ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

あれから25年。

2020年01月17日 | いろいろ
 あれから25年。ついこないだのように思うが、もう1/4世紀もたった。あの大震災からふた昔半も過ぎた。小生も年を取るはずだ。
 あの日は三連休明けの日であった。前日まで友人の結婚お祝い合宿で奈良で泊まっていた。それまで神戸では大きな地震はないと思っていた。
 さて、連休も終わった。今日から会社だ。起きんといかんな。と、とつぜん下から突き上げられた。世界が激しく上下に揺さぶられた。地震だ。かなり大きい。この時の揺れは、小生が住む神戸市東灘区では震度7であった。揺れがおさまったあと、シーンとした静寂。しばらくしてガヤガヤという人の声がする。
 家の中はシャッフルしたようであった。机のこっち側にあった本棚が、中身をぶちまけながら空中を飛んで机のあっち側に着地している。真っ暗な台所で何かが斜めになっていた。食器棚が倒れている。その食器棚を乗り越えて家族を連れて玄関までいった。台所に置いてある熱帯魚の水槽が魚と砂利を吐き出して破壊されていた。エンゼルフィッシュがまだぴくぴく動いていた。玄関は熱帯魚の餌としていたイトミミズの容器が棚から落ちて、あたり一面ミミズだらけだ、
 玄関が開くか心配だったが、開いた。駐車場に向かう。途中の屋根付きガレージにあるベンツの屋根がへこんでいる。ガレージは無事だ。ベンツが飛び上がってガレージの屋根に当たったのだろう。
 ウチの車は露天の駐車場であったから無事だった。ともかくここから移動しよう。どこへ行ったらいいか判らぬが、とりあえず国道43号線を東へ走ろうとした。走れない。巨大なモノが道をふさいでいる。信じられないものを見た。頭上を通る阪神高速が斜めに倒れて道をふさいでいるのだ。
 車での脱出をあきらめて、近くの小学校へ避難する。最初に入った部屋はシーンとした静かな部屋だった。そこにいる人はみんな毛布をかぶって寝ている。そこは死体置き場であった。あわてて講堂に移動した。すでに大勢の被災者が避難していた。開いた場所に座った。その場所の隣にフィリピン人のご一家がいた。このご一家にはたいへん親切にしていただいた。
 北区に住む弟が小生たちを探し出してくれた。神戸市北区は無事だった。彼に車で彼の家に避難した。
 これが小生の震災当日1995年1月17日だ。