中で平然とたばこを一服。「わしゃ長年の医者でな。あちこちで薬を調合したが、うわばみのハラのなかで調合すんのは初めてじゃ」とゆうて、うわばみのハラの中に下し薬をまくんですな。うわばみは下し薬なんか飲んだことおません。初めて飲む薬はよう効くもんです。うわばみ、えげつない下痢。げっそりして肩を落としますな。どこが肩か判りまへんけど。
「地獄八景亡者戯」のお医者は山井養仙先生。中日に山井大介ちゅうピッチャーがおりますな。メガネかけてて2007年の日本シリーズで完全試合目前で監督の落合に岩瀬に交代させられたかわいそうなピッチャーでしたな。この中日の山井の先祖が山井養仙かどうかは知りまへんけど。
 この山井養仙先生は、「夏の医者」の先生さまの上手を行く度胸ですな。山井先生が呑み込まれたのはうわばみやのうて人呑鬼。人を呑む鬼。ごっついでっかい鬼ですな。こんな鬼に呑み込まれても平気で鬼のハラの中で仲間と大暴れするんですな。この人呑鬼に呑まれた4人の亡者。医者の山井養仙、歯抜き師の松井泉水、山伏の螺尾福海、軽業師の和屋竹の野良一ですな。メリケンの漫画マーベルコミックに「ファンタスティック・フォー」つうのんがおます。あれは4人の超能力者ですが、この4人の亡者と対戦させてみたいもんですな。おもろいやろな。「ファンタスティック・フォー」は2015年に映画になって続編は作られてまへんけど、もし作るんやったら日米合作で20世紀フォックスと米朝事務所が製作の「ファンタスティック・フォーVS4人の亡者」というのんを観たいな。ファンタスティック・フォーの4人はこの4人でええやん。4人の亡者は、山井養仙=桂文之助、松井泉水=桂米團治、螺尾福海=桂雀三郎、和屋竹の野良一=桂吉弥。おもろそうやろ。 

アルキメデスの大戦

2020年03月16日 | 映画みたで

監督 山崎貴
出演 菅田将暉、柄本佑、舘ひろし、田中泯、浜辺美波、笑福亭鶴瓶、橋爪功

 欧米との戦争が避けられない日本。海軍省では次期主力艦の建造計画が議論される。これからは航空戦力を増強すべし空母を建造すべしという、山本少将、永野中将。いいや巨大戦艦を作るべしという嶋田少将、平山中将。空母派と戦艦派に分かれて議論される。平山中将が最強最大の戦艦の模型を提出。戦艦と空母の見積書を比べると巨大戦艦の方が安い。このままでは巨大戦艦が作られてしまう。日本のためにならん。危機を感じた山本は天才数学者櫂を海軍にスカウトする。
 櫂少佐に与えられた仕事。巨大戦艦の本当の建造費用を算出すること。山本は巨大戦艦の見積もり書のごまかしを暴こうとする。
 あるのは極端に安い新造戦艦の見積もり書だけ。あとはなにもない。基礎となる数字はいっさいなし。強固な軍機密の壁に阻まれながら櫂少佐はわずかな手がかりを頼りに巨大戦艦建造費の算出を進める。
 期間は2週間。人手は副官の田中少尉だけ。期日はこくこくと迫り、なおかつ最終会議の期日が前倒しとなる。
 櫂少佐が戦艦建造費の算出を四苦八苦しながら計算して、空母か戦艦か最終決定される会議までは面白かった。あとは蛇足の上、なんともしまらない終わりとなった。史実の通り新造巨大戦艦は建造される。戦艦大和である。
 櫂少佐の活躍でいったん撤回された大和建造計画。なぜ大和は生まれたか。大和の設計者平山中将の意思。「日本人は負けることを知らない。この大和はいずれ沈められるだろう。不沈艦大和が沈められて、日本人ははっきり敗北を認識するだろう。大和は生まれ沈むことによって、日本を救うのだ」
 なんとも国民をバカにした意思であることか。その後、櫂少佐は何をしたかが描かれていないが、この流れなら大和の建造に手を貸したのだろう。平山はえらそうなことをいってるが、結局、大和を造りたかったのだ。櫂も、大和の建造費を算出しているうちに、この戦艦を生み出したいと思うようになったのではないだろうか。
 ご依頼の大和の建造費の数字は出した。あとは、あんたら戦争オタクたちが、お好きなように。と、いって主人公櫂は海軍を去る。と、いう終わり方で良かったのではないか。

