昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

たね

2022-02-16 09:43:14 | 日記
大分良くなったものの時折襲うこめかみの鈍痛が最近の悩みの種でして。

 ねたね うたたね ゆめみたね ひだね きえたね しゃくのたね
 またね あしたね つきよだね なたね まいたね めがでたね (たね 谷川俊太郎)

折からの冷たい風に震えるツワブキの綿毛。
ボクのこめかみにも綿毛がはえて、風に吹かれて飛んで行っちゃえと思います。

ウクライナ緊張と粒子

2022-02-15 09:25:30 | 日記
たしか昨年理研等が行った二重スリット新実験において、観測時における測定の光子等の影響を根拠に観察が結果に影響を与えるという推論を否定する見解を一掃する結果が暗示されたと思います。これは粒子に留まらず、人(思考)にも当てはまるものであると考えています。ドブロイ波とかを持ち出すと突っ込みどころが増えますので象徴主義的コレスポンダンスな個人的考えであるとします。

ロシアによるウクライナ侵攻の可能性が下がりません。NATOの脅威、歴史的な関係性、ウクライナ内の親露派の援護等大義名分を語ります。一方欧米もウクライナ併合を許した場合の弊害(他大国の侵攻を否定しづらくなるとか)を考えれば後には引けないところ。どちらにも重要要件には間違いないのですが、結局のところ個の立場から見た物語に過ぎません。そもそも領土も国家も人の間だけで決めた虚構にすぎないからですが、繰り返しますが重要です。

計画経済も目標も悲願も、あくまで個(粒子)側視点のみの話であり、建前抜きのヒトの基本、凡そすべての事象に関するアプローチはこれで、その半身である波(集合)は全くと言っていいほど考慮されません。それではいつまで経っても物理的最大強者の最大優位性という現況の本音部分の解消には至らないでしょう。

分別という他者と自己を発生させる行為(観察)が、個(粒子)を生み出すと考えます。勿論間違ってはいないのですが、同時に集合体であることも考えていれば、自ずと異なる展開を見せる気がするのですけど。

蛇足ですが、3次元の物体に異なる方向から光を当てれば、異なった2次元の影ができるようことなのかもとか思ったりします。

機を見るに敏

2022-02-14 09:20:00 | 日記
街路樹のマロニエが昨日の雨粒を二つ三つ身に纏いながら、凛として天を見上げています。

 マロニエの冬芽に置きし期待かな 稲畑汀子

葉芽は既に秋には作られていて、今はじっとその時を伺っているようです。

 何もせぬことが養生冬木の芽 亀田蒼石

何もしていないように見えて実は用意周到、いやはや恐れ入ります。
ぐーたらなボクには眩しすぎる生き様です。



勝ち組負け組の定義

2022-02-13 09:14:25 | 日記
全くもってあやふやな情報の記憶なんですが、ちょっと前に16歳で飛び級にて東大?に入学された方が「勝ち組とは枠を創る者のことで、負け組とはその枠内で生きる者のことである」と言ったとかなんとか。

これまたエピデンスなしのぼんやりとした記憶ですが、自己で判断できる自由度が高い業務に着かれている方の方が精神的ストレスが少ないという情報があった気がしますので、そういう事かなと。

ただ、「枠を作る側」はそこにたどり着くまでの数々のハードル、例えば身内や仲間の犠牲であったり命がけの大勝負であったり、時には道徳を乗り越えてのことで、成ったら成ったで枠の維持形成の為に、他者がしなくてもいいような決断、苦労、思考、態度を強いられることとなるでしょう。

枠内で、自由度は下がりストレスは増大するもののそこまで考えられず、不平不満を垂れ流すだけでそこそこの安心を手に入れ生きていけるのであれば、人によったら負け組の方が幸せと感じるケースもあり、総合的に見たら勝ち組と負け組の損得勘定は大して変わんないんじゃないかと思います。個人的嗜好にもよりますけど。

ああこの定義によれば大小の差こそあれ、全ての人は勝ち組かつ負け組になっちゃいますね。


ジャッジ

2022-02-12 09:58:37 | 日記
盛り上がりを見せる北京オリンピックですが、毎度のようにジャッジの内容について色々物議が交わされているようです。勝負事ですので不透明な部分について追求するのは当たり前のことなんでしょう。

1979(昭和54)年2/12、広島競輪場にて第6レース終了後場内アナウンスと電光掲示板で誤った着順が開示されました。
5分後に訂正されたそうですが、1万人の群集が暴徒化、車輌に火をつけるなど騒然となったとか。ルボンの群集心理やプロスペクト理論など様々な考察が出来そうですが、真剣に本性むき出しになるほどのめり込めるからより一層面白いんだと思います。

人が判定してるんだから多少のミスや偏見があってもしょうがないという、尤もな、それでいて身もふたもないご意見も伺いますが、さていかがなもんでしょうか。