星群の会ホームページ連載の「SFマガジン思い出帳」が更新されました。どうぞご覧になってください。

「あの人」

2020年03月10日 | 作品を書いたで
 S駅で快速電車を降りる。H県の内陸部のS市。大阪や神戸の衛星都市といっていいだろう。これらの大都市に通勤通学する人たちのベッドタウンとして、近年、人口は増えている。
 駅を出る。なんということもない、大都市近郊の中堅都市の駅前だ。駅の前を国道が走っている。横断歩道の向こう側にコンビニと牛丼屋がある。そこに商店街の入り口。「S市駅前商店街」入り口のアーチにはそう書かれている。
 信号が青になった。横断歩道を渡って商店街に向かう。アーチをくぐって商店街に入る。
 日曜の午後5時半。人通りが非常に少ない。閑散としている。多くの店がシャッターを閉じている。「売り物件」の張り紙をしている所も目につく。教えられたバーは、この商店街の中ほどだという。そこで「あの人」が待っている。
 シャッターばかりが目立つ商店街を寒い風が吹き抜ける。電話がかかってきたのは1週間前だった。
「S市の『バー海神』で待ってます」
 それだけいうと電話は切れた。
「あの人」との出会いは山の中だった。ガス欠と電池きれ。二つのモノが切れたことが「あの人」と私を出合わせてくれた。
 島根県の出雲市で朝6時に行かなければならない用があった。中国道を降りて国道を走っているとき、山の中でガス欠、JAFを呼ぼうとしたらスマホも電池ぎれ。真夜中の3時。道の両側にはうっそうとした森があるだけ。目の届く範囲にはガソリンスタンドもコンビニもない。30分ほど、途方に暮れていると、向こうの方にポツンと小さな光が。近づいてくる。車のヘッドランプだ。必死で手を振った。頼む、止まってくれ。
 昭和時代のスカイラインが止まった。GT-Rだ。「あの人」が降りてきた。
「どうしました」
「ガス欠で、スマホの電池もきれて」
「JAFを呼んであげましょう」
「あの人」がポケットからスマホを出した。
「あ、わたしも電池ぎれだ。どこまで行くんですか」
「出雲市です。出雲大社の門前の近くです」
「お困りでしょう。ひっぱって行ってあげましょう」
「あの人」は私のロードスターをGT-Rでけん引して出雲大社の門前まで行ってくれた。その場で丁重にお礼をいって、あとであらためてお礼をするから、電話番号か連絡先を教えてくれというと、気になさらないで下さいといって、立ち去ろうとした。あわてて引き留めて、せめて私の電話番号を教えさせてくださいとメモを手渡すと、なんとか受け取ってもらえた。

 カラン。カウベルを鳴らしてバー海神に入る。「あの人」はカウンターに座っている。カウンターの上にはブッカーズのボトルが置いてある。63度のプレミアムバーボンだ。
 肩までの黒髪、たおやかななで肩で、白い長い指でグラスを持っている。氷の入っていないグラス。中は濃い紅茶のような色の液体。ブッカーズをストレートで飲んでいる。チェイサーは置いてない。
 隣に座る。
「あのおりはどうもありがとうございました。助かりました」
「いえ」
「お礼をどうしようかと考えたんですが」
 私はフォアローゼスのシングルバレルのボトルとバラの花を4輪手渡した。あの時、GT-Rの助手席の買い物袋に上等のフォアローゼスのボトルが2本入っているのを見かけた。
「ありがとう」 
 彼女は微笑んでバラ4輪とフォアローゼスのボトルを受け取った。
「あの人」が私のヨメさんというわけ。上等のバーボンとGT-Rのガソリン代で家計は苦しい